表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

73/178

第72話 ルシフェル召喚

 真っ白な廊下が、地下へと向かっていた。びみょうな傾斜。車いすを押していた青年は、タイヤが加速しないように、慎重に進めていた。その椅子にはひとりの老人が鎮座していた。

「怖いかね、レオナルドくん?」

 老人は、しわがれた声でそうたずねた。

「い、いえ……」

 ほほほと、老人は気味の悪い声を上げた。黒で統一された法衣に、金色の刺繍。いたって簡素なデザインだ。レオナルドと呼ばれた青年自身もまた、僧衣に身をつつんでいた。

「そんなに緊張せんでもよい。ちと珍しい御方に、お会いするだけのことよ」

 カエクスII世。それが老人の名だった。

 その恐れ多い名を、レオナルドは口にしなかった。代わりに敬称で答えを返した。

「猊下……本当に付き添いは、私でよろしかったのでしょうか……?」

 レオナルドの問い掛けに、老人はぎこちなく首をひねった。ぽっかりと穴の空いた両目の奥に、青年は底知れぬ恐怖を感じた。すべてを見透かされているような気がした。

 レオナルドは、乾き切った口を動かし、もう一度同じことをたずねる。

「本当に、私でよろしかったのでしょうか? 他の枢機卿をお選びしたほうが……」

「自分では役者不足と、そう言いたいのかね?」

 カエクスの問いに、レオナルドはうなずいた。

 13人いる枢機卿団。その枢機卿のとりまとめ役が、他ならぬこの老人であった。それに対して、レオナルドは、ただの司祭に過ぎなかった。

 青年の心配をよそに、カエクスは前方へ顔を向けた。

「老人ばかりでは、ルシフェル様もがっかりなさるじゃろうてな」

 カエクスはそう言って、例の気味悪い笑い声をもらした。本心なのか、それともからかわれただけなのか、青年には区別がつかなかった。

 彼は黙って、車椅子を押し続けた。どこまで続くのだろうか。両サイドの松明は均等に並んでおり、だんだんと感覚が狂ってくる。

 意識が半ば朦朧としかけたところで、正面に一枚の扉が現れた。青銅製の、いつ朽ち果ててもおかしくない代物だった。その把っ手には、大きな錠前がかけられていた。

「猊下、鍵をお願い致します」

 カエクスはふところから器用に、ひとさしゆび大の鍵を取り出した。そして、まるで鍵穴が見えているかのように、あっさりと解錠した。

 扉は、ひとりでに奥へとひらいた。中には闇が広がっていた。

「どうした? 入らぬのか?」

 カエクスにうながされて、レオナルドは車いすを押した。車輪が、敷居でがたんと跳ねた。バリアフリーなどとは、およそ無縁の時代の設計である。レオナルドは、ひからびた老人の体重に感謝しつつ、車椅子を押し上げた。

 レオナルドの右脚が床に着地したところで、四方に炎がはじける。青年は、危うく悲鳴を上げかけた。心臓に悪い演出を呪いつつ、レオナルドは部屋の中央へと向かった。四方は石造りの壁で、数十センチおきに松明が置かれている以外は、なにもなかった。

 ……いや、あった。レオナルドは、床に描かれた魔法陣に気が付いた。

「円陣の中に入らんようにな」

 レオナルドの不注意を見咎めたように、カエクスは車椅子を静止させた。本当に盲目なのだろうか。レオナルドは、いつも疑問に思う。

 静寂──炎の揺らぐ音すら聞こえる。

「下がっていなさい」

 カエクスの指示に、レオナルドは無言で従った。一歩後退したところで、カエクスは右手を上げ、歯の見えないひからびたくちびるを動かす。

「すべての異端と、すべての虐げられし者のために、今、貴女様のお力を。Sub nomine regiae noctae domina est vocanda」

 空間のゆがみ。それとも、空気に色がついているのだろうか。闇とほとんど見分けのつかない紫色のなにかが、竜巻状に魔法陣の中を旋回し始めた。

 レオナルドは身中悪寒と戦いながら、召喚の儀式を見守った。

 光がはじけ、突風がレオナルドを襲った。青年は、袖で視界をおおった。

「……」

 風は、一瞬にして消え去った。レオナルドは、恐る恐る腕を下げた。

 カエクスの乗った車椅子の向こう側に、人影があった。羊のような捻じ曲がった角と、浅黒い肌。若い女だった。

「ルシフェル様、お久しゅうございます」

 カエクスは胸に手を当てて、慇懃に頭を下げた。女の容姿に見蕩れていたレオナルドは、挨拶のタイミングをのがした。それを叱責するように、女の瞳がレオナルドへ向けられた。

「その後ろにいるのは?」

 氷のような声。レオナルドはハッとなり、すぐにカエクスと同じポーズで頭を下げた。

「レ、レオナルドと申します……お見知りおきを……」

 青年の自己紹介に、ルシフェルはふんと鼻を鳴らした。その拍子に、尖った悪魔の尾が、彼女の尻で揺れていることに気がついた。

 女はレオナルドを無視して、犬歯の見え隠れするくちびるを動かした。

「ここに呼び出されるのは、100年ぶりくらいかしらね」

「100年ぶりくらいではございません。きっかり100年ぶりでございます」

 カエクスの細かい訂正を受け、ルシフェルは面倒くさそうに首を鳴らした。仁王立ちしたままの格好で、カエクスをにらみかえした。

「私を呼び出した理由は? 第三次世界大戦でも起こったの?」

 ルシフェルは、電話の用件でも訊くかのような、つまらなさそうな顔をした。

「夢の国の使者が帰って参りました」

 沈黙。それに続いて、ルシフェルの瞳にするどさが宿った。

「夢の国の使者が……? それって、確かな情報?」

「エミリア・フォン・ローゼンクロイツの部下が、じかに目撃したとのことです」

 カエクスの報告に、ルシフェルはややうつむき加減になった。右手の人差し指で、組んでいる左腕の肘をこづいた。呼吸を止めているようにすら見えた。そもそも、していればの話だが。

 1分ほどの深慮のあと、ルシフェルはその緋色のくちびるをひらいた。

「で、あなたたちはなにをしてるの? ちゃんと追っ手を派遣したんでしょうね?」

 ルシフェルのきつい言い方にもかかわらず、カエクスは平然と答えを返した。

「極東の情勢が不穏でして、東京のアシヤ一族が壊滅。現在は、ワンと共産党政権が、一進一退の攻防を続けている状況にございます」

「共産党政権? ……蒋介石はどうしたの?」

「ルシフェル様がお帰りのあと、共産党軍に負け、台湾へ逃げ込みました」

 ルシフェルは、軽く舌打ちをする。いらだたしげに、言葉を継いだ。

「じゃあ、ラスプーチンに援軍を頼んで、さっさと片付けなさい」

「ラスプーチンは、ワンおよびアシヤの危機につけ込み、三つ巴を展開中です」

 はあ?と言わんばかりの顔で、ルシフェルはその美顔を崩した。

「あんたら、なにやってるの……? 私との契約を忘れたわけ?」

 カエクスは、おおげさに首を振った。

「いえいえ、まさかそのような……超人的能力を授かる代わりに、夢の国に対する番兵として働く。それが、我々とルシフェル様の契約にございます」

「だったら、今すぐラスプーチンたちに命じなさい。すべての抗争は中止。緊急講和よ」

「しかし、ラスプーチンは無法者ゆえ、私の命令には……」

「聞こえなかったの!? さっさと講和なさい!」

 女の大声が、松明の炎を揺らした。

 レオナルドは、黙ってふたりのやり取りに聴き入っていた。

 カエクスが返事をする暇もなく、ルシフェルは先を続ける。

「万が一従わない場合は、私の名で命じなさい。それでも反抗するなら、私が授けた能力は剥奪、即刻凡人にもどってもらうから、そのつもりで」

 女はそう言うと、鞭のような尾を激しく揺らした。怒っているのだろうか。これでは、まるで犬のようである。レオナルドは、不謹慎な印象を受けた。

 女は深呼吸して、その胸を大きく揺らした後、急に声の調子を落とした。

「大統領の動向は?」

「ご安心を。アメリカにとどまり、いずれの勢力にも加担しておりません」

 目下のやり取りに、レオナルドはふと疑念をいだいた。なぜ大統領の所在が殊更に重要なのか、それが分からなかったのである。報告を聞いたルシフェルは、安堵の表情を浮かべていた。

「さすがに大統領は、耄碌してないみたいね……他の組織は?」

「血塗れメアリー、オルレアンの魔女、吸血姫らは、EU圏内にとどまっております」

「EU? なにそれ?」

「ヨーロッパ連合でございます。最近、急速に国民国家の解体が進んでおりまして……」

 ルシフェルは、聞きたくないと言った感じで、右手を振った。

「人間の考えることなんて、ロクなもんじゃないんだから、どうでもいいわ」

 女の暴言に、カエクスはただ笑うばかりであった。レオナルドも、追従を浮かべた。

 ルシフェルは、今までの情報をまとめるように、長い爪をあごに添えた。天井を見上げながら、ぺろりとくちびるを舐めた。

「こうなると、幹部会が必要ね……今すぐ召集できる?」

 カエクスの顔から、笑みが消えた。難題を突きつけられた子供のように、口をすぼめて首を前に落とした。

「幹部会でございますか……全員を集めるおつもりで?」

「当然。じゃなきゃ意味がないでしょ。場所はアメリカの……」

 そこまで言って、ルシフェルは口をつぐんだ。額に手を当て、なにか考え込んでいる。

 しばらくの思案の後、彼女は右手を大きく伸ばした。ひとさしゆびの爪を突き出し、前言を撤回した。

「アメリカはまずいわね……ワンたちの現在地は?」

「上海とうかがっております」

 即答するカエクス。この情報は、レオナルドがもたらしたものである。

「オッケー、じゃあ上海に全員集合よ。今から12時間以内にね」

 12時間。その時間制限に、レオナルドは口を挟みそうになった。

 その前に、カエクスが同じ言葉を告げた。

「それは難しいかと存じます」

 ルシフェルは眉間にしわを寄せ、ふたたび腕組みをした。

「どうして?」

「各組織とも、独自の活動をおこなっておりますので……特に、メアリー様はご病気が重くなられていると……」

 ルシフェルは、小馬鹿にしたようなタメ息を漏らした。

「そんなの理由にならないわよ。この私が命令しているの。遅刻したら、能力剥奪のペナルティだから、そこんとこよろしく。病欠も禁止」

 能力剥奪。ほとんど最も重いペナルティだった。

 そこまで緊急を要するのだろうか。

 レオナルドの戸惑いをよそに、ルシフェルは追加事項を述べる。

「あ、それと枢機卿、あんたは参加しなくていいから、ローマにいなさい」

「ほお……そうなると、司会がおりませんが……」

「いくらなんでも、ガキじゃないんだから、子守り役は不要よ」

 ルシフェルの指示に、カエクスはうなずきかえした。

「して、議題は?」

 ルシフェルは、眉をひそめた。

「夢の国対策に決まってるじゃない……他になにがあるの?」

「しかし、悪の組織の幹部とは言え、夢の国と直接対峙した者はおりません。いきなり対策を練れと言われても、おぼつかないと存じますが……」

 カエクスの理由付けに納得したのか、ルシフェルは中指をくちびるに添えた。

「それもそうね。夢の国を現に見たことがあるのは、私だけだし……でも、あなたたちには、奴らと戦うために十分な力を授けてあるわ。そのおかげで私は……」

 ルシフェルは、地面にある魔法陣を蹴った。魔力が衝突したのか、火花が散る。

「こんな魔法陣からも出られないってわけ。そのへんの事情、よーく加味しなさい」

「いったん、すべての魔力をお引き上げになられるというのは?」

 カエクスの大胆な提案に、レオナルドは目を見開いた。そんなことをすれば、カエクスは寿命が縮み、下手をすれば死に至りかねない。そこまでして忠誠心を示す枢機卿に、レオナルドはあらためて敬意を感じざるをえなかった。

 けれども、ルシフェル自身がそのアイデアを拒んだ。

「それはダメ。あなたたちの力を回収しても、結局はアレを封印する必要があるから。そこに魔力の大部分を使ってるわけだし、問題の解決にならないわね」

 ルシフェルは、対象をぼやかした。レオナルドは、ちらりと枢機卿を盗み見た。

 どうやら枢機卿は、「アレ」が何か分かっているらしい。皺だらけの顔からは読み取れないが、雰囲気でそうと知れた。ローマの地下で働いているにもかかわらず、レオナルドは「アレ」に関する情報を、一度も耳にしたことがない。それどころか、ルシフェルがなにかを封印していることすら、初耳であった。

 レオナルドは視線を上げ、ルシフェルの顔をまなざした。彼女は、疲れているようだった。召喚酔いなのか、はたまた魔力の使い過ぎなのか、それとも──

「ま、とにかく頑張ってちょうだい。以上よ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ