Epilogue 「覚悟の光」
とても暖かい、夢を見ていた。
士道は己の意識の中を、当てもなく彷徨い続ける。
――母親は優しい人だった。
士道が少しでも勉強していると、「根を詰め過ぎないようにね」と心配した。
部活で失敗する度に「辞めてもいいんだよ」と逃げ道を与えてくれた。
叱ることができない彼女は、きっと教師には向いていない人間だったと思う。
だからこそ士道は逃げなかった。
勉強時間を引き伸ばし部活後も練習に取り組んだ。
基本的に天才肌である士道が努力を継続した結果は如実に現れた。
実力試験では学年上位の座を取り、部活では主将に選ばれた。
士道が華々しい活躍をする度に、母は自分のことのように喜んでいたのが記憶に残っている。
――父親は厳しい人だった。
幼い頃、悪さをする度に必ず拳骨が落ちた。そして良いことをする度、大きな手で頭を撫でてくれた。
彼は一流企業の重役だったせいか常に多忙で、家に帰ってくることは少なかったが、家族との談話を大切にする、できた父親だった。
かつて憧れた後ろ姿だった。
――妹は甘えん坊だった。
生来麗しい容姿を持っていた妹は、その利点を活かす術を十分に心得ていた。
彼女は努力家だったが、その姿を決して周りに見せようとはしなかった。
「私はやらなくてもできるから」と、胸を張る妹を士道は誇らしく思っていたのを覚えている。
そんな家族と、いつものリビングでいつものように団欒していた。
その筈だった。
「…………あれ?」
士道は、家族と自分の距離がだんだんと離れていることに気づいた。
彼らのもとに戻ろうと足を動かすが、一向に距離は縮まらない。
妙な苦しさに襲われて、心臓の鼓動がドクンと脈打つ。
なぜか足が石のように重く、つんのめるように倒れ込んだ士道は、それでも何かを求めるように手を伸ばす。
それは――まるで、水面に映る月を掴み取ろうとする愚者のようだった。
――届かない。
やがて、家族の姿は掻き消えた。
♢
「ここは…………」
「シドーさん!? …………良かった」
士道は目を覚ました。
眼前には何処かで見たことのある天井がある。ぼんやりと考えていると、冒険者ギルドの救護室であることを思い出した。
目尻に涙を浮かべたレーナが、心底安堵したような表情で士道に駆け寄る。
ベッドから起き上がろうとしたが、その瞬間に激痛が身体中を駆け巡った。
「ま、まだ動いちゃダメですよ! 全身傷だらけなんですから!」
レーナは尻尾を振り回してあわあわしながら忠告する。
士道は改めて己の肉体を見返すと、ありとあらゆる場所に包帯が巻きつけられていた。
特に右腕は重傷だったらしく、何やらギプスのような魔道具で雁字搦めにされている。
まさに満身創痍といった光景に苦笑しながら、士道はレーナに尋ねた。
「戦いはどうなった?」
「えっと、竜騎士の方が魔王を撃退して、一応の終結はしました……もうあの戦いから3日経ってますよ」
「俺は3日も寝ていたのか」
「…………そうですよ。グランドさんとかも心配してましたからね」
「レーナは、もしかしてずっと付いててくれたのか?」
士道が尋ねると、レーナは少し頬を紅潮させる。ふさふさの猫耳がぴょこりと揺れていた。
「……は、はい。シドーさんは、わたしを助けてくれましたから。少しでも力になれればと思って」
「そっか。ありがとう」
士道は自然にレーナの髪に手を伸ばした。妹を相手にするときのように優しく頭を撫でる。
レーナは「にゃぁ」と呟き、気持ち良さそうに目を細めた。
「……懐かしいな。何となく」
「……そういえば、さっき随分うなされてましたけど、悪い夢でも見たんですか?」
「いや……少し、昔のことを思い出してたのさ」
唐突に呼び起こされた家族の記憶。
士道はその夢に思いを馳せる。
信頼している彼らなら、士道がいなくてもきっと幸せに暮らしていくだろう。
「おお、シドー! 起きたらしいな!」
大声を張りながら救護室に入ってきたのはグランドだった。
彼に右腕はない。あの戦いで魔王に斬り飛ばされたのである。
だが、隻腕となった彼はその影響を感じさせない快活な調子で、
「まったくシドーよ。一時はどうなることかと思ったぞ!」
「そんなにヤバかったのか?」
「血を流しすぎていたからな! 悪魔に続いて魔王ときたもんだから、すぐに治癒してやることもできなかった。済まんな」
「いや、謝ることじゃない。気絶してた俺を運んでくれたんだろ? むしろ感謝してるさ」
「ハッハッハ! 感謝するのはこちらの方だ。お前はあの悪魔を討伐した英雄だからな! ギルドからたんまりと報酬が出るぞ!」
「ギルド……と、いえば。情けないことに意識が混濁してたんだが、やっぱりセドリックは……」
急に表情を失ったグランドは静かに首を振った。
そうか、と士道は沈痛そうに顔を歪める。
「お前が気に病むことではない。十分にやってくれただろう。……まあ、実力試験のときに手を抜いていたことは許さんがな! ハッハッハ!」
「いや、あれは別に手を抜いてた訳じゃなくて……」
「あのスキル群を見せたくなかったのだろう? むう、分かってはいるが言ってみたかったのだ!」
グランドは再び快活な笑みを見せる。
彼は最もセドリックと仲が良かった男だ。人一倍悲しんでいるだろうに、そんな素振りはまったく見せない。
強い人だな、と士道は思った。
「ところでダリウスはひどい傷を負ってたと思うんだが……無事なのか?」
「うむ! すぐに治癒術師総員で治療させたからな。完全な回復には何ヶ月かかるか分からんが、命の危機は脱している」
「なら良かった。…………さて、」
「あ、あの……」
再度立ち上がろうとした士道を、レーナが止めに入る。
「大丈夫だ」
強い口調でそんな彼女を押し留めた。
怪我を負っていても、まだやるべきことがある。
グランドは士道の目的を理解しているらしくレーナに目配せする。
士道は真摯な瞳のまま告げた。
「……行きたい場所がある。案内してくれるか?」
♢
漆黒の外套を羽織った士道は杖をつき、満身創痍の肉体を何とか動かしていた。
情けないことだが、歩くだけで精一杯である。
レーナが心配そうだが、止めるような真似はしない。
士道の目的を知ったからだ。
「…………ここか」
士道は哀しげに呟いた。
彼の周囲には幾つもの十字架が屹立している。人影はなく、吹き荒ぶ風が寂しさを象徴しているようだった。
アクアーリアの隅に位置する墓地。
そんな場所を訪れた士道の眼前には、周囲と何ら変わりない十字架が突き立っている。
「…………まだ、新しいな」
この地――ライン王国に宗教は伝わっていないが、墓は自然とこの形になっている。
もしかすると地球と何かしらの関連があるのかもしれないが、今の士道にとってそんなことはどうでも良かった。
墓には小さく文字が刻まれている。
"ゲンカイ・コガ、ここに眠る"
「…………」
簡素な一文だった。
その墓の前に士道は無表情で佇む。
レーナは一歩下がった位置から、心配そうに彼を見ていた。
「……未来を紡ぐ者へ、か」
やがて、士道はポツリと呟いた。
玄海が死の直前に放った言葉を思い返しているのだ。
「……爺さん。あんたの技術を受け継ぐ者として、期待に応えられるかは分かりません」
士道は墓前に語りかける。
死者に言葉は届かないと理解していても、己の心に何かを示すように。
孤島で共に過ごした彼の好々爺然とした笑みが脳裏を過ぎる。
士道は哀しみを耐えるように、拳を握り締めた。
本当の意味で、世界の厳しさを知ったような気がした。
それでも、士道は生きていく。
その目には確固たる決意の光が宿っていた。
「……でも俺は、爺さんみたいに憧れていました。誰かを助けられる人間になりたいって思ってました。……だから、そういう信念を持って生きたいと思っています」
士道は苦笑して玄海の墓を後にした。
後ろを振り返らずに、一歩を踏み締めて前へと進んでいく。
そこで、前方から葉山集が歩いてきた。
士道と同じく傷だらけの集は憮然とした顔をしている。
手には上等な酒が握られていた。
彼が誰の墓へ行くのか。
そんなことは尋ねるまでもなかった。
「別れは済ませたのか」
「ああ」
「僕を恨んでくれて構わない」
「自惚れるなよ。爺さんが、自分の意志でやったことだ」
二人はすれ違いざま、簡潔に言葉を交わす。
互いに振り返ることはなかった。
――異世界の太陽が煌々と輝く。
まるで士道の行く末を導くかのような、暖かい光だった。
第一章――完
閑話を投稿した後、第二章に移ります。




