第17話 「想い」
神谷士道は君臨していた。
イリアスが裂帛の気合と共に撃ち放った槍の穂先を、『瞬間移動』を行使した士道が刀の柄、握りしめた手の横の部分で受け止める。
その表情は揺るがない。決して力を緩めることはなかった。
イリアスの眼光と士道の眼光が火花を散らすかというほどに衝突して拮抗する。
ギチギチと、互いの筋力が唸りを上げる。
「……なに、を……」
信じられないものを見たような調子で、ルナールが呆然と言葉を漏らした。
士道は彼女に背中を向けたまま、さらに魔力を肉体に流して身体強化を強めていく。
「安心しろ」
その状態のまま、力強く言葉を紡いだ。
一瞬の交錯でイリアスとの隔絶した力量差を体感して、湧き上がる恐怖を抑え込んだその上で。
己の覚悟を示すかのように。
「お前のような奴を死なせはしない。絶対に」
その言葉と同時、『雷撃』が閃いた。
耳を劈くような鋭い轟音が鳴り響く。対するイリアスは躊躇なく槍を手放し、二対の白い翼で身を包んで防いだ。バリィ!! と、凄まじい音が響いたが、純白の両翼にダメージは皆無。
イリアスは雷の勢いを利用して後方に飛び退く。着地して態勢を整えると、鋼のような眼差しで士道を見据えた。
イリアス配下の天使達も士道を包囲するように展開し始めるが、レーナやミレーユが牽制し、不完全な状態に留まる。
氷のような緊張感。
誰一人として言葉を発しなかった。
「……」
まだ魔力はある。戦える。
やるべきことは簡単だ。
このふざけた実験をぶち壊す。
ルナールを助け、獣王を"神格化"から解放する。
一連の出来事に混乱していた頭が、妙にクリアになっていく。
確かに困難なことだろう。
士道はあまり感情を表には出さないが、実際には目の前の天使をこれ以上なく恐ろしいと感じていて、死への恐怖が足を竦ませる。
そんな感情を受け入れた上で、士道は助けたいと思ったのだ。
ならばその想いは本物だ。それを失うことの方が、他の何よりも怖いと思った。
士道は強く、硬く、剣を握り締める。
「レーナ。ミレーユ。リリス。悪い、この場から離れ――」
「――るわけないじゃないですか。あの人はわたしの父親ですから。わたしが、助けます」
「教え子を置いて逃げるほど、つまらない人間ではないのです」
「あたしは……なんだろう。とりあえず、一緒に戦いたいとは、思ったから」
半ば分かっていた返答なので士道は苦笑を過ぎらせた。リリスだけ少し締まらないが。本人はそれを自覚しているのか、頬が少し紅い。
そしてウルフェンには何も告げない。自分が隷属させた魔物だ。きちんと働いてもらおうと思う。
グルル、と戦意の昂りを示す嘶きが聴こえた。
そんなことを考えていると、側に控えている天使から予備の槍を受け取ったイリアスが、怪訝そうな調子で尋ねてきた。
「……前から思っていたが、やはりお前の行動は理解しかねるな」
「……」
「何の為に、その女を助ける?」
イリアスは淡々と、
「なぜ獣人族を取り巻くこの状況に手を出そうとするのだ。それで貴様が得るものは何もない」
「何かを得たいから戦っているわけじゃない」
「では、何の為だ」
「失いたくないモノを見つけたから」
士道は断言する。
イリアスは眉をひそめ、不可解そうに言う。
「……貴様が獣人族の里を訪れたのはつい昨日の出来事のはずだ。その九尾にいたっては、この場が初対面だろう。情を抱くほどの時間があったとは思えない」
「だとしても」
士道は剣を構え直しながら、
「助けたいと思ったから、助ける。俺が戦う理由なんて、それだけで十分だ」
「…………なるほど、な」
イリアスは嘆息する。
結局のところ、それがすべてなのだ。士道は普通の高校生である。御大層な目的なんて何一つとしてない。ただ、己の内から湧く感情に背けないし、背くつもりがないのだ。
自らがかつて憧れた『あの男』を基準にした、自らの想いに従うというこの信念を、貫き通したいと考えているだけだった。
「子供の理屈だな。そんな戯れ言をいつまで吐き続けるつもりだ」
「当然、死ぬまで」
それが会話の区切りだった。
イリアスと士道は何の前触れもなく、しかし同時に前に踏み込む。士道は極端に軽く設定した『天魔刀』を恐ろしい速度で振るい、直後に重量を極限まで増加させる。対するイリアスは己の体に刻みつけた動作で槍を前へと突き出した。
金属を破砕するような甲高い響きが炸裂。命の取り合いが始まる。
♢
時を同じくして、周囲の天使達も動いた。
ミレーユは周囲をざっと観察する。
葉山集は後方で壁に背を預けていた。もう自分の役目は終わったとでも言いたげな雰囲気を出している。彼は士道の足止めをする為にかなりの魔力を費やしていたはずだ。あまり余力がないのも事実だろう。
影山怜はいつの間にか姿を消していた。例の固有スキルか。乱戦においてこれ以上に厄介な相手はいない。だが、対抗策も浮かばない。
そしてアイザックは変わらず、胡座をかいて座り込んでいた。面倒臭そうに欠伸をしている。当初手を組んでいたカイザーが潰され、騙されていたことを知ったので、とりあえず観戦に回っているのだろう。とはいえ彼の目的が獣王の確保である以上、こちらに手を貸す理由もない。
(…………状況は、圧倒的に不利)
ミレーユは迫る十数人の天使を眺めると、
「"支配領域"」
ズァ!! と、ミレーユを中心に肌が粟立つかのような量の魔力が広がり、バターのように薄く引き伸ばされていく。
「いくら天使とはいえ、あの天使長の男とは違う。動きからして所詮は研究要員なのです……!」
数十の魔法が乱舞する。支配者の領域に足を踏み入れた者が、次々と無造作に薙ぎ倒されていく。
リリスの放つ『魔光線』も戦況を混乱させることに一役買っていた。照準がまだ甘いとはいえ、威力はミレーユをして戦慄が隠せないほどのものだ。万が一にも直撃するわけにはいかないのだろう。
(いける……)
ミレーユは劣勢ではあるが、この天使達は時間を稼ぐ程度は可能だろうという判断を下した。
超級冒険者の名は伊達ではない。天使であることにかまけて、訓練もしていないような輩が相手なのだ。これだけの数的不利があっても、負けるつもりはない。
ただ問題が二つある。
一つは、中央で一対一を演じている士道にはまだイリアスと戦うほどの実力はないということ。
もう一つは、いつの間にか獣王とレーナが相対していることだ。
「レーナちゃん……!」
不用意な接近ではあるが、彼女にとって獣王は父親なのだ。
それに、彼女は自分の手で助け出すと口にしていた。
ここは信頼するべき場面か。どうにか洗脳を解くことができれば御の字である。
ミレーユは眼前の天使達を相手取ることで精一杯。
ただ、レーナの無事を祈るしかなかった。
♢
「お父さん……!!」
レーナ・ランズウィックは『神獣化』状態の獣王――ガレス・ランズウィックと向かい合っていた。
四肢で大地を踏み締め、灰色の翼を雄々しく広げるのは巨大な虎を模した異形である。黒ずんだ肉体は不自然に膨張していて、この状態を保つことそのものに無理があると窺えた。
その瞳に意志はなく、無機質な視線がレーナを射抜く。思わずレーナの身が震えた。
目の前の父親は自分の存在を認識している。
だというのに、ただ"人"以上の認識を持ってはいない。レーナが自分の娘であると、きっと理解していないのだ。
これが、影山怜が密かに掛け続けていた洗脳術式の効果。『霊体化』の固有スキルがあってこそのものだろう。
「目を覚ましてよ……」
震える声で呟くが、虎の怪物は何の反応も示していない。士道と戦闘中のイリアスが、命令を下さないからだろう。
レーナは一度息を吐くと、頬を両手で叩いた。
(しっかりしろ……わたし)
何とか落ち着きを取り戻す。
もう護られるだけの存在で終わるわけにはいかないのだ。士道は戦っている。
ならばレーナにだってやれることがある。
己の父親を元の状態に戻すのは、家族としての責任だ。
具体的にどういう方策があるのか。
レーナは思考を巡らせる。
レーナは"神格化"の術式については何も知らないが、家に受け継がれている『神獣化』については詳しい。
獣王を"神"として成り立たせている要因はこの二つだ。
なら、片方――つまり『神獣化』だけでも切り崩せば、元に戻るかもしれない。
『神獣化』を解かせる方法は、現状では魔力切れのみだ。獣王は魔力量はそれほど多いわけではないが、それでもまだ一時間は保つだろう。
(それに、これじゃ"神"なんてものからは逃れられても、洗脳効果自体は解けないですし……)
影山が施した洗脳術式は、正直なところ拙いと評して差し支えない。ただひたすらに時間をかけたから、これだけの効力を手にしている。
だが、
(……駄目ですね。単純だからこそ余計に突破口が見つからない)
レーナが悔しそうに表情を歪め、歯噛みした。不安で胸が張り裂けそうだが、涙は堪える。
それは己に対する敗北の証だ。
「獣神よ」
そんなとき。
「その娘を排除しろ」
士道と戦っていた天使長イリアスが、ついでのように絶望を齎した。
「お父、さん――!?」
一瞬だった。
虎の怪物は目にも止まらぬ速度でレーナへと肉薄すると、その腕を振り回し力ずくで吹き飛ばした。
ゴバッッッ!! という爆音が響き渡り、レーナはノーバウンドで数十メートルほど吹き飛ぶ。
迷宮の壁に背中から激突し、亀裂を入れて地面に倒れ込んだ。
激痛が脳内を支配する。体中の骨が軋んだような感覚があった。
だがそんな結果に対して、倒れ伏すレーナの口元に浮かんだのは薄い笑みだった。
「いま……お父さん、攻撃が、鈍った、よね……?」
華奢な体をボロボロにして、口の端から血を垂らすレーナが、息も絶え絶えに話しかける。
「実は……ちょっと、意識が、あるんでしょ……でもきっと、体の制御に……介入、できなくて、困ってるんだよね……」
慌てたような士道の叫びが聴こえた。
冷静なふりをしていて、実は全然そんなことはないのがあの男である。ほんの少し口元が緩んだ。
思いのほか、この体にはまだ活力が残っているらしい。
ゆらり、と。
ふらつきながらも立ち上がる。
思い出すのは幼い頃の記憶。
ガレスに頭を撫でられたときの感情。
ずっと家庭を支え続けた父親としての愛情。
酒を飲んで豪快に笑う彼の楽しそうな表情。
いろいろなものが、まるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。
何より、誰よりも里の皆を護りたいと願ったあの里長が、自らの手で彼らを穢そうとしているのだ。
レーナはずっと見てきた。
獣王が、父親が、あの里を統べるこの長が、皆の為にと身を粉にして働いてきたことを。
そんなものを許せるはずがない。
誰かの努力の結晶を踏み躙るような結末が、あっていいはずがない。
煮え滾るような怒りが、消えそうな意識に火を灯していく。レーナに力を与えていく。
まだ、ここで倒れるわけにはいかない。
目の前の父親を、目を覚まさせるために。




