第52話 ベッド・イン・シンパシー
「おいおいおい! なんで入って来てるんだよ!!」
そう苦情を言っては見たが、まるで効果はないようだ。
遺憾にたえない顔で、リリは答える。
「いやぁ。なんかあのままだと、腰を痛めちゃいそうで」
「ったく、仕方ないな……やっぱ俺が向こうで寝る」
「いいじゃん、一緒に寝れば。大部屋に泊まる旅人さんなんかは、見ず知らずの人と同じ布団で寝るらしいし」
「空いてるベッドがあるんだ。お互い、寝床は広く使えた方がいいだろ」
「ダメ! 快適なこのベッドで寝てもらわなきゃ、わたしの気が済まないの!」
「えぇ……」
強引に寝台へ押さえつけられてしまった。
前には壁、後ろにはリリ。
突破不可能な障害物に挟まれ、小心者の俺は逃げ場をなくす。
なぜあの大食い女と同じベッドに入り、見張られながら寝なくてはならないのか。
流れに身を任せた結果生まれた惨事に、俺の頭は混乱しっぱなしだった。
しかも、ほんの数十センチの距離にいるリリの吐息は、毎回俺の首筋に当たっていた。
ちょっとした彼女の動きも、掛布団を通して伝わってくる。
変な緊張感は身体中を巡り、そのせいで布団の中が熱く感じる。意図せず上がる心拍数を抑えるのに、俺は必死になっていた。
それでも人の順応性は高いもので、十分も経つと俺は羊を数えることが出来るようになっていた。
さすがに千匹まで数えれば寝られるだろう。
そう目標を定めた俺は、一心不乱に睡魔を呼ぶ努力に精を出すことにする。
♦
「…………」「…………」
夜は更けていく。
外では鳩が番を求めて鳴いており、廊下からは食べ物を求めて走る鼠の足音が聞こえてくる。
天上に輝く偃月は光を増し、陰鬱な雲を祓ってくれたようだ。
おかげで薄目を開けて上を見ると、舞い散る白雪のようにチラチラと空気が煌めいていた。
呪いの部屋とは思えないほど、清浄な雰囲気。
こんなにも落ち着ける環境が傍にあるというのに、未だ睡魔は俺のところまでやってこない。
ただ時間だけが無駄に過ぎていく。
その事実に勿体なさを感じながら、俺は千匹目の羊を数えようとした。
すると、
「――――ねぇ、起きてる?」
小声でリリが問いかけてきた。
そっけなく俺は返事する。
「……寝てる」
「じゃあ、これは独り言だね」
そう言うと、リリは少しこちらに近づいてきた。
目的がわからず、即座に俺は全神経をアクティブに切り替える。
次の瞬間。
リリは俺の背に、自身の右手をあてがった。
(……!?)
寝たふりを続ける俺に、彼女は囁く。
「――実はね。わたし、キミに伝えてないことがあるんだ」
「……」
「だから、今のうちに言っちゃうね」
ギュッと服を掴まれる。
また意味の分からない行動。睡眠妨害もいい加減にしろ、と俺はむかっ腹を立てた。
文句をぶつけてやるとも思った。
が、そこでとある違和感に気付いた。
……リリの指は震えていた。
まるで悪夢を見て親に泣きつく子供のように、小さく小さく震えていたのだ。
その反応に面食らった俺は、ひとまず黙って様子を窺うことにした。
秘密を打ち明けだがっている彼女に、無言でターンを譲り渡す。
やがて。
力のない声で、リリは言った。
「――――わたしね、『怖かったんだ』」
♦
「……!」
ゾクッと全身に悪寒が走った気がした。
きっと、彼女が何を言いたいのかさっぱり分からないのに、なぜか彼女の感情が理解できたからだろう。
不安。寂寥。恐怖心。
今の一言には、そういった悲観的な感情が全て詰まっていたように感じられた。
「……何が、怖かったって言うんだよ」
相手に背を向けたまま、俺は訊ねる。
「お前ほど図々しい奴が怖がるなんて、よっぽどのことだろ」
「あはは、そうかも」
一つ一つ丁寧に、リリは想いを吐露していった。
「――石の箱に閉じ込められてた時ね。わたし、半分寝てた状態だったんだ」
「あぁ。らしいな」
「でもね……自分が独りになった、ってことは自覚してたんだよ」
一〇〇年もの間、彼女は石棺に封印されていた。
誰とも会えない環境に置かれ、正常な意識を奪われた状態で、悠久の刻を過ごせと命じられた。
いつ封が解かれるかもわからない密室の中で、伝説の人型の精霊として生かされ続けるという異常。
並の神経なら発狂しているだろう。
よくもまぁ、今まで正気を保てていたものだ。
「……話し相手もいなくて。世界がどうなっているかもわからなくて。
でも、箱の外に友達が一人もいないことだけは…………それだけはわかってて」
怖かった。
そう言って、リリは俺の背に顔を埋めてくる。
「なんで自分だけが、こんな思いをしなくちゃいけないんだろうって。ずぅっと考えてた。
何度も何度も何度も何度も――――死にたくなるくらい、考えた」
「……」
「自分の存在価値についても、ちゃんとわかってたよ。
だから、封印を解かれた後のことも想像できてたんだ」
ますます強い力で、リリは背中にしがみついてくる。
黙って俺は、それを許容する。
精霊との契約のせいだろうか。
それともリリが置かれた運命と俺の育ちに、共通項が多すぎるせいだろうか。
彼女が抱いた惧れの味を、俺は理解してしまった。
そうだ――――リリもまた、外の世界に敵しかいなかったのだ。
「わたしは特別な存在で、来るべき日に役目を果たす道具でしかない。
だから……封印を解こうとする人は、絶対にわたしの友達じゃない」
全部わかってたんだ、とリリは悲しそうに言葉を吐く。
「この石の扉が開いても、わたしは自由になれない。
閉じこもりの次の役目は、人の道具になることだけ。役目を終えてしまったら、用なしのわたしは捨てられる……って」
リリの言い分は正しかった。
実際、ヨナスは彼女を利用して儀式とやらを完成させようとしていた。
ローラン卿も貴重な鑑賞品として扱うかのように、彼女を手元に置きたがっていた。
彼女に近づく者は、みんな欲の深い咎人だった。
その非情極まる現実に、今日までリリは絶望していたのだ。
「……ごめんな」
率直に、俺は本心を口にする。「お前の境遇を察してやれなくて、本当にごめん」
弱々しく、リリは言った。
「いいの。だってキミには話してこなかったことなんだから」
「それでも、デリカシーのない言葉を浴びせてたのは事実だ」
「いいんだって。わたしも、まだ本音は言えてないし」
「本音?」
思い切って、俺は寝返りを打ってみた。静かに左側で寝ていた彼女を見る。
♦
目の前にあったのは、瞳を潤ませながらも笑おうとする精霊の姿だった。
細かい所作から既に悲壮感がダダ洩れだというのに、精いっぱい明るく振る舞おうと虚勢を張っている。
淡い月の光に照らされて、あまりに雅やかな彼女の微笑に、図らずも俺は声を失った。
そのうち。
リリは小さく呟いた。
「実はね。
あの時、わたし嬉しかったんだよ」
「…………え、あ?」
アホ面を曝す俺へ、リリはこう告げる。
「――――あの箱に閉じ込められたわたしを、キミは救ってくれた。
見返りがあるって保証もないのに、純粋な気持ちで助けようとしてくれた」
「……誤解だよ」
面と向かって話すには近いと感じ、天井へと顔を逸らす。
シミだらけで薄汚れた木の板を眺めながら、俺は言った。
「俺だって、他のごうつくな連中と同じだ。
結局は精霊と契約が結べると期待して、お前に手を差し出したんだからな」
「でも、キミは逃げなかった。
自分だけが助かる道もあったのに、それを選ばなかったんだもん」
「寝覚めが悪かっただけだ。
モノ扱いされて、目の前で不幸を被ろうとしてる奴を見捨てたら……俺もヨナスと同じになる」
「そーいうところだよ」
俺の真似をするように、リリも天井を向いた。
「――卑屈で皮肉屋で人間不信。
なのに、キミは誰よりも他人のことを想ってる。人助けに労力を惜しまない。……普通じゃないよ、それ」
「人間の醜悪さなら、人生通して嫌というほど見てきてるからな。ひねくれた性格が、そうさせるんだろ」
「傷だらけでわたしの前に倒れてきて、血の泡を吐いて、それでも悪漢に立ち向かおうとした……その理由も同じ?」
「もちろん」
「わたしが特別だったから助けようとした、ってわけじゃないんだ」
「人型の精霊であることも、食欲旺盛なことも、からかいたがりな性格も、まるで知りませんでしたよ」
「……そっか」
クスクスと彼女は笑っていた。どこに笑いのツボがあったのか、俺にはトンと見当も付かない。
しかし、このくだらない会話の甲斐あって、取柄だった明るさだけは取り戻してくれたようだ。
溜まっていた涙を、リリは指で拭い去る。
「――――ねぇ」
「なんだよ」
「手、見せてくれないかな」
「は!?」
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