稲作への挑戦 【その7】
本日、一話の投稿となります。
朝鮮半島の農地の大半は日本では東北から北海道の緯度になる。
その為、直播が主流のこの時代は水温、気温の関係で播種が遅くなる。
播種が遅いと冷害などに弱く収量も少ない。
この点を改善するために、俺は育苗して田植えをするつもりだ。
育苗は前世では育苗器などの施設を用いたが、この時代ではまだ難しい。
俺は苗代で育苗するつもりだが、この寒冷地に近い漢陽郊外ではそれも厳しい。
そこで俺は「恒温水」……井戸水を使う事にした。
井戸水は通年で15°Cから20°Cと温度が安定している。
畓全体に井戸水を使うのは厳しいが、苗代であれば十分に可能だ。
ただし、釣瓶で水を汲むとなるとかなりの労働になる。
俺は手押しポンプを作ることにした。
手押しポンプの構造自体は簡単なので図面さえしっかりしていれば再現は可能だった。
「これは……こんなに簡単に水が汲めるなんて」
チョヌは絶句している。
それはそうだろう。水汲みは重労働だ。
一度や二度位、釣瓶で水を汲むぐらいならそうでも無いが、一日の生活には水が多量にいる。
それを汲む事がどれ程の重労働かは簡単にわかる。
それが、ポンプを漕ぐだけで水が上がってくるのだ。
「これで、私の言う通りの作業ができるな」
「出来ます、ソン・ジン様」
苗代を作って、井戸水を流し込む作業を当初、チョヌは自信が無いと言った。
小作人の立場だから、出来ないとは言わないが自信がないと言ったのだ。
稲作が成功するか否かは苗づくりに掛かっている。
温度管理はその要だ。
この手押しポンプは当然に村の井戸にも設置してやった。
村への貸付と言う形だが実質は寄付だ。
この辺りは気を使っておかないと、チョヌ達が被害を被る。
この国の最たる悪弊だが、身分の上のものが身分の低い者の財産などを奪う事がままある。
奪われた者はえてして泣き寝入りになる。
ポンプ一台位で村長たちの不興をかっても何も得はない。
しばらく、土作りや設備を整えていると日にちは過ぎ、苗作りに着手する頃合いになった。
塩水選を行って、温湯消毒、催芽、播種……と作業が続くのだが、
最初の塩水選でつまずきかけた。
「塩を使うのですか」
「そうだが??」
チョヌが何とも言えない顔をしていた。
と、そこでソン・ヨナが声を掛けてきた。
「……ソン・ジン様、少々よろしいでしょうか」
「どうした」
ソン・ヨナは俺を連れて、その場から少し離れた場所へ歩いて行った。
「……塩は、あの者達にとっては貴重なものなのです」
俺はわかっていたつもりだったが、本当はわかっていなかった。
完全記憶と言う力を持っている事、王族と言う地位、そして財力。
この時代のこの国において、俺は恵まれた立場だと言うことを真に理解していなかった。
この時代、塩はまだまだ貴重なものなのだ。
前世で豊かな国で育った俺は、その豊かな生活が染み付いている。
塩は貴重品。知識では知っていてもそれが身についていなかった。
それがチョヌの戸惑いにつながったのだ。
それに加えて、この国の身分制度が輪をかけていた。
商人と偽っていても小作人と比べれば俺の方が身分は高い。
故にチョヌは塩が貴重品だから、と言えなかったのだ。
そんな気遣いが俺には出来なかった。
またひとつ、俺はソン・ヨナに助けられた。
「……チョヌ、塩水を使って種籾を仕分けする事で米の取れる量が変わる」
「……」
「それは、今使う塩よりも多い。だから塩を使って仕分けするんだ」
「……分かりました。自分のようなものにまで分かるように仰ってくださり、ありがとうございます」
チョヌは分かってくれたようだ。ただ、塩水選を終えた後の塩水をくれと言うのでチョヌに渡した。
この国の貧しさがヒシヒシと伝わって来る。
その後、温湯消毒を経て催芽、芽が出揃うと芽出し種子を床面にすり込む。
温湯消毒では温度管理が重要だが、ソン・ヨナが手に入れてくれた獣脂蝋燭が役に立った。
焼籾殻を厚めにかぶせ、その上を油紙で被覆し、周囲を泥でおさえる。
ここでも、高価な油紙を使う事にチョヌが戸惑っていたが少しは慣れたようだ。
播種直後は通気をよくするため、溝だけに潅水するが、苗が伸びたら床面まで水位を上げる。
2週間ほどして、苗が紙を持ち上げるようになったら油紙を除く。
昭和の初期に寒冷地である軽井沢で発明された、保温折衷苗代と名づけられた育苗法だ。
苗が育つのを待ちながら、代掻きをする。この時にも村長と一悶着有った。
この村は乾田直播(水を入れる前の畓に播種し、ある程度まで苗が育った後に水を入れる農法)
で稲作を行なっていた。この時代、だいたいがこの方法だった。
村長曰く、「水を独り占めするのか」と言われたが、そうでは無く先に取るだけだと
繰り返し説明してやっと水を使えた。
水利は共同財産なので、村長の言わんとする事も分かるだけに大変だった。
田植えは正条植えをする為に田植え定規と呼ばれる、三角錐の道具を使った。
泥にまみれる事はダメだと言う事で田植えも、俺は見学だった。
田植えも無事に終わり、一息ついた所で俺は「回転除草機」を作る事にした。
これも大正時代の発明で重労働だった草引き作業が楽にできるようになる。
除草機を使う頃には小さかった苗も大きくなっているだろう。
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