揀擇(カンテク)【その1】
本日、一話の投稿となります
前世の臨海君は1585年に許銘の娘と結婚している。
前世では結婚時に王世子になってはおらず、何人もいる王子の一人に過ぎなかった。
しかし、今の俺は王世子になる事が決まっている。
そうなれば、簡単に結婚相手を決める訳には行かない。
間違い無く、妃を選ぶ為の行事……揀擇を経て結婚相手を決める事になるだろう。
前世と違い、王権が回復している親父……宣祖が政治的繋がりを求める事は少ない。
むしろ、相手側から強く求められる可能性が強い。
しかし、俺は前世の現代日本人の感覚が強く染み付いている。
この国でも正妃はお飾りで側室を寵愛した国王は多い。
俺の母親も正妃では無く側室だ。
しかし、俺はその点を拘りたいと思っている。
国王の責務として後継者を残す必要がある事は認めるが、多ければ争いになる。
この国は特にその傾向が強い。
加えて俺は側室を入れる事に忌避感がある。
故に揀擇が行われるなら、仕込をするつもりだ。
他の娘達には気の毒だが、この揀擇を出来レースにする。
まずはその為の布石を打つ事にした。
俺は布石を打つ第一歩として、漢陽のある商家を訪ねていた。
商号は「孫商団」、ソン・ヨナの実家だ。
ソン・ヨナの氷雨商団の成功に伴い実家の店舗も大きくなっている。
事実、六矣廛と呼ばれる御用商人に匹敵する大きさの店舗を誇っている。
この時代、商業活動の大半は行商で店舗を持つ商人はほとんどいない。
小さかったとは言え、店舗を持っていたソン・ヨナの実家はそれなりの商人ではあると言う事だ。
先触れを出さずに俺は、パク・シルだけを連れてやって来た。
いくらソン・ヨナの実家とは言え、王子に気安くやって来られては堪らない。
ゾロゾロと護衛やその他を引き連れてやってくるなどもっての他だと俺は考える。
俺としても、この方が気が楽だと言うのが本音だが。
「行首はいるか」
「……どちら様でしょうか」
店番と思わしき男が怪訝な顔で問いかけてくる。
いきなり子供が入って来て、行首を呼べと言ったら怪訝な顔をするわな。
「私はイ・ジンと言う、行首にお会いしたい」
「承知いたしました、少々お待ち下さい」
中々、従業員の教育は行き届いているようだ。
店番は此方に頭を一度下げると、店の奥へ声を出した。
奥から中年の男の声が帰って来る。
「イ・ジンさま…… !!直ぐに行く!!」
奥から行首らしい男が慌てて出て来た。
中肉中背でこれと言って特徴は無いが、目元はソンヨナに似て少しタレ目気味だ。
そのせいか、商人にしては人が良さそうな雰囲気を漂わせている。
行首、ソン・ヨナの父親は俺の顔を見るとひざまづいて拝礼しようとする。
俺は慌ててそれを止めた。そして、行首の耳元で囁く。
「行首、待ってくれ。今日の私はイ・ジンだ。王子では無い」
行首はそれで意味が分かったのか、立ち上がってくれた。
ただし、深々と腰を折って挨拶をする。
「それでは、イ・ジン様、ようこそお越しくださいました」
「突然に来て申し訳ない。今日は行首に相談したい事がある」
「……私にで御座いますか……宜しければ奥でお話をお伺い致します」
俺とパク・シルは奥へ通される。そこは上客を迎える為の部屋のようだ。
こじんまりとした部屋に趣味の良い調度品が置かれている。
行首が声をかけると一人の少女がやって来た。
年頃と言い、見た目と言いソン・ヨナの妹だろう。
行首はその少女、ソン・ヨナの妹に茶を入れるように命じている。
「イメグ……イ・ジン様、改めましてお越し下さりありがとう御座います。そしてヨナの事、改めましてお礼を申し上げます」
行首、ソン・ヨナの父親が言っているのは、ソン・ヨナを女官から解放した事だろう。
この国で一度女官になると老齢になるまで王宮を離れる事は出来ない。
どうしても離れたければ、死体になるか奴婢落ちするかだ。
「その事は良い、すべて王様のなされた事だ。ただし、口外無用。これは絶対だ」
「分かっております。しかし、イ・ジン様のおかげである事には代わりありません。ありがとう御座います」
この時の行首の顔は子供を案じる父親の顔そのものだった。
俺は今日来た目的を伝えることを戸惑ってしまいそうになる。
今日、俺はソン・ヨナの父親にソン・ヨナを俺の嫁として迎え入れたいと言いに来た。
そして、揀擇に備える為……揀擇は両班の娘だけが対象だ……に
ソン・ヨナを養女に出して欲しいと提案するつもりだ。
俺が頼み込めば、西人であれば養女に迎え入れる家はいくらでもある。
その他の両班でも手を上げる者はいるだろう。
「今日は行首に頼みが有って来た。端的に言おう、息女を嫁に迎え入れたい」
「……え……」
そら、固まってしまうわな。
王子がいきなりやって来て、せっかく帰って来た娘を差し出せと言っているんだから。
おまけに今度は女官では無い。嫁だ。帰って来る事は無い。
加えて俺は王世子になる。そうすれば、正妻は世子嬪になる。
庶民であれば、会う事も難しい。
その時、部屋の外で食器の割れる音がした。素早くパク・シルが扉を開ける。
そこには、唖然とした顔のソン・ヨナが立っていた。
しまった……ソン・ヨナは氷雨商団にいるものと思っていた。
実家に帰っていたのか……まあ良い。いずれ分かる事だ。
「ソン・ヨナ、ちょうど良い。中へ入れ」
「……はい……」
我に帰ったソン・ヨナは部屋に入って来て、父親……行首の隣に腰を下ろした。
「ソン・ヨナ、聞いていたのなら良い。私は其方を嫁に迎えたい」
「……」
いきなりだし、何も言えないわな……
そんなソン・ヨナの横から行首が口を開いた。
「……イ・ジン様、イ・ジン様は程なく世子様になられるお方。さすれば、この娘に揀擇に挑めと仰るのですか」
「その通りだが……」
何かおかしい。揀擇に挑めるのは両班の娘だけ、庶民の娘では無理だ。
この行首がそれを知らないとも思えない。
しかし、行首の物言いは何かおかしい。
「イ・ジン様が仰るのでしたら間違いは有りませんでしょうが、万が一選ばれなければ娘は再び女官になるのですか」
確かに言う通りだ。揀擇に挑んだ娘は選ばれなければ、ハイさようならでは無い。
揀擇に立候補した段階で女官になったと見なされ、一生結婚が出来ない。
しかし、行首の物言いは大前提が違う。立候補者は両班の娘だけだ。
俺の疑問が顔に出ていたのか、行首がああ……と言う感じで口を開いた。
「イ・ジン様はご存知ありませんでしたか……そう言えば、子供達も知らぬでしょうね。しばらくお待ちください」
そう言うと、行首は席を立った。
何とも言えない空気が部屋に満ちている、気まずい。
「……臨海君様、嫁と言うのは……」
顔を赤らめて言うな、此方まで顔が赤くなる。
ああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「言った通りだ、ソン・ヨナ!お前を私の嫁に迎える。嫌か?」
「いえ、そんな事はありません!」
即答だった。互いに顔が赤くなる……
俺の後ろに立っているパク・シルが身じろぎするのがわかる。
こいつ笑ってやがるな……
と、行首が帰って来た。
「これをご覧ください」
行首が差し出したのは、一冊の冊子だった。
俺はその冊子の表題を見て、息を飲んだ。
「これは!」
「はい、我が家の族譜で御座います」
その冊子の表題にはこう書かれていた。
「密陽孫氏族譜」
族譜を持つ一族、それは即ち両班だと言う事の証に他ならい。
ここまでお読みいただきありがとう御座います。
皆様からいただけるご評価、ご感想そしてブックマークが励みになっております。
今後ともよろしくお願い致します。
※揀擇
簡単に言うと王妃や王世子の正妻を選ぶオーディションです。
ステージは3段階あったそうです。ただ、あまり立候補者が少なかったようで、
候補者を強制的に掻き集めたような記載もあります。
また、落選した場合のデメリットも大きかったのか、名家ほど嫌がったようです。




