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10. 特等席

 薄暗い部屋の中にわずかなすき間から日の光が差し込む。

 閉め切った部屋の中で少年が一人、背中を丸め膝に顔を埋めてうずくまっていた。

 

 リャナンシーが話しかけるがウィルは反応を返そうとしない。


「となり、座るわよ」

 

「………」


 返事を待たずにリャナンシーはベッドへと腰を下ろす。

 ウィルはわずかに眉を持ち上げるが、再び顔を戻す。

 部屋の中にはひんやりとした空気が漂っていた。


「あの湖にいた子の声、すごくきれいだったわね。あなたがあの子にこだわる理由がわかった気がするわ」


 顔をうずめたウィルから「……ちがう」というか細い声がもれた。


「ルサルカの……彼女の歌があんな哀しいものなわけがないんだ」


 のろのろと顔を上げたウィルはリャナンシーに顔を向ける。その目には色濃い絶望の色が浮かんでいた。

 

「リャナンシー……、ひとつききたいんだけど。おまえ、知ってたのか? あそこにルサルカがいるってことを……。湖の精霊っていってたよな」

 

「ええ、知ってたわ。新しい精霊が誕生していたのは感じ取っていたから。でも、精霊同士っていっても意思の疎通なんてできないから、あれがあなたの探し人だっていうのはわからなかった」

 

 暗い顔をするウィルを刺激しないように、リャナンシーの口調は淡々とたものであった。

 

「彼女たち湖の精霊は、湖で溺れ死んだ魂が変化した存在よ。夏の間は湖の底でじっとして、冬になると湖面の上にでて歌いだす」

 

「……じゃあ、ルサルカはあの湖で」

 

「ええ、どうしてそうなったかはわからないけれど、もう……」

 

 ウィルはルサルカの最期を想像し、痛みに耐えるように胸を強く抑えつけた。

 

「彼女の死に責任を感じているようだけれど、間違えないで。彼女はあなたのせいで死んだわけじゃない」

 

 優しげな声で語りかけられるが、ウィルは激しくかぶりを振る。

 

「違うっ、違うっ! ボクが彼女に余計なことをしたせいであんなひどい死に方をしたんだ。あんな哀しい声で歌う彼女なんて見たくなかった!」

 

「そんなこと、あるわけがない」

 

「いいや! ボクが彼女を闇に引きづりこんだんだ。あの歌はきっとボクへの恨みに違いない!」

 

「本当に?」

 

 ウィルの叫びにリャナンシーは眉根を寄せて厳しい顔を向ける。

 

「本当に彼女はそう思っているの? それはあなたが自責の念からそう思いたいだけじゃないのかしら。あなたが知っている彼女の最後の姿はどうだった? 苦しそうにしていた?」

 

「……もう、忘れたよ」

 

「だめよ、ちゃんと話して」

 

 ウィルは苦しそうに唇を噛み、ギュッと目をつぶる。

 しかし、リャナンシーは静かだが絶対に逃げを許さない口調をとる。


 リャナンシーが目を会わせながら「話して」と再び促すと、ウィルはぽつぽつと語りだした。


 彼女との出会い。

 湖での二人だけの演奏会。

 演奏が終わった後の雑談。


 語ることが尽きてなんとなく思いついた曲をウィルが弾きはじめると、ルサルカも合わせるように歌いだす。

 二人の間には言葉はなくとも、音だけのやりとりがそこにあった。

 

―――幸せだね

 

 それが最後にルサルカから聞いた言葉だった、と震える声で口にすると途端にウィルの瞳から大粒の涙がこぼれだす。


 手を口に押し当て、顔を伏せたまま子供のように泣きじゃくる。

 リャナンシーがその胸に優しく抱き寄せると、ウィルはしがみつき涙でぬらした。


 

「リャナンシー、残りのボクの寿命はあとどれぐらいなんだ?」


 日が沈み始めたころ、リャナンシーの膝の上に頭をのせたウィルがぽつりと聞いた。


「大丈夫よ。まだまだ、あなたの時間は残っている」


「そうなんだ、舞台に立って演奏するごとに寿命が削られているとおもっていたのに」


「そんなわけないわよ。私が与えたのはきっかけにすぎない。将来あなたが得るはずだった技術を前借りしているだけ。今のあなたがあるのは正真正銘、あなただけの力によるものよ」


「ボクはてっきり、キミのことを才能をエサに人間から生気を吸い取る悪魔だと思っていたんだ」


「まあ、憎らしいことをいうのね」


 寄り添いながら囁くように二人が話しているうちに、日が完全に没して夜の帳が町を包んで行った。


「……歌が、聞こえる」


「どうしたの? なにも聞こえないわよ」


 ゆっくり身を起こしたウィルは外に向けて遠い目をする。そんなウィルを見るリャナンシーの瞳は気遣わしげにゆれていた。


「……ルサルカが歌っている」


「待って! あれはもうあなたが知っている彼女なんかじゃない。あなたの姿にも声にも決して反応なんかしやしないわ!」


「それでも、いかないと……」

 

 ウィルは熱に浮かされたように立ち上がり、夜に飛び込んでいった。


 

 冴え冴えとした月に照らされた夜の道を、ウィルは白い息を吐きながらひたすら進んでいた。

 その手にはリュートが握られ、瞳はただまっすぐと前だけを見据えている。

 

「ウィル、なにをするつもりなの?」

 

「わかったんだ……。ベオウルフさんが死んだときのことが。彼がリュートを手にしたままだったのは、たぶん、あれはルサルカの歌に対抗しようとしたんだと思う」


「どうして、そんなことを?」


「たぶん、認めたくなかったんだろう。ルサルカの歌声に虜になってしまった自分が」

 

 やがて湖が近くなったところで、ウィルの耳にはっきりと歌声が聞こえ始める。

 

「だめよ、引き返して! 来週の天空演奏会であなたは楽聖の賞賛を得る。それがあなたの夢だったのでしょう。このままいけば必ずあなたは歴代最高の楽聖となれるはずなのよ!」


 必死になって説得しようとするリャナンシーに、ウィルは静かに首を振る。


「ボクが音楽を奏でる理由ってさ、自分がここにいるってことを叫びたかったんだ。音を共有して、音を重ねたとき、音楽は言葉を超えるって思っている。ボクは口下手だから演奏で話しかけることしかできないんだ」


「……死ぬつもりはないのよね?」


「もちろんだよ。約束したろ、特等席でキミに演奏を聞かせるって」

 


 月明りに照らされた湖畔にたたずむのは少女の姿をしたもの。

 彼女の口からもれでる歌声は闇夜にとけだし、物悲しく響く。

 

 歌声にそっと寄り添うように静かな音が入り込んだ。

 湖畔に横たわる丸太の上でリュートを奏でる少年の音だった。

 二つの音が混じりあい、溶け合って一つの音へと変わっていく。

 

 ルサルカの視線がゆっくりと動き出した。

 氷のような青白い顔がウィルに向けられる。

 途端に、魂が引き抜かれるような虚脱感に襲われた。


「だめだ……、足りない」


 ウィルの視線がリャナンシーに向けられる。その意図を理解したリャナンシーは必死に首をふる。


「ボクのありったけを出さないといけない。だから、リャナンシー ――― 残りの時間を全部使い切って、ありったけの才能をボクにくれ」


 リャナンシーは唇を噛み握ったこぶしを震わせた。

 

「どうして、あなたたちはいつもそうやって遠くに行こうとするのよ……。音楽が何よりも好きなくせに、誰かのために音楽を投げ捨てしまう」

 

「本当にごめん。約束を守れなくて」

 

 いっそ穏やかとさえ言えるウィルの表情をみて、リャナンシーはそっとため息をはく。

 

「……いいわ、そのかわり特等席で聞かせてくれるっていう約束は守ってちょうだいね」

 

「……うん、ありがとう、リャナンシー」


 ウィルの演奏の質が一気に変化を見せた。

 その音はルサルカの歌声を押しつぶすことなく、ルサルカの声を乗せていた。それは彼女の性格をしり癖を把握していたウィルだけができること。彼の演奏が歌声をリードしフォローしていく。


 それはウィルが望み続けたこと。

 

 ルサルカの声の響きが哀切を帯びたものから変調していくのをウィルは感じていた。

 

「ルサルカ。いくよ」

 

 少女への呼びかけに対する返事はない。

 それでも、確かに二人の音は絡み合い、歌声と演奏は一つのハーモニーとなって夜の湖に響いていく。

 

 ウィルの脳裏にあるのは、やわらかな日が差し込む湖。

 さわやかな風がそよぎ、ゆれる金の髪。

 きらめく水面に足を沈めてぱしゃりとはじける飛沫。

 

 ルサルカの歌声も冷たい水の底でじっとするものから、湖を泳ぎ回り水面からぱしゃりと飛び跳ねるものへと変化していく。

 音は彩りを重ね極彩色を帯びていき、暗い水底から星の瞬く空へと昇っていく。


 

 月が沈み空が白み始めてもその音は鳴り響いている。

 少年は自らの命を燃やすように、少女の歌声に合わせて弦をつまびく。

 

 ただひとりの観客は、目をとじながらただその音に聞き入っていた。

 

「ああ、もう終わってしまうのね……」

 

 そして、太陽の光が湖を照らすころ―――再び静寂がおとずれたのだった。


 それ以来、人の心を惑わす歌声が響くことはなかったという。

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