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第53話 手を重ねるということ

 出し抜けにそう言われ、反射的に俺は自分の手をリリから遠ざけた。


 こいつ、俺の手なんか見てどうするつもりだ。

 薄気味悪い肌を観察したところで、得などひとつもないだろうに。


 いったい何を企んでいるのか。

 胸の内で猜疑心が渦を巻いていく。



「なして、そんな奇行をお取りに?」

「え、だってさ」

彼女は答えた。

「よく考えたらわたし、キミの手とかをしっかり見たことないでしょ。

 それって、パートナーとしてどうかなって思って」


「正気かよ……こんな気持ち悪いもん、見たら眠れなくなるぞ」

「心配ご無用。血だらけになったキミの姿なら、もう見てトラウマになってるから」

「あー、さいですか」



 眉を顰めつつも、俺は布団から右手を出した。

 指を広げ、天井に向かって突き上げる。


 自分で見ても、不細工な手だと思った。


 暗い部屋の中でもよくわかる、茶色主体のカラーリングを施された手の甲。

 嚙み千切りたくなるくらいの不快感を纏った丸い指先。

 ぶよぶよとグロテスクな質感の肌は、俺がカエルの亜人であることを再確認させるかのように貼り付いている。


 気持ち悪い。

 この一言に尽きる手だった。それで話が終わるはずだった。


 だが、しかし。

 まじまじと俺の手を観察してしまって、ついに頭のねじでも外れたのだろうか。


 初っ端の感想として、リリはこんなことを口走った。



「――すごく、カッコイイ手だよね」


「お世辞か、それ」

「ううん。本心。……触ってもいい?」

「どうぞ、ご自由に」


 おっかなびっくり左手を伸ばして、リリは俺の手の甲を触る。

 撫でて、抓んで、また撫でて。丁寧にカエルの肌を分析していく。


「思ったよりすべすべしてるんだね。それでいてグリップ感もあるし、弾力もある……」

「それ、鰻の皮と同じ表現だぞ」


「ヌメヌメしてないから、わたしはこっちの方が好きだよ。食べられないけどね」

「おいこら」


「あはは……その手、左側に向けてくれる?」

「ん? こうか?」


 言われた通り、俺は右手をリリが寝ている方向に向ける。そこへ、リリは自分の左手を寄せてきた。


 ぴったりと手のひらが二つ合わさる。大きさを比べたかったのだろう。


 初めて、リリの手が温かいことを知った。



「……イオリは、童話とか読んだことある?」

「ないな。剣術やら社会常識やら、勉強するのに必死だったから」


「じゃあ、悪い魔女と王子さまが出てくる話は?」

「それくらいなら、齧った程度には知ってるよ」


 悪い魔女に攫われた姫を、愛を持って王子が助ける。

 テンプレート的なコンセプトではあるが、老若男女問わずに人気のストーリーだ。

 事実、似たような物語は数え切れないほど出版されている。


 俺も昔、おふくろから子守唄代わりによく聞かされたものだ。


「で、それがどうした」

「そのうちの一つにさ。王子さまがカエルに変えられちゃう話があるんだ」

「へぇ……それで?」


 リリは語る。


「――王子はね。カエルにされても諦めないんだ。

 とにかく前に進んで、苦難を乗り越えて、仲間を募って。最終的に、カエルの姿のままで魔女の拠点に殴りこむの……」


「根性あるな」

「でね。魔女の部屋まであと一歩のところで、火を吐くドラゴンに行く手を阻まれるの。

 どうやっても勝てない相手に、王子は心が折れそうになるんだ」


 だけど、とリリはこう続ける。


「――たまたま吹き飛ばされた部屋に、幽閉されてたお姫さまが居てね。

 彼女のキスで本来の姿に戻った王子は、見事ドラゴンを討ち果たす。

 そして、説得の末に魔女を改心させて、王国に平和をもたらすんだ……」


 キミに似てるよね。

 灰汁の抜けた透明な声。しみじみと柔らかな口調で、リリはそう呟いた。


「……見てくれを気にせず、逆境を撥ね退けて、大切な人を守ろうと闘い、抗う。

 キミのその不屈の精神には、勇敢な王子に通ずるものがあると思うよ」



 持ち上げ過ぎだ、と俺は内心で反発する。


 何が王子だ。

 笑わせるな。


 自分にドラゴンを倒す力なんてない。ずっと虐げられてきた社会のゴミが、悪人を改心させるほど弁が立つものか。

 それならばローラン卿の方が、万倍も王子らしいと言えるだろう。


 元の姿なんて存在しない。

 どこまで行っても、俺はカエルの亜人なのだ。


 そう考えた途端、胸の中で虫は暴れ、急激にこの手の温もりが煩わしくなった。



「……俺はそんな高尚な人間じゃねぇよ」


 リリと合わせた手を、俺は離そうとした。

 さっさと彼女に背を向けて、鬱屈した思いを忘れようと眠りに就こうとする。

「救世主候補なら、他を当たってくれ……?」


 だが、結局眠ることはできなかった。

 手を離した直後、即座にリリが俺の手を握ってきたのだ。


 グロテスクな俺の肌の感触など、彼女は気にもしていないようだった。

 絶対に逃がすまいとの気概を表すためか、一本一本がっしりと指を組んでくる。


 手を握り返すこともできず、俺は呆気に取られてしまった。

 


「でも、わたしのことは助けてくれたよね」


 薄く慰撫を纏わせた声で、諭すようにリリは言う。その声に誘われて、ふと俺は彼女の方を見た。


 微睡みを含んだ目を細め、じっとリリはこちらを見つめていた。

 秘密でも打ち明けたいのだろうか。

 そう直感した俺は、彼女の次の言葉を待つ。


 部屋中が、月光の淡い煌きで満たされた頃。

 リリは小さく唇を動かした。


「――――キミは、わたしにとって『カエルの王子さま』なんだよ」

「……」


「イオリが手を差し出してくれなかったら、私はずっと独りだった。

 あの石の箱から連れ出して、わたしに世界の面白さを見せてくれたのは、紛れもなくキミなんだ」

「…………」


 言葉で切り返すことができなかった。

 おだてるな、と茶化すことさえできなかった。


 リリは真剣だった。

 噓偽りのない言葉で自分を曝け出してくれた。水を差せるわけがなかった。


 俺しか頼れる人間がいないと、暗に彼女はそう告白していた。

 ならば、彼女の手を振りほどけるはずがない。


 何もできず、俺は固まっていた。



「わたしの命は、キミに預けるよ……」


 そうこうしているうちに、睡魔も重い腰を上げたらしい。

 うつらうつらするリリは、襲い来る眠気と闘いながらも、最後の最後にこう激励する。


「だから、負けないで。わたしも力を貸すから、さ……今日は、ベッドでちゃんと寝て……寝れば明日も……きっと勝てる……勝てる……か……ら…………」


♦


 ぱたっ。


 とうとう力尽きた彼女は、全身から力を抜いて夢の世界へと落ちていった。

 組まれていた指から圧がなくなり、やがて彼女の左手は布団の上へと落ちる。


 子犬のように可愛らしい寝息が、隣から聞こえてくる中。

 握る相手がおらず宙ぶらりんになった右手を、しばらく俺は眺めていた。


「……負けられないな、こりゃ」


 ただ一言。

 リリの覚悟に敬意を表して、俺はそう独り言を漏らす。


 すべては明日。

 明日行われる決闘の結果によって、俺とリリの命運は決まるのだ。



「しっかし、寝れそうにないな…………どーしよ」


 夜はただ更けていく。

 星空は周り、鳩も鼠もどこかへ消えて、しんと辺りは静まり返る。


 夜が明けるまで、あと四時間。

 暇を持て余した俺は、また羊を数え始める。



 ――――結局、ベッドを移動することはしなかった。

 お読みいただき、ありがとうございました!


 「面白い!」「続きに期待!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや★評価をよろしくお願い致します!


 執筆のモチベーションに繋がりますので、どうか!


 これからも応援のほど、何卒よろしくお願いします!!

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