第24話 勝ったことになっている
朝の王宮は静かだった。廊下の窓から入る光は薄く、床の模様だけが妙にはっきり浮く。
祝祭の準備の音は奥でしているのに、ここまでは届かない。
聞こえるのは、布が擦れる音と、留め具が小さく鳴る音だけだ。
控え室の扉は開いている。
中には甘い香が残り、鏡台の前だけが舞台のように整えられていた。
朝の光が窓ガラスで柔らかく割れるのに、部屋の空気は硬い。
リュミナは鏡台の前で顎を上げたまま、首飾りの位置を指先で直していた。
肩は落ちていない。目も赤くない。疲れも見せない。
昨日の測定の数字が、そのまま今日の表情になっている。
仕草は丁寧なのに、急いでいる。
間に合うか、ではない。
“見せる準備が整っているか”を確かめているだけだ。
侍女が袖を整えた。
「この角度で、よろしいでしょうか」
リュミナは鏡から目を外さずに言う。
「ええ。大丈夫」
そして、少しだけ笑った。
「見れば分かりますわ」
机の上に測定器が置かれている。
使う場面ではないのに、わざわざここにある。
置いた者の意図が見える。
計測技士官のダンテが器具の横で記録簿を開いていた。
白い手袋。無駄のない手つき。鉛筆の芯を削り、先を揃える。準備が速い。
侍女が小声で訊いた。
「今朝も、確認されますか」
リュミナがようやく鏡から視線を動かし、測定器の方を見た。
「ええ。同じように出せばいいだけですもの」
ダンテが器具の位置を二本の指で直す。脚を押さえ、揺れを消し、表示板の角度を読み取りやすい面に向ける。
「短くて構いません」
声は淡々としている。
許可ではなく、手順だ。
リュミナは息を吸い、指先を水晶へ添えた。
光が小さく弾ける。針が跳ねる。ほんの一瞬で数字が出る。
ダンテが視線を落とし、記録簿に書き込む。
「2943」
「……3003」
侍女が息を呑む。近くにいた貴族の女が口元を押さえる。
歓声は上がらない。上げる必要がない、という顔だ。
数字が出た時点で、すでに勝ったことになっている。
リュミナが笑う。
「ほら」
「数値が証明していますもの」
侍女が笑う。貴族の女が頷く。
誰も“繋がるかどうか”を聞かない。
必要がない、と信じているから。
その少し先、部屋の入口近くでアルベルトが腕を組んでいた。
苛立ちの影はまだ残っているのに、目だけが勝利の形へ戻っている。
昨日の場のざわつきも、胸の奥に残った違和感も、全部「セラフィナが何かした」で片づく。
そういう顔だ。
「これで終わる」
アルベルトが低く言った。誰かに向けた言葉というより、自分に押し込む言葉だ。
「新しい聖女が動かせば、すべて戻る」
リュミナは振り返り、胸を張る。
「もちろんですわ。王子様」
根拠は数字だ。勢いが背を押し、空気が異議を許さない。
その台詞は軽い。周囲が頷く。甘い言葉ほど、部屋に馴染む。
私は少し離れた部屋の端に立っている。
鏡に映る位置ではない。目立つ場所を避け、邪魔にならない距離を取っている。
同じ部屋にいるのに、私の周りだけ人が寄らない。
侍女が差し出した水にも手をつけない。
やることは少ない。
顔を上げない。声を出さない。返す言葉を用意しない。
それだけで、“悲劇の聖女”は完成する。
鏡の中に自分が映る。
青白い頬。整えた髪。首元の証章は隠さない。
隠せば“抵抗”になる。見せたまま、沈黙で縛る。
私は黙っていると決めていた。
喉を潤せば声が出る。出れば拾われる。そして、形になる。
ここで必要なのは、それではない。
扉の向こうで靴音が揃い始めた。祝祭の段取りが進んでいる音だ。布が擦れ、金具が鳴り、誰かが短く指示を出す。
ダンテが記録簿を閉じる。紙の角を揃え、紐をかけた。
リュミナの記録が、今夜の結論になる。
その手元へ、侍従が一枚の紙を差し入れた。封蝋は薄いが、紋ははっきりしている。
外交官シュバリエの印だった。
アルベルトが受け取り、ざっと目を走らせる。
口元が少しだけ上がった。
「……今夜、バルハイムから使者が来る。知らせはもう届いているそうだ」
侍従が恐る恐る訊く。
「どのような方で……?」
アルベルトは紙を畳み直しながら言った。
「『優秀な使節』を寄越す、と。向こうの言い方はいつも回りくどい」
回りくどい、と言いながら、声には満足が混ざっている。
自分の祝祭に、他国の“優秀さ”まで添えられると思っている。
私は、その言葉を聞いても動かない。
知らせが届いている。
つまり、来る。予定通りに。手順通りに。
今夜の広間は、もう戻れない形で整えられている。
背後で、リュミナの笑い声が弾んだ。
「もうすぐですわね。……ああ、楽しみ」
私は返事をしない。
同意も否定もしない。
ただ、息を一つだけ静かに落とす。
アルベルトが私の方をもう一度だけ見る。
勝者が敗者を確かめる目。
そこに迷いはない。
迷いがないほど、止まらない。
リュミナは鏡に向かって最後に微笑んだ。
自分の顔を勝者として確定させる微笑みだ。
「行きましょう。数値が、全部証明してくれるわ」
その軽さが、逃げ道のなさを決めていた。
一瞬の数字で世界を押し切れると信じた瞬間に、もう自滅は確定している。
扉が開く。
廊下の光が差し込み、祝祭の音が一段近づいた。
奏楽の甘い旋律と、遠い笑い声が、こちらへ流れ込んでくる。
私は歩調を変えない。
ただ、用意していた“最初の姿勢”のまま、前へ出る。
廊下の先で、祝祭の飾りが薄い朝光をはね返していた。
あの大広間――今夜の舞台だ。
今夜、すべてが決まる。
その瞬間から、動き出す。
そこで告げられる言葉も、起きる現象も、ここにいる誰もまだ知らない。
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