第15話 「新魔王の切り札」
霧崎翔はコンクリート製の工場と思われる一角に潜んでいた。
近辺には新魔王ルシアとグライブが隠れている。
当然、魔導都市の構造をだいたい把握した翔が秘密裏に侵入させたのだ。翔の忍術師として鍛え上げられた隠密技術を以ってすれば、たかが二人を侵入させる程度は造作もない。だが、この都市を牛耳るのは現代の鬼才――松山鬼一だ。もしかすると思いもよらぬ手段で気づかれている可能性は捨てきれない。
とはいえ、こればかりは考えても仕方がない、と翔は息を吐く。
ちなみに魔王化したことにより背中に生えた悪魔の翼は外套の中に隠してある。
紅くなった瞳については、眼鏡に細工をして黒く見せていた。
角度次第で紅いことがバレてしまう程度のものだ。
実際のところルシアに魔王となったことを知られたとしても、そこまで問題はない。
せいぜい謀反を疑われるぐらいか。それぐらいなら許容範囲だ。
しかし、不死魔王リーファにその情報が伝わるのはまずい。
彼女は翔の目的における鍵のひとつなのだから。
だから本来ならもっと気を使って悪魔の特徴を隠したいところだったが、今は余裕がない。多少のリスクは覚悟しなくてはならない。
(……さて)
魔王が三人揃わなければ、魔神を復活させることはできない。
現状では翔、ルシア、リーファでバランスが整っているように見える。
だが実際はリリス・カートレットが特異な形で龍魔王ウォルフの魔王としての素質を受け継いでいるので、バランスは不安定だ。要は魔王が四人いるも同然なのだから。
もし翔が魔王化したことをリーファが知れば、バランスが崩れたことに怒るだろう。だから話すべきではない。
彼女は魔神ゲルマを再びこの世界に呼び寄せるためだけに戦っているのだから。
魔神は世界を滅ぼす存在だと知っていながら、リーファは魔神のために戦い続ける。
そういう風にできている。つまりは魔神につくられた存在だった。
女神の使徒は天使に加え、新たな手駒を異世界から召喚できる。
対する魔神の使徒は悪魔に加え、新たな手駒を魂から作り出せる。
――この世界は、そんな両者の戦いの箱庭である。
やはり不死魔王リーファに近づいたことは正解だった、と翔は思う。
情報は重要だ。特に、翔の計画を成就させるためには、何よりも比重が重い。知らなければ何もできない。だから翔はリスクを侵してでも魔王軍に所属し、リーファに近づいたのだ。その結果として、世界の 真実に関してさまざまな情報を入手した。
(……誰も気づかない。この世界の歪みに)
翔は窓から魔導都市の中央に立つ塔を眺めながら、薄く笑った。
(……そもそも、ひとつの世界にふたりの神がいる。その時点で世界の法則に反する、と)
翔の瞳に感情はない。ただ、世界を哀れんでいた。
この都市における騒動で、翔の目的は三つある。ひとつはすでに達成した。鷹山の固有スキル『強奪』を奪うことだ。魔王化しなければ勝てないという予定外の事態には陥ったが、おおむね計画に支障はない。「配下になれ」と持ちかけた新城蓮も、今のところ予定通りに動いてくれていた。新城が草薙と手を組んでいると知ったときは、奇妙な縁もあるものだと苦笑したが。
ともあれ、翔はこれでいいと考えていた。今のところは計画通りに進んでいた。
誤算があるとすれば――
(――『異界同盟』の動きが妙だ。それに、士道の姿が見えない)
『異界同盟』はこの拠点を大事に思っていないのかもしれない。
松山鬼一が提唱する世界延命の方策は、翔にとっては朗報だった。
そんなことができるのなら是非やって欲しい。
神なき世界あるいは神が暴走した世界で、生きた世界を形作ることができるのなら。
(その研究をしているこの都市が危ういというのに、いまだ動きがない)
危険というだけでなく、せっかく勇者が四人も集まったというのに何の動きもない。
他者の助力を得ることなく、自分らだけで勝手に進めるつもりか。仮にそうだとすれば、仮に魔導都市が消滅、または悪魔に占領されたとしても困らない類のやり方なのだろう。
『異界同盟』については、”病魔事変”の際、草薙と木暮の会話を聞いていただけだ。
その詳細までは知る由もない。
これに関しては状況を観察するしかなかった。
そして、気になるのは神谷士道の動向だ。
あのお人好しの奇術師はこの街にやってきていた。それは間違いない。だが、行方を晦ましている。潜伏しているのだ。それは何のために――というと、予想はついている。
誰かを助けるためだろう。士道の行動理念はこれまで何度も目にしてきた。問題は、それがどのような形で実行されているのか分からないので、翔の計画にどのような影響をもたらすのか推測ができないことだ。
翔が深く考えこんでいると、
「どうした?」
ルシアから声をかけられる。そこで現実に意識を戻した。
グライブは魔法陣のようなものを地面に描いていた。
いったい何をしようとしているのか。
その方式を見るに、古代魔法ということは間違いなさそうだが。
「……それは?」
「スキルと魔法を融合するための術式だ」
ルシアは淡々と説明する。
「グライブの『心象結界』は、見たことがある場所を結界内に創りだすもの。だが、触媒さえあれば、少しだけ効果を歪められる」
「どういう風に?」
「呼び出せるんだ。――まあ、見ていろ」
ルシアは懐から剣を取り出し、魔法陣の上に置いた。
それは普段から使用している、蛇のように蠢く魔剣ではない。
もっと別の、荘厳な風格を漂わせる白銀の剣だった。
「……これは、白崎大和が持っている聖剣?」
「少し違うが、ベースは同じだ。勇者共が持っている『神器』のひとつだな」
『神器』という単語には聞き覚えがない。
翔が首を傾げると、ルシアは冷静に剣を磨きながら、
「勇者が持っているのは、すべて神器だ。つまり、女神が直接生み出したもの。共和国の勇者シズカが持っているニホントウとやらも、帝国の勇者ヒイラギが持っている杖も、すべて神力を宿した特別なものだ。……まあ、それも、この剣を研究して初めて分かったことだが」
翔は得心して頷いた。心当たりは幾つかある。
例えばピレーヌ山脈の一件で、迅が草薙の剣を叩き壊したときだ。
『剣の差だ。――見誤ったな、英雄』
あの草薙が武器の耐久力まで計算に入れないとは、どうにもおかしいと思っていたのだ。
迅の大剣が神力を込められた特殊な武器だと分かると、ようやく腑に落ちた。
翔が納得している間にも、話は進んでいく。
「とりあえず、戦力を分散しなければ話にならん」
「ホッホッ。ルドルフが上手くやっていることを祈りましょう。では、始めますぞ」
「よし、勇者狩りの時間だ」
ルシアが呟いた直後の出来事だった。
グライブが術式に魔力を込め、魔法陣が光り輝く。
その中央に置かれた聖剣が、ゆっくりと浮遊し、光を放った。
やがてその剣は、魔法陣から出現した黒ずくめの影のような者の手に収まる。
それは人間と同様の形状をしていた。
それなりに背が高く、がっちりとした体格の男だった。
だが、すべてが影のように黒く塗りつぶされている。こんなものが現実にいるという事実に、翔はひどい違和感を覚えた。
「こ、れは……」
翔が黒ずくめの圧倒的な威圧感に戦慄していると、同じように冷や汗をかいている新魔王ルシアは、それでもギラつくような笑みを浮かべた。
「初代勇者だ。――媒介は、その古き聖剣」
そういうことか、と翔は後ずさりながら納得した。
ミラ王国の勇者、大和が手にしているのは、新しく女神が創りだした聖剣。
ならば――今ここにある同種の剣は、百年前に活躍した初代勇者のものに決まっている。
黒だけで塗りつぶされた異色の人型は、まるで久々の聖剣の感覚を確かめるように、握ったり開いたりしている。そのさまはまさに人間のようだが。
「本人ではない。本人はとうに、元の世界に帰還している。それを呼び出すのは女神でもないと不可能だ。だから、これはあくまで幻影だ。聖剣に残っていた意志を基に、『心象結界』の範囲内でのみ現出させることに成功した、亡霊にすぎん」
それでも、そう分かっていても、その圧力にはおそろしいものがあった。
この存在を君臨させているグライブは目を閉じ、古代魔法の術式と固有スキルを維持することに集中している。
「勇者を勇者の手で潰す。良い皮肉だと思わんか。……さて」
ここからは、魔王直々に勇者のもとへ向かうようだ。
「グライブはここから動けん。初代勇者の再現を維持してもらうことが何よりも重要だからな。キリサキ、お前はグライブを護っていてくれ」
「……はい。分かりました」
「俺様は勇者共を潰す。この切り札と共に」
このクソみたいな世界から戦争をなくすために、と。
新魔王は思わず零れてしまったように、そんな呟きを残していった。
その数十秒後の出来事だった。
翔が瞑目するグライブと共に工場に潜んでいると、圧倒的な爆音が炸裂した。
魔導都市が、震撼する。
窓から外を見やれば、勇者たちが集まっていた塔が完全に倒壊したのが見えた。




