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それはまるで夢のような時間だった。
乗り心地が最高の馬車から眺める景色も、アーシャが用意してくれたおやつをつまみながらするおしゃべりも、家族で楽しむカードゲームも。
まぁ、そのカードがなぜか私の顔が描かれた特製カードだったことには驚いたけれど。だってこのカード、50枚くらいあって四隅にそれぞれ4種類の記号と数字が書かれていたのだが……全部違う表情が描かれている上に全て手描きだって言うんだもの!さらにアーノルド様のお手製だって言われたんだもの!
こんな手のひらサイズの小さなカードの枠内に、私そっくりな似顔絵を50種類もなんて……。
すごいわ!アーノルド様って、絵描きの才能もお持ちだったのね!?と、私の旦那様がとても多才であることが発覚してなんだか嬉しくなってしまったのだ。
しかもこの家族旅行が決まってから徹夜で仕上げたんですって。私の顔だから描けたんだよってちょっぴり血走った瞳で言われてしまい、ほんの少しだけ戸惑ってしまったわ。だって、寝顔なんていつの間に見られていたのかしら……え?寝顔については妄想で描いたから安心してほしい?それならよかった!だってさすがに恥ずかしいもの!
私とアーノルド様のやり取りを見ていたアーシャは「行き場のない熱量をそこに詰め込みましたのね~」なんて言って肩を竦めている。意味は分からなかったけれど、それってそれだけアーノルド様が私を見ていてくれたということよね?恥ずかしいけど……やっぱり嬉しいかもしれない。
とにかく、どれもこれもこれまで生きてきた中で最高の旅行なのは間違いない。だって今、この馬車の中には“楽しい”しか存在しないのだから。
屈託なく笑う弟の姿を見て、私の“嬉しい”という感情がさらに溢れ出てきてしまう。そして“もっとこの時間が続けばいい”と、欲をかいてしまうのだ。
自分がこんなにも欲深いだなんて知らなかった。初めての感情に戸惑いつつ、それを楽しんでいると気付いて驚いたけれど……それすらも心地が良いと感じる。
だから、こんなことになるだなんて思いもしなかった。
まさか、アーノルド様からこんな冷たい目を向けられる日が来るなんて────。
✱✱✱
「……エトランゼ・ルーゼルク侯爵令嬢、お前のような悪女が僕の妻になっていたなんてな。どうもここ最近の記憶が曖昧だが……まさか僕に薬でも盛ったのか?相変わらず、卑怯な手を使う……!」
「……ア、アーノルド様……?なにを言って……」
いつもならば優しく微笑みながら私を見つめてくれる青い瞳には嫌悪の感情が浮かんでいた。まるで、私を憎んでいるかのようにだ。
「最初に言ったはずだ。僕は────!」
アーノルド様の口から聞いたことのない怒りに満ちた声が発せられて、私は思わず耳を手で塞いだ。
アーノルド様から「最初に言ったはずだ」と言われて必死に記憶を探ったが、思い出すのは愛に満ちた言葉と優しい微笑みばかり。
どうして?
答えがわからなくて、泣くつもりはなかったのに両目からポロポロと涙が溢れてきた。ただひとつだけわかっているのは……。
今、目の前にいるのは────私を愛してくれていたあの人ではないということだけ。
「エトランゼお義姉様!」
足が震えて立っていられなくなった私の体をアーシャが支えてくれた。たぶんアーシャがいなければあの場に倒れ込んでいただろう。
「アーシャ……、私……」
「今は逃げますわよ!全く、あんなバカみたいな罠に引っかかるなんて浮かれ過ぎですわね!とにかくあれは……お兄様であってお兄様ではありませんわ!」
「……」
決して素早い動きではなかったが、アーノルド様はこの場から逃げ出した私とアーシャの姿を黙って見ていたようだった。
アーノルド様の豹変にはきっと理由があるはずだ。だってアーノルド様はあんなに深い愛で私を愛してくれた人で、私が愛した人なのだから……。
ひとつだけ気になったのは────
揺れ動くカーテンの隙間から見えた、ピンク色をした髪だった。
こうして私とアーシャは、夜の暗闇の中へと身を隠すことにしたのであった。




