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無能扱いされた元事務員、異世界ギルドで命を救う受付嬢になりました 〜最強冒険者たちに溺愛指名されています〜  作者: 他力本願寺


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第1話 私が止めた依頼で、S級冒険者が死なずに済んだ

目の前にうず高く積まれた、羊皮紙の山。

インクの匂いと、少し埃っぽい紙の匂いが入り混じるカウンターの隅で、私は密かに安堵の息を吐いた。


異世界エルセリアの、ルーンベル冒険者ギルド支部。

突然この世界に転移してきてから三日目。仮採用の『受付補助兼記録整理係』として拾われた私が今日直面している問題は、たった今受理されようとしている高難度依頼の書類に、命に関わる明らかな欠陥があることだ。


そして、その危険な依頼を今まさに受けようとしているのは、ルーンベル支部最強と名高いS級冒険者――レオンさんだった。


「……数字が、合いません」


私は小さく呟き、手元の木枠に珠が並んだ計算道具――ヴィクトル支部長に無理を言って作ってもらった『簡易そろばん』に指を走らせた。


パチ、パチ、パチ、ジャラッ。


使い慣れた小気味よい音が、ざわめくギルドの喧騒の中に吸い込まれていく。

現代日本で事務員をしていた頃、私は職場で「アナログさん」「紙の人」と陰口を叩かれていた。DX化の波に乗れず、新しいシステムにはついていけない無能な社員。それが私、白石結衣の評価だった。


けれど、魔法も剣も使えない私が流れ着いたこの異世界は、手書きの書類と台帳が命を左右する、まさに『紙が生きている世界』だった。


私の視線の先、メインカウンターでは、銀灰色の髪を持つ長身の剣士が、受付主任のセルマさんと向かい合っている。

S級冒険者、レオンハルト・ヴァイス。

彼が提出した『黒竜谷周辺の魔物討伐依頼』の申請書類。先ほど私が仮チェックの列から見つけ出したその一枚には、致命的な見落としがあった。


「セルマ主任、レオンの依頼申請だが、これで受理してくれ」


「はい、レオン様。S級依頼の規定に基づき、書類の確認を――」


淡々と進む手続き。このままでは、彼は死地に赴くことになる。

私は弾かれたように椅子から立ち上がった。


「お待ちください!」


静まり返ったギルド内に、私の声が響く。

屈強な冒険者たちの視線が一斉に私に突き刺さった。胃が痛くなるようなプレッシャーに足がすくむけれど、私は手元の書類とそろばんを抱きしめ、メインカウンターへと駆け寄った。


「……なんだ?」


振り返ったレオンさんの青い瞳が、私を見下ろした。

氷のように冷たく、けれどどこか静謐な瞳。ぞっとするほどの美貌を持つ最強の剣士を前に、私は必死に声を振り絞る。


「その依頼……今の補給計画のままでは、危険です。日程と補給の数字が、まったく合っていません」


私の言葉に、セルマ主任が眉をひそめた。


「白石さん、何を言っているの? 彼はS級冒険者よ。それに、仮採用のあなたが口を挟む権限は……」


「権限はありませんが、確認はしました! 書類は嘘をつきません!」


私はカウンターに、彼が提出した依頼書と、私が先ほど見つけた『別の紙』を並べた。


「レオンさん、この討伐依頼の予定表ですが、片道四日、討伐に一日、帰り道に四日。合計九日の行程で組まれていますね?」


「……ああ。俺の足ならそれで足りる」


「一日に三食と仮定して、九掛ける三は……二十七。最低でも二十七食分の携帯食料が必要です。ですが、申請されている数は十五食分しかありません」


私がぴたりと数字を言い当てると、レオンさんの目がわずかに見開かれた。


「それに、ここが一番の問題です」


私は横に置いたもう一枚の紙――端が少し破れた、殴り書きの報告書を指差した。


「昨日、東の街道を通った行商人からの報告書です。まだ未処理トレイに入ったままでしたが……最近の豪雨で、黒竜谷へ向かう最短ルートの『吊り橋』が崩落していると書かれています」


「……落ちているのか」


レオンさんの低い声に、私はこくりと頷いた。


「はい。迂回ルートを通れば、片道だけでさらに三日はかかります。行程は大幅に延びるのに、食料は十五食。さらに、過去三年の台帳記録によれば、今の時期、黒竜谷の魔物は繁殖期を迎え、群れで行動する傾向があります。戦闘回数が増えれば、申請されているポーションの数では、絶対に足りなくなります」


ギルドの中が、水を打ったように静まり返った。

セルマ主任が青ざめた顔で、行商人の報告書を手に取る。


「あっ……本当だわ。でも、どうして未処理の山から、この情報だけを的確に……」


「インクの擦れ具合と、紙の折り目です。急ぎの報告書特有の雑な扱われ方をしていましたから、念のため目を通しました」


私は真っ直ぐにレオンさんを見上げた。


「S級冒険者であっても、ご飯を食べなければ動けません。血を流せばポーションが必要です。このまま出発すれば、あなたは谷の底で孤立します」


言い切った後、自分の心臓がうるさく鳴っているのに気づいた。

日本の会社では、「たまたまだろう」「でしゃばるな」と上司に一蹴されてきた。ここでも同じように笑われるかもしれない。所詮は、剣も魔法も使えない素人の戯言だと。


けれど、レオンさんは笑わなかった。


彼は静かに申請書を取り上げ、私の顔と書類を交互に見つめた。

長い沈黙。

やがて彼は、ふっと息を吐いた。


「……セルマ主任」


「は、はい!」


「申請は一旦保留にしてくれ。ルートと補給を再計算する」


周囲の冒険者たちが「あの無口で頑固なレオンが、新人の言葉で依頼を止めたぞ」とざわめき始める。


セルマ主任も驚いた顔のまま手続きを止めた。私はホッと肩の力を抜き、抱えていたそろばんを胸に押し当てた。

よかった。これで、誰も死なずに済む。

私にできるのは、紙を整え、数字を合わせることだけ。でも、それで誰かが生きて帰れるなら、これほど嬉しいことはない。


私がカウンターの隅に戻ろうと踵を返した、その時だった。


「……おい」


低く、よく通る声に呼び止められた。

振り返ると、長身のレオンさんが私の目の前まで歩み寄ってきていた。

ほのかに香る、森の葉と、鉄の匂い。

彼は私を見下ろし、何かを堪えるような、不器用で真摯な瞳で私を真っ直ぐに射抜いた。


「君が止めなければ、俺は死んでいたかもしれない」

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