第54話 惑う剣姫。たかるヤブ医者。
一代の箱型馬車に揺られて、クラウディア・セシルアローは闘技場へと向かっていた。
礼拝堂を思わせる落ち着いた内装。弾力のある綿が詰まったクッション。足元近くに吊るされた小袋からは、ベルガモットが和らかに香る。
そんな快適な座り心地を実現したボックスシートに、彼女はただ一人掛けていた。
鷹の精霊ファルクは、現在ランチをしにお出かけ中だ。
ガラス窓から外を見ると、闘技場に続いた大通りはまさにお祭り騒ぎだった。
今日が街を挙げての記念日、という民衆の意識の高さもあるのだろう。
活気のある屋台が、ずらりと道に沿って並んでいる。
「外はもちもち、中はアツアツ! 異国の肉料理、『激辛タコース』はいかがですかー!」
「決闘観戦に、最新式オペラグラスは欠かせない! 坊ちゃん、ちょっと見ていきなよ!」
「そこのお客さん! 三階席のペアチケットが安く買えるけど、どうする!?」
売り子の声は、至る所から聞こえてきていた。
巨大な円形闘技場の前まで来ても、その状況は変わらない。記念式典を観に来た人々で、どこもごった返している。
いや。
正確に言えば、彼らは昨日急に差し込まれた見世物…………「カエルの亜人」を哂いに来たのだろう。
なんせ「人間対カエル」という珍奇なカードなど、長い決闘の歴史を観ても前例がない。
好奇心がくすぐられて当然。号外のビラを手にした者たちは、続々と闘技場に入るの列へ並んでいく。
そんな人の浪を縫うようにして、闘技場の裏手へと馬車は回った。
馭者に礼を言って、クラウディアは座席から降りる。
関係者入口から施設に入った彼女は、出迎えのスタッフによって目的地へと案内されていった。
廊下を通り、階段を上り、施設職員や貴族の付き人に会釈をして、主催者側から用意されたVIPルームのひとつに辿り着く。
先に待機していた彼女の近衛兵は、ゆっくりと扉を開けた。
「……」
一部リーグ登録者となった精霊騎士、クラウディアに用意された観客席は、あまりに豪奢なものだった。
そのベランダ風の個室にある空間は、教皇が来訪されても違和感がないほどに明媚。
且つ、大陸北部に伝わる古代の建築様式を踏襲したアーチと彫刻の数々は、見る者の心に平静のひと時を与えてくれている。
目の前にドンと開かれた視界からは、サーカス団の演目で盛り上がっている場内が一望できた。
真っ白なテーブルクロスが敷かれたテーブルに置かれたのは、マドレーヌやマカロン、たくさんの果物が乗った三段のケーキスタンド。
配された小皿やカトラリーには、金の装飾が施されていた。
まさに、茶会を愉しみながら決闘を観よ、というメッセージが込められたルームサービス。
主催者側の散財っぷりがよくわかる光景だった。
……だが、それはそれとして。
クラウディアには現在、究明すべき難題があった。
部屋に一歩踏み入り、彼女は言った。
「――なぜ、あなたがここに居るんですか」
そのVIPルームには、既に来客があった。
堂々と椅子に座った白衣の彼が、その問題の人物である。
♦
「いやぁ、すまないね! 支度に時間がかかっているようだったから、特別席で待たせてもらったんだ」
まるで無責任な態度で、彼はティーカップをひょいと上げる。
「先にお茶、いただいているよ」
「侵入者が出た、との伝令を付き人から受けたのですが……まさか、貴方がここまでの慮外者だったとは」
「手厳しい言い方をするね。
でも、今日は大事な式典だ。君の方こそ、開会式に出なくてよかったのかい?」
「午後から親善試合があるので、身体を調整する名目で免除されていたんです」
まぁそれも、とクラウディアは冷ややかに男を一瞥する。
「……貴方のせいで、見事に潰されてしまいましたけれど」
「アハハ、これは失礼」
悪びれもせず、男は紅茶を一気飲みした。
「大人しく追い出されればよかったかな」
「そんなこと無理ですよ。貴方以上に権力を持った人など、ごく一部なんですから」
そうでしょう、とクラウディアは男の名を口にする。
「――――二部リーグ屈指の軟弱者と呼ばれた、欠席魔の『ドクター・ラム』殿?」
「今は『ラム兄』と呼ばれているよ。かしこまった呼び方は好きじゃないからね」
ティーカップを置いたラム兄は、テーブルの反対側を手で指し示す。
「そろそろ座ったらどうだい。僕に話したいことがあるんだろう?」
「……そうさせていただきます」
♦
クラウディアが椅子に腰を下ろすと、部屋の隅に控えていたメイドが新しく淹れた紅茶を持ってきた。
湯気が立つ茜色の飲み物を注ぎ、ティーポットを取り換えると、メイドはまた定位置に戻ろうとする。
「あぁ、そこのメイドさん」
そんな彼女をクラウディアは呼び止めた。「できれば一度、外に出ててもらえるかしら」
この男の人と大事な話をしたいのだ、とクラウディアは懐から銀貨を取り出す。
「人に聞かれたくない話なので。迷惑をかけてしまうのだけれど……」
「いえ、こちらの配慮が足りませんでした。申し訳ございません」
「ありがとう。少ないけれどコレ、貰ってくれる?」
「あっ、こんなに……か、かしこまりました。では、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
チップを受け取ったメイドが、そそくさと部屋を出ていく。
これで他人払いは済んだ。
VIPルームにいるのは、精霊騎士の二人だけだ。
ステージ上では二枚目の象使いが登場し、観客席からは黄色い歓声が上がっていた。
「それにしても珍しいですね」
クラウディアが話を切り出した。
「式典どころか決闘も欠席し続けてきた貴方が、今日に限って出席するなんて」
「二部最下位の座を譲るつもりはないさ。
でも、これ以上降格はしたくないからね。ちょっと気になることもあったし、委員会の顔を立てるついでに来たんだ」
「では、これから私が話す内容の察しはついていると?」
「そうだね。だからこうして、ゲストルームに忍び込んだ」
「でしたら、単刀直入にお聞きします」
クラウディアは、ラム兄を睨んだ。
「――――なぜ一連の事件に、イオリを巻き込んだのですか」
「……」
ラム兄は無反応だった。
ぱくっとマカロンをつまむ彼を、クラウディアは問い詰める。
「イオリは、私の友人です。
『私の決闘を観に来る』という口実で街に呼び、そのまま客としてもてなす予定でした」
「それがどうしたっていうんだい?」
「決闘が終わった夜、私は彼を屋敷に招待する予定でした。
一緒に食事をして、世間話をした後で『マナリア国立魔導学院・騎士養成科へ入れる』よう、彼を支援するつもりだったんですよ」
「あぁ……なるほどね」
「彼が精霊騎士になりたがっていたのは、私も知っていた。
だから、その手助けができればと思って、彼を街に呼びだした……」
だというのに、とクラウディアは語気を強めた。
「――貴方はイオリを、ヨナス卿の人身売買事件に巻き込んだ。
貴方であれば、容易に止められた事態でしょう。いったいなぜ……っ!」
気が昂り過ぎたことを自覚したのだろう。短く息を整えると、クラウディアは紅茶を一口飲んだ。
長期間寝かせた高級茶の芳醇な香りが、すーっと鼻腔の奥で開いていく。
「……地下室に繋がる隠し通路を開けたのは、確かに僕の仕業だよ」
今度はラム兄が弁解を始めた。
「誰かにヨナスの事件現場を目撃させれば、目撃者保護の大義名分を持ってこちらも突入できたからね」
「委員会からの依頼とはいえ、一般人を囮にするなんて。貴方の神経を疑いますよ」
「でも、結果的に裏取引の現場は押さえられたじゃないか」
「――引き換えとして、イオリは重傷を負いました。運が悪ければ死んでいた。
だというのに、貴方は自身の行動を正当化するんですか?」
レイピアを喉元に突き付けるかのように、棘のある鋭い口調だった。
殺気を向けられたラム兄は微動だにしない。
その間にも場内では演目が進んでいた。
大人数による一糸乱れぬダンスパフォーマンスは圧巻で、飲み物を片手に持ったギャラリーたちを愉しませている。
闘技場内とVIPルームとで、温度差は徐々に開いていった。
♦
「……カエルの亜人の生活というのは、本当に過酷なんです」
ぽつりとクラウディアは言った。
「……彼は牛の捌き方を知っています。でも、彼はその肉を食べたことがありません。
家屋の修繕ができる腕を持っていても、貧しいせいで自宅はボロボロのまま。
足を悪くされている母親と幼い弟妹が家族にいて。家族全員を養う分を、イオリが一人で稼がなければならなくて。
――――物乞いもできないほどに嫌われた彼らが生きるには、売れるものであれば食品や道具、技術でさえも売って暮らすしかなかったんです……」
クラウディアは、亜人の村を管理していた。
領主である父の子息として、正しく村を導こうとする彼女は、村の内情を知り尽くしていた。
だから、クラウディアの訴えには熱がこもっていた。
「…………僅かではありますが、彼には剣の才能があります。
精霊騎士になって、家族に良い暮らしをさせたいという気概もある。
――――こんなところで、時間を無駄にしている場合じゃないんですよ!」
イオリを利益なく戦わせたことに、彼女は怒り心頭な様子だった。
そんな相手の真意を汲み取ったのだろう。
「…………確かに、『無知』というのは大きな罪だ」
ふと、ラム兄は国勢について語り始めた。
「例えば一般市民は、すべての貴族がナイフやフォークを使って優雅に食事をとっていると思っている。
だが……」
「――下級貴族は普段、手掴みで食べることの方が多い」
クラウディアが話を繋ぐ。
「背を正すのは来賓がある会食時くらいなもので、身内ではテーブルマナーを適度に崩すのが粋とされる。
だからネタを求めて食事をしにきた記者が見せる『正しいマナー』を、『庶民の背伸びだ』と彼らは嗤う。
……貴族のズレた常識です」
「逆も然りさ。
下手に学を付けた貴族たちは、市民たちが自分達よりもバカだと勘違いしている。
実際は、現場で働く者の方が地理や工学に長け、名に胡座をかいた領主よりも経営手腕があるというのに」
「そのせいで私たちは、困窮する彼らの感情に寄り添えない、と?」
「ヤブ医者の僕でさえそうなんだ。生活レベルの格差というのは、何時の時代も課題だよ。
――ただし」
「……?」
「君はもう少しばかり、『敵への塩の送り方』というものを学ぶべきだね」
俄かにそう言うと、ラム兄はのんびりと紅茶に口を付けた。
要領を得ない回答に、クラウディアは不快感を示す。
「……どういう意味でしょう?」
「考えてみてくれ。
仮に君が学院への編入を根回しできたとして、だ。あの意地っ張りなイオリくんが、その提案を呑むと思うかい?」
「それは……」
呑まないだろう。己に厳しい彼であれば。
イオリのことをよく知るがゆえに、クラウディアは言葉に詰まった。
「――過保護は人の為ならず、ってね」
続けて、ラム兄はこうも言った。「彼は一人でも大丈夫だよ」
その証拠に、とラム兄は闘技場中心を指差す。
『カエルの亜人』と『人型の精霊』が、そこにいた。
「……ほら」
確信したように、ラム兄は頬を緩める。
「イオリくんには、ちゃんと傍で支えてくれる人がいるんだ」
♦
いつの間にか、サーカス団のプログラムは終わっていた。
午後一番に控えたローラン卿との決闘は、あと十分もしないうちに開始される。
カエルの亜人の公開処刑となれば、会場のボルテージも最高潮に達すること間違いなし。
つまり、四面楚歌。完全アウェイの環境で格上の相手と立ち合う恐怖を、クラウディアはよく知っていた。
それでも。
強大な相手にも拘らず、彼は逃げなかった。
なぜ決闘を受けたのか、その理由は不明だ。
だが、小さくも力強い彼の背中に驕りはなく、死神は取り付いていない。
威風堂々たる出で立ちだ。
「ここまで来たら、もう誰にも止められないよ」
紅茶というチェイサーを十分に楽しんだからだろう。
銀のスキットルを取り出したラム兄は、甘い香りのする海賊酒で喉を潤していく。
そして。
山深くから世の時流を傍観する仙人のように、澄み切った目をふっと細めた。
「……最後まで見守ってみようじゃないか。
勝つにせよ負けるにせよ、命を賭した彼の戦いぶりはこの眼に焼き付けるべきだ。違うかい?」
「そう…………ですね」
クラウディアも愁眉を開いたようだった。
椅子に深く腰を落ち着けて、彼女はひとつ深呼吸をする。
会場は熱気と罵声、普段見たことのない亜人への奇異の視線で溢れ返っていた。
その光景はひどく下品で陰湿。一般の観客たちがカエルの亜人に対し、如何に歪んだ価値観を持っているのかが見て取れる。
だからこそ。
それらの喧騒に紛れ、便乗して。
無二の親友へ期待を募らせるクラウディアは、小声でそっと檄を飛ばすのだった。
「――――がんばれ。イオリ」
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