第62話 大海の一針を拾うがごとし
カオルは歯ぎしりしていた。あまりにも馬鹿らしい結末だ。世界一のAIを搭載したアナスタシアが、バッテリー切れでダウンしたのである。タイガの真ん中では、充電することもままならない。仕方なくカオルは、ヒーローモードでアナスタシアを背負うはめになっていた。
いくら筋力が増強されているとは言え、アナスタシアの体は重い。一般人を運んでいるのと、ほとんど変わらないような疲労を感じた。無論、アナスタシアを放置していくわけにもいかないので、カオルはこの苦行に耐えていた。
「おい」
後ろを歩くテスラに、カオルはイラだった声で呼びかけた。
返事がない。カオルは、バランスを取るのに苦労しながら、もう一度声をかけた。
「おい爺さん、ちゃんとついてきてんのか?」
「ああ……少し休ませてくれんか……?」
テスラの息は上がっていた。無理もない。果てしない森と荒れ地の境目を、すでに1時間はさまよっているのだ。陽はとうに、地平線へと落ちてしまっている。幸いなことに、薄明かりが長いので、カオルたちに目標を提供してくれていた。緯度のせいだろう。カオルは、地理の授業で習った知識を思い出した。
とはいえ、このままでは野宿だ。シベリアの夜がどれほど冷えるのか、カオルは知らないし、テスラに訊く気にもならなかった。訊いたところで、問題は解決しないからである。必要なのは、夜露をしのげる場所であって、気候に関する事細かな情報ではなかった。
いくらヒーローモードとは言え、変身時間も無限ではないはずだ。現にカオルは、全身の力が、だんだんと衰えているのを感じていた。このままでは、変身が解けてしまうかもしれない。そうなれば、アナスタシアを担ぐことが不可能になってしまう。彼女の喪失は、そのままボディガードの喪失を意味していた。
「なあ、このへんに町はないのか?」
「さあな……ワシは地理に詳しくない……」
カオルは嘆息した。しかし、自分でも日本の寒村を全て把握しているわけではないのだから、テスラを責めることもできなかった。
町でなくてもいい。村だろうが集落だろうが、あるいは猟師が営んでいる一件の小屋でもいい。屋根付きの建物なら、なんでも良かったのである。どんな動物がいるかも分からない森の中で寝るはめだけは、避けたかった。
「GPSはないのか?」
「そんなもんがあれば、とっくに使っとるよ。おまえさんこそ、携帯を持ってないのか?」
「あんたらがクレムリンで没収しただろ」
カオルは今さらながら、携帯の紛失にいきどおった。無論、その背景には、現状に対する不満があった。あまりにも無計画な逃亡劇に、カオルはほとほと呆れ返っているのだ。
「アナスタシアなら、GPS機能がついてるんじゃが……」
テスラは、誰とはなしにそうつぶやいた。
カオルの顔色が変わる。
「アナスタシアの充電は、どうすればできる?」
「本来ならクレムリンの専用充電器が必要だが……家庭用コンセントでもできる」
「家庭用コンセント? 掃除機とかを繋ぐアレか?」
カオルは足を止め、テスラを振り返った。
視線の合ったテスラは、黙ってうなずきかえした。アナスタシアからケーブルが伸びたシーンを想像して、カオルは噴き出しそうになった。
「おいおい、笑っとる場合じゃないぞ。様にならんのは確かだが……」
「わりぃ、べつに笑うつもりはなかったんだ。だけど、コンセントなら簡単に……」
そこまで言って、カオルは口をつぐんだ──まったく簡単ではない。シベリアの大地から、コンセントが生えてくるはずもないのだ。これでは、宇宙空間で酸素をさがしているようなものである。欠乏したとき初めて、そのありがたみに気付く存在だった。
カオルは、足下の小石を蹴った。それは茂みに消え、あたりに静寂がもどった。
「このままじゃ、飢え死にまであるぞ……」
カオルは、腹が空いていた。乾パンは携帯しているが、育ち盛りのカオルでは、およそ満足することができなかった。むしろその点では、テスラの方が丈夫にできている。粗食なのだ。
そろそろ本格的に身の振り方を考えなければ。カオルは、テスラに向きなおった。
「なにかアイデアはないのか? あんたこれでも、悪の科学者だろ?」
「マッドサイエンティストか……別にそういうつもりはないのだがね……」
「あんたの自己評価はどうでもいい。ここから移動する方法はないのか?」
テスラは渋い顔をして、ポケットに手を突っ込んだ。
これはなにかある。いいアイデアではないが、可能性のあるアイデアが。
カオルは、テスラに先をうながした。
「なんでもいい。教えてくれ」
「……クレムリンと連絡を取ることは可能だ」
テスラの告白に、カオルは目を見開いた。思わず、アナスタシアの重さで膝が落ちそうになる。慌てて体勢を立てなおしたカオルは、テスラの方へ一歩あともどりした。
「どういうことだ? どうやってクレムリンと連絡を取る?」
テスラはポケットから、一台の端末を取り出した。それは携帯ではなく、トランシーバーのような形をしている。カオルは、その正体をすぐさま察した。
「通信機か?」
「そうじゃ。特殊な周波数で、盗聴されずにクレムリンと連絡を取れる」
「クレムリン以外とは?」
テスラは、首を左右に振った。
それでは欠陥品ではないか。カオルはくちびるを噛み締めた。
「そんなピンポイントな通信機を作るなよ」
「防諜じゃよ。盗聴不能な携帯電話など配布したら、なにに使われるか分からんからな」
確かに、その通りだった。もしラスプーチンが、テスラに携帯を渡していたら、ここでゲンキたちに連絡を取り、そのまま合流できた可能性もある。この状況に限って言えば、ラスプーチンの判断は正しいとしか言いようがなかった。
「あんたの上司は、よほど部下を信用してねえんだな」
「ふん、猜疑心は権力者の盾じゃ」
そうだろうか。カオルはいぶかしむ。歴史上、忠実な部下を誤って殺した為政者は多い。その原因は往々にして、讒言と不信であった。ゲンキたちとの友情に縛られたカオルは、いまいちその感覚を理解することができないでいた。
「で、どうするんじゃ? クレムリンに投降するかね? それとも粘るかね?」
「……投降して、どうする? 一流ホテルへご案内、ってわけじゃねえだろ」
カオルの皮肉にもかかわらず、テスラは平然と両肩をすくめてみせた。
「ま、ワシは減給と謹慎処分じゃろうな……おまえさんは、ふたたび監禁か」
「アナスタシアは?」
カオルは背中越しに、アナスタシアの顔を見やった。
美しい。出会いが出会いだっただけに、彼女をただの殺人鬼としか見ていなかった。少年の肩で眠るアナスタシアは、呼吸ひとつしていない。まるで、お伽噺の眠り姫のようだ。
アナスタシアの名前が出たところで、テスラは顔を曇らせた。
「……解体されるかもしれんな」
「解体? 莫大な研究費をつぎ込んどいて、解体するのか?」
カオルの喫驚に、テスラは視線を逸らした。
針葉樹の木々を見上げ、白い息を吐いた。
「アナスタシアは、市場操作のために開発されたロボットだ。そのAI部分は、彼女の中ですでに完成している。そこを取り出して、もっと忠実なコンピュータに移植するだけでいい」
「あんたは……あんたは、それでいいのか? 生みの親なんだろ?」
カオルは、なぜかアナスタシアの身を案じた。おかしな話だ。彼女は、カオルたちを襲撃し、かつクレムリンからの脱出を邪魔した張本人だと言うのに。あのとき彼女の妨害が入らなければ、ニッキーにあっさりと回収してもらえたはずなのである。
けれども、科学の進歩に関するカオルの好奇心が、アナスタシアの解体という野蛮な行為に、底知れぬ抵抗感を示すのだった。
それは、テスラも同じだったらしい。だからこそ、クレムリンへの専用通信機について、これまで口をつぐんでいたのだろう。カオルは、そう予測した。
「……正直に言うと、アナスタシアは、もうワシの手に負えん」
「だから解体するってか? そりゃ、気に入らない子供を殺すのと変わらないぞ?」
カオルの抗議に、テスラは真剣なまなざしを返した。
誤解してくれるな。そう言いたげだ。
「だれも解体して欲しいとは言っておらん。むしろ……なんと言えばいいのかな……アナスタシアがワシの手を離れた以上、彼女の進む道は、彼女自身に決めて欲しいのだよ。ただひとつ気になることがあるとすれば……」
テスラは、そこで言葉を区切った。
カオルは、黙って先を待つ。
「ひとつ問題があるとすれば、彼女は闘いに、自己の存在価値を見出している。バッテリーが上がるまで闘ってしまったのも、彼女の理性的な回路が、感情の回路に押し負けているからだ。それが欠陥なのか、それともワシに理解できない進歩なのか……もし後者なら、本物の殺人鬼になってしまう可能性も……否定できん……」
テスラは回答を留保し、大きく息を吐いた。水蒸気の粒が、上空に舞う。
本格的に冷えてきた。このままでは、死を待つのみである。
「なあ、こういうのはどうだ? クレムリンに連絡を取って、ヘリが来たところを……」
がさりと、茂みが動いた。カオルは身がまえた。テスラもその場から飛びのいた。
もしや虎か。緊張が走る中、音は次第にこちらへと近付いてくる。
「博士、アナスタシアを……」
カオルがアナスタシアを下ろそうとした瞬間、茂みから小さな影が現れた。
それはひとりの、小さな女の子だった。
○
。
.
UFOの中に、ほがらの声が鳴り響く。
「なんでカオルを捜しに行かないのよッ!? おかしいでしょッ!」
さきほどからこのやり取りを眺めていたジュリアは、醒めた目で友人を見ていた。くだらない喧嘩を眺めるような、そんな気分である。
「ちょっとジュリア! あんたも加勢しなさいッ!」
ほがらは魔法のステッキを突き出して、ジュリアを威嚇してきた。
ジュリアは手で防御すらせず、脱力気味の答えを返した。
「うちは、ニッキーの言うとることが正しいと思うんやけど……」
ほがらの顔が赤くなった。ステッキを振り回して、計器に当たり散らす。狭い機内で暴れるなと、ジュリアはほがらに抱きついて、その肉体を拘束した。
運転席から、ニッキーの声が聞こえてくる。
「ほがらくん、さっきも説明した通りだが、広大なシベリアでポッドを見つけるのは無理だよ。無闇に動き回っても、時間を浪費するだけだ。ここはクレムリンの様子をさぐって、間接的に居場所を突き止めたほうがいい」
その通り。ジュリアも首肯する。ラスプーチンは、間違いなくカオルのポッドを追っている。敵の進路を辿れば、おのずと味方に会えるという寸法だった。
だが、ほがらは納得しない。
「ラスプーチンが先にカオルを見つけたら、どうするのッ!?」
「カオルくんのポッドには、あの殺人ロボが同乗しているんだろう? 君たちの話を聞く限りでは、相当な戦闘能力があるようだ。カオルくんの身辺は安全だよ」
「そんなのただの推測でしょッ!」
「やれやれ……レストランのトイレで言ってたことと違うじゃないか……」
ニッキーの指摘に、ジュリアも同意せざるをえなかった。アナスタシアがついているから、カオルは大丈夫。初めにそう言ったのは、ニッキーではなく、ほがらであった。もっとも、ほがらとて、深く考えて発言したわけではないのだろう。揚げ足取りなようにも思えた。
「あのときはあのときッ! 今は今ッ! だいたい、ニッキーこそおかしいでしょッ! やたらとステッキの紛失を気にしてたくせにッ!」
「あのときはあのとき、今は今だよ」
同じ返しをされて、ほがらは地団駄を踏んだ。大きくのけぞったところで、後頭部が計器にぶつかる。がつんと、小気味よい音が響いた。
「イターイ……」
ぶつけた箇所を、ほがらは涙目で押さえた。
ゲンキのときと同じシチェーションに、ジュリアはタメ息をついた。
このままでは話が進まない。そう考えたジュリアは、積極的に口を出した。
「せやけど、クレムリンの偵察なんて、簡単にいかんのと違う?」
そうだそうだと、ほがらがニッキーに詰め寄った。
ジュリアは彼女の裾を引き、ニッキーの返事を待った。
ニッキーはあくまでも冷静に、事態を分析しているらしい。トイレで見せた動揺は、彼女たちの気のせいだったのかもしれない。ジュリアは、そう思うようになっていた。
「確かに、クレムリンを盗聴するのは困難だ。しかし、通信先は分かる。その通信先を丹念に追って行けば、どのあたりにカオルくんたちがいるかも、判明するはずだよ。関東圏内の距離まで詰めれば、私がステッキの波長を感知できるからね」
なるほどと、ジュリアは首を縦に振った。合理的な作戦である。
「で、クレムリンはどこへ向かっとるん?」
「トムスク州の東端で静止している」
地名を言われたものの、ジュリアにはさっぱりだった。説明を請おうかとも思ったが、どうせ聞いても分からないと判断した。
「ま、そこらへんは、ニッキーに全部任せたいんやけど……」
「うむ、そうしてもらえると助かるよ」
これまでは裏方に徹していたニッキーが、やたらと主導権を握っている。ジュリアは、その変わりように、なんとなく違和感を覚えていた。
とはいえ、自分たちではなにもできないのだから、仕方がなかった。これまでのぐだぐだっぷりからして、ニッキー主導のほうがいいのかもしれないと、ジュリアは思うようになっていた。
ほがらも異論を唱えなかった。怒りはまだ収まっていないようだが、やはり打つ手なしと判断しているのだろう。ジュリアは友人の内心を察した。
「うちらは、待機してればええね?」
「ああ、エネルギーの無駄遣いになるからね。そうしてくれたまえ」
○
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茂みから出て来た女の子は、カオルたちを不思議そうに見ていた。
「おじちゃんたち、そこでなにしてるの?」
カオルはテスラと顔を見合わせ、それから少女の方へ視線を戻した。
敵か、味方か。カオルは、疑心暗鬼になる。
一方、少女はカオルたちの戸惑いになど目もくれず、アナスタシアをまなざした。
「そのお姉ちゃん、病気?」
少女は、アナスタシアをゆびさした。それがロボットだとは、微塵も思わなかったらしい。当然と言えば、当然の反応だった。カオルはこれをチェンスと見て、少女に話し掛けた。
「ちょっと気分が悪くなってね……きみ、このへんに住んでるの?」
少女はうんずいた。近くに村があるのだろうか。カオルは、慎重に質問を重ねた。
「だったら、そこへちょっとお邪魔させてもらえないかな? 病人がいるんだよ」
少女は、すぐには返事をしなかった。両手を背中に回し、視線を宙に泳がせた。
「……パパがいいって言うなら」
「パパ? おうちは、この近くかい?」
少女は茂みの奥をゆびさした。しかし、町の灯りは見えない。幼い少女が、何キロも森の中を歩いて来たとは思えないのだが──カオルは、警戒心を緩めなかった。
「そこに、きみの村があるの?」
「ううん……パパとふたりで住んでるの……」
父親とふたり暮らし。カオルは、その発言の真偽を決めかねた。テスラに目配せした。
「……こうなったら、あてにするしかないじゃろ」
それが、テスラの答えだった。カオルは、その助言に従うことにした。たとえ敵の罠だとしても、他に打開策が見当たらないのだ。もし罠の場合は、敵の装備品を奪取するつもりでもあった。ジープの一台くらいは、持っているかもしれなかった。
そう考えたカオルは、少女に向きなおった。
「そこへ案内してくれないかな?」
少女は首を縦に振った。人を疑うことを知らないのだろうか。カオルは、なぜか申し訳ない気持ちになってくる。騙しているわけではないのだが、純真さにつけ込んでいるような気がしたのだ。
「おじちゃんの名前は?」
おじちゃん扱いされたカオルだが、笑顔で名前を告げた。
「カオルだよ。きみは?」
「アンナ」
そう答えると、少女は茂みの奥へと引き返し始めた。
カオルはアナスタシアを担ぎなおすと、ゆっくりとアンナの後を追った。




