第百十七話 命と引き換えに
赤い月の日、妖との戦は、終戦となった。
だが、今回は時期が大きく外れたため、被害が拡大してしまった。死者は、百を超えていると予想されている。重傷者は二百人越えとも……。
殺された隊士達もいるとの報告を受けている。
そして、一番の衝撃を与えたのは、聖印一族が一人、命を落とした事だ。
命を落とした聖印一族の名は、鳳城椿……。
柚月に、刀で刺された九十九は死んでいなかった。
鳳城家の牢の中に閉じ込められていた。
それも、開かずの間と呼ばれている牢獄だ。死ぬまで出られないと言われていることからそう名付けられたという説もある。
その牢の中で九十九は眠っていたが、やがて意識を取り戻した。
「……」
九十九は、目を開けるが、まだ、視界がぼんやりとしている。
意識が朦朧としている状態だ。
そんな状態の中で、誰かの声が聞こえる。
それも一人ではない。男性と女性の声が耳に入ってきた。
「なぜ、あの妖狐を助けなければならないのですか?あの妖狐は椿を殺したのですよ?」
「だから言っているだろう。――を助けられるかもしれないと」
「助けられなかったら、どうするおつもりですか」
「その時は、その時だ」
誰を助けようとしているのかは、はっきりと聞き取れない。
だが、分かった事は、九十九はあの後、助けられたということだ。
――なんだ?どうなってやがる……。俺は、死んだんじゃ……。
九十九は、混乱していた。
なぜ、助けられたのか。あの場で、死を覚悟していたはずだった。いや、死ぬことを望んだといった方が正しいだろう。
どちらにせよ、なぜ、生きているのか、理解不能だ。
九十九は、ぼんやりとした意識を無理やり、目覚めさせ、起き上がった。
彼が起きたことに気付いた二人は、九十九を見ている。
視界がはっきりとした時、目に映ったのは、勝吏と月読であった。
「目覚めたようだな」
「てめぇ……。あの時の?」
「覚えていたか。そうだ。私は、鳳城勝吏。椿の父親だ」
「椿の!?」
九十九は、目を見開いて驚いている。
まさか、あの時、戦ったのが、椿の父親だとは思ってもみなかったであろう。
だが、ますます理解できない。
自分は、椿を殺したというのに、なぜ、助けられたのか。
そんな九十九をよそに、勝吏は、淡々と説明し始めた。
「そして、隣にいるのが、鳳城月読。私の妻であり、椿の母親だ」
「でも、血、つながってねぇんだろ?」
「椿は、そのようなことまで話していたのか」
「寂しがってたぜ。てめぇらのせいでな」
「……」
九十九は、責めるような言い方をする。
椿の事を思うと、許せないのだ。怒りを抑えられないほどに。
九十九に責められた勝吏は、反省しているような表情を見せた。
「そうだな。全ては私の責任だ」
「……で、なんで、俺は助けられたんだ?何を企んででいやがる」
「……頼みたいことがあってな」
「妖の俺にか?」
「そうだ」
「俺は、椿を殺したんだぞ?」
「……それでもだ」
椿を殺したというのに、それでも、頼みたいという勝吏。
何を頼みたいというのであろうか。
混乱している九十九は、心を落ち着かせるために、息を吐いた。
「で、なんだ?その頼みたいってことはよ」
「……息子を助けてほしい」
「息子?」
「うむ。朧を助けてほしいのだ」
「朧……」
「椿の弟だ。今は、病気で寝たきりになっている」
「そう言えば、そんなこと言っていたな」
九十九は、思い返していた。
椿には、二人の弟がいた事を。
一人は、当主候補であり、母親に厳しく育てられている少年。もう一人は、病気になってしまったという少年。
朧は、後者の方であろうと九十九は予測していた。
「と言っても、朧は病気にかかっているのではない。呪いのせいなんだ」
「呪い?」
「……どうやら、生まれた時に呪いにかけられたらしい。私達も気付かなくてな」
「どんな呪いなんだよ」
「……妖の卵を産み付けられた」
「!」
九十九は、驚愕した。
その呪いを九十九は聞いたことがある。
産み付けられたら最後、その者は死を迎えることになると。死の宣言を告げられたと言っても過言ではないだろう。
その呪いを解くすべはない。
つまり、朧は、呪いを回避することは不可能なのだ。
「この七年で、卵は次第に大きくなり、増殖してしまった。そして、妖が孵化してしまったのだ。体内で妖が生まれ、命を削られてしまった。朧は今、死ぬ間際なのだ」
「……まさか、その呪いを俺に解けって言うんじゃねぇだろうな?俺には、無理だぞ」
「いいや、できるはずだ」
「どうやって……」
「……九尾の炎だ」
「!」
九十九は驚愕する。
勝吏は、九十九が放つ九尾の炎を使うことで朧にかかっている呪いを解くことができると考えたのだろう。
「お前の九尾の炎は、妖だけに有効だ。そうであろう?」
「……違いねぇな」
「お前の力があれば、妖を……いや、呪いを打ち消すことができるであろう」
「なるほどな、そういうことか。でも、憑依しねぇとそれは、無理なんじゃねぇか?」
「……心配ない。あの子の体質は特殊でな。妖を憑依させる力がある。今は封じてあるが、月読が解き放てば、可能になるだろう」
「……」
勝吏は、そう説明するが、月読は黙ったままだ。
納得していないのだろう。九十九の手を借りて朧を助けるなど。
当然だ。九十九は、妖。妖の手を借りるなど、聖印一族の誇りを汚したも同然だ。納得できるはずがない。
だが、これを決めたのは、鳳城家の当主である勝吏。
いくら月読が反論した所で覆すことなどできない。
月読は、勝吏の提案を受け入れることしかできなかった。
「どうか、朧を救ってはくれぬであろうか。頼む」
勝吏は、頭を下げた。それも、妖である九十九に対して。
それほどまでに、朧を助けたいのであろう。
だが、九十九は納得できないことがあった。
「なんで、そんな事、頼めるんだよ」
「……なぜだろうな。だが、椿はお前を信じていた。いい妖だと。私も椿の言葉を信じて見ようと思ったのだ」
勝吏は、椿の言葉がずっと頭の中に残っていた。
九十九はいい妖だと。その言葉が頭から離れられないからだ。
だが、理由は、それだけではなかった。
「それに、椿は憑依されていたようだが、お前が救ってくれたのだろう?」
「……救ったんじゃねぇ、殺したんだ」
九十九が倒れた後、勝吏は、術で強引に柚月を眠らせた。
そして、九十九の怪我を治し、牢に閉じ込めた上で椿の事を調べていた。
どうしても、九十九と椿の事が気になっていたからだ。真実が知りたいと。
すると、椿は何者かに憑依されていた形跡が見つかった。椿が、女房や奉公人を殺したという目撃情報も得られている。この事から、椿は、妖に憑依させられ、それを九十九が解放してくれたと確信したようだ。
それゆえに、勝吏は椿は救われたと告げたのだ。九十九が殺したと否定しても。
だからこそ、九十九を信じ、九十九に託すことを決意したのであろう。
「それでも、あの子は救われたはずだ。だから、お前に託したい」
「馬鹿な奴……」
九十九は、あきれていた。どこまでも馬鹿な人間だと。
自分の娘が殺されたというのに、救われたと言いきってしまう。
しかも、死にかけている弟を託そうとまでしているのだ。
これほどまでに、九十九を信じているとは思いもよらなかったであろう。
それでも、九十九は笑みを浮かべていた。
「いいぜ。やってやるよ」
「お前、正気か?私達人間の命令に従うというのか?妖の身でありながら」
月読は、九十九に問いただす。
なぜ、勝吏の頼みを聞き入れることができるのか月読には理解できなかった。
だが、その理由はとても簡単であった。
「生かされたってことは、やるしかねぇんだろ?安心しろ。信用できねぇと思ったら殺せ。助からなかった場合もな」
九十九に残された選択肢はたった一つしかない。この依頼を引き受けることだ。
そうでなければ、ここで死ぬしかないのであろう。
それに、九十九は、死を覚悟している。
信用できなかったり、助からなかったら、自分の存在は必要ないだろう。生かしておく意味など到底ない。
九十九は、死ぬことを望んでいた。椿の元へ行くために。
だが、九十九は死ではなく、生きることを選んだ。
どうしても果たしたいことがあったから。
「……わかった。頼んだぞ」
「ああ」
「……お前の名を聞いておこう。なんというのだ?」
「……九十九だ」
九十九は、勝吏達に名を告げた。
朧は、自分の部屋で眠りについている。
赤い月の日、朧は別の場所で隠れていた。
予知されていても、ずれというものは生じる。念のため、早い段階で朧は隔離させられていたのだ。
そのため、朧は生き延びることができた。
朧だけではない。柚月も虎徹も勝吏も月読も生き延びたと聞かされている。
それを聞いた朧は安堵していた。だが、その直後、衝撃を受けた。
その理由は、椿が死んだことも、聞かされていたからだ。
椿がなくなった事を知った朧は、呆然と天井を見上げていた。
「……もう、死ぬのかな」
生き延びた朧であったが、あきらめていた。
呪いは確実に朧の体を蝕んでいる。
余命も残りわずかだと悟っているようだ。
「ごめんね、姉さん……」
朧は、涙を流した。椿を守れなかったことを後悔して。
自分が呪いにかかっていなければ、椿を救えたかもしれないと思うと、自分の無力さを呪っていた。
だが、その時だ。
突然、勝吏と月読が朧の部屋に入ってきたのは。
「父さん?母さん?」
なぜ、二人して入ってきたのか、朧には理解できなかった。
それに、朧は気付いていた。
勝吏の右肩に小さな狐が乗っていたことに。
その狐は、勝吏から降り立ち、朧の元に駆け寄り、妖狐になった。
その妖こそが、九十九であった。
九十九は、勝吏に依頼した。自分の正体を誰にも知られないようにしてほしいと。だが、どうしたらいいのかわからないと告げて。
勝吏もそのつもりであった。
そのため、勝吏は、月読に頼んだのだ。九十九が、狐に化けられるように術をかけてほしいと。
こうして、九十九は狐に化けることができるようになった。
「妖狐?なんで……」
「お前を助けてくれるんだよ」
「え?」
朧は、驚く。
妖が朧を助けるというのだ。
なぜだか、わからない。どうやってなのかもわからない。
混乱している朧に対して、九十九は冷たい眼差しで、朧を見つめていた。
「よう、てめぇに聞きたいことがある」
「何?」
「……てめぇは、生きたいか?」
「え?」
「生きたいかって聞いてるんだ」
戸惑う朧に対して、九十九は、もう一度同じ質問をする。
だが、その時の九十九は、どこか優しさを感じていた。
その優しさを感じ取ったのか、朧は素直な気持ちを九十九に伝えた。
「……生きたい。生きて、姉さんの仇を取りたい」
「わかった。なら、助けてやる。俺がな」
「……うん」
朧は、うなずく。
九十九を受け入れたわけではない。
生きるために、生きて椿の仇を討つために、九十九に助けを求めたのだ。
朧は承諾したのを確認した九十九は、月読に視線を向ける。
月読は、術を発動し、朧は、意識を失い始める。
そして、九十九は、朧の中へと吸い込まれるように入っていった。
こうして、九十九の孤独な戦いが始まったのであった。
――それから、五年、俺は妖を燃やし続けた。命を削って。
勝吏と月読は、九十九が命を対価にして九尾の炎を発動していることは知らない。
九十九も二人には教えていない。もちろん、朧にもだ。
だが、これでいいと九十九は判断した。
知られてしまったら、二人は、判断を鈍らせてしまう。
余計な感情を生み出さないためにも。
九十九は、五年間、命を削ってきた。
――はじめは、天鬼を殺すために、生きようとしたんだ。椿と両親の仇を取るために。
九十九が、勝吏の提案を受け入れたのは、天鬼を殺すためだ。
椿と両親の仇を取るために、九十九は生きることを選んだ。
だが、それすらも叶わなくなりそうだ。
多くの命を削ってきたから……。
――俺の命は、もう短い。もうすぐ死ぬ。なら、この命を使って助けよう。朧達を……。だから、後は、任せるぞ。柚月……。
寿命が残り少ないことを悟った九十九は、死を覚悟していた。
柚月に未来を託して……。




