第20話 「みんな、戦っている」
黄昏の空が赤く染まっていた。
神谷士道が地上に飛び出したときには、時刻はすでに夕刻。その空模様はどこか終末を意味するかのように感じて、士道は嫌気が差した。
すでに獣王と影山、そして大友の姿はない。
『樹海迷宮』から獣人族の里に向けて駆ける。
「魔力炉、起動……」
ガス欠状態の魔力が、伝説級の魔道具である『魔力炉の腕輪』の効果によって元の状態に戻り、そして増幅されていく。
普段の三倍にまで魔力が膨れ上がった。淡く身体を覆っていた身体強化が、その強度を増す。
同時に士道はこのまま走っていても追いつけないと考え、『瞬間移動』を連続で行使した。
大友達の目的地は獣人族の里。
ならば、その前で待ち構えていればいい。
♢
大友慎也は森林を疾走していた。時折姿を見せる魔物を一撃で潰しつつ、己の任務を果たす為に。
その鍵となる獣王は唸りながらも並走している。
影山は『霊体化』を使いすぎたのか魔力切れを起こし、少し後方を走っている。
「……いるな」
もう少しで里に到着するだろう。
そうすれば獣王を里に侵入させ、獣人族を支配させて回らせれば、それで決着だ。
だが同時に大友は半ば確信していた。
あの少年が、己の目の前に立ち塞がることを。
そして『大森林』の中央へ。
ザッ、と。大友は足を止めた。
なぜなら、獣人族の里の門前。木々が切り倒され拓かれた広場に、一人の少年が佇んでいたからだ。
黄昏の空を背負う彼は、どこまでも真っ直ぐに大友の瞳を捉えている。
たとえ、どれだけの強者に翻弄されても。
最後の最後まで、自らの想いを通す為に。
「……待っていた」
「……たとえお前が私を止めたところで、獣王に命令さえすれば終わりだぞ?」
「もう獣人族には避難を指示してる。それまではお前も獣王も、絶対に通さない」
「……ハズレ術師。良い覚悟だ。だが、覚悟だけで戦力差が覆るわけではないぞ」
大友は吊り下げた小銃を構えながら告げる。
士道を大友が抑えている間に、獣王が獣人族を探し当てれば終わりなのだ。
現実は非情である。
ひとりの少年の意志だけで、決定された悲劇が覆ることはない。
だが、
「追いついた……!」
後方から姿を現したのは、肩で息をする猫獣人の少女。レーナ・ランズウィックだ。
彼女は士道に視線を向けると、
「シドーさん。もう一度言います。わたしの父親は、わたしが何とかしてみせる。たとえ洗脳を解くことができなくても、死にものぐるいで止めてみせます」
だから、と必死にレーナは言う。
それは家族の為か。士道の為か。己が育った里の為か。きっと本人にも分からないのだろう。
それでも為すべきことだけは知っているから、彼女はあんなにも真剣な顔をしているのだ。
「あなたは、その男との戦いに集中してください」
ひとりでは叶わない願いも。
ふたりなら、叶うかもしれない。
きっとこの少年は、これまでそういう戦いをしてきたのだろう。
誰かの想いを受け取って、それを護る為に戦い、超えられない壁をその誰かと一緒に乗り越える。
きっと、それは美しいものだろう。いずれ英雄になる者の穢れなき理想の意志だ。
「……」
一瞬呆気に取られていた士道は強く頷く。
だが、大友のやるべきことは変わらない。
獣王への命令が、ひとまずレーナの排除に変わるだけだ。たとえ彼女が宣言通り死にものぐるいで獣王を止めたとしても、大友が士道を倒してから加勢すれば、それで終わりだ。
獣人族を避難させていると士道は言ったが、そう簡単に大勢が移動できるはずもない。
だから大友慎也は決断した。
獣人族を取り巻くこの戦いに。
ここで決着をつける、と。
♢
天使長イリアスは槍使いだ。天使という種族は光魔法を得意とする傾向があるが、イリアスはその枠には当てはまらない。
ある程度の無属性魔法は使える。『白い空間』を構築するだけの技量は確かにあるとはいえ、それは修練の賜物だ。
魔法の才能がなかったイリアスは、少しずつ無属性魔法を鍛え続けた。そして槍を振り続けた。
不器用な彼にはそれしかできなかったから。
ふっ、と。鋭い呼気。同時に爆発的な勢いで新魔王ルシアに向けて羽ばたくと、その勢いのまま槍を突き出す。
だが対するルシアは薄く笑みを浮かべ、腰に吊り下げる剣を引き抜いた。それは翻すような軌跡を描いてイリアスの槍を弾く。
その刀身は血のように紅い。どこか悍ましい気配を感じさせる代物だった。
――魔剣。
そう呼ばれるものであるとイリアスは確信する。剣に魔導刻印が刻まれ、特異な能力を宿している古代文明の遺物。士道の『天魔刀』の同類である。
「……」
「……」
最早、語ることはない。敵の一挙一動をつぶさに観察した上で予測できる行動を羅列。そのうち可能性が高いものを警戒して、即座に反応できるように態勢を整える。
魔剣の能力は不明。だが魔王が手にする価値があると判断するほどのものだ。油断は禁物。イリアスは脳裏に知っている魔剣を並べ立て、そのすべてに対応できるように意識する。実際には不可能だ。しかし、それを為すというイメージこそがギリギリの死線を潜り抜ける為に重要なことだとイリアスは思っている。
槍を弾かれたイリアスはぐるりと身体を回転させて、その武器を再び構える。翼を僅かに振動させて態勢を微修正。ルシアは肩に魔剣をかけ、悠々とそのさまを眺めていた。口元にはニヤニヤとした笑み。だが、その瞳から放たれているのは鷹を彷彿とさせる眼光である。
イリアスは突進。そう見せかけて、ルシアの数メートル先で急停止。訝しむルシアに向けて翼を思い切り羽ばたかせた。白い羽根が飛ぶ。
ルシアは目を剥いて咄嗟に黒い翼で身を包んだ。
並の相手ならばその判断は正解だった。だがイリアスは天使長。世界最高峰の実力者だ。ルシアの視界が自らの翼で覆われた隙に、手にした槍を恐ろしい速度で放つ。
だがそのイリアスの槍が、唐突に蛇のようなものに巻き付かれた。槍の軌道が逸らされる。だがイリアスは咄嗟に体ごと回転させて、その謎の物体を引き剥がす。
一瞬の交錯の中で目を凝らした。あの蛇のように長大な物体はおそらく魔剣だ。その能力だろう。
つまりは鞭のような使い方ができる。それを考慮していたイリアスは余裕を持ってルシアの魔剣を躱した。風が唸る。前髪が揺れた。
風の影響を考慮して翼を動かし、間合いを調整。これまでと同じでは見切られる。故にイリアスは意図して距離をズラしていた。
ルシアはそれを見て眉をひそめる。今度はイリアスが僅かに口端を吊り上げた。
「……」
「……」
戦いは続く。
互いの命を取る為に、冷徹な思考を重ねながら。
♢
固有スキル『心象結界』を操る天性の奇術師。イリアスにそう評された老人――グライブ・セラキオスは戦況を眺めていた。
グライブの眼前で戦闘を繰り広げているのは、天使族の研究要員十二人と上位悪魔四人。
数的不利があるとはいえ、まだ天使を一人しか殺せていないのは、上出来と呼べる結果ではない。
この上位悪魔四人は、グライブやドム、ブレットといった老練の実力者とは異なり、最近になって頭角を現してきた若者である。
まだレベルオーバーにも達していないので、天使相手に苦戦しても仕方のないところはあるが、そういう事情を鑑みてもグライブは不機嫌だった。
この上位悪魔達は、これから先の魔王軍を担う器なのだ。たかがグライブの予想の範囲内程度に収まってもらっては困る。
そういう感情が伝わったのか、まだ若き才能の塊は「おお!!」と叫び声を上げ、また一人天使を斬り殺した。
それにより更にレベルが上昇したのか、動きの速度が変化する。グライブは僅かに笑みを浮かべた。
それで良い。そうやって強くなれ。
上位悪魔はそもそも並の悪魔とは才能が違う。多少の無理も通してみせろ。そしてレベルオーバーの領域に達してこそ、魔王軍の幹部を担うに相応しいと認められるのだ。
その意味では、バーン・ストライクは惜しい人材だった。ここの四人の一歩先を行く若き俊英。だが彼は、不死魔王の復活という使命を成し遂げて散ってしまった。
若き者を先に死なせるのは、古き時代を生きた者として失格だと、グライブは思う。それでも、グライブはバーンの死に様を肯定しなければならない。
彼は魔王軍として忠実に生き、そして死んだ。
グライブ達は彼の遺志を継ぎ、その上で戦う。
これから先の悪魔の未来の為に。
グライブが目を細めると、何を勘違いたのか、若い上位悪魔の一人がグライブを手で押し留める。
自分らだけでやってみせる、と。
野性的な眼光がそう訴えていた。
それを見てグライブは特徴的な声音で笑う。
「ならば、やってみせろ!! ホホッ!」
戦いは続く。
悪魔達は、徐々に天使を追い詰めながら。
♢
ミレーユの"支配領域"から、数十の魔法が放たれる。それは七色の軌跡。見惚れる者を切り裂く残酷な舞だった。
だが、対する老練の上位悪魔――ドムは、数々の魔法の直撃を受けながらも、そのまま大地を蹴りぬいて突進。
頑丈な肉体だ、と。ミレーユは障壁を連続展開しながらも歯噛みした。とはいえアイザックのように無傷なわけではない。ダメージは与えているのだ。後は近づけさせなければいい。
だが、ミレーユは魔術師の最高峰。ドムが何が何でも接近しようと挑んでくるのは当然のことだ。
ミレーユは天才だ。そして冒険者としてかなり熟練している。しかし、百年前の戦争を戦い抜いたドムはそれ以上の経験を持つ。
戦闘経験は実力差に直結することが多々ある。それは一瞬を切り分けた極限状態における一手にこそ如実に現れるのだ。
ミレーユが距離を取る為に膝を少し曲げる。だがドムのサングラスの奥の瞳は爛々と輝きを灯した。
猛烈な危機感。だが、何をする気か読めない。ミレーユはそのまま後ろに飛び下がろうとするが、身構えた直後。
ダン!! と、地割れが発生した。
ドムは手斧を地面に叩きつけたのだ。
しまった、とミレーユが思ったときにはもう遅い。ドムは隙を逃さずに突っ込んできた。豪腕で手斧を振り回す。ミレーユは半ば本能的に物理障壁を構築。それが破壊されるまでの秒単位のラグに、地面を転がって斧の軌道から抜け出した。
ミレーユの水色の髪が一房ほど宙を舞う。微塵の動揺も見せずにミレーユは土魔法を展開。仕返しとばかりに同じ手を返す。ドムが立っている地面が思い切り割れた。
ドムは咄嗟に翼を動かし飛翔する。だが、飛翔を始めた直後は動きにくいはずだ。ミレーユはその隙に全力で魔法を叩き込む。
「"虹之断罪"」
全属性の魔法が炸裂する。凄まじい轟音が響き渡った。だが煙を風魔法で吹き飛ばすと、満身創痍の状態で、しかしまだドムは立っている。
「頑丈、なのですね」
「そうでもない。お前の魔法、確かに凄いが、軽い。技量は褒める。だが、それは魔物相手の威力。悪魔の耐久力に慣れるべきだ」
軽口を叩きながらも、戦闘は続く。
♢
リリス・カートレットは上位悪魔のブレットと向かい合っていた。
まともに戦っても勝ち目はない。それを理解しているリリスは遠距離から『魔光線』を撃ち、走り回りながら、ブレットに問いかける。
「あんたらは、あたしを回収してどうしたいわけ!?」
その質問に、冷静に追いかけてくるブレットはぴくりと眉を動かすと、
「お前は『魔王の器』。今のところ魔王の試練を越えられる者はルシア様以外にいない。つまり、お前は必要。いずれ"儀式"の為に回収することになる」
「……儀式?」
「魔神ゲルマ。その再臨の儀式には、当代の『三大魔王』の結集が必要事項」
唐突に出てきた魔神の名にリリスは驚いて目を見張りながら、
「あんたらの王は、魔神に興味はないって言っているように聴こえたけど……」
「興味はなくとも、利用価値はある」
「……?」
リリスは不思議そうに小首を傾げたが、ブレットはそれ以上答えるつもりはないようだった。
徐々に走る速度が上がる。リリスは舌打ちして再度極光を放った。莫大な閃光が炸裂する。
「ええい……! やるしかないんでしょ!?」
戦いは続く。
淡々と、隔絶した実力差に怯えながら。
♢
そして。
「みんな、戦っている」
神谷士道は呟いた。
「俺たちの決着を待っているんだ」
「……そうだな。最後に、聞いておく。手を引くつもりはないのか。今逃げるのなら、追いはせん」
「俺だって逃げたいさ。別に戦いたいから戦ってるわけじゃないんだ」
「……」
「それでも、戦うべき理由があった。……アンタだって、そうだろう。アンタは進んでこんなことをやろうとする人間じゃない。そのぐらいは分かる」
「……買いかぶりすぎだ。私はただの悪人だよ。……だがな」
大友の瞳は揺らがない。
為すべきことは分かっている。とうに覚悟なら決まっている、と。そう告げるように。
「その事実を受け入れた上で、前に進むべき理由がある」
「その結果として罪の意識に支配され、苦悩し続けるのはお前だ」
「理解している」
「この先もし俺を倒しても、お前は絶対に幸せにはなれない。他ならぬお前がそれを認めない」
「理解している」
「……だろうな。元より、説得できると思ったわけじゃない」
「ならば、なぜ尋ねた」
「アンタにも、全てを投げうってでも譲れない理由があるんだと……確認したかったんだ」
士道は微かに笑う。
信念と信念。譲れない理由。戦う為の意志。士道は、何かの為に戦える人間を尊敬している。
だが、その誰かの道が、士道が歩む道の行く手に立ち塞がるのならば。
士道は、剣を引き抜いた。
「これが、最後の"試練"」
対する大友は、銃口を士道へと向ける。
「私は絶対に元の世界に帰る。そうしなければならない理由がある。たとえ地獄に落ちてでも」
その言葉が最後だった。
二人は強く、睨み合う。
獣人族の里を取り巻く複雑な状況。
その趨勢を決める、最後の戦いが始まる。
上位悪魔ブルースの名前をブレットに変えました。
二章のアイツと被るので。




