第70話 善悪、足並みそろわず
王のアジトで、カオルはいらだっていた。
椅子からたちあがり、部屋のなかを何度も往復する。
それからテスラのまえで立ち止まり、こうたずねた。
「おい、あの狼女は、どこ行ったんだ?」
テスラは耳の穴を掻きながら答えた。
「知らんよ。便所じゃないのか?」
「いなくなってから20分は経ってるぞ」
「なら便秘じゃろ」
テーブルを叩き付けたカオルに、テスラとアナスタシアがふりかえった。
「ふざけるなッ! もっと真面目にやれッ!」
カオルの叱責にもかかわらず、テスラは平気そうな顔をしていた。
隣に座っているアナスタシアも、顔色を崩さなかった。
「そう焦るな。まだ始まったばかりじゃろうが」
「善は急げだッ! あの女、単独行動してるに決まってるッ!」
「わしは悪だから急がん」
くだらない言葉のやり取りに、カオルは苛立ちをつのらせた。時間の浪費だ。そう判断したカオルは、部屋の隅に待機している天和へと詰め寄った。
「あんたが総司令官なんだろ? 部下の面倒はちゃんと見ろよ」
「……刺促という言葉をご存知ですか?」
意味不明な単語をささやかれ、カオルは目を白黒させた。
歯を食いしばり、さらに間合いを詰めた。
「中国語はわからん。それより……」
「刺促というのは、相手を斬ろうとしてあくせくすること……まさに今のあなたです」
皮肉を言われたことに気づき、カオルは一歩後ろに下がった。
天和はどこからともなく扇を取り出すと、それで首筋をあおいだ。
「もう一度説明致しますが、わたくしたちの目標は、敵を攪乱し、この上海から撤退せざるをえないようにすることです。殲滅ではありません」
「打撃を与えなけりゃ、撤退することもないだろ? 違うか?」
「いくら北京警察と言えども、長期間上海に展開することはできません。そのようなことをすれば、海外からも奇異の目で見られます。それに共産党とて、一枚岩ではないのですよ。現主席の進退にもかかわってくるでしょう」
子供を相手にするかのように、天和はつらつらと理屈をならべた。
カオルも、納得せざるをえなかった。しかし、それと一気通貫の失踪は、別問題だった。
「だったら、一気通貫はどこへ行ったんだ? それこそ命令違反じゃないのか?」
「彼女は……」
そう言いかけた天和のかわりに、アナスタシアが答えた。
「貧民街の西部で、別の勢力と交戦中です」
これには天和も表情を変えた。
「ほお……さすがは世界一の人工知能。どのようにしてお調べに?」
アナスタシアは、天井を見上げた。
「さきほどから、アメリカの軍事衛星をハッキングし、現状を分析しています。ここから732メートル離れた地点で、一気通貫を捕捉。現場には、他に5名の人影があります」
5名──その数に、天和もうなずきかえした。
「ラスプーチンの部下が2名、魔法少女が2名、それに……」
「謎の生命体が1名。分析結果は、正体不明と出ました」
ふたりのやり取りは、カオルを驚かせた。アナスタシアのそれはまだしも、天和がなぜ彼女と話を合わせられるのか、それが分からなかったのだ。
カオルの疑念を察したらしく、天和は不敵な笑みを浮かべた。
「そう驚かれることもありません。わたくしの能力は、『地球上のどこであれ、自由に透視する』というもの。あなた方をシベリアで見つけられたのも、この千里眼のおかげです」
千里眼。カオルはようやく、天和の驚異的なスペックを理解した。
だが、すぐに本題へと立ち返った。
「じゃあ、一気通貫を野放しにしてるのはなぜだ? 見落としか?」
「わたくしに限って、見落としはありえません。一度に透視可能な場所は、確かに地球上の一点のみ。複数アングルは不可能です。けれども、一気通貫の単独行動は、最初から予想できていました。彼女が部屋を出た段階で、追跡を始めています」
「だったら止められただろッ!」
カオルは、いらだちを隠さなかった。自分だけが置いてきぼりという状況に、耐えられなくなったのだ。これではピエロである。
けれども天和は、あいかわらず平然としていた。
「いいえ、止める必要はありません」
「なぜだ? チームがばらばらに……」
ここでテスラの横槍が入った。
「最初からそういう計画だったんじゃろ?」
カオルは振り上げた拳のやり場を失い、テスラのほうへふりむいた。
「計画だった……?」
一方、天和は感心したような顔で、
「おやおや、テスラ博士は、本当にご聡明ですね。恐れ入ります」
と、本音なのかどうかわからない返事をした。
「ふん、この歳で若造に褒められても、いい気はせんわい」
「いえいえ、わたくしの方が長命なはずですよ。100年ほどは……」
テスラは、額のしわを深めた。
「しかし、どういうつもりなんじゃ? あの狼女が単独で動くメリットは?」
「目標を分かり難くするためです」
アナスタシアが一歩前に出る。
「私ですね」
テスラはすこしおどろいたような表情を浮かべた。
「アナスタシアを? ……この老いぼれにも分かるように説明せんか」
「敵は王様を探していません。なにかを回収するような動きを取っています」
なるほどと、テスラは深くうなずいた。
「どうやら、アナスタシアの存在が中国側にバレてしまったようじゃな……だがどこで……」
天和は涼しげな顔で、
「大方、東京で暴れた情報が伝わったのでしょう。アナスタシア殿の開発は、それでなくても、わたくしたちの耳に届いていましたからね」
と言葉を挟んだ。
テスラは眉間にしわを寄せた。
「おぬしの場合は、のぞいたの間違いじゃろ」
テスラの皮肉に、天和は曖昧な笑みを返し、それから口元をひきしめた。
「いずれにせよ北京警察は、アナスタシア殿の回収を優先したようです。これ自体は、作戦会議の前に読めていました。そこで、一芝居打ったのです」
「味方に作戦を秘すのは、あまり得策とは思えんがのお……」
「今回は致し方ありません。アナスタシア殿の回収が勝利条件となってしまえば、そこを巡って白黒がついてしまいます。味方に作戦を明かせば、どうしても各人がアナスタシア殿の安否を気遣わざるをえません。それを懸念したのです」
天和の説明に、カオルはようやく会話の糸口をつかんだ。
「それなら、全員でアナスタシアを護衛したほうが良かったんじゃないか?」
「それも作戦としてはありですが……アナスタシア殿を護衛するとなると、全員が一ヶ所に集まらざるをえません。それでは、容易に包囲されてしまいます。目的はあくまでも、散開戦術と見せかけて、味方をうまく壁にすること。これをご存知なのは、王様のみです」
「身内のボスには知らせてあるってわけか……」
カオルの食いつきに、天和は片方の眉を上げてみせた。
「当然の処置です。この天和、奸臣ではございませんので」
天和はそう言い切ると、ふたたび扇で首筋をあおいだ。
暑い。今夜は熱帯夜かもしれない。
カオルは、額の汗をぬぐった。そして、最後の質問をした。
「じゃあ、俺をここに残したのはなぜだ? なんの意味がある?」
天和は手を休め、おおげさに口元をゆがめた。
子供扱いされたカオルは、右手の指を開閉し、自分を落ち着かせた。
「おや、まだお分かりではありませんか?」
「ああ……俺は飲み込みが悪いんでな……」
カオルの自虐に、天和は「ほほほ」と笑う。
彼の口から出てくるであろう答えに、カオルは酷く嫌な予感をいだいた。
「魔法少女に襲撃されたときの人質。それがあなたの役目ですよ、青海カオル殿」
○
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闇夜に交差する影。火花が散り、三つに分かれた。
ひとつは路地裏の影へ、ひとつはその反対側へ、そしてもうひとつは窓に激突し、軽い女のうめき声が漏れた。ガラスをぶち破った一気通貫だった。彼女は頭を振って、その鋭い眼光をのぞかせた。
「ゾルゲさん、早く仕留めてくださいよッ!」
イワンが叫んだ。彼は拳銃をほがらのこめかみに当てて、ジュリアの攻撃を防いでいた。ただの一般人にもかかわらず、ジュリアは手が出せないでいた。魔法弾を撃っても、ほがらに命中するか、あるいはそのエネルギーが肌を通じて彼女に伝わってしまうだろう。
ジュリアは歯を食いしばり、焦る自分をおちつかせようとした。
一方、敵方にもあせりの色が見えていた。ゾルゲはファイティングポーズをとりながら、
「イワン博士、少し黙っててもらえないかね……こっちは真剣なんだ」
とたしなめた。
ゾルゲの頬で、軽い電流の炎が見えた。彼の異常な身体能力に舌を巻くジュリアだったが、ようやくその正体に気がついた。ロボットだ。あるいは、改造人間と言ったほうがいいだろう。アナスタシアと違い、ゾルゲの額からは、血が流れている。一気通貫の人魂に照らされたそれは、油の類いでは決してなかった。
一気通貫はふたたび路地にもどり、大槌をにぎりなおした。
その目はゾルゲでもジュリアでもなく、ニッキーへ向けられていた。
ニッキーは余裕を見せながら、
「どうした? 地球の悪の力はこんなものかい?」
と挑発した。
おどけているのか、それとも勝者の余裕なのか、格闘技には詳しくないジュリアにも、ニッキーが押しているのは一目瞭然だった。
強い。ニッキーが強い。それだけが、ジュリアの唯一の希望だった。
ニッキーと一気通貫がにらみあいになる中、先に動いたのはゾルゲだった。
「ふんッ!」
ゾルゲは地面を蹴り、ニッキーに突進した。人間ならありえない加速にも、ニッキーはすばやく反応した。左によけ、闘牛のようにかわすと、そのまま回転蹴りで、ゾルゲの背中にきつい一発をお見舞いした。
悲鳴こそ上げなかったものの、ゾルゲは壁に放り込まれた。
イワンは思わず注意をそらした。
「ぞ、ゾルゲさんッ! だいじょうぶですかッ!?」
チャンスだ──そう思ったジュリアは、ステッキをイワンに向けた。
しかしイワンとて、隙だらけではなかった。すぐに拳銃を握りなおした。
「動くなッ! こいつがどうなっても知らんぞッ!」
「くッ……人質は卑怯やで……」
「きみたちのほうが卑怯だろう。僕はただの科学者なんだ」
無意味な言い合いをさけて、ジュリアは作戦を練った。
ニッキーの完全勝利を待つ。それが、ジュリアの第一案だった。このペースなら、ゾルゲも一気通貫もノックアウトできる可能性が高い。
ただし、それはあくまでも可能性の話であって──
「このペプシ野郎ッ! ぐちゃぐちゃにしてやるッ!」
一気通貫が襲いかかった。とても満身創痍には見えない。優勢だというのは、誤った判断なのだろうか。蹴られては無傷で戻ってくるサンドバックのようなものだ。
一気通貫は得物を持ち上げ、ニッキーへとふりおろした。
遅い──そう言わんばかりに、ニッキーは上方へ飛ぼうとした。
ジュリアは刮目した。
「ニ、ニッキー! 後ろッ!」
「むッ!?」
ニッキーの背後に、黒い影が飛び移った。ゾルゲだ。
ゾルゲはニッキーの両腕を締め、全体重をその肩にかけた。機械化されているせいか、それとも不意を突かれたのか、ニッキーは反応が遅れた。
「月まで飛んでけッ!」
一気通貫は鎚を縦に一回転させ、そのままニッキーの顎に打ち込んだ。
ゾルゲが手をはなす。ニッキーは打ち出された弾丸のように、空高く舞い上がった。
「ニッキー!」
ジュリアの悲鳴もむなしく、ニッキーはビルの谷間に消えた。
一瞬の静寂。そして、絶望がジュリアを襲った。
「あ、あかん……」
ゾルゲと一気通貫の共闘展開は、ジュリアも予想していなかった。
ゾルゲはてぶくろをはめた手をはらい、ジュリアへと顔を向けた。
「さて、おふたりは、このまま人質に……」
ジュリアはあとずさりした。ゾルゲは一歩前に出る。
ところがそのゾルゲの肩に、一気通貫の手がかかった。
「待て」
ゾルゲは視線だけを走らせ、その歩を止めた。
「なんでしょうか、狼女さん」
「さっき言ったはずだ。そいつらは、私の獲物だ」
「……では戦利品として、半々にしますか。私たちは、赤髪のほうをもらいましょう。あなたには、そちらの金髪少女をさしあげます」
憎いほど冷静な提案だ。そう思ったジュリアだが、一気通貫は首をふった。
「いいや、両方もらう。おまえたちも敵だからな」
「……チッ」
軽い舌打ちと同時に、ゾルゲの左手が手刀をはなった。
一気通貫はそれを受け止め、ゾルゲの肩に噛み付いた。
「ケダモノがッ!」
ゾルゲは、一気通貫の協調性を読み誤っていた。
バランスを崩し、その場に転倒した。両腕を一気通貫の首に絡め、それを締め上げた。
それでも一気通貫は顎の力をゆるめなかった。必死の形相で、肩を食い破ろうとしている。
「ゾ、ゾルゲさんッ!」
イワンは、拳銃を一気通貫に向けようとした。
「魔法少女から目を離すなッ!」
ゾルゲの叱責。イワンの銃口は、すぐにほがらへと戻された。
息を呑んだジュリアは、ふと違和感をおぼえた。
ほがらの体格が変わっている。身長が伸びているような──
ジュリアは時間かせぎのため、イワンに話しかけた。
「ほ、ほがらを解放せんかいッ! いい加減に怒るでッ!」
「怒ってどうするんですか……そっちはなにもでき……ん?」
イワンも視線を下ろした。間に合えッ! ジュリアは心の中で叫ぶ。
「変身ッ!」
少年の声が鳴り響く。深紅の光が、ほがらの、いや、ゲンキの体から放たれた。
あまりのまぶしさに、イワンは顔をおおった。真っ赤なスーツをまとったゲンキは、イワンの顎に頭突きをかました。
「赤羽ゲンキ、見参ッ!」
手錠を力任せに壊したゲンキは、サッとイワンに向かって身がまえた。
だが、その必要はなかった。イワンは最初の頭突きで、地面にのされていた。
「よっしゃッ! 逃げるでッ!」
ジュリアの掛け声。ゾルゲは一気通貫のひたいを、むりやり押し返す。
「このバカ犬ッ! 逃げられるぞッ!」
「ひふひゃひゃい!」
「おまえらは、そこでプロレスでもしてなッ!」
ゲンキは指を鳴らし、その場を駆け去る。ジュリアもその後に続いた。
背後でゾルゲの罵声が聞こえた。そんなものは無視だ。ふたりは全力疾走した。
「ニッキーは大丈夫なん?」
「分からねえ……今は逃げるしかないぞ」
ジュリアは、後ろをふりかえった。ニッキーの姿はない。
普通の人間なら、即死級のダメージを喰らったはずである。宇宙人の耐久力が高いことを、ジュリアは祈るしかなかった。
○
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紅茶の香りが、室内にただよっていた。
白いカップにそそがれたルビー色の液体を、サリカは口にふくむ。心地よい安らぎと、故郷の田園風景が、彼女のまぶたの裏に広がった。
その正面に座っている不死伯は、コーヒーを片手に、葉巻をふかしていた。サリカはこのドス黒い物体が、どうしても好きになれなかった。
「American bad habit...」
サリカのつぶやきに、不死伯は顔を上げた。
「なにかおっしゃいましたかな?」
「……いいえ、なにも」
遠くから聞こえるエンジンの音。どうにも騒がしい。
仕事でなければ、到底我慢できない環境である。ロンドン塔にあてがわれた使用人部屋のほうが、よほど洗練されているではないか。サリカは、あらためてクレムリンを嫌悪した。
不死伯は、短くなった葉巻を灰皿に押し付け、ネクタイをなおした。
「しかし我々も、お茶の時間を楽しんでいる場合ではないでしょう。地上もそろそろ、騒がしくなってきた頃と思いますが……」
サリカは、カップを皿にもどした。
小さな丸窓には、雲の流れが見えるばかりであった。
「わたくしたちの任務は、メアリー様のご意向を伝えることです。偵察ではありません」
「それはもう済ませましたよ。どうです、暇つぶしに地上へ降りてみては?」
「内政干渉は、固く禁じられております」
サリカはそう言い切ると、ポットのお茶をふたたびカップに注ぎなおした。
不死伯はつまらなさそうに、お代わりの葉巻をとりだした。
専用のカッターで、キャップの部分を切り落とした。
「ラスプーチンの様子からして、なにか企んでいるようですが……」
クラシカルなマッチで火を点けながら、不死伯はそうつぶやいた。
それは、サリカも承知のことであった。
「企みなど、どこの組織も持っていることです。ワンやアシヤとて、単純に共闘しているわけではないでしょう。それぞれ、目論みがあるはずです」
「ならば、その目論みとやらを、暴きに行きたいところですな」
不死伯は、あくまでも自説を曲げなかった。
なぜ前線に出たがるのか、サリカはいぶかしんだ。不死伯の能力は、死なないことであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。その「死なない」という能力にしても、ラスプーチンのように驚異的な回復力があるわけではないらしかった。
「……」
「……」
今は仲間を疑うときではない。
そう判断したサリカは、静かに二杯目の紅茶を口にした。




