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第53話 ここで開く

 私は円盤の縁へ視線を落とした。


 隔離結界の内側で、青い石がごく小さく脈を打つ。

 強い反応ではない。けれど、止まってはいない。


 訓練場の床結界がそれに応じて細く光る。

 外へ弾けず、ひと脈ごとに同じ方角へわずかに寄った。


 西だ。


 私は息を整えたまま、円盤へ片手を置く。

 もう片方の手は石へ近づけるが、触れない。結界の表面すれすれで流れだけを追った。


 冷たい。


 石そのものの温度ではない。

 止めたはずの働きが、まだわずかに残っている。


 王もゼクスも口を挟まない。

 老技官も護衛たちも、訓練場の中央を見たまま動かなかった。


 石がまた脈を打つ。

 床の紋が細く応じる。

 やはり同じ向きだ。石の中には、本来繋がるはずだった先の痕だけが残っている。


 王宮の中へ、何かを通すための痕だ。


 何を、まではまだ見えない。

 人か、魔物か、それ以外か。

 だが一つだけはっきりしている。


 この石は、王宮へ入ったあとで働くように作られている。


 その時だった。

 訓練場の入口で足音が止まり、近侍が早足のまま膝を折る。


「ご報告します」


 王が顔を上げた。


「言え」


「西側の通路、搬入路、水路を確認しました。目立った乱れはありません。使っていない結界路にも、大きな異常は見つかっておりません」


 そこまで聞いても、私は手を離さない。

 石の反応は弱い。だからこそ、別の報告と重ねる必要がある。


 近侍が続けた。


「ただし――宝物庫寄りの庭園区画で、ごく浅い魔力反応を一箇所だけ確認しました。石畳の一角です」


 開けた場所に残る一点の反応。

 その報告で、さっきまで曖昧だった先が初めて形になった。


 私は顔を上げる。


「……そこです」


 王とゼクスの視線が同時にこちらへ向く。


「石が向かっていた先は、その庭です」


 王の目が細くなる。

 ゼクスは何も言わない。私が次を読むのを待っていた。


「石の働きは、あの庭で表に出るはずだったんだと思います。今残っているのは、その痕です」


 老技官が喉を鳴らす。

 クレールは護衛に支えられたまま、青い石と私を交互に見ていた。顔色がまたひとつ悪くなる。


 王が短く問う。


「庭で、何が起きる」


「そこまでは、まだ」


 私は首を横に振った。


「何が出るか、何が通るかまでは読み切れません。ただ、あの場所で何かを動かすつもりだったことだけは分かります」


 クレールの肩が小さく揺れた。

 さっき口にした「門」と「中へ入れば、あとは向こうが繋ぐ」という言葉が、今の流れと重なったのだろう。


 ゼクスが低く言う。


「先に押さえます。大きく動けば、相手に気取られる恐れがあります。庭だけを静かに閉じましょう」


 王はすぐに頷いた。


「西側庭園を閉じろ。宝物庫側の出入りも止めろ。まだ騒ぐな。庭だけを囲め」


 命令が落ちた瞬間、近侍と護衛が散る。

 足音は速いが、乱れていない。訓練場の中央だけが、その場に残されたみたいに静かだった。


 私はそこで、ようやく円盤から手を離した。


 石の青は、まだ消えていない。

 細い脈。弱い反応。


 けれど、その弱さがかえって嫌だった。

 本来の働きはもっと大きかったはずだ。

 隔離したからこそ、いま見えているのは残りの痕にすぎない。


 石が、もう一度だけ小さく反応した。


 今度は短い。けれど鋭い。

 まだ切れていない。そう告げるみたいな脈だった。


 私はすぐに顔を上げた。


「急いだ方がいいです」


 王が振り返る。


「まだ、向こうに反応が残っています。遅れると、先にあちらが動きます」


「行くぞ」


 ゼクスが私の隣へ並び、護衛がクレールを支え直す。

 老技官も外周を離れ、全員が西側庭園へ向かった。


 宝物庫寄りの一角。


 訓練場を出る直前、私は一度だけ振り返った。

 隔離結界の内側で、青い石がまた鈍く脈を打つ。


 止めたはずなのに、まだ切れていない。


 その感触を振り切れないまま、私は王たちのあとを追った。

 王宮西側の回廊は、夜の冷えを深く溜め込んでいた。

 灯りは必要な分しかなく、足音だけが石の廊下を短く打っては消える。


 王を先頭に、私たちは西へ急いだ。

 宝物庫側へ寄るほど人の気配は薄れ、開いた扉の先にも柱の影にも、立ち止まる者はいない。


 角をひとつ曲がると、兵の数が目に見えて増えた。

 壁際、脇道、庭へ抜ける通路。

 槍を立てた兵たちの並びは、何かが来た時に、そこから通さないための配置だった。


 宝物庫側へ近づいている。

 説明を受けなくても、それだけは空気で分かった。


 前を行くゼクスが低く言う。


「ここで動くなら、向こうも余裕はありません」


 私は答えない。

 だが、訓練場で読んだ反応と同じ引っかかりが、もう近くまで来ていた。


 前方の踊り場で、先行していた兵たちが声を潜めて待っている。

 王が歩みを緩めると、その一人が前へ出て膝を折った。


「西側庭園の入口は押さえています。……ですが、奥の石畳の一角だけ、さっきより反応が強くなっています」


 私は息を浅く吸った。


 もう目の前だ。


 ゼクスが暗がりを見たまま言う。


「急ぎましょう」


 王はただ一度、頷いた。

 そのまま全員が庭の入口へ向かった。



 庭の入口を抜けた先は、異様なくらい静かだった。


 風はある。夜気も冷たい。

 だが、音がない。兵たちが息を殺して囲っているせいで、庭全体が張りつめていた。


 見た目には何も起きていない。

 石畳、植え込み、宝物庫側へ続く暗い通路。

 その中で、ただ一箇所だけに兵たちの視線が集まっている。


 先行していた兵が低く言う。


「こちらです。最初は露かと思いましたが……違います。石畳の継ぎ目に、青い線が残っています」


 私は一歩前へ出た。


「近づかないでください」


 石畳の手前で膝を折る。

 触れずに手をかざす。


 冷たい。


 訓練場の石に残っていたものと、同じ種類の引っかかりだった。

 弱い。薄い。けれど、切れていない。


「……同じです」


 私は石畳を見たまま言った。


「訓練場で見た流れが、ここに残っています」


 王が短く問う。


「ここで、何が起きる」


「まだそこまでは」


 私は首を横に振る。


「ですが、ここで開くはずだったんだと思います。石の働きが最後に表へ出る場所が、この石畳です」


 クレールの息が背後で止まる。

 ゼクスが低く問う。


「まだ動きますか」


「大きくはありません。でも、残っています」


 その時、継ぎ目の青がほんのわずかに揺れた。


 私は息を止めたまま、声だけを落とす。


「……来ます」

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