第61話 夢の国の正体
イワンは空いた左手を振り上げ、見えない通話相手に向かって拳を握りしめた。
「宇宙人を追跡しろ……?」
そんなバカなと、イワンは余った手をふりまわした。
「どういうことですか? なんで僕が宇宙人を追わなきゃならないんです?」
《イワン博士はウラジオストクにとどまり、宇宙人と双性者の捕獲を試みてください。これはラスプーチン様からの命令です》
「それは答えになってないでしょう。僕は雇われ科学者だ。現場指揮官じゃない」
《ご安心を。担当者が間もなくそちらへ参ります。その方の指示に従ってください》
ふざけるな。さっさと回収しろ。そう叫びかけたイワンの背後で、ノックの音がした。
イワンは端末を背中に隠し、のぞき穴から廊下の様子をうかがった。
「……ッ!」
イワンは端末をポケットに突っ込み、慌ててチェーンを外した。扉を開けると、骸骨のような男がひとり、黒いコートを羽織って姿を現した。
イワンは黙って客を招き入れた。男は図々しい調子で部屋に上がり込むと、ドアを閉めるよう目で合図した。
イワンは後ろ手にドアノブを押し、ドアを閉めた。
「どうも……ゾルゲさん……」
名前を呼ばれた男は、にやりと笑って歯を剥き出しにした。
「イワン博士も、ご無事でなにより。クレムリンからの指示は、すでにお聞きかな?」
「ええ……ちょうど今しがた……」
端末の呼び出し音が鳴る。イワンは舌打ちをして、それをポケットから取り出した。どうやらスイッチを切り忘れていたようだ。イワンが通信を切断しようとした矢先、ゾルゲの手が端末をかっさらった。
唖然とするイワンをよそに、ゾルゲは勝手に電話口に出た。
「もしもし……ああ、そうだ、私だ。任務は引き継いだ。ラスプーチン様によろしく」
ゾルゲはピッと通話を切り、端末をイワンに投げ返した。イワンは忌々しそうに端末を握り締めたまま、目の前に現れた機械化人間を凝視した。
「担当者様にうかがいますが……なんで僕が同伴しないといけないんです? 僕はクレムリンから連れ出されただけで、実戦経験は皆無なんですがね」
イワンの質問を無視して、ゾルゲは手近な椅子に腰を下ろした。金属でできた彼の体は、常人のそれを遥かに上回る重量で、木製の脚をきしませた。
壊れたらおまえが弁償しろよ。イワンは場違いな悪態をついた。
そんなイワンの苛立ちを無視して、ゾルゲは用件を切り出した。
「宇宙人に遭遇したというのは本当かね? イワン博士?」
イワンは不承不承うなずいた。証拠があるわけではない。もしかすると、日本政府に与しているロシア人だったのかもしれない。ロシア警察だった可能性すらあった。
だが、そう報告してしまった以上、イワンはその通りに答えるしかなかった。
「なるほど……ということは、早急に手を打たねばならないわけか……」
ゾルゲはそう言うと、ひとさしゆびで椅子の肘かけをこづいた。
この男、自分の証言を信じているのだろうか。イワンは疑問に思う。頭ごなしに否定されるよりはマシだが、ゾルゲともあろう男が、下っ端の報告を妄信するなど、あってはならないことだ。イワンは矛盾した感覚に囚われていた。
その疑念が顔に出たのか、ゾルゲは片方の眉毛を上げてほほえんだ。
「どうした? 私の顔になにかついてるかね?」
「いえ……宇宙人捕獲作戦なんて、上層部も大胆だな、と……」
そんなことかと、ゾルゲは不敵な笑いを浮かべた。
「宇宙人の正体を知れば、上層部も慌てるというものだよ」
「宇宙人の正体……? 上はなにか掴んでるんですか?」
ゾルゲは首を縦に振るだけで、その正体を明かさなかった。
これにはさすがのイワンも、おもしろくなかった。
「重要な点を内密にするのは、今後の連携に支障をきたすと思いますがね」
イワンがそう咎めると、ゾルゲは落ち着かせるような素振りを見せた。
「いやいや、隠してるわけではないさ」
「じゃあなんなんですか? 僕にも教えてくださいよ」
沈黙。裏方だと思って、自分を舐めているのだろうか。イワンは不満をおぼえた。そもそもゾルゲの改造手術には、テスラだけでなくイワンも参加していたのだ。ここまで無下に扱われる筋合いはないはずである。
「ゾルゲさん、隠し立てするようなら、上のほうに担当者の交代を……」
「残念だが、私も知らないんだよ」
ゾルゲの単刀直入な物言いに、イワンは眉をひそめた。
「担当者が知らないって……そりゃお笑いぐさですよ。僕をからかうんですか?」
「いや、からかうつもりなどない。私は冗談が苦手でね」
「だったら、どういうつもりなんです? こんな謎掛けは、もうたくさ……」
「夢の国の住人だよ」
ゾルゲの口から突如漏れた言葉に、イワンは全身を硬直させた。
乾いた笑いを浮かべ、両肩をすくめてみせる。
「ハハッ……またそういう冗談を……」
「それがね、冗談ではないんだ……アメリカの大統領から、直々に情報提供があった。まあ、最近は大統領の情報網も怪しくなってはいるが」
大統領。ラスプーチンのライバルがリーク先と聞いて、イワンは疑うのを止めた。それほどの重大事でなければ、大統領がこちらの陣営と協力するはずがないからだ。大統領とラスプーチンの仲は、冷戦が終わった今でも、非常に険悪であった。
イワンは事態の大きさを理解し、ゾルゲのとなりに腰を下ろした。
「教えてください。夢の国ってなんなんですか?」
「そう言う博士は、どこまでご存知かな?」
質問を質問で返すな。イワンは苛立ちを募らせながら、自分の知識を披露した。
「中堅クラスのメンバーなら、誰でも知ってるようなことくらいです。夢の国の住人が現れたら、悪の組織は全ての抗争を中止して、共闘しないといけないという……」
「その通り。そして私もそこまでしか知らない」
ゾルゲの平然とした回答に、イワンはさらににじり寄った。
ゾルゲはその腕力でイワンを押し返した。
「まあまあ、そう慌てなくてもいいだろう。第一、どんな組織にも機密事項というのはあるんだよ。下っ端がそれを知る必要はない。当然のことさ」
イワンの好奇心は、ゾルゲのもっともな解説によってはぐらかされた。確かに、自分のような中堅研究者が知っていては、とても機密事項とは言えないだろう。しかし、今回ばかりは自分の任務に関わっているわけで……イワンは追及をあきらめなかった。
「ラスプーチン様は、さすがにご存知なんでしょう?」
「そりゃそうだろう。というより、夢の国の正体は、悪の組織の幹部連しか知らないという噂だがね……おっと、これは内密にしておいてくれよ。バレると事だ」
「幹部連? ということは……」
「そう、ラスプーチン様以外では、アメリカの大統領、日本のアシヤ、中国のワン、ドイツのエミリア、フランスのジャンヌ、イギリスのメアリー、そしてイタリアの枢機卿だけだ」
ゾルゲの上げた面々に、イワンの顔が青ざめた。
「そんな……最高機密ってことじゃないですか」
「ま、そういうことになるね」
ゾルゲは文字通り重たい腰をあげた。それから痛みを伴うような勢いで、イワンの肩を叩いた。思わず苦痛に顔をゆがめるイワンだが、夢の国の住人という謎めいた存在の登場に、痛覚が半分麻痺しかけていた。
「そう深刻な顔をしないでくれたまえ。すぐに追いかけるというわけにもいかんからな」
ゾルゲはそう言うと、のんびりと肩を回した。ぎこちない音がする。そろそろメンテの時期なのかもしれない。この状況でそんなことを考えてしまい、イワンはじぶんが職業病なのかと思った。
「追いかけない? 今回の任務は、宇宙人の追跡じゃないんですか?」
「宇宙人に宇宙船はつきものだろう。我々の技術力では捕捉不可能だよ」
そうか。イワンも状況を理解した。もしあれが本当に宇宙人だったならば、おそらくもうひとつのポッドを求めて、ウラジオストクを脱しているはずだった。問題は、宇宙人のテクノロジーで、どこまで正確にポッドを発見できるかである。
仮にそれがボタンひとつで可能だとすれば……イワンは絶望する。
「まずいな……もうひとつのポッドにはアナスタシアが……」
「そちらにはラスプーチン様が向かった。大丈夫だと信じたいがね」
「ラスプーチン様が……? 前線に……?」
イワンの驚きに、ゾルゲは不気味な笑みを返した。
「悪の組織が共闘しなきゃいけない相手……イワンくん、こいつは命懸けの任務だよ」
○
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鉄格子に覆われた窓から、うっすらと朝日が射し込む。その光は一筋に伸びて、包帯に覆われた女の顔を照らし出していた。一晩で血に濡れた布地の奥から、澄んだ瞳がのぞき。目を覚ましたメアリーは、軽い倦怠感に苛まされながら、上半身を起こした。
昨晩感じていたシーツの軽やかさは、もはや微塵も残っていなかった。べっとりと染み込んだ血糊が重い。寝間着もベッドカバーも、全てが朱に染まっていた。
「誰かおらぬかえ?」
メアリーの呼びかけが早いか、ドアがノックされる。ノブが下がり、燭台を持った白人のメイドが、謙虚なたたずまいで敷居の向こうがわに現れた。
メイドは一礼すると、主人に朝の挨拶を送った。
「おはようございます、メアリー様。ご気分はいかがでしょうか?」
「……いつも通りじゃ」
「では、お召し物を替えさせていただきます」
メイドのぼやかした言い回しに、メアリーは苦笑した。ようは包帯を取り替えるのだ。病人となにも変わりはしない。毛穴という毛穴から定期的に血を噴き出す呪われた体質を、彼女は今さらながらに忌々しく思った。昔年の美貌も、これでは誇る先もなかった。
メイドは燭台をテーブルの上に置き、包帯の束をお盆に乗せて戻ってきた。メアリーは着替えのあいだ、ぼんやりとブリュッセルでの会談を思い返した。
夢の国の住人が帰って来た。その噂が、メアリーの睡眠を夢魔のように蝕んでいた。
「メアリー様、なにかお悩みでも?」
長年仕えてきた召使いの勘か、メイドは包帯を取り替えながらそっとたずねた。
現実世界に引き戻されたメアリーは、おもむろに召使いを見やった。
「サリカ、おまえには伝えておいたほうがよいかもしれぬ……」
メアリーは、敢えてそこで言葉を区切った。サリカと呼ばれた召使いは、好奇心を示すでもなく、かと言って無視するわけでもなく、淡々と包帯を取り替えていった。メアリーには、そんな彼女の慎ましい性格が気に入っていた。
「夢の国の住人が帰って来たらしい」
一瞬、ほんの一瞬だけ、包帯を外す手がぶれた。だがその軌道はすぐに修正され、サリカの指は滑らかな動きをとりもどした。そして、静かにくちびるを動かした。
「左様でございますか」
「……あまり驚かぬようだな」
「いつかは起こることかと」
サリカは、極めて冷静にそう返した。
「いつかは起こる……か……」
人間よりも遥かに長い年月を生きて来たメアリー。そのメアリーでさえ、自分の存命中に夢の国の住人が帰って来るとは思っていなかった。次か、あるいはその次の世代……漠然とした問題の先延ばしを、メアリーは召使いの前で恥じた。
「ジャンヌ、吸血姫とはすでに意見を交わした。ふたりとも相変わらずじゃったな」
「では、大陸とは即座に講和し、派遣中の兵を全て引き払うと?」
サリカは事務的な口調でたずねた。メアリーは身じろぎもせずに、答えを返す。
「契約ではそうじゃが……世俗の権力はそれを許してくれまい……」
EUという巨大な統一政権を樹立したヨーロッパは、旧来の国境に固執するメアリーたちにとって、酷く厄介なものになっていた。警察の活動範囲も無制約となり、ヨーロッパ中央警察という単一の巨大組織が、彼女たちの活動を終始監視しているのだ。
契約の履行と組織の安泰。メアリーは、難しい決断を迫られていた。とはいえ、百年前ほどではない。あのときと比べれば、事態はさざ波のようなものに過ぎなかった。
「不死伯は、まだロンドンにおるかえ?」
「サンジェルマン様は、大統領との条約交渉のため、ワシントンへ飛んでおります」
そうだった。メアリーは自分の物忘れをさげずんだ。これではエミリアのことを笑えない。お互いに歳を取ったものだと、メアリーは認めざるをえなかった。
「お顔のほうを失礼致します」
サリカは、さきほどよりも慎重に、顔の包帯をはずし始めた。ブロンドの髪が解放され、肩から背中にかけて、きらびやかな流れをかたちづくった。血飛沫を浴びた顔は、それにもかかわらず彼女の美しさを覆い隠せてはいなかった。
「湯浴みの準備はできております。どうぞこちらへ」
ベッドから出るのを手伝おうとしたサリカに、メアリーは手で待てと合図した。
サリカはかしこまると、一歩下がって主人のかたわらにひかえた。
メアリーは血が乾いて肌にこびりつくのも気にせず、物思いに耽った。これからどういう手を放つか。チェックメイトは遠い。東アジアの情勢も、悪の組織が足並みをそろえることを困難にしていた。大統領の講和条約の延長には、最初から賛成なのだが──
「ラスプーチンの動向は?」
「クレムリンは現在、シベリア上空を移動中とのことです」
サリカの報告に、メアリーは顔を上げた。
「日本を離れたのか?」
「はい、左様でございます」
「とすると……次の狙いは中国か?」
メアリーの推測に、サリカは顔色を変えずに答えた。
「いえ、クレムリンはロシアの奥へ向かっています。現在はシベリア上空かと」
メアリーは、眉間にしわを寄せた。
「シベリア? ……なにかあったのじゃろうか? それとも、夢の国の出現で、作戦を中止したか?」
いや、まだ他にも可能性はある。日本の隠密課と呼応してロシア警察が動いたか、あるいはクレムリンに突発的な故障が発生したとも考えられた。ロンドン塔の片隅では、すべて推測の域を出ない。
「ラスプーチン様に、使節を派遣しますか?」
サリカの提案に、メアリーはうなずき返した。同じアイデアに辿り着いていたのである。ただ、面子が問題だった。ラスプーチンを相手にする以上、不死伯が適任なのだが、彼は不在である。メアリーは逡巡した挙げ句、サリカの目を見すえた。
「サリカ、おぬしに頼めるか?」
「メアリー様のご命令でしたら、なんなりと」
「クレムリンに打診するのじゃ。東アジア情勢について、わらわから話があるとな」
「かしこまりました……サンジェルマン様のほうは、いかが致しましょうか?」
「不死伯にはこう伝えよ。講和条約の延長は、ほぼ確定事項。至急ワシントンを脱して、シベリアでおぬしと合流せよ、とな」
「かしこまりました。万事そのように手配致します」
メアリーは指示を終え、口をつぐんだ。ところがサリカは動こうとしない。
「どうしたのじゃ? 早くせぬか」
「先に湯浴みをなされませんと……」
メアリーは顔をしかめ、右手で厄介払いを出す。
「わらわは介護老人ではない。湯浴みくらいひとりでできよう」
「失礼致しました」
サリカはそう言うと、靴音もさせずに部屋を後にした。
メアリーはタメ息をつく。サリカは忠実な下僕だが、サンジェルマンと比べて機転に欠けているところがあった。もっとも、サンジェルマンの場合は、機転が利き過ぎているとも言えた。戦後ふらふらとロンドンに来たサンジェルマンを、メアリーはそこまで信用していなかった。サリカとサンジェルマン。この組み合わせが吉と出るか、凶と出るか。
考えても仕方がない。メアリーはベッドから起き上がり、床に血の足跡を残して、浴室へと向かった。




