第41話 死んでも記録に残る
まぶたを叩く朝の光に、私は目を開けた。
扉のそばに、ゼクスが立っている。
昨夜と同じ位置だった。
椅子に腰を下ろしているわけでもない。
壁にもたれているわけでもない。
扉と廊下の間に立ち、外の気配を聞いている。
一睡もせず、そこにいたのだと分かった。
「……あ」
漏れた声に、ゼクスの肩がわずかに動いた。
振り返った彼は、まず私の様子を確かめる。
「お目覚めですか」
声は穏やかだった。
けれど、次の瞬間には廊下の方へ意識が向いていた。
硬い足音が近づいてくる。
走っている。
昨夜の件は、まだ終わっていない。
「ゼクス様。治療区画側で捕らえた男が、口を利ける状態になりました」
扉の外から報告が入る。
ゼクスの目から、私へ向けていた柔らかさが消えた。
「セラフィナ様、参りましょう。まず、本人から事実を吐かせます」
私は頷いた。
昨夜の緊張は、まだ抜けきっていない。
けれど、それを抱えたまま立ち止まれる状況ではなかった。
取り調べ室へ向かう廊下で、ゼクスは私へ要点だけを告げた。
「名。入った経路。誰から受けたか。何を狙ったか。記録官の前で答えさせます。
昨夜の指示書と、押収物を合わせる。
供述と原本を、その場で受理記録へ載せます」
長い説明ではなかった。
必要なものだけが並んでいく。
「ソレイユ側が否定しても、先に記録が残る」
私が言うと、ゼクスは前を見たまま答えた。
「はい。相手が言い換える前に、こちらが事実の順を固定します」
取り調べ室の扉の前で、ゼクスが足を止めた。
「ここから先は、情けを挟む場所ではありません。相手はすでに、赤い石とクレールを消すために動いています」
私は息を整える。
「分かっています」
ゼクスが扉に手をかけた。
重い扉が開く。
石壁に囲まれた取り調べ室は、朝の光が届かず、空気が冷えていた。
椅子に拘束された男は、顔を背けたまま同じ言葉を繰り返している。
「知らない。
聞いていない。
俺は何も――」
記録官が席につく。
紙が広げられる。
押収物の袋が机の端に載せられる。
ゼクスは男の拒絶に反応しなかった。
記録官が押収物の袋を開き、薄く折られた指示書を取り出す。
「治療区画側で捕らえた男の外套内側より押収」
記録官が読み上げる。
ゼクスはその指示書を受け取り、男の前へ出した。
記録官からも見える位置。
男が目を逸らしても、紙片は視界の端に残る。
「読め」
声は静かだった。
だが、その一言で男の肩が跳ねた。
「……そんなものは、覚えが……」
「貴様の外套から出たものだ」
ゼクスは紙片を指先で押さえた。
「知らないと言うなら、なぜ持っていたのかを記録する。
読めないと言うなら、読めない理由を記録する。
読めるなら、記録官の前で読み上げろ」
男の喉が動いた。
男は机の上の紙へ視線を落とした。
「……『灯りを増やすな……声を出すな……影となれ』……」
そこで、声が止まった。
ゼクスは急がせない。
ただ、記録官へ視線を向ける。
「止まった箇所も記録しろ」
「はい」
記録官のペンが動く。
男の唇が震えた。
「続けろ」
ゼクスが言った。
男は答えない。
目だけが激しく揺れる。
ゼクスは紙の下段へ視線を移した。
「では、こちらから問う」
男の視線が、紙の下段で止まる。
「ここに、『赤い石を奪い返す』とある」
ゼクスは紙片を押さえた。
「誰の物を、誰から奪い返すつもりだった。
赤い石は、誰の物だと言われていた」
男は答えない。
拘束具の中で、指だけが強く曲がった。
記録官のペンが動く。
ゼクスは次の行へ指を移した。
「『石の秘密を知るクレールを消す』とある」
男の喉が鳴る。
「石の秘密とは何だ。クレールが何を知っている」
男は顔を背けようとした。
だが、拘束具が鳴るだけで、身体は椅子から動かない。
ゼクスはさらに続ける。
「『セラフィナ本人には触れるな』」
紙に書かれた言葉だけを、記録官の前で確認する声だった。
「なぜ、本人には触れるなと命じられていた」
男の目が揺れた。
ゼクスは最後の行へ指を移す。
「『扉の前の男を動かすな』」
男の呼吸が浅くなる。
「扉の前の男とは誰のことだ。
なぜ、その男を動かすなと命じられた」
男は答えない。
だが、反応は出た。
記録官のペンが走る。
「答えないなら、答えないまま残る」
ゼクスが言った。
「だが、紙は残る。貴様の反応も残る」
男の目が、紙片から離れない。
その時、男の顎が不自然に動いた。
奥歯を噛み締める動き。
次に何をするつもりか、考えるまでもなかった。
気づいた瞬間、私は手を伸ばしていた。
「――ジョイン・ロック!」
魔力が走る。
顎。
首。
肩。
噛み締めるために動いた場所だけを押さえる。
男の身体が椅子の上で固まった。
奥歯は噛み合わない。
舌を噛むこともできない。
記録官のペンが一瞬だけ止まる。
「ペンを止めるな」
ゼクスが言った。
「今の自決の動きも記録しろ」
記録官がすぐに書き足す。
男の目が大きく開いた。
ゼクスは男の前に立つ。
身を屈め、男の視線を逃がさない。
「死んで逃げられると思ったか」
男の喉が鳴る。
「貴様がここで命を捨てようとすれば、その動きも記録に残る。
誰かを庇うために自決を図った。
そう扱われる」
ゼクスは机の上の指示書を押さえた。
「指示書。供述。自決未遂」
ひとつずつ、男の前に突きつけるように告げる。
「全部が同じ記録に並ぶ。
貴様が黙ろうが、死のうが、主の喉元を貫く材料が増えるだけだ」
男の目が震えた。
ゼクスは表情を変えない。
「それでも死ぬか」
男は動けない。
答えることもできない。
ゼクスはさらに続けた。
「死ぬなら、ここで死ね。
その死に様まで記録して、極上の材料に変えてやる」
男の息が詰まった。
「嫌なら読め」
沈黙が続いた。
やがて、男の視線が紙へ戻った。
震える息が漏れる。
私は指先を下ろした。
男の動きは止まっている。
だが、私の呼吸は少し乱れていた。
ゼクスは男から目を外さない。
それでも、立つ位置だけは変わっていた。
私の斜め前。
侵入者と私の間に、自然に身体を入れている。
昨夜から、ずっと同じだった。
守られている。
そう思った瞬間、胸が熱くなる。
けれど、今はそれを見つめる時ではない。
私は指先を握り直した。
今この場に残すのは、感情ではない。
記録だ。
男は、止めていた続きを読み上げた。
声は何度も途切れた。
それでも、記録官のペンは止まらない。
灯りを増やすな。
声を出すな。
影となれ。
赤い石を奪い返す。
石の秘密を知るクレールを消す。
セラフィナ本人には触れるな。
扉の前の男を動かすな。
男の声は、最後の行でまた途切れた。
記録官は、読み上げの欄とは別に、自決未遂の行を書き足した。
ゼクスは紙片から指を離さないまま、短く問う。
「名」
男は視線を落としたまま、名を言った。
「入った経路」
「……詰所裏の荷置き場……」
「紙を受け取った場所」
「……詰所へ入る前……」
ゼクスはすぐに返した。
「場所を聞いた。どこだ」
男の唇が震える。
「……荷置き場へ入る前……外で……」
「誰からだ」
男は黙る。
「答えろ」
「……名は、聞いていない……」
「見取り図は」
男の視線が紙へ戻る。
「……命令書と一緒だった……保管庫と、治療区画だけを見ろと……」
ゼクスはそこで一度、紙片を押さえる指に力を入れた。
「セラフィナ本人には触れるな。扉の前の男を動かすな。そう書かれていた理由は」
男の唇が震える。
「……知らない……。俺は、その通りにしろと……」
記録官のペンが止まらない。
保管庫。
治療区画。
セラフィナ本人には触れない。
扉の前の男は動かさない。
昨夜の二手は、最初から赤い石とクレールだけを狙っていた。
ゼクスは男を見る。
「二手に分かれた理由は」
男は答えない。
「赤い石を奪う者と、クレールを消す者。最初から分けられていたな」
男の肩がわずかに動いた。
記録官が、その反応も書き込む。
「受け渡し先は」
男は答えない。
ゼクスはそこで男を見る。
「そこだけ言わない理由も記録しろ」
記録官のペンが動いた。
「署名を」
読み上げと供述が終わると、ゼクスは短く命じた。
記録官が紙を差し出す。
「本人供述として記録します」
男はペンを握らされた。
指が震え、名前の線が歪む。
一度、手を止めようとした。
だが、記録官がすぐに言う。
「署名拒否として残します」
男の指が止まった。
震える線が、紙の上に続いた。
それでも、署名は入った。
ゼクスはその署名を見届けてから言った。
「これで過去は固定された」
男の肩が落ちる。
「指示書の原本、供述、自決未遂の記録。別々に保管してください。写しは王宮へ先に回します」
「承知しました」
記録官が頷いた。
取り調べ室の外では、アルネが詰所を動かしていた。
「原本は動かすな。写しだけ回せ」
「保管庫と治療区画の見張りを替える。交代も記録に残せ」
通路の角に兵が立つ。
保管庫の前に人が増える。
押収物の袋は、机の上で分けて扱われていく。
廊下から、詰所の兵とは違う足音が近づいた。
歩幅が揃っている。
だが、兵の動きとは違う。
「失礼いたします。王宮より使いです」
扉が開く。
礼装の使者が一礼した。
使者は拘束された男を一度だけ見た。
それから、机の上の指示書と供述書へ視線を移す。
呼ばれたのは、私たちだけではない。
この記録も王宮へ上がる。
使者はゼクスへ向き直る。
「国王陛下がお待ちです。ゼクス様、セラフィナ様。謁見の間へ」
ゼクスは記録官へ最後に確認する。
「原本はここに残します。写しだけを先に回してください。赤い石の件は、アルネ殿の報告と合わせます」
「承知しました」
アルネが答える。
「こちらは任せてください。供述と押収物の確認が終わり次第、王宮へ送ります」
ゼクスは頷き、私へ向き直った。
「行けますか、セラフィナ様」
私は息を吸った。
昨夜までの私は、守られてここにいた。
けれど、今は違う。
男の自決を止めた。
供述を残した。
もう、ただ連れて行かれるだけではない。
「ええ。国王陛下の前で、この記録を示します」
ゼクスの目が、わずかに細まる。
使者が道を空ける。
「謁見の間へ、ご案内いたします」
写しは王宮へ向かう。
私はゼクスの隣に立った。
次に問う場所は、もう詰所ではない。
国王の前だ。
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