表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/178

第63話 御湯ノ水博士の過去

 クレムリンの司令室へ案内されたとき、御湯ノ水(おゆのみず)は妙な感覚に襲われた。古巣に帰って来たという事実が、彼の記憶を呼び覚ましたのである。それを証明するかのように、粗末な司令官の椅子には、十数年前と変わらぬラスプーチンの姿があった。

 ラスプーチンはあごひげを撫でながら、かつての部下をながめていた。

「ひさしぶりだな、ドクター・オユノミズ。元気そうでなにより」

 御湯ノ水は、返事をしなかった。周りの幹部連も、そのことをとにかくしない。それがただの社交辞令であることなど、分かり切っているのだから。

 ラスプーチンは椅子にもたれかかり、背筋を伸ばす。両手を肘掛けにそえた。

 あいかわらずの威圧感だ。粗野な人間に見えるが、そうではない。異様なカリスマと、人をたぶらかすのに十分な知性を有している。それが、御湯ノ水のラスプーチン評であった。

「あいかわらず、双性者(ヘテロイド)の研究をしているらしいな?」

 御湯ノ水は答えなかった。

 情報は筒抜けなのだから、言っても言わなくても同じことだった。

「ワシのもとでの研究が役立って、大変嬉しく思うぞ」

 ラスプーチンはにやりと笑い、部下に手で合図した。部屋の隅に待機していた兵士がひとり、例の箱を持って前に進み出た。

 新型リストウォッチである。こんなことならば、爆破装置でもつけておくのだったと、御湯ノ水は後悔の念に駆られていた。隠密課からの至急電報がなければ、有り合わせの箱を使ったりはしなかったはずである。

 男はラスプーチンに、リストウォッチの箱を手渡した。ラスプーチンは、面白いオモチャを与えられた子供のように、その箱の表面をひと撫でした。

「これが、その成果か……」

「おまえの成果ではない」

 知らず知らずのうちに、御湯ノ水は声を発していた。

 ラスプーチンは箱から指をはなし、御湯ノ水にあざけりの笑みを送った。

「そんなことはないだろう。このワシが、どれだけ双性者(ヘテロイド)の研究につぎ込んだと思っている? それを知らぬはずがあるまい?」

 御湯ノ水は反論をひかえた。事実だからである。

「おまえがそこから得た研究資金も、日本円で億は下るまい……違うか?」

「……」

「ふん、黙秘か……まあ、それもよい。こうして……」

 ラスプーチンは、リストウォッチの箱を小突く。

「その報酬が手に入ったわけだからな」

「もう一度言う。それは、おまえの成果ではない」

 御湯ノ水を低く見ているのか、それとも開発者にはもはや興味がないのか、ラスプーチンは御湯ノ水の言葉に反応しなかった。部下を手で追い払い、「ふむ」と一息ついた。自慢のあごひげを撫でながら、司令室に張りめぐらされた配管を見つめた。

 ふたりの再会は、御湯ノ水の危惧していたものとは違っていた。リストウォッチが敵の手中に渡ったのだから、最悪の事態には違いない。しかし、リストウォッチは生体認識機能を有しており、ゲンキたち以外の双性者(ヘテロイド)には使いこなせないのだ。したがって、新型リストウォッチがラスプーチンの成果でないというのは、本当である。もっとも、改造されてしまわなければ、という留保付きではあったが。

「ドクター・オユノミズ、ひとつだけ質問しよう……ワシのもとで働かんか?」

「断る」

 間髪おかぬ返答に、ラスプーチンは拍子抜けしたらしい。

 背中を丸め、御湯ノ水の顔を睨みつけた。

「なぜだ? 昔、ワシのもとに仕官してきた身だろう? 今さら断るなど……」

「あのとき、私はまだ若かった」

「……若気の過ちということか」

 ラスプーチンはそう言いながら、左右に侍る幹部連を見回した。平均年齢は高い。御湯ノ水より年上の者も、ちらほら見られる。

「ワシはそうは思わんがな……ドクターの場合は、ただの転向だろう?」

「どう受け取ってもらっても結構。私はもうおまえのもとでは働かん」

「ならば、捕虜になってもらうしかないな……日本へ返す気はないぞ」

 それは、御湯ノ水も覚悟していた。無事帰れるシチェーションなど、最初から想定してはいない。ただ、ラスプーチンの押しが弱いこと、それだけがどうしても気になる。歳を取って、丸くなったというわけでもあるまい。

 御湯ノ水は、その理由を知りたかった。クレムリンへ輸送中は、拷問を恐れていたほどである。ところが蓋を開けてみれば、昔の部下と上司が、どこかの飲み屋で愚痴りあった程度の、そんな不和しか起きていなかった。

 双性者(ヘテロイド)研究を中止したのだろうか? その可能性は、大いにあった。研究が始まったばかりの頃は、悪の組織だけでなく、各国の軍部も双性者(ヘテロイド)の開発競争に参加していた。しかし、双性者(ヘテロイド)1体を作るくらいなら戦闘機でも買った方がいいという、コストパフォーマンスの悪さが露呈してしまったため、またたくまに投資は下火になった。実際、ゲンキたちに掛けた開発費用は、常人の理解を超えている。

 遠回りに質問してみるか、御湯ノ水は逡巡した。ラスプーチンの温厚な態度には、どこかしら勝者の余裕のようなものが感じられてならないのだ。新型リストウォッチの奪取に走ったことといい、説明のつかない点が多過ぎた。

「……双性者(ヘテロイド)の研究は、まだ続けているのか?」

「いや」

 即答だった。まるで、この質問を予期していたかのようだ。

 御湯ノ水は、少し踏み込んでみる。

双性者(ヘテロイド)がいないのに、リストウォッチが欲しいのか?」

 ラスプーチンは、歯を剥き出しにして笑った。

 侮辱されたような気がして、御湯ノ水は眉間にしわを寄せた。

 するとラスプーチンは、意味深なことをつけくわえた。

双性者(ヘテロイド)を独自製産する必要もあるまい」

 御湯ノ水は、ラスプーチンの発言の意図を量りかねた。べつの組織から融通してもらったと言うのだろうか。独自路線をいくラスプーチンは、悪の組織の中でも、比較的浮いた位置を占めていた。よほどの気紛れでない限り、ラスプーチンに双性者(ヘテロイド)を提供するとは思えなかった。

 いぶかる御湯ノ水に、ラスプーチンは挑発的な笑みをもらした。

双性者(ヘテロイド)の顔を見たとき、ぴんときたんだ……ワシも、記憶力にはそこそこ自信があるのでな……」

 御湯ノ水は一瞬首をひねったあと、軽く青ざめた。

「まさか……」

 ラスプーチンは勝ち誇ったように、椅子の上でふんぞり返った。

 御湯ノ水は、手が震えるのを抑えられなかった。

「おまえが知らないところを見ると、日本政府は噛んでいないようだな……いや、即断は禁物か。情報漏洩を恐れて、身内に告げていないだけかもしれん……まあ、それはいい。重要なのは、おまえの開発した双性者(ヘテロイド)が、このクレムリンにのこのこやって来たということだ」

「やって来た……? このクレムリンに……?」

 そんな馬鹿な。クレムリンに潜入できるはずがない。そのことは、ここで働いていた御湯ノ水が、一番よく知っていた。

 だが、御湯ノ水の中で、ある人物が思い浮かぶ。その名前を口にしかけた彼は、慌ててくちびるを結んだ──あの宇宙人だ。ニッキーの宇宙船で、ここへ乗り込んだとしか考えられない。ゲンキたちは、隠密課のコントロールから完全に離れている。七丈島での(しのぶ)の態度も、これで説明がついた。宇宙人に裏切られたのだ。少なくとも、別行動を取っている。

 そして御湯ノ水は、ゲンキたちのうち誰がラスプーチンと出会ったのかも、はっきりと認識していた。

「それにしても、あの双性者(ヘテロイド)は、若い頃のおまえにそっくりだったな。さてはクローン培養するとき、自分の細胞を使ったのだろう? ……それとも実子か?」

 御湯ノ水は呆然と、その場に立ち尽くしていた。

 やはりそうだ。ラスプーチンが会ったのは……カオルに違いない。他の4人と差別しないように、あくまでも義父として振る舞っていた。だがカオルは、彼の、本当の息子である。

 人工授精で誕生させたとはいえ、血縁関係の存在は揺るぎないものだった。

「ドクター・オユノミズ、おまえは我々によく尽くしてくれた。双性者(ヘテロイド)の開発に成功し……その強化手段まで用意してくれたのだからな。顕彰ものだよ。その功績に免じて、拷問などの処置は勘弁してやろう……あとは、ワシがやる」

 言葉を失った御湯ノ水をよそに、ラスプーチンはひとりの兵士を呼んだ。

「ドクターを独房へご案内しろ、丁重にな」

 

  ○

   。

    .


 テスラたちが案内されたのは、森の中にひっそりとたたずむ、狩猟用の小屋であった。アンナの父と名乗る人物が、3人を出迎えた。恰幅のいい、毛皮のフードを着た男だ。彼はアナスタシアを目にした途端、ひどく心配そうな顔をした。

「そちらの娘さんは?」

 カオルが口ごもる中、テスラが助け舟を出した。

「疲れて寝とるだけだよ……一晩だけ、宿を貸してもらえんかね」

 よくよく観察すると、アナスタシアは息をしていない。だが、人間のように、血色が悪くなるということもないので、猟師はそのことに気付かなかったらしい。テスラの方へ向きなおると、少し困ったような顔をした。

「ええ、あっしとしては、そうさせていただくつもりですが……」

「なにか差し障りでも?」

 テスラの問いに、猟師は室内を一瞥した。お世辞にも、快適な空間とは言えない。炭で火を起こす旧式のストーブに、粗末なベッドがふたつ。それ以外は、台所も居間も、全てが一緒くたになっているような空間である。

「ただ、ここで5人寝るのはちょいと……」

「いや、床でもなんでもいいんだ……それでもダメなら、物置き小屋でもいいぞ」

 テスラは、あっさりとそう言ってのけた。カオルのほうは、微妙に顔をしかめている。そういう経験がなかったからだ。

「いえいえ、物置き小屋は暖房がないんで、凍えちまいさ。なんとかしますんで」

 猟師はそう言うと、アンナに命じて、部屋を片付けさせ始めた。手伝おうとしたカオルとテスラだが、猟師はそれをこばんだ。どうやら、本当にお客さん扱いになっているらしい。下手なホテルの従業員よりも親切な猟師に、ふたりは感謝した。

 とはいえ、小さなスペースだ。片付けも、15分そこらで終わりを告げた。アナスタシアをベッドに寝かせると、猟師は夕食の準備を始めた。オートミールにお湯をかけただけの、粗末な食べ物である。皿を差し出されたテスラは、とりあえず容器で手を温めた。

「娘さんの分は、目を覚ましてから作りますんで」

「いや、彼女は食べないよ」

 猟師は、テスラの言葉の意味を、そのまま素直に受け取った。まさか、ロボットなので食事をしないとは思うまい。猟師は娘と一緒に、ベッドの端に腰を下ろす。テスラたちの方がテーブル席という構図だ。

 猟師と娘が、食前の祈りを捧げているあいだ、テスラはアナスタシアをじっと見つめていた。テスラには、信仰というものがない。少なくとも、ロシア正教には帰属していなかった。

 食事が始まる。木製のスプーンが、小気味よい音を立てて鳴り響いた。

 しばらく言葉を慎んでいた4人だが、ふと猟師がくちびるを動かす。

「こんなところで、なにをなさってるんですか?」

 猟師の疑問は、もっともだった。屈強な男が3人ならばまだしも、ひとりは少年、ひとりは少女、もうひとりは老人ときている。アナスタシアとカオルの正体を知らない猟師から見れば、半ば狂気の団体旅行であろう。

 テスラは、ここでも巧みに誤摩化しを入れた。

「実はな、この地域の生態系を調査しているのだ。ただ、本隊とはぐれてしまい、どうにも立ち往生していたところだよ」

「ああ、動物の先生ですか……ここらには、ありきたりなヤツしかいませんよ」

 そうだろう。一番珍しいのは、むしろアナスタシアなのではないだろうか。テスラは、心の中で、そんな突っ込みを入れた。

「で、お仲間さんはどちらに?」

「おそらく、一番近い町へ戻ったと思うのだが……どこか知ってるかね?」

「ええ、もちろんでさ。あっしも娘も、普段はそこに住んでやすからね」

 それは好都合だ。アンナは、正真正銘の救い手だったらしい。自分たちが判断ミスをしていなかったことに、老科学者は安堵した。

 そのせいか、少しばかり口が軽くなった。

「町に住んでるということは、猟は趣味かね?」

 テスラの何気ない問いに、猟師の顔がくもった。

「いえ……どうにも不景気でしてね。新しいエネルギーが開発されてからは、炭坑町だったうちは、ひどく貧乏なんですよ。ですから、こうして……」

 男は、壁にかけてある猟銃を見上げた。

「食糧を調達しなきゃなんねえ、って寸法です」

 テスラは、猟師とアンナを見比べた。夜道で気付かなかったが、アンナの着ているものは粗末な麻製であった。都市に住んでいれば、本の中でしかお目にかかれないような代物である。カオルにいたっては、その素材に気付いていないかもしれない。

 テスラはオートミールを飲み込んだ後、スプーンを持ち上げた。

「なあに、科学技術の進歩は、人間が平等に暮らせるようになるまで、後一歩のところだ。しばらくの辛抱じゃよ」

 慰めではない。地球上にはすでに、アナスタシアがいるのだ。市場経済を打破するために作られた、最強のトレーディングマシーンである。

 ところが猟師は、意外な答えを返してきた。

「そんなのは、旧ソ時代の考えですよ……死んだ爺さんがそう言ってました」

「もちろん、旧ソ連が採用した共産主義は、失敗に終わった。あれは、どうにも人間の本性というものに反していたからな。しかし、こうして人工知能などの開発が進み、人間の行う活動がコンピュータに取って代わられる現在、新たな社会体制の道が開かれておる。そうなれば、人間はもはや、コンピュータが配分する資源を消費する以外に、することがなくなるのじゃよ」

 テスラの長々とした説明に、猟師は肩をすくめた。

「あっしにはよく分かりやせんが、人間がコンピュータに支配されるってのは、ぞっとしませんね」

「そうかね? 君たちが信じている神様だって、同じようなもんだろう? ロシア正教だろうがカトリックだろうが、人間には原罪ってものがある。ようするに、人間というのはしょうもない生き物だと言う考えだ。しかし、神様というのは、いようがいまいが我々を助けてくれないのだから、人類は何かもっと別の救世主が必要になる。それを可能にするのが、人工知能というわけだよ。それに……」

「神様はいるよ」

 突然のアンナの割り込みに、テスラは口を閉ざした。

 見れば、少女は悲し気な眼差しで、テスラを見つめてくる。

「死んだお母さんが、そう言ってたもん」

「いや……なに……別にいないとは言っておらん……」

 テスラは気まずくなり、右手を意味不明に振ってみせた。

 見かねた猟師が、少女と老人の間に割って入った。

「まあまあ、この話はこれくらいにしておきやしょう。で、町への道は分かりますか?」

 渡りに船とばかり、テスラは話題を転じた。

「いや、この地方は初めてでな」

「だったら、あっしが案内してもいいんですがね、そちらの……」

 猟師は、ベッドに横たわるアナスタシアを盗み見た。

「娘さんが歩けないようだと、車が必要です。ですから、あっしとアンナが町へ行って、車を一台調達してきやしょう。なんなら、お医者さんもお呼びしますが……」

 それはまずい。テスラは、かたくなに遠慮した。実際のところ、カオルがいるのだから、道さえ教えてもらえれば、町へ出られるはずである。適当な宿屋を見つけて、コンセントを差し込んでしまえば、後はこっちのものなのだ。

 しかし、それではかえって怪しまれると思い、テスラは車の調達を承諾した。それに、カオルが延々と変身し続けられるのかも、今のテスラには分からなかったのである。森の途中で変身が解けると、死活問題になりかねない。

 4人はその後、差し障りのない話題に終始した。カオルは疲れているのか、ほとんど会話に入ってこなかった。食器を片付けた猟師は、ありあわせの長持ちやらなにやらで、即席のベッドを作ると、テスラたちにそれを勧めた。それでも一台足りなかったので、アンナは父親と寝ることになったようだ。

 こういう家族の形態は、妻子のいないテスラには、妙に新鮮に思われた。

 アンナのおやすみという声を最後に、小屋の中は暗闇に包まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ