第百一話 涙が流れる理由
「白銀の炎?」
椿は、呆然としている。ただ、おびえるかのように
それもそのはず、椿達に襲い掛かろうとしていた妖が突然、白銀の炎に包まれたからだ。
妖は、絶叫を上げ、燃やし尽くされ、一瞬のうちに灰と化してしまった。
彼女達の様子を木の上から九十九が見ていたのであった。
だが、九十九はいつもと様子が違う。苦悶の表情を浮かべながら、かきむしるように、自分の胸倉をつかみ、荒い呼吸を繰り返す。
にじみ出てくる汗が、額から頬へと伝っていた。
ようやく、呼吸を整えられ、椿を見ている。
まるで、彼女の無事を確認するかのように。
「無事だったみたいだな。ったく、世話が焼けるぜ」
息を吐いた九十九は掌を見つめた。
――久々にあの炎を使ったなぁ。
あの白銀の炎を放ったのは、もちろん九十九だ。
だが、九十九が炎を使ったのは、久しぶりであった。気が遠くなるような遠い過去の事だ。それも、初めて味わった敗北の時。適わない相手がいると知ったあの時以来であった。
思い返せば胸糞悪いことばかりだ。それをかき消すかのように九十九は、あたりを見回す。
他に妖はいないようだ。誰にも見られなかったようで、九十九は安堵していた。
「他の奴らに気付かれるとめんどくせぇし、逃げるか」
九十九は、他の木に飛び移って、姿を消す。
椿達に気付かれないように。
椿は、九十九が助けてくれたとは気付いておらず、灰となった妖を見つめていた。
「い、今のは……何?」
椿には何が起こったのか、わからない。
あの時、班の誰かがあの白銀の炎を発動したとは思えない。陰陽術師である三美は怪我を負い、五十鈴は、彼女の治療に取り掛かったのだから。周辺には隊士達はいない。なら、いったい誰なのだろうか。椿は、思考を巡らせようとしていた。
その時、椿ははっとして我に返った。
考えている暇はない。なぜなら、三美が怪我を負ったのだから。
「三美!」
椿達は急いで三美の元へと駆けだしていく。
助かってほしいと願いながら。
椿は、応急処置を受けた三美を連れて、すぐさま聖印京へと戻った。
宿舎へと運ばれた三美は、すぐさま治療を受けた。五十鈴の対処のおかげで命に別状はないが、心配だ。
志麻達は、三美の無事を祈った。
椿は、自分の責任だと自分を責めながら……。
自分がもっとしっかりしていれば、妖を倒したか、確認していれば、三美は怪我を負うことはなかった。志麻達が危険な目に合うことはなかった。全ては自分の責任だ。椿は、そう何度も責めた。自分自身を追い込むほどに……。
「……」
椿達は黙ったまま、三美の治療が終わるのを待った。
だが、すぐのことだ。隊士の一人が部屋から出てきたのは。
椿達は、隊士の元へと駆け寄る。三美の状態を聞くために。
椿達が何を聞きたいのか悟ったようで、隊士は冷静に語り始めた。
「治療は無事終わりました。箭原三美が目覚めましたわ」
「……ありがとう」
三美が無事だと聞いて椿達は、安堵し、すぐさま三美のいる部屋へ入った。
三美の頭は包帯が巻かれてある。痛々しく見えてしまう。
彼女の姿を見た椿は、ますます自分を責めていた。
「三美……」
「椿、怪我はない?」
「ええ……ごめんなさい。私のせいで」
椿は、声を震わせて、謝罪する。
怪我を負わせてしまったのだ。三美は自分を怒り、責めるであろう。
そう思っていた椿であったが、三美は首を横に振り、微笑みかけた。
「違うわ、あなたのせいじゃない。気にしないで」
三美は、責めることは決してしない。わかっていたからだ。いつも前線で椿多戦ってくれるおかげで今まで無事だったことを。
それに、自分が勝手に動いて椿をかばっただけ。椿は何も悪くない。
そう思っているからこそ、三美は責めなかった。
「でも……私は……」
責めずにいてくれる三美の優しさが椿の心にしみる。
だが、それは、椿にとっては酷なことだ。自分のせいだと責めてくれた方がまだよかった。
椿は、うつむき、言葉が出てこなくなってしまった。
そんな彼女を見た三美は意を決するかのように問いかけた。
「椿、貴方、無理してない?」
「え?」
三美に指摘され、椿は驚き、戸惑った。
違うと言いたいのに、否定できない。後ろへ下がりそうになる椿を止めるかのように、三美は椿の手を握った。
だが、捕まえようとしているのではない。ただ、優しく握っていたのだ。椿の事を支えたいと思う一心で。
「ずっと、思ってたの。椿は無理してる気がするって。ねぇ、無理しなくていいのよ?もっと私達を頼っていいの。私達は仲間なんだから」
三美の言葉を聞いた志麻達は、うなずく。
皆、同じ想いだ。自分達にもっと頼ってほしい。自分達も椿を支えたい。椿の仲間として。
三美達が自分の心情に気付いていたことを知り、戸惑う椿。
彼女達がそう思ってくれていたのは椿にとってはうれしかったはずだ。
だが、それではいけない。このままでは駄目なんだと、椿の心が叫んでいた。
「駄目よ……私は、隊長なんだから。隊長として、皆を守りたかった……」
「椿……」
「ごめん……。ごめんなさい……」
椿は、涙を流し、謝罪した。
椿が、三美達に涙を見せたのは、初めてだ。
だが、それすらも、椿は自分が許せなかった。彼女達の前では強くありたかったから。
その後、椿は一人で南堂へ向かい、月読に報告。
月読は、お咎めはなかったが、椿を気遣う言葉もなかった。
いつもの事だ。責められなかっただけよかったのだろう。
そう思いたい椿であったが、心の余裕はどこにもない。
部屋に戻った椿は、自己嫌悪に陥り、膝を抱え込んでうつむいていた。
――こんなんじゃ駄目なのに……。それに、あの白銀の炎って……。
椿は、思考を巡らせる。
突然のあの白銀の炎は何だったのか。一種のうちで妖を燃やし尽くした威力は、相当のものだ。椿は、陰陽師や、聖印一族が放ったのではないかと予想していた。
だが、月読は白銀の炎については知らないようだ。
だとしたら、誰が放ったというのだろうか。答えは全く出てこない。
もう、考えるのも嫌になる。
いっそのこと逃げ出してしまいたい。誰も知らないどこかへ。
そう思っていた椿であったが、ふと思い浮かべたのは、九十九の顔だ。
どうしてかはわからないが、九十九に会いたくなった。
「九十九……会いたい……」
椿は、御簾を開け、走りだす。
奉公人や女房が、すれ違いざまに振り向くが、椿は見向きもせず、気にも留めていない。
誰かに止められる前に、早く屋敷を出たかった。
出て、九十九の元へ会いたかった。
椿は、いつもの場所に来ていた。
だが、九十九の姿はないようだった。
九十九がいないことを残念がる椿であったが、同時にふと疑問に思うことがあった。
――会ってどうするつもりなのかしら……。今日の事でも話そうとしてるの?そんなこと話せるわけない……。話せないよ……。
椿は、会いたいと願ったのは確かだが、会ってどうしたいのかまでは考えていない。
ただ、無我夢中で屋敷を飛び出してきたのだから。
弱音を吐きたくない。こんな姿を見せたくない。だが、話を聞いてほしい。
矛盾した考えの中で揺れ動く椿は葛藤していた。
その時だった。
「よっ!」
「わぁっ!」
椿の背後から九十九が現れ、椿を驚かす。
驚いた椿は、飛びあがり、振り向いた。
「び、びっくりした!驚かさないでよ!」
「はは、わりぃ、わりぃ」
「んもう」
驚かされた椿は九十九に対して怒るが、九十九は、笑っている。
九十九の笑顔を見て、椿は、安堵していた。
だが、それも一瞬の事だ。
ふと、あの光景がよみがえる。三美にけがを負わせたこと、何もできなかった自分。
数々の場面を思い浮かべた椿は、うつむいてしまった。
「どうした?なんかあったか?嫌なこととか」
「え?なんで?」
「あ、いや……なんとなくだ」
九十九は、困ったような顔をして頭をぽりぽりと掻く。
本当のことが言えなかったからだ。実は、木の上から椿の様子を見ていて、自分が白銀の炎を放ったなどと。
さすがに見られていたなどと気付いたら椿もいい気持ちはしないだろう。
そう思うと九十九は口ごもってしまった。
だが、椿にとって、そんなことどうでもよかった。もう、話してしまいたい。話せば、楽になれるかもしれない。椿は心がボロボロの状態だ。
全てを話してしまおうと決意した。
「……実は、ね」
椿はついに、任務のことを話し始める。
九十九は知っていたが、知らぬふりをしてただ、うなずいていた。
「なるほどな。そんなことがあったのか」
「ええ……」
椿はうなずいた。だが、九十九の顔は見れず、うつむいたままであった。
「私、何もできなかった。三美に守られて……。誰かに、助けられて……。隊長失格よ」
椿は、涙がこぼれそうになるのを必死で抑え込む。
こんな自分が情けなく思う。もっと強かったら、良かったのにと思うほどに。
自分を責め続ける椿を九十九は見てられなかった。
「別にいいじゃねぇか、守ってもらったって、助けてもらったって」
「よくないわ!私は、隊長なのよ?隊長は部下を守る立場にあるの!部下にそんなことさせられないわ!」
九十九なりに励ましたつもりであったが、椿は、頑固者だ。
隊長としての自覚はあるが、一人で抱え込み過ぎである。
自分の助言を受け入れられない椿に対して、九十九は、苛立ち始めた。
「めんどくせぇ」
「は?」
「めんどくせぇって言ってんだよ。隊長だからどうとか、そんなの関係あるか!」
「あるわよ!あるに決まってるでしょ!九十九にはわからないわよ!」
「知るか、そんなこと!」
九十九は声を荒げる。感情任せになってしまった。
だが、椿も同様だ。感情任せに声を荒げてしまう。八つ当たりだとはわかっているが、この感情を椿は抑えることができなかった。
限界に達していたのだろう。
それでも、九十九は、苛立ちを隠せなかった。
「あー、本当めんどくせぇ。別に誰か頼ったっていいだろ?頼れる奴がいるんだったら……」
九十九は突然、寂しそうな顔をする。
それは、なぜなのかは椿には理解できなかった。
いや、今は、自分のことを考えるだけで精一杯だったのだろう。
九十九の心情は椿には読み取れなかった。
「そういうわけにはいかないのよ……わかってよ」
「わかるかよ。なんで、一人で抱え込むんだって言ってんだよ!」
「仕方がないじゃない!そうじゃなきゃ皆を守れないの!強がるしかないのよ!いつ死ぬかもわからない状況で戦ってるんだから……。私だって、怖いわよ……。でも、言えるわけないじゃない……」
「椿……」
椿は、とうとう抱え込んでいた本音を吐きだす。
彼女は、戦いたくなかったのだ。戦うのが怖かった。死ぬのが怖かった。誰かが傷つくのが怖かった。誰かを失うのが怖かった。
今まで、恐怖の中で耐え抜き、椿は戦ってきた。
誰にも悟られないように、強くふるまって。
だが、もう、我慢の限界が来ていた。
「どうして、妖と戦わなきゃならないのよ!そうじゃなかったら、平和だったのに!みんな、妖のせいじゃない!」
椿は、感情を爆発させた。止めることなどできなかったのだ。
九十九はただ、黙って呆然と立ち尽くしていた。まるで、衝撃を受けたかのように。
直後、椿は我に返り、うつむいた。
「ごめんなさい……」
「いや、わりぃ。そう言えば、俺達って敵同士なんだよな……。本当は……」
「敵、同士……」
九十九の言葉を聞いた椿は、心が傷ついたように感じた。
これは、本当のことだ。間違いではない。椿は、そう理解していながらも、心がそれを受け入れられなかった。
九十九も、思わず言ってしまったようで、我に返った。
だが、時すでに遅し、椿は目に涙を浮かべていた。
「……もう、行くわね」
椿は、九十九から逃げ出すように走り始める。
九十九は追いかけることはしなかった。できなかったのだ。
椿を傷つけてしまったと感じていたから。
九十九は、歯を食いしばり、こぶしを握りしめる。
「……くそ!」
九十九は、自分に対して怒りを感じていた。
聖印京へ戻ってきた椿は、裏門をくぐり、戸を閉める。
乱れた呼吸を整えるように息を吐いた。
――そうだったわ。私は聖印一族、九十九は妖。敵同士……だったわ。なのに……。
椿は、忘れてしまっていた。
九十九は妖だと。
だが、九十九と話していると心が落ち着くのだ。まるで、彼は人間のようだと思えるほどに。
だから、忘れてしまったのであろう。
お互い戦い、殺し合う立場だということに。
残酷すぎる現実を椿は受け止められず、涙をこぼした。
――どうして、涙が出てくるのよ……。
椿は、なぜ、自分が涙を流しているのかわからず、うずくまった。
あふれる涙を止めることはできず、ただ、泣き続けた。




