第1話 「戦況」
天界。
天使達が住み女神が従える、雲の上の王国である。
地面が雲海であることを除けば、町並みは人間の国とそこまで変わっているわけではない。
天界に辿り着くためには、『天空迷宮』という巨大な積乱雲の中に構築された迷宮を突破しなくてはならない。
そして、それは天使が外に出る場合も同じだ。
天使があまり外界に出たがらない理由は、単純に行って戻ることに対する労力が凄まじいのである。
天使長イリアスなどの強者ならまた別だが、並の天使では殺されることはないにしろ、怪我をする程度は普通に考えられる。
だから、外界に出るにしても少数精鋭を選ぶのが普通であり、そもそも数が少ない天使が大軍で人間界に現れることなどない。
そう。
これまでは。
「――揃ったか」
厳粛な声音で呟いたのは天使長イリアスである。
雲の上に建てられた荘厳な雰囲気の神殿。
その大広間には、千人に及ぶ数の天使が足並みを揃えて立っている。
実に天使族全体の四割。
これが『天軍』。
女神の配下、天の守護者の一軍である。
一番隊から二十番隊までに分けられ、それぞれの隊長をまとめているのが、天使長たるイリアスだ。
「『天軍』。そのすべてとは流石に壮観だな」
イリアスは感慨深く呟いた。
千の視線が己に集中していることを知り、ひとつ首肯する。
「さて、魔王城自ら共和国に侵攻したことにより、人族は本当の危機に直面している。我ら天使はそれを導いてやらなければならない」
周囲にはイリアスの声のみが響き、衣擦れの音すら聞こえない。
それは、ただでさえ種族的に強い天使が、更に鍛えられていることの証明だった。
「一番隊から順に迷宮に挑み、外界に降りろ。今、天界を載せている雲はノーランド大陸にある。縦人族の『大森林』、龍族の山脈を避けた場所で合流し、中央大陸に向かう。そして、レーノ共和国の上空にある魔王城を急襲し、悪魔を殲滅する。一番隊長マルク、お前にこれと軍の指揮を任せる」
滔々と、すでに確認済みの流れを踏襲し、軍全体に理解を届かせる。
その上で、イリアスは先頭に並ぶ一人の天使を指名した。
「了解」
「私は勇者会議を主導し、戦いに導く役目がある。……わかっているなら良し。各自、行動に移れ」
天使族が動き出す。
これまでは人間族を動かし、悪魔族の戦力を損耗させていた、数の少ない天使族が、ついに動く。
悪魔族との決着をつけるために。
この世から魔王を消し去り、魔神の封印を解く方法を失わせるために。
♢
「――このラインは面白いよ」
金髪碧眼の美女は、ある時ある場所で、天使長イリアスに向かってそう言った。
「新城蓮と草薙竜吾。片や世界のバグみたいなイレギュラーの塊。片や神に届きうる英雄の牙。本当に私の首を取れるかもしれないね」
くすくすと、神を名乗る何者かは笑う。
慈しむように。
「……いいんですか? 放っておいて」
「もちろん。所詮は異世界からの転移者。女神の使徒。その意味が分からないうちは、決して私には届かないならね。それどころか、ただ私が私として構成される源になるだけなんだよねえ」
意味深に笑う女神に、イリアスは嘆息する。
この人がよく分からないことを言うのはいつものことなので、最早気にしたことはなかった。
どうせ何かしらの考えがあるのだろう。
イリアスには想像もつかないが。
「……まあ、君たちは対魔王軍だけに集中してくれればいいよ。そして、できるなら……」
女神はそこまで言って、僅かに目を細めた。
直後に笑顔を取り戻すと、
「……? なんです?」
「いいや。何でもない」
言葉と共に虚空に姿を消した。
というより、イリアスの周囲が変化した。
『白い空間』から、ただの天界の街並みへと。
「……気まぐれな人だ」
元々、女神が創り出した空間にイリアスが呼ばれただけなので至極当然ではあるのだが、まったく知覚できないその力量には戦慄を覚える。
「何にせよ、魔王軍を倒し、魔神を復活させないことに全力を尽くすのみ、か」
――イリアスは知る由もないが。
女神ミラは、魔神を復活させようとしていた。
♢
「結局、不死魔王が潜伏しているっていうのも、どこまで本当なのか分からないことが問題ですね」
ヴァリス帝国。
弱肉強食の国。
騎士と傭兵と冒険者など戦闘職が国民の大半を占める、武人気質の強国である。
その王は武力で決まり、年に一度開かれる闘技大会によって序列が決められていた。
序列一位を皇帝とし、序列五位までを『序列持ち』として国防を担う重役としている。
現在の皇帝は十年も玉座を護り続けており、近年の『序列持ち』には、降臨した勇者が四位に浮上した程度の変更しかない。
帝国序列第一位『皇帝』レイザー・アルバーン。
帝国序列第二位『冒険王』エリック・オールウィン。
帝国序列第三位『銀嶺』ラスティ・クサナギ。
帝国序列第四位『勇者』ユート・ヒイラギ。
帝国序列第五位『蛇』シャーロット・バーネス。
帝国を支える、五人の怪物である。
そのうちの一角は街角で兵を率いながら、困ったように嘆息していた。
「どうしましょう。今日を期限に勇者会議に向かわなければ間に合わないので、そろそろ俺は魔王の捜索から離脱しなければならないのですが……」
「そんなぁ。勇者様がいないときに不死魔王が一気に奇襲をしかけてきたらどうすんですか」
「俺より強い人はたくさんいますから、きっとこの国は大丈夫です。『皇帝』を信じてください」
帝国に降臨した"妖の勇者"柊悠斗である。
女のように長い髪を軽く束ねていて、美しく中性的な顔立ちには妖艶な色気が滲み出ている。
背は高く細身で、『序列持ち』を他者に示している赤に『4』の文字が刻まれた外套を纏っていた。
「それよりも、まずは新魔王の手から共和国を護らなければならない」
「ユート様は立派ですなぁ」
「そんなことはないですが……俺は、勇者なので。人を護り、魔王を倒すことだけが使命です」
悠斗は決然とした瞳で呟いた。
その手に握られているのは、年季の入った木製の長杖である。先端の魔石は異様な輝きを宿していた。
♢
――血みどろの地獄である。
「殺せぇ!!」
「撃ち落とせぇ!!」
罵声と怒号が連続する。
レーノ共和国の城塞都市カフノスの内部では、宙空から舞い降りる悪魔と、それを迎え撃つ人間の決戦が繰り広げられていた。
「ここは……もう無理か」
長刀を高速で振り回し、おそろしい技量で悪魔の首を落としながら、黒髪ポニーテールの少女が呟いた。
共和国の勇者、丹波静香である。
またひとつ、都市を落とされた。
静香は歯軋りしながら、殿を受け持つために降り立つ悪魔に次々と襲いかかっていく。
「撤退しなさい!! ここはボクがやる!!」
「勇者様!?」
「シズカさん! すみません、お願いします!」
兵士が背中を見せたことにより、悪魔たちは嬉々とした笑みを浮かべ、更なる攻勢に移ろうとするが、
「"閃空"」
ゴッッッッ!! と。
静香が横に一閃した太刀筋が魔力によって拡大されていき、直線状に位置する悪魔を切り裂いた。
血しぶきが炸裂する。
ギョロリ、と悪魔の怒りが勇者に向いた。
これで悪魔族の注意は引きつけた。何とか共和国軍は逃げ切ってくれるだろう。
そう思って安堵した静香だが、その希望の芽を潰すかのように、
「ホッホッ。耐えるのぉ」
老人の声。
慌てたように上を仰ぐと、そこにいたのは長い白ひげを生やし、独特な笑い方をする歴戦の上位悪魔。
新魔王の右腕、グライブ・セラキオスである。
「や、ば……っ!?」
静香は一気に心臓が冷えていくのを感じていた。
いくら勇者として鍛えられている静香とはいえ、魔王軍の主力たる上位悪魔ともなれば、全力で相手をしなければ勝つことはできない。
そして、それがグライブとなれば、また別の意味を持ってくる。
つまり。
「これ以上、数の少ない悪魔を減らさんでくれたまえ」
『心象結界』が展開される。
歪んだ空間がすべてを支配した。設定された場所は海の上である。グライブは翼を使って宙に羽撃くが、静香にその術はない。水中に落ちていく。
「何、で…………こんなときに!!」
異空間に呼び出された静香は、悪魔を追うことはできない。
グライブが魔力を使い切るか、発動をやめるか、倒さない限り、脱出することはできない。
これで撤退する共和国軍を追う悪魔を、止める者は誰もいない。
それどころか――
(マズい……この状況なら、勇者を殺すことだけに執着している新魔王は必ず出てくる……ッ! それまでに何とか脱出しないと)
「ホッホッ。さて、どうにかできるかの?」
グライブが顎を撫でながら笑うが、水面を見据える静香は焦燥を隠さずに刀を構える。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
そう覚悟を決めた。
次の瞬間。
「その心配はいらない」
唐突な第三者の声。
『心象結界』が抹消される。
誰もいない城塞都市に回帰し、どこかの屋根の上に静香は着地した。
「いったい何が――!?」
「ふむ。まだ勇者に死なれては困るのである」
背広を着た白髪の中年男性が、グライブを見据えながら面倒臭そうに佇んでいた。
異世界転移者。
木暮和寿。
つまり。
「『異界同盟』……ッ!」
憎悪すら篭った瞳で静香は木暮を見据えた。
だが、木暮は首を傾げながら、
「ふむ。何だ? 山城のことなら我らを恨むのは筋違いというものだ。そんなことより早く行ね。新魔王が来たら私では止められない」
「ホッホッ。逃がすとお思いで?」
「ふむ。お前のスキルは私と相性が悪いであろう? 追いたければ追うといい」
憧れていた山城を引き摺り落とした科学者――松山鬼一が率いる集団『異界同盟』。
魔導都市アルスフォードの影の支配者であり、先端技術による圧倒的な戦力を保有しているにも関わらず、こちらの要請に応えずに兵を出さない。
たまに戦場に出てくると思えば、勇者が殺されそうになるか、重要なモノが奪われそうになったときだけ。
それが気に入らなかったし、何より山城を誘い込んだことに静香は恨みを持っていた。
こんな男の手助けを借りなければならないことに静香は舌打ちしながら、都市を離脱していく。
どれだけ屈辱を舐め回そうとも。
まだ静香では新魔王ルシアに勝つことはできず、無謀にも挑んで殺されてやることもできないのだから。
そして。
レーノ共和国はすでに、国土の三分の二を失っていた。
――滅亡は目前だった。




