第百六話 天鬼の野望
天鬼が話し始めたのは、なんとあの赤い月の事だ。
椿が不安がっていたあの話である。
「赤い月?」
「ああ。そろそろ現れるだろうからな」
前に赤い月が現れたのは、もう五年前の事だ。
つまり、今年がその時期になる。
それは、妖達にとっては待ちに待った時であろう。
逃せるはずはない。聖印一族を一気に滅ぼす絶好の機会だ。
それゆえに、天鬼は九十九達を呼び寄せたのであろう。
「で、その赤い月がどうしたってんだよ」
「赤い月の日、我々は聖印京を滅ぼす。今度こそな」
「今まで、滅ぼそうとして、失敗ばっかじゃねぇか。どうやってできんだよ」
九十九は反論するかのように天鬼にかみつく。
そう、天鬼達は、幾度も赤い月の日に聖印京を襲撃してきたのだ。
多くの血が流れ、被害を拡大させた。
聖印一族を何人も殺してきたのだが、全滅させるまでには至っていない。
それは、天鬼にとって許しがたい事実だ。
絶好の機会を何度も無駄にしてしまっているのだから。
だが、それには深い理由があった。
それでも、九十九は悪態をつき、彼に対して、六鏖は、嫌悪していた。
「九十九、貴様、天鬼様に向かって……」
「よい、六鏖」
六鏖は、九十九を制止しようとするが、天鬼が止める。
天鬼に逆らえない六鏖は、こらえ、こぶしを握りしめた。
「そうだな。あの泉の力によって、我が同胞たちは滅ぼされた」
「駒の間違いじゃねぇの?」
さらに、九十九は、天鬼にかみつく。
天鬼は、自分達を同胞などとは思っていない。退屈しのぎに、妖の命を聖印一族に差し出したこともあったのだから。
気に入らなければ、斬り捨てることだってある。それが、四天王でもだ。
九十九は、それを知っているからこそ、わざと神経を逆なでするように反論したのであろう。
だが、天鬼は、いたって冷静だ。
彼の様子をうかがっていた六鏖達は内心、怯えていた。
「そんなことは、どちらでもよい。私にとってはな」
「……」
「あの泉に浄化される前に、聖印一族に憑依する」
「そ、そのようなことができるのでしょうか?あ奴らに憑依など……。もし、あ奴らが意識を取り戻して聖印能力を発動したら……」
聖印一族に憑依できれば、戦いを有利にすることができるであろう。
何より、聖印一族の魂は妖にとって手に入れたいものである。だが、彼らが意識を取り戻し、聖印能力を使えば、憑依している妖自身も消滅してしまう危険性がある。
いくら天鬼でも憑依するのは、命を落としかねないと六鏖は不安視しているようだ。
それでも、天鬼は、狂気の笑みを浮かべている。
まるで、勝利を確信しているような。
「確かにな。だが、ある情報を手に入れててな」
「情報?何それ」
「聖印一族と一般人の間に生まれた人間がいるらしい」
「!」
天鬼の言葉を聞いた九十九達は、驚愕していた。
本来、聖印一族は一族以外の結婚は許されていない。なぜなら、聖印能力が半減してしまうからだ。
昔は、同じ家の結婚が当たり前であったが、数を確保するために、今では異なった家の結婚も許されている。全ては、聖印能力を保持するため。
もし、一般人と結婚し、子供が生まれていたとなれば、大問題に発展するであろう。
それゆえに、そんなことは考えられない事であったが、天鬼の情報によると聖印一族と一般人の間に生まれた子供がいるようだ。
「ホントウニ……イルノカ?」
「ああ、そうだ」
雷豪は耳を疑った。
天鬼に話を信じていないわけではないが、本当にいるとは思えないようだ。
それでも、天鬼はうなずく。まるで、確信しているかのように。
話を聞いていた六鏖は、納得した表情を見せていた。
「なるほど、聖印能力を持ってはいるが、聖印一族よりは力は半減されていると」
「その通りだ。おそらく、そ奴なら憑依することは可能であろう。聖印能力を発動されても、死にはしない」
「できんのかよ」
「ああ」
「大した自信だな」
試したこともないというのに、天鬼は自信に満ちた表情をしている。
半減された聖印能力など天鬼にとって弱点でもないのであろう。
憑依するのもいとも簡単にやりそうだ。
「で、そいつは誰なんだ?」
「聞いてどうする?」
「知らねぇと作戦も立てられねぇんじゃねぇのか?」
「その点に関しては、問題ない」
九十九は、情報を聞きだそうとする。
その理由は椿のためだ。椿がその該当する人間ではないとは思いたいが、念のため、確認しておかなければならない。
もし、本当に椿が、そうだとしたら、彼女の身に危険が迫っていることになるのだから。
だが、天鬼は、答えようとはしない。
九十九の心情に気付いているわけではないのだが、言うつもりなどないのであろう。おそらく、話せば、他の妖が乗っ取ってしまうかもしれないからだ。
天鬼は狙った獲物は逃がさない主義だ。どんな手を使ってでも。
「今回は、北聖地方を襲撃する。お前達は、一族の相手でもしていろ」
「ソレデ……イイノカ?」
「ああ」
「あなた一人で、そいつのところに行くってことなの?」
「そうだと言ったが?」
「嫌ね、怖い顔」
何度も聞かれた天鬼は、不機嫌な顔になる。
六鏖達は、天鬼を信頼していないわけではない。だが、万が一ということもある。聖印一族が、束になれば自分達でも危機に陥ることもあるのだから。
「ま、俺達はおとりってことだな。いいぜ、俺達は所詮お前の駒だからな」
「九十九!」
再び、九十九が神経を逆なでするような言い方をする。
さすがの六鏖も、耐え切れず、声を荒げた。
しかし……。
「よい、六鏖」
天鬼は、六鏖を制止する。
言われた本人はいたって冷静だ。
怒りを露わにしている様子はない。
「で、ですが……」
「私の言うことが聞けぬのか?」
天鬼は、六鏖をにらみ、殺気を放つ。
これ以上、反論すれば、六鏖は間違いなく、天鬼に殺されるであろう。
そう、思うと六鏖の背筋に悪寒が走った。
「も、申し訳ありませんでした」
怯えながらも、六鏖は、頭を下げる。
反論する気はないと感じたのか、天鬼は、笑みを浮かべていた。
「そういうことだ。だが、お前達の力を知っているが故だ」
「どうかな」
「……」
九十九は、さらに天鬼にかみつくような発言をする。
天鬼は、黙ったまま、九十九をにらんでいる。九十九も天鬼をにらむ。どちらも殺気を放っているように六鏖達は、感じた。
一触即発状態だ。このまま、殺し合いが行われてしまうのではないかと思うほどに。
だが、天鬼は息を吐き、冷静さを取り戻したようであった。
「話は以上だ。下がれ」
「はっ」
どうにか、収まったようで六鏖達は、内心安堵し、頭を下げる。
それと同時に九十九は天鬼に背を向け、歩き始めた。何も言うことなく、ただ、黙って。
「……」
六鏖は、頭を下げたままこぶしを握りしめた。
九十九に対しての怒りが、抑えきれないほどに。
六鏖は、天鬼の元を去り、塔を出た。
――あの男は、いつもそうだ。天鬼様に向かって無礼を!
六鏖は、常に天鬼の様子をうかがって生きてきた。天鬼の機嫌を損ねないように。
それに対して、九十九は常に天鬼に対して悪態をついている。神経を逆なでさせるような発言も幾度となく発してきた。
天鬼に対して、そのような言動ができるのは九十九のみ。今までそのような事をしてきた妖はいない。してしまった時点で、殺されるのだから。
六鏖は、それが気に入らなかった。
「天鬼様は、何を考えていらっしゃるのやら。あいつは、天鬼様を殺そうとしていたというのに」
六鏖は知っている。九十九がかつて天鬼を殺しにかかったことを。
その時は、天鬼が勝ったが、九十九の九尾の炎は自分達にとっては驚異的だ。いつ燃やされて、灰にされるかと思うほどの威力を持っている。
天鬼でさえ、その九尾の炎に舌を巻くほど苦戦したのだから。
九十九は再び、天鬼を殺す。その時が来るはずだ。
それなのに、天鬼は九十九を気に入り、四天王に入らせた。
その意図が六鏖には理解できなかった。
「あ奴さえ、いなければ……」
「右腕になれるって?」
六鏖の背後から少年の声がする。聞いたことある声だ。その声は、嫌味を含んだように聞こえる。
六鏖は、振り向くと背後にいたのは、緋零だった。
緋零は不敵な笑みを浮かべている。何かたくらんでいるようにしか思えなかった。
「緋零か。なんだ?」
「ううん、別に。何でもないよ」
緋零は不敵な笑みを浮かべたまま、六鏖に近づく。
やはり、何かたくらんでいるようだ。
緋零は、六鏖の目の前に立ち止まり、顔を覗き込むようにして見上げた。
「ねぇ、最近の九十九って変じゃない?」
「何がだ?」
「僕さ、ずっと、九十九の事見てきたんだけど。最近、殺してないみたいだよ」
「あの男が?まさか」
「うん、だって。血を浴びてないじゃない」
「……」
そんなことあるはずがない。
天鬼に警告されても殺しをやめなかった九十九が、今は人間を殺していないなどとは。
しかし、確かに様子がおかしいようにも思える。
確かに、以前の九十九なら血を浴びて帰ってきたことは、よくあるが、今は血を浴びた様子もない。
それに、天鬼が誰に憑依しようとしているのか聞きだそうとしていた。
九十九は獲物を狙っているのではないかと疑っていたが、そうでもないかもしれない。
そう思うと、緋零の言っていることは本当のように思えてくる。
ますます、九十九に対して、疑惑が浮かび上がってきた。
「本当だって。なんなら、見てみる?面白いものが見れるかもしれないよ」
「……いいだろう」
 




