第百四十二話 異変
「こいつが……天鬼……」
突如、柚月達の目の前に現れた天鬼。
その姿を始めてみる譲鴛は、驚愕し、身が硬直している。
恐怖に怯えているのだろう。
天鬼から発せられる妖気と殺気を感じ取って。
まるで、逃れられない現実を直視したかのように。
「おい、天鬼!あいつらは、一体なんなんだ!」
「あいつらか?あいつらは、地獄にいた奴らだ」
「地獄だと!?」
地獄と言う言葉を耳にした柚月は、驚愕する。
柚月も、地獄について知らされていた。
だが、地獄に送られた妖や人間は、二度と外に出ることが不可能と言われている。
そのはずが、なぜ、地獄にいたものが外に出たのか、理解できなかった。
その疑問を天鬼が答え始めた。
「そうだ。私が、地獄の門を開いた」
「そ、そんな事できるはずがない!あの門は、封印されていたはずだ!」
「だが、生贄さえさしだせば簡単なことだ。一族のな」
「一族の……まさか!」
地獄の門は、封印されている。
絶対的に開くことはない。
そう信じ切っていた柚月であったが、全て破壊されたかのごとく衝撃を突きつけられる。
そして、「生贄」「一族」と言う言葉を聞いた柚月は、あることに気付いた。
一族の誰が、生贄にされたのか。
「そうだ。鳳城真谷とその息子と娘。あとは、奴の部下を生贄に差し出した」
柚月は、愕然とする。
彼らは、柚月達の活躍により、悪事を暴かれ、追放の刑に処せられた者たちだ。
聖印京を、一族を救ったはずであったが、追放されたことで、天鬼の目的として、利用されてしまった。
自分達のしてきたことは間違いだったのかと、絶望に陥りそうになるほどに、柚月は、衝撃を受けていた。
「貴様のおかげで、簡単に生贄をとらえることができた。感謝するぞ」
「てめぇ!」
九十九が怒りを露わに、天鬼をにらみつける。
まるで、柚月の行いが、天鬼に利用されたように言われ、怒りを感じたからだ。
「柚月、あんな奴の言うことなんか、信じるんじゃねぇぞ!」
「そうだよ、兄さん!あんなの天鬼のでたらめだよ!兄さんを陥れるために!あの黒い妖達は、天鬼の影響のはず」
九十九も朧も、柚月のしたことは間違いではないと行いを肯定する。
なぜなら、二人は、柚月によって救われたからだ。
それに、本当にあの黒い妖が地獄から出てきたとは、信じられない。
地獄にいたからと言って、黒く染まるとは、思えないからだ。
だが、それすらも、天鬼は、否定した。
「嘘ではない。地獄にいた弱い奴らは、地獄の影響によって黒く染まった。何度も、死を繰り返してきたからな。だが、生き延びるために、溶岩のように燃え盛る炎を、凍り付くような水を、全てを切り刻む風を、貫かれる大地を吸い込んだ。それが、あの結果だ。まぁ、私は、影響を受けなかったがな」
天鬼の言うことは、真実だ。
柚月は、聞いたことがある。
地獄に放り込まれたものは、溶岩のように燃え盛る炎を、凍り付くような水を、全てを切り刻む風を、貫かれる大地によって、何度も死を繰り返す。
再生しては殺され、再生しては殺され、永遠の死の繰り返しにより、魂までもが消失してしまうのだ。
そのため、地獄に放り込まれたものは、二度と生まれ変われないと言われている。
しかし、その死を繰り返しても尚、生きようとする者たちは、術を探した。
そして、その力を吸収することで、掌握することで生き延びてきたのだ。
その結果が、あの黒く染まった姿なのだろう。
天鬼や強力な力を持った者は別だ。
その地獄の力の影響を受けないのだから。
だからこそ、天鬼も風塵も雷塵も生き延びてきたのであろう。
「吸い尽くした奴らは、これまで以上に凶悪だ。これが、地獄の真実だ」
地獄の力を吸い尽くした者たちは、地獄そのものと言っても過言ではない。
しかも、赤い月の影響を受けている。
これは、聖印一族にとって、最大の危機であろう。
そんな者たちが、外に放出され、この聖印京に侵入してしまったのだから。
しかし、柚月は、絶望してなどいなかった。
九十九と朧が、柚月を支えたからだ。
柚月は、八雲と真月を構え、天鬼に向けた。
「だとしても、あきらめるつもりはない」
「おうよ。それで、怖気づくと思ってたのかよ」
「そうか、ならば、絶望をその身に刻んでやろう」
九十九も朧も真実を聞かされても、立ち向かおうとしている。
天鬼は、それが気に入らなかった。
絶望する姿をこの目で見たかったというのに、柚月達は、絶望しなかったからだ。
天鬼は、煉獄丸を抜くことはせず、素手で柚月達に襲い掛かった。
今度こそ、絶望に陥れるために。
景時は、蓮城家の屋敷へと急ぐ。
天次の手を取りながら。
天次は、景時に連れていかれるがままに走っている。
だが、その天次の瞳は、屋敷ではなく、必死に急いでいる景時の表情を映していた。
景時は、屋敷の人々を安全な場所へと移動させている白冷の姿を発見した。
「白冷!」
「か、景時様……」
「皆は?」
「なんとか、逃げました……しかし……」
白冷は、周囲を見渡す。
景時と白冷の周囲は、倒れている人々で埋め尽くされていた。
地面は血に染まり、人々は虚ろな目をしたまま、倒れている。
もう、息はしていない。
一瞬の出来事だ。
ここまで来るのにそう時間はかかっていない。
そのはずなのに、少しの時間で多くの命が一瞬で奪われてしまったのだ。
あの黒い妖達の手によって。
隊士達は、妖達と死闘を繰り広げているが、それでも、圧倒的な差があるようだ。
圧倒的な強さを目の当たりにした景時。
それでも、戦うしかない。
覚悟を決めた景時は、白冷を見た。
「白冷、皆を、頼むよ。できるだけ、安全な場所に連れてってあげて」
「景時様……ど、どうなさるおつもりですか!?」
「……僕が食い止めるよ」
「なりません!こやつらは、普通の妖とは違うのです!おそらく……」
「それでもだよ。僕は蓮城家の次期当主。皆を守れないなら、その資格もないからね」
「景時様……」
景時は、蓮城家の次期当主として、何より、特殊部隊の一員として、命に代えても守らなければならない。
白冷は、景時の身を案じたが、彼の覚悟をくみ取った時、止められないと悟った。
「さあ、行って」
「は、はい!」
景時に命じられた白冷は、走り去る。
何もできない己の無力さを呪いながら、景時が無事に生きてくれることを願いながら。
そして、蓮城家の人々を守るために。
景時の前には、黒い妖達が迫ってきている。
戦うしか手段は残されていなかった。
「天次君、ごめんね……。もう少しだけ、我慢してね」
「……」
天次に話しかける景時だが、天次は、反応しない。
それでも、景時は、天次の為にも、戦う決意をした。
「さあ、行くよ!」
景時は、風切を手にし、構える。
だが、景時はまだ、気付いていなかった。
天次の異変に。
「か……げ……と……き……」
確かに、天次は、そう呟いたのだ。
「かげとき」と。
だが、気付いていない景時は、妖と死闘を始めてしまった。
透馬も、また天城家の屋敷にたどり着いていた。
しかし、目の前に映る風景は、地獄だ。
人々が血を流し、倒れている。
奉公人や女房、隊士達だ。
透馬は、恐怖で身が硬直しそうになるが、それでも、走り続ける。
そして、透馬は、矢代が、たった一人で屋敷の前で戦っている姿を見つけた。
「母ちゃん!」
「透馬、何してんだい!」
透馬は、矢代の元へ駆け付けるが、矢代は、驚愕していた。
なぜなら、透馬は、柚月達と共に重要な任務についているはずだからだ。
綾姫を守るという重要な任務に。
それなのに、透馬がここにいる。
矢代は理解できずにいた。
「任務は……」
「柚月が行くようにって言ってくれたんだ」
「あの子は……」
こんな状況だというのに、透馬をここに行くように言ってくれたのかと思うと、無謀だと思いつつも、感謝している。
矢代は、死を覚悟していたからだ。
透馬に会えず、死んでしまうだろうと。
「母ちゃんは、大丈夫なのか?」
「何とかね……けど……」
矢代は、表情は曇る。
奉公人と女房、それに、隊士達を守れなかったことを悔いているようだ。
こんな矢代を見るのは、透馬も初めてだ。
いつも、姉後肌で強気な矢代しか見たことない。
相当、参っているのだろう。
「心配すんな。俺が、守るから」
「透馬……」
透馬は、矢代を励ます。
自分が母親を守るんだと決意したかのように。
透馬は、岩玄を構えた。
「やってやろうじゃん!」
透馬は、迫りくる黒い妖たちの元へと突っ込むように駆けていく。
だが、その時、矢代は気付いてしまった。
透馬が、腰に下げている短刀に。
「あれは……。あの短刀は、なんだ?」
見たこともない短刀を透馬が腰に下げている。
その短刀を見た瞬間、矢代は、背筋に悪寒が走った。
透馬は、何か不吉な事を考えているのではないかと。
綾姫は、苦しそうに呼吸を繰り返しながら、聖水の泉へと歩み始めた。
「もう一度……儀式を」
「なりません、綾姫様!」
「駄目よ!やらないと、皆が……」
「そんな事をしたら、今度こそ、綾姫様は死んでしまいます!」
儀式を行おうとする綾姫を夏乃が必死に止める。
儀式を二回行えない理由は、二度目は、必ず死に至るからだ。
儀式の為に、命をささげたものは、生き延びることはできても、回復することはない。
そのため、天城家は、儀式を行ったものは、結界を張ることしかできなくなる。
戦うことすら不可能になるほど、命を削られるのだ。
そのため、二度も儀式を行うという事は、自殺行為だ。
それでも、綾姫は、儀式を行う覚悟をしていた。
だが、その時だ。
黒い妖達が、綾姫達の前に現れたのは。
「!」
「もう、妖達が……」
綾姫と夏乃は、愕然としてた。
もう、すでに、黒い妖達は侵入してきていたのだ。
それも、血に染めて。
黒い妖達は、綾姫と夏乃に襲い掛かった。
柚月達は、天鬼と死闘を繰り広げていた。
煉獄丸を手ににしていなくても、天鬼は、圧倒的な力で、柚月達を追い詰めている。
怪我は負っていないものの柚月達は、苦戦していた。
どうやら、天鬼は、手を抜いているようだ。
それは、柚月達も目に見えて分かる。
天鬼と戦って、怪我一つしないわけがない。
一度戦ったことのあるものなら、わかることだ。
天鬼が、何を企んでいるのか、柚月達には理解できなかった。
彼らの死闘を譲鴛は、絶望した眼差しで見ていた。
――こいつ、強すぎる……。なんでこんな奴と……。
譲鴛は、絶望していた。
天鬼は、強すぎる。
勝てるはずがないと。
なぜ、柚月が天鬼と戦わなければならないのか。
譲鴛は、理解に苦しんだ。
すると、譲鴛は、柚月が初めて天鬼と死闘を繰り広げた事を思いだす。
朧を襲撃したからだと聞かされていたが、それは、嘘だ。
なぜなら、九十九も、その場にいたのだから。
柚月が天鬼と戦わなければならない理由がわかってしまった。
――全部、全部、こいつのせいで!
譲鴛は、九十九に対して、激しい憎悪を向けた。
矛盾しているとは、わかっているが、抑えきれない。
九十九さえいなければ、全て奪われることはなかったのだからと。
譲鴛の様子に気付いていない柚月達は、天鬼と激しい戦闘を繰り広げていた。
だが、突破口を見いだせていない。
今、綾姫達は、どうなっているのだろうか。
焦燥にかられる柚月。
彼の様子に九十九は、気付いた。
「柚月、朧を連れて、先に行け!」
「九十九!なに言ってるの!?」
「そうだ、お前を残していけるわけないだろう!」
「んなこと言ってる場合かよ!綾姫を守れって言ってるんだ!」
九十九は、叫ぶ。
綾姫を守るように。
そのために、たった一人で天鬼に立ち向かおうというのだ。
九十九の覚悟を感じ取った柚月は、聖刀と宝刀を握りしめた。
「させぬぞ!」
天鬼が、柚月に向かって襲い掛かる。
だが、柚月の前に、九十九が現れ、天鬼の攻撃を防いだ。
「九十九、貴様!」
「……行けって柚月!」
九十九は、柚月に行くようにと叫ぶ。
だが、その時だ。
九十九の左側から、刃が襲い掛かろうとしていたのは。
柚月は、その事に気付いた。
「九十九、危ない!」
柚月は、とっさに、聖刀で、その刃を防ぐ。
その刃を手にしていた持ち主を見て、柚月は驚愕していた。
「譲鴛!」
柚月が、目を見開く。
なんと、譲鴛が、九十九を殺そうとしていたのであった。
 




