第2話 「天軍」
「――準備、完了いたしました」
「了解。その場で待機だ」
転移者狩りの影響で、士道たちが移動の勢いを削がれている頃。
その上空――『天界』から『天空迷宮』を抜け、降りてきた『天軍』――すなわち戦闘訓練を積んだ天使族の軍勢が、悠然と眼下を睥睨していた。
一番隊長マルク――イリアスに代わって全権を預かっている彼は、ゆっくりと息を吐く。
天使の視力あってこそ見えるが、この高度からでは帝都ヴァラキアは豆粒のように小さい。世界最大規模の都市だというのに――だ。天使たちが今いる場所の高さがいかに以上なものか、よく分かるというものだろう。
地上から視認は不可能なはずだ。魔力を扱える者が目を強化し、必死に目を凝らしたところで難しいだろう。酔狂な者にはバレるかもしれないが――仮に見つかってしまったところで何も問題はない。所詮はタイミングの問題であり、どのみち見つかるからだ。
「イリアス様は一足先に潜入している。我々は奇襲を仕掛けたのち、合流して指示を仰ぐ手はずとなっている」
「女神様の使徒と共にいると聞いたが……」
「確か名前はシュウ・ハヤマ。『真実の四使徒』の最後の生き残りです」
『天軍』を指揮する隊長たちは、そんな風に話し合う。
彼らの間には、緊張感が溢れていた。当然である。いくら種族的に戦闘能力が優れている天使――それも『天軍』とはいえ、そもそも実戦など百年ぶりなのだ。彼らは基本的に下界に下りないがゆえに、戦闘経験に欠けている節がある。それこそ天使族のトップのくせに頻繁に下界で活動するイリアスのような例外を除いて。だから彼らには能力の割に自信がなく――ゆえに油断もなかった。
彼らの記憶にある『戦い』とは、百年前に起きた地獄のような戦争のみ。天使族は長命だ。ゆえにこの場にいる者のほとんどが体感している。
『三大魔王』の、圧倒的恐怖を。
「人間に頼らねばならん事実には、己の無力さが歯がゆいな」
一人の老天使がそんなことを言った。
「しかし、だからこそやれることをやらねばならん。すべては――女神様のために」
「……そうだな」
彼らは女神から受けた恩を覚えている。彼女の愛を知っている。彼女の信念を、心に刻んでいる。
だから。
彼女が望んだ世界のために、自らの命を懸けて戦場へと降りていくのだ。
そう、マルクを含めた皆が士気を上げ直した時。
「それで――目的の『モノ』は、どこにいるんです?」
その一言で再び緊張が走った。
それを言ったのは、ベルスという少年だった。
イリアス直属の配下として何度も地上に降りている、若き新鋭である。
マルクは彼のことがあまり好きではない。最もイリアスの傍にいる彼を差し置いて、重用されているからだ。
彼の隣にはミリと呼ばれる少女が佇んでいる。主にペアで行動する二人組だ。
「イリアス様からの連絡では、帝都のど真ん中――帝城に囚われている可能性が最も高いとのことだったが」
「となると、やっぱり帝国は不死魔王派に乗っ取られたって線も大きくなってきましたね」
「イリアス様も同じようにおっしゃっていた」
「で、魔王城にいる新魔王派と対立している、と」
ベルスは軽く眼下を睥睨して、息を吐く。
「これは僕たちにとってチャンスですね。やはり、隊を分ける最初の作戦で行きましょう。僕の隊がイリアス様と合流し、帝城を攻めます。本隊は勇者率いる人間連合の軍と動きを合わせつつ、魔王城を襲撃してください」
「しかし、いくら何でもベルス殿の隊三十人だけでは」
「大丈夫ですよ」
老悪魔の言葉に、ベルスは軽く笑った。
マルクはその軽薄な笑みにゾッとする。
「必ず僕らが戦いを起こせば――そこら中に潜んでいる転移者が呼応する。彼らは女神様が選定しただけあって、ここまで生き残っている連中は誰もがおそろしく強い。そんな連中がこの現状を見過ごすはずがない。必ず動きますよ。突然異世界から連れてこられた彼らだって、滅ぼされたくはないでしょうから」
マルクはそんなベルスの推測を、おおむね正しいだろうと評した。
彼のことは好きではないが、その能力は認めている。
だが、実際のところ。
そんな彼の推測はある意味では正しく。
また、ある意味では――何よりも間違っていた。
「よし、時間だ」
◇
「……クソッタレが」
ヴァリス帝国帝都ヴァラキア――帝城。
その地下牢獄の前に、気だるげな青年が佇んでいた。
草薙竜吾。
かつて龍魔王を倒した元英雄である彼は、今やこうして牢番などをやっている。
王の洗脳に成功しているとはいえ、草薙たちはあくまで帝城に潜入している立場。あまり堂々と表を歩けるわけではなく、人手も少ない。いや、王の命令を介せば、むしろ帝国民そのものが人手となるのだが――流石に事情も説明せずに動いてもらうには無理がある。ゆえに、今草薙の眼前で牢獄に囚われているレーナの牢番を誰かに任せるわけにはいかなかった。この少女を捉える理由は本来なら何もなく、不自然さが生じるからである。
現状では、あまり城の人間を怪しませるようなことはしたくないと翔は言っていた。
そろそろ不死魔王派が帝国を乗っ取っている可能性に、頭のいい連中が気づき始めるからだ。とくに『天軍』に気づかれると、『神託』を通じて国民に不信感を与える。いや、転移者狩りなど始めた時点で、怪しむ連中はすでに怪しんではいるのだが――国のトップが洗脳されているなんて、そうそう思いつく発想ではないだろう。つまるところ、『儀式』を始まるまでは信用を保ちたいという話だ。
草薙は『儀式』――つまり、魔神再臨がどのように行われるのかまでは存じていないが、隠密性に長ける翔がそこまで言うからには、よほど繊細なものなのだろう。
ともあれ。
草薙は自分の仕事を果たすだけだ。
その中に、自分の目的が隠されている。
そんな風に草薙が覚悟を固めていると、牢の中から声がかかった。
「……リリスとユーカは、どこにやったんですか?」
体育すわりで牢の端に腰かけているレーナは、硬質な声音で尋ねてくる。
最初はレーナ、リリス、浅場優花、三人とも同じ牢に入れていたのだが――今となっては、リスクが大きいので別の場所に移した。
リリスは城の最上階。霧崎翔が見張っている部屋に囚われ。
逆に、優花は城の最下層。地下牢よりもはるかに下――地下水道の奥にある帝国の闇に葬られた本物の犯罪者だけが幽閉されるといわれる、最も堅牢な場所に囚われている。こういった知識は、洗脳された帝国序列第一位『皇帝』レイザーから、翔がすべて聞き出した。
そこは今、新城蓮が見張っているはずだ。
「さあな」
草薙はそれらを知っていながらも、そんな風におざなりに返答した。
レーナが憎々しげに睨みつけてくるが、草薙は肩をすくめる。
「……何で、あの二人は、あんなに厳重そうな扱いを?」
レーナは淡々と疑問をぶつけてくる。
士道との件もあり、負い目を感じている草薙は仕方なく、いくつか質問に答えることにした。
「お前も十分重要な扱いをされてるぞ。何せ俺が監視についてる」
「でも、二人はそれより……間違ってますか?」
確信があるわけではないのか、レーナはそんな風に言う。
ため息をつきながら、草薙は答えた。
「お前は現状、あくまで保険だ。そもそもの役割はすでに果たした。この前、リーファが直々にお前を魔術で調べたろ」
「あれがわたしの役割だと?」
「――『獣人族洗脳実験』」
草薙がそこで言葉を切ると、レーナに緊張が走る。
「……どうして、あなたがそのことを知っているんですか?」
「まあ、俺は又聞きだ。翔のヤツから聞いただけだし、詳しいわけじゃない」
とにかく、と草薙は続ける。
「そこで使われた技術を今、帝国の皇帝レイザーの洗脳に使っている。ヤツも獣人だからな」
「なっ……」
「あの事件に関わったお前には、ちょっと検証に利用させてもらった。それだけだ」
「……もしかして、わたしを洗脳して!?」
「ああ。覚えてないだろう? その通りだ。といってもリーファはお前にあまり興味がないのか、大したことは聞いてなかったけどな。とはいえ皇帝洗脳の精度は上がったらしい」
「……!」
「そう睨むな。変なことはされちゃいねえよ。俺も見張ってたしな」
「……ようやく分かりました。なぜ帝国があなたがたのような胡散臭い連中をかくまっているのかと思ったら、そういう事情だったんですね」
レーナは唇をかみしめるように言いつつ、
「――でも、それだけじゃ、わたしを連れ去った理由には足りないですよね?」
「さっきも言ったが、お前は保険だ」
「それの意味を、知りたいんです。わたしがなぜ保険なのか。なら、リリスやユーカが何をさせられようとしているのか――わたしは、知っていなきゃいけない」
「……」
「教えてください。あなたは、あの二人とは違って、わたしたちを害するつもりはないんでしょう?」
レーナの真剣な瞳に、草薙は息を吐いた。
――士道はいい女を連れている。そんな風に感心を覚えた。
「聞くとおそらく、後悔するぞ?」
「それでも、です」
「分かった」
そして。
草薙は、この騒動の正体について、ゆっくりと語り始めた――。
◇
同時刻。
「――さあ、最後の戦いを始めよう」
人間連合は、天に佇む魔王城に向かって攻撃を開始した。
魔王軍からは、応戦するために悪魔が羽ばたいて飛び出してくる。
透徹な瞳をした白崎大和は、柔和な笑みを浮かべたまま――静かに『聖剣』を起動する。
「世界を救うのは、ぼくだ」
書籍版第二巻は明日9月30日発売です。
第一章終盤から第二章前半を大幅に改稿して収録しております。
すでに全国の書店には出回っているかと思いますので、第1巻ともども、よろしくお願いいたします。




