第10話 3-3
「図書館の奥は神の領域ですって?」
ゲノス先生の言葉の意味が分からず、私は聞き返した。
「待ってください。どういうことです? どんな神様がいると仰るのですか? アザトースですか、ヨグ=ソトースですか、それともノーデンスですか」
「いや違います。それらの知られている大いなる存在とは異なる神です。それらの神々がいる宇宙と今いるここは、別の宇宙ですからね、当然です。
おや? ここが別の宇宙だと気がついていませんでしたか?
ほう、前世で遊んでいたゲームの世界だと思い込んでいたと。
この世は神の創造物であるから、そういう意味では神々の退屈しのぎだと捉えられるかもしれません。ですが、自分が遊んでいたゲームの世界に転生するなんて都合の良い事が起きるはずないじゃないですか。大体、私の知識の範囲ではヒト族の文明は都市を壊すだとか、惑星の生態系を破壊するとか、物騒な方向にばかり特化していたはずです。その文明レベルで、ゲームの世界を実在させることなんて到底出来ないでしょう?
別の宇宙だと気がついていなかったなら、宇宙が複数あることもご存知ないですよね?
やはり、そうですか。どこから説明すればいいでしょうかね。
まず、私たちの宇宙を構成するエネルギーのうち7割以上を占めるエネルギーの存在は知っていますか?」
ここはゲームの世界ではない。
ここは元いた宇宙と異なる宇宙である。
そして宇宙は複数存在する。
次々と突きつけられる事実に私の脳はすぐさま白旗を上げた。だって、私の頼りない記憶を探ってもゲームの世界が実在する証拠なんて何もなかった。それとは逆に、宇宙が複数存在することは前世の科学者たちが議論していたのを知っている。私はゲノス先生の主張を全て受け入れることにした。ぼうっとした頭のまま、ゲノス先生の質問に答えるべく、遥か昔に読んだ宇宙に関する本の記述を前世の記憶から引っ張り出した。
「ええと、確か未知のエネルギーとして『ダークエネルギー』と呼ばれる存在があることは知っています。前世で呼んだ本に書かれていました」
「ははあ。なるほど。地球のヒト族の理解レベルはそこまでなんですね。分かりました。
貴女方が『ダークエネルギー』と呼んでいるそれは、宇宙に広く均一に存在しています。それは私たちの故郷の宇宙の隣に位置する、この宇宙でも同じです。更には、ここル・ルイエール王国では『ダークエネルギー』を『魔力』と呼んで利用しています。
そう、魔法を行使するのに必要な『魔力』ですよ。
貴女もこの学園で学びましたよね。呪文には必ず『魔力を生み出した』神へ感謝を述べる文言が組み込まれています。これはこの宇宙の成り立ちを考える上で重要な言葉です。いやはや、なかなかどうして、この文明の人々は魔力については目を見張るほどに研究が進んでいますよ。
さて、先ほど魔力、すなわちダークエネルギーは宇宙に均一に存在していると私は言いました。普通はそうなのですが、しかし、図書館の奥のあの空間は違います。あそこは魔力に満ち溢れています。更には深部から外側へ常に一方向に流れ続けているのです。エネルギーにしろ、物質にしろ一方向に流れるには理由がいります。例えば重力のような強大な力に引っ張られるか、もしくは押し出されているか。しかし、あの空間は次元の特異点であり、重力などの下位次元の力が作用するとは考えられません。であれば、何かが深部から魔力を押し出していると推測されます。
押し出している力は何か? 私はそれを、新しく生み出される魔力だと考えました。
魔力はいくら使っても尽きません。それは、広大な宇宙に使いきれないほど存在しているからではなく、何者かによって常に生み出されているからと考えるのが合理的ではありませんか?
大胆な説ではありますが、この文明で『神』と呼ばれる存在が特異点の奥で魔力を生み出し続けていると私は仮定しました。私たちの生まれ故郷の宇宙は、アザトースが創った宇宙だと考えられています。それと同じように、この宇宙にもアザトースと似た存在がおり、それが魔力という宇宙のエネルギーの源を生み出し続けているという仮説を立てたのです。
つまり、魔力が生み出され、絶え間なく流れ続けているあそこは神がいる場所、神の領域なんですよ」
ゲノス先生の話は知識のない私からすれば筋が通っていて説得力があった。ただ、納得出来ないことがある。
「それならどうして、神様の領域に繋がる扉がこの学園内にありますの? 神聖な領域なら神殿にありそうですが」
「それはですね、我々がこの宇宙に呼び寄せられたことと関係しているのですよ」
「私たちが、呼び寄せられた? どう言うことです?」
「う~ん、ここにもないか」
ゲノス先生は私の言葉を無視して、何かを探し始めた。紙がみっちりと詰まった箱をごそごそと探っている。しばらくすると目的の物が見つかったらしく、ゲノス先生はゴソゴソと動かしていた手を止めて、こちらに向き直った。
「ああよかった。やっと見つかった。
いや、考えていたんですよ。ここが元いた宇宙と別の宇宙だと気がついた時からずっと。精神交換の座標を弄られていたのが明白でしたからね。明らかに作為的です。何者かの仕業であれば、何か理由があるはずです。その理由さえ解決できれば元の世界に戻れると考えていました。
もちろん、ニャルラトホテプのような厄介な存在による気まぐれという事もあり得ますが、それは考えたくないですね。それにこんな別の宇宙にまでわざわざやってくることもないでしょう」
ゲノス先生は、無表情のまま口を開けてハハハと笑ってみせた。呑気な人だわ、と思う。ニャルラトホテプが王太子にとして潜んでいると知ったら、どんな顔をするだろうか。
――今は言わないでおこう。
「それで、私たちが呼び寄せられた理由をご存知なんですよね?」
「ええ、もちろん。サヴィア公爵令嬢の話を聞いて確信を得ました。つまりですね、この宇宙の神が助けを求めているんですよ。もちろん、助けを求めるというのは比喩表現で、もっと原始的で生理的な生存本能のような欲求からくる反応でしょうが。病気になった時に、薬を飲むのと同じ感覚で、私達のように大いなる存在の知識がある者を別の宇宙から呼び寄せて『問題を』解決させようとしているんです」
宇宙の神が助けを求めている? 意味が分からないわ。どこかのラノベではあるまいし、神様が他所の世界から来た一般人に世界を救ってくれと依頼するなんてあり得ない。イースの大いなる種族は賢いと聞いていたけれど、元の時代に戻れなくて気が狂ってしまったのかも。
「寝ぼけたことを仰らないでくださいな、先生。宇宙の神様が私たちを呼び寄せた証拠なんて、どこにあるんです?
それに、その神様が『何を』解決させようとしていますの?」
「貴女が言っていたじゃないですか。卒業パーティーの日にアザトースが召喚されると。宇宙の神と同等の存在であるアザトースが召喚されれば、その存在の重さによって宇宙が壊滅します。神が憂慮するに十分な大問題ですよ」
「アザトースの脅威は仰る通りなんですが、推測の域を出ませんよね?」
「いやいや、証拠ならここにあります」
ゲノス先生が先ほど箱から引っ張り出してきた紙を私に手渡した。丸められたその紙を広げると、紙一面に細かい文字で呪文と魔法陣と思しき複雑な図形が書き込まれていた。それを読み解いていくうちに、私の眉は顰められていった。
「なんです? 召喚魔法みたいですけど」
「神の領域に残っていた魔法の痕跡を解読したものです。初めて見る魔法だったのでね。それは、宇宙と宇宙を跨いだ召喚魔法ですよ」
「召喚魔法、ですか」
別の宇宙があること自体が未だに信じられないのに、別の宇宙から何かを召喚すると言われても想像つかない。
「ほら、ここの文字をご覧なさい。あなたなら読めるはずですよ」
ゲノス先生が指さしたそこには、異常なことだけれども、確かに見覚えのある懐かしい文字が並んでいた。
「これは、まさか、漢字? 日本と書いてあるわ」
「やはり読めるようですね。私は痕跡から辿って文字の形をそのまま書き写しただけなので読めないのですが、そこは召喚する場所の地名が入るはずなのです。座標ではなくて地名で召喚先を特定するなんて、まさに神業ですね。ハハハ。さて、その地名に身に覚えがありますか?」
「あります……。これは、私の前世の故郷の地名です。どうしてこんな……」
「そうでしたか。これで私の推測が正しかったと信じる気になったのではないですか? 貴女はこの世界の神によって召喚されたのですよ」
「一体何のために?」
「ですから、この世界を救うためですって。アザトースが召喚される未来を知ったこの世界の神は私や貴女のような対抗しうる知識を持った者を召喚した。私の場合は精神交換の時に発動するように仕向けられていて、貴女は死んだ後、魂だけの存在になった時に発動したみたいですよ。それと、失敗した時のために保険をかけたようですね。これまでよく分からなかった呪文の部分ですが、貴女の話を聞いて合点がいきました。世界の時間を巻き戻しています。ちょうど貴女が話した通り、世界が終わる日の3日前に」
ゲノス先生が話続けていたけれど、頭に入ってこなかった。私が転生したのが、神様とやらの仕業だなんて不条理だ。見たこともない神様に勝手に連れてこられて、宇宙の命運を預けられるとは重荷すぎる。今までは偶然生まれ落ちたから仕方ないと運命だと信じて受け入れてきたけれど、犯人がいるなら恨みたくなる。神様に祈りは捧げていたけれど、運命を黙って受け入れられるほど敬虔深くない。
「勝手に面倒な役割を押し付けられるなんて、納得いきません」
「しかし、そこまで悲観することもないですよ。私の推測ではアザトースの召喚を何とかして止めれば、元の世界に戻れると思いますから。貴女も死ぬ前に戻れるかもしれません」
「死ぬ前の世界に? それは本当ですか?」
「ええ。我々の魂はこの宇宙にとっては異物でしょうから、用が無ければ排出されるでしょうね」
ゲノス先生の言葉は青天の霹靂だった。
元の世界の、それも死ぬ前に戻ることは考えたことがなかった。死んで生まれ変わったのだから、元の世界に戻りようがないと思い込んでいた。もし、本当に地球の、日本に戻れるとしたら、それはとても魅力的で、一瞬でも想像しただけで、抑えていた気持ちが膨らんだ。
もちろん、今世だって嫌いじゃない。だけど、前世でやり残したことは沢山ある。何しろ、誰にも別れを告げられず、突然死んだのだから。死んだ時のことはもうぼんやりとしか覚えていないけれど、確かトラックに轢かれて死んだのではないだろうか。突然のことで、家族や友人に何も言い残せずに死んでいった。妹とは、朝に些細なことで――妹のプリンを勝手に食べてしまったことで――喧嘩したまま出て行ってしまって、後悔がつきない。もう一度、会えるなら会いたい。
「どうですか? 元の世界に戻るために協力してくれませんか?」
「いいでしょう。協力します」
「いやあ、よかった。協力者がいれば効率が良くなりますから。分からないことがあれば何でも聞いてくださいね。アザトースが召喚されるまであと3日しかないんですから」
「では、遠慮なく。そもそもどうしてアザトースが召喚されるのでしょう?」
「誰かが、この世界にアザトースを始めとする大いなる存在の知識を落としたようです。貴女が前回のループで見つけたネクロノミコンがいい例です。それを悪用する人間がこの世界にいるのだと思います」
「人間が? そんな簡単に召喚できるのですか?」
「潤沢な魔力さえあれば可能でしょうね。アザトースほどの存在なら宇宙を越えることくらい赤子の手を捻るよりも簡単にできますから、人間は魔力を用意して呪文を唱えるだけで済みます。呪文を唱えて魔力を注いだ数時間後くらいにはアザトースが召喚されますよ」
お湯を注いで3分待てばいいインスタントラーメンのような手軽さでアザトースが呼べるの? もう少し手続きを煩雑にしてくれればいいのに。電話窓口をたらい回しにされるうっかり契約してしまったサブスクリプションサービス解約手続き並の面倒さだったら途中で召喚を諦めるわ。この世界には他にも邪神がいるんだから。
「ちなみに、アザトース以外の大いなる存在も宇宙を超えられますか?」
「ある程度力が強ければ宇宙を越えられるでしょうね。それがどうかしました?」
「実は、クトゥルフがこの世界に存在するみたいなのです」
「おや、まあ」
「ディーゴ・ウス・マティウスの一族がクトゥルフを崇める深き者ども(ディープワンズ)だそうですわ。本人が証言していました」
「英雄の孫の彼が。言われてみれば、身体能力が他の人より桁違いに高いですね」
「驚かないのですか?」
「ええ。大いなるクトゥルフとその都、ルルイエらしき存在がこの世界にあることは観察していましたから、観測の範囲内ですね」
ふーん。クトゥルフがこの世界にいることをゲノス先生は知っていたらしい。教え子が深き者ども(ディープワンズ)と教えられても動揺しなかった。皺の一ミリも表情が変わらない。少しは動揺するかと思って遠慮したのに。それなら、と私はとっておきの情報を付け加えた。
「そうそう。ディーゴ・ウス・マティウスだけでなくて、この国の王太子であるラルト殿下も大いなる存在ですよ。何だと思います?」
「まさか、ニャルラトホテプとでも言わないでしょうね?」
冗談を言ったつもりのゲノス先生の言葉に私は頷いた。
「王太子殿下の正体はニャルラトホテプなんです」
「今なんと?」
「王太子殿下の正体はニャルラトホテプです。王太子殿下に化けています」
「そ、それってもしかして、アザトースの召喚にニャルラトホテプが関わっているかもしれないってことですか?」
「かもしれません」
ゲノス先生の顔から血の気が引いて真っ白を通り越して青くなった。ガタガタと全身を震わせている。
「あ、悪夢だ……! あの神なら対処のしようがない……理屈じゃないから……」
「私は前回のループでラルト殿下に気を狂わせられました。ゲノス先生も気をつけてくださいね。いずれ対峙する必要はありそうですが、気を抜けば殺されますから……て、あら?」
ゲノス先生が無言になったので、目の前で手を振ってみた。それでも反応しないから、呪文で火を出して顔に火を近づけたけど、ゲノス先生は反応しない。しかばねのようだ。
「SAN値チェックを失敗して気を失ったみたい。大丈夫かしら? 先行きが不安だわ」
私はやれやれとため息をついて、ゲノス先生が風邪をひかないように毛布を掛けてあげると、部屋を後にした。




