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第21話 議題にないものは、直せない

 訓練が終わると、片づけより先に報告が始まった。


 床の刻印には、まだ熱が残っている。

 記録係が机を寄せ、測定器の表示板を正面に向けた。

 測定器は台に載せたまま、針の戻り方まで確認され、表示板の点滅も数えられる。


 小さな声が重なり、報告の形だけが先に整っていく。


「本日の測定値、2448。

 前回より上がっています。

 推移は順調です」


 机の端には、薄い刻印板がそのまま残っている。

 刻線の途中は暗い。

 さっき光が止まった位置も分かる。


 だが誰も触れない。

 誰も目を向けない。


 リュミナは測定器を見たまま笑った。

 息が弾んでいる。

 彼女が確かめているのは、跳ねた針の位置だけだった。


 周りが先に沸いた。

 取り巻きが声を上げ、補佐役がすぐに頷く。

 侍女が頷き、記録係が紙を押さえた。


 リュミナは口元を上げたまま、針から目を離さずに言う。


「次は、もっと上げますわ」


 返ってくる言葉は、どれも数字の話だった。


「“八倍”を超えます」

「王家の象徴にふさわしい」


 上がれば正しい。

 更新すれば勝つ。


 その決め方だけが、場の中心に残っていく。


 記録係の一人が、刻印板へ目を落とした。


「刻印板の反応は、報告に入れますか」


 補佐役は表示板を見たまま言った。


「今は数値報告が先だ。議題にない」


 記録係の羽根ペンが、紙の上で止まった。

 一瞬だけ刻印板を見る。

 書く欄を探すように、紙の余白へ目を落とす。


 だが、欄はない。


 羽根ペンは、測定値の横へ戻った。


 その一言で、刻印板は机の端に残された。

 途中で止まった刻線も、焦げの匂いも、報告の中心には入らない。


 廊下へ出ると、次の予定はもう決まっていた。

 何を確かめるかより先に、誰が殿下へ伝えるかが決まっていく。


「殿下へ、今日の報告を」

「祝祭の日程に合わせて、披露は――」


 聞こえてくるのは、披露、数値の話ばかりだった。

 結界炉へ繋げるための手順は出ない。

 必要なのに、ここでは出ない。


 計測技士官のダンテが壁際で記録票を束ねる。

 紙端を揃え、乾きを確かめてから封をする。

 周囲の声に乗らず、記録の形だけ整えていた。


「最大値、更新。再現性、良好」


 そこで、言葉が止まる。


「……刻印板の反応は、途中で止まっています」


 だれもその言葉に触れなかった。

 報告として扱われるのは、「更新」と「良好」だけだった。


 取り巻きが先に笑う。


「十分だ。これなら黙る。

 反対派も何も言えまい」


 その声が廊下へ流れていく間に、私は立ち止まらずに歩いた。


 角を曲がった先、人の少ない通路でシュバリエが待っていた。

 視線は合うが、話は短い。


「荷は、向こうへ回っています。

 騎士団は、祝祭の当日。動けます。

 民は、外へ出します。混乱が出る前に」


 私が返すのも短い。


「崩壊はすぐ始まります。

 手順は、崩壊の順で。

 貴族街の門と井戸。次に路地。

 平民街は、朝までは持ちます」


 シュバリエは頷き、紙片を一枚だけ渡して去った。

 互いに、それ以上は言わない。

 会話はそこで終わった。


 廊下の向こうでは、次の測定の時間が決まり、報告の宛先が決まっていく。


 だが、「結界炉へ繋げるために何をするか」は、誰の口からも出ない。


 議題の欄にない。

 担当の名もない。

 だから直せない。

 直す順番も、直す責任も、生まれない。


 廊下を行き交う者たちの後ろで、ダンテが一度だけ足を止めた。

 記録票を手にしたまま、こちらを見る。

 少し迷ってから、記録係の列へ戻らず、私のほうへ近づいてきた。

 周囲に聞こえない声で告げる。


「セラフィナ様。 一瞬の数字だけ追うと……必要なところが、繋がりません」


 言い終えても、彼は私を責めない。


 ただ、針の戻りと刻印板の黒ずみを、もう一度だけ見た。

 刻線の止まった位置を確かめ、短く言う。


「入口は開いています。ですが、結界片には届いていません。このままだと、結界炉へは——」


 彼はそこで言葉を止めた。

 近くにいる私にだけ聞こえるように。

 それでも、結論を押しつける言い方ではない。


 視線が針へ戻り、刻印板へ移る。

 数値も、止まった刻線も、同じように確かめている。


 結界片は、起動していない。


 


 後日の訓練も順調に続いている。

 少なくとも、見ている側にとっては。


 針が跳ねる。

 歓声が上がる。


 それだけで「成功」に見える。


 必要な説明は、最初から議題に上がらない。

 消されたのではない。

 誰も、そこを扱おうとしない。


 本来なら、最初に手を付けるのは流れだ。

 回路へ向かう入口を作る。

 魔力を一度に流し込まず、形を合わせながらゆっくり進ませる。

 余計な場所へ散らさない。

 その地味な工程が、結界に繋がる前提になる。


 けれど私は、それを口にしない。


 リュミナが見ているのは入口ではない。

 光が出て、音が鳴り、表示板に数字が出る瞬間だ。


 届かせる先は結界ではない。

 人の目だ。


 測定器の前に立つたび、彼女は同じ言葉を繰り返す。


「もっと上げられますわよね? 次は、どれくらい跳ねますの?」


 どこへ届かせるかではなく、どれだけ跳ねるか。

 関心が最初からそこに固定されている。


 私は頷く。

 肯定でも賞賛でもない。

 ただの許可だ。


「伸ばせます。形は、いまは気にしなくていい」


 その一言で、リュミナは安心した。

 形を見なくていい、と受け取ったのだ。

 周囲も同じだった。


 数字が伸びるほど、誰も魔力がどこへ向かうかを見なくなる。

 見えないものは、話題にならない。

 見ないままでも、拍手は揃う。


 その後の訓練でも、ダンテは刻印板と測定器を見比べていた。

 やがて、訓練場の端で控えめに口を開く。


「……揺れを揃える手順は、入れなくてよろしいのでしょうか。出力が荒いように見えます」


 本来なら、そこで流れを整える話になる。


 だが私は、視線だけで終わらせる。

 いまは扱わない。

 それだけを示して、議論を始めさせない。


 それでも、言葉は一度だけ返した。


「強いだけの魔力は、回路には繋がりません。跳ねても、散ります」


 言い切る。

 慰めない。

 噛み砕かない。


 補佐役は黙った。

 一度だけ私を見て、それ以上は踏み込まなかった。

 ここで押せば、自分が余計な口を挟んだことになる。


 王子の期待も、周囲の熱も、止められない。

 黙るのが一番安全だと理解してしまう。


 リュミナは、その意味を分かっていない。


「散る?」


 首を傾げて、すぐ笑う。

 彼女にとって重要なのは、次の数字だ。


「でも、上がってますわ。見てください、針」


 そう言って、測定器の正面へ移る。

 見物の視線が集まる角度。

 表示板がよく見える位置。

 肩の向きだけを揃え、光がいちばん映る向きを選ぶ。


「次は、少し綺麗にしましょう」


 言い方は軽い。

 だが、リュミナが見ているものははっきりしていた。


 光の広がり方。

 見物人から見える角度。

 表示板に数字が出る瞬間。


 整えられていくのは、結界へ向かう流れではない。

 人の目に映る形だけだった。


 針が上がる。

 リュミナは笑う。

 周囲も、それ以上を求めない。


 私は、その思い込みを壊さない。

 壊せば、彼らは原因ではなく言い訳を探す。

 その時間を、もう与えない。


 次は、光が揃った。

 散る前の一瞬だけ、床の刻印まで白く浮く。

 見物人が息を呑む。


「ほら……綺麗に光りましたわ。今の、見ました?」


 針も跳ねる。

 表示板に数字が出る。


 それだけで、周囲は頷き、拍手を重ねた。


 訓練を重ねるほど、リュミナの魔力は派手になる。

 だが、結界へ届かせる流れは作られない。


 本人は気づかない。

 周囲は気づきたくない。

 王子は数字だけ見て勝利を確信する。


 その勝利は、結界の核に届かない。

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