第7話 「聖女一派」
ミラ王国の宮廷魔術師筆頭であるマリアン・ドルストイは、街の外壁の上に立ち尽くしていた。
アイリスの『未来視』により、魔王軍の襲撃があることを先読みしていた王国側は、宮廷魔術師をそれぞれ外壁に配備していたのだ。
索敵を兼ねた結界魔法を展開し、他の誰かが欠落したときには、そのことを察知できるシステムを構築している。
つまり、どこからどのように侵入してこようとも、魔王軍の居場所は特定できるのだ。仮にも四大国の一角。その首都だ。
精鋭が揃っているのは当然のことだった。
だが。
事態は、たかが精鋭如きでは収まらない。
「……何、だ、これは」
マリアンの遥か頭上。
澄み渡る青天井から幾多の流星のように王都へ降り注いでいく、百体を越える火竜の姿。
この世のものとは思えない光景だった。
あえて言葉で表現するならば――絶望という形容が最も適しているだろう。
「く……そ……っ!? 何なんだよこれは!?」
困惑と混乱と恐怖と不安と絶望がマリアンの脳を支配する。だが、気合を入れて両手で頬を叩き、無理やりに戦意を取り戻した。
確かに悪魔には魔物を扇動する能力がある。
だが、いくら悪魔とはいえ、魔王クラスでもこれだけの数の竜種は操れないのではないか。
そもそも竜は賢い。扇動しようとしても、せいぜい十体前後が限界だろうと歴史が証明している。
数ヶ月前、海上都市アクアーリアで勃発した"不死魔王復活戦"においても、上位悪魔バーン・ストライクは数百体の魔物を引き連れていながら、竜種は七、八体しか操れていなかった。
そもそも悪魔が持つ魔物扇動の能力にしては統率が取れすぎている。せいぜい一つの命令に従わせるのが限界だったはずだ。
だが、今この場にいる竜種の群れはいたずらに王都を破壊することはなく、何か目標物を追跡しているような動きをしている。
これが意味しているのは、
「召喚師、だと……!?」
倒した魔物を使役し、異界から自在に召喚することができる希少職。完全な才能依存の天職で確かに強力だと云われているが――これではあまりにも規格外すぎる。端的に言って異常だ。大国を個人で葬りかねない圧倒的な力。そのような人物が名を知られていないことにも違和感を覚える。
「伝令! 総力を挙げて火竜を外に追い出せ!! 街に被害を与えんな!!」
悪態を吐きながらも、近くの従者に即座に命令を下す。通信用魔道具の数が少ないのが痛い。王都や騎士団に情報は伝わっているが、他の宮廷魔術師の動向までは分からなかった。
「"火竜砲"――!!」
マリアンの燃えるような赤髪が、揺れる。
橙色の炎が渦を巻き、燃え盛り、近くの火竜の姿を真似ながら衝突していく。
轟、と爆炎が唸りを上げた。だが、火竜の肉体に傷はない。そもそも火に耐性があるのだろう。
当然ではあるが、マリアンの一番の得意属性が通用しないというのは厳しい。
とはいえマリアンは三属性魔術師のレベルオーバー。あるいはミレーユ・マーシャルにすら迫ると評された魔術師としての最高峰だ。
「舐めんな……!!」
マリアンは身の内に秘める莫大な魔力を解放する。仕方のないことではあるが、すでに魔王軍の侵入があるかもしれない――などという情報は、とうに頭から抜け落ちていた。
♢
「結界が消えた……?」
王都地下の大空洞。山城が予め固有スキルで掘ったのだという抜け道で、霧崎翔は眉をひそめた。
ミラ王国の宮廷魔術師が張ったと思われる結界に察知されないように、慎重に歩みを進めていた新魔王の一行だったが、ここに来て結界がまとめて消失してしまったのだ。
「ほう。罠ですかの?」
白く長い髭を撫で、皺で覆われそうになっている細い瞳から鋭い光を見せながら、グライブ・セラキオスが呟く。
「いや……俺様たちに王都で暴れられることほど王国にとって最悪な事態はないはずだ。だからこそ、魔力消費を無視して全体に結界を張っていた。……俺様たちの奇襲の情報をどこから入手したのかは知らんが、仮にも四大国の一角だ。そのぐらいはやってくるだろう。だとしても」
「誘き寄せるにはリスクが高すぎるだろうな」
新魔王の言葉に、山城が続く。
翔は二人の推測に頷く。
それは当然の帰結なのだ。だからこそ、警戒を諦めたかのように結界が途切れた理由が分からない。
「元の情報が曖昧だったせいで、やっぱりいないと考えたのかな……?」
翔は呟く。
だが、ルシアは「その可能性もあるが」と前置きをしながら、
「おそらく想定外の事態が起きたのだろう。何が起きているのか知りたい。急いで地上に上がるぞ」
「ホホッ。根拠は?」
「勘だ」
その瞳に、剣呑な光を宿した。
♢
士道と拓真が戦闘を繰り広げた広場に近い、入り組んだ路地裏の細道の一角。そこで休息を取っていた神谷士道の一行は騒然としていた。
建物の切れ間から見える、火竜の群れ。
それに対抗するように、ミラ王国の騎士や魔術師が襲いかかっている。
爆音が断続的に炸裂していた。
火竜は騎士や魔術師たちをあしらうような動きをしており、被害自体はあまり生じていない。
「何て数だ……」
輝くような毛並みを持つ銀狼の背に腰掛ける黒衣の少年――士道は、目を細める。
「……『鑑定』によると、この火竜のすべては召喚契約が結ばれ、隷属させられている。つまりは」
「召喚師。新城のヤツが動いたか。……楽しいことになってきたねェ」
愉快そうに笑みを浮かべたのは、傷だらけの肉体を壁に寄りかからせている金髪の少年だった。
一ノ瀬拓真。
十年前に離れた士道の幼馴染である彼は、先ほど唐突に襲撃をしかけてきた。
「お前は何を知っている? この事態については? すべてを話せ」
士道は端的に告げる。冷酷な声音だった。
かつての友であろうとも、虚偽を騙るのなら許しはしないと言外に告げている。
拓真は肩をすくめながら、
「この事態を起こしてんのは召喚師。分かってると思うが転移者だ。新城蓮ってヤツだぜ」
「新城蓮、ね」
士道は確かめるように反芻しながら、
「どんな奴だ?」
「灰色の髪に隻腕の男。服はボロボロで威圧感が半端じゃねェ。まぁ一目見りゃ分かるさ」
「……」
「コイツが例の、世界最悪の迷宮『奈落』に落ちて死んだって云われてた"灰の勇者"だよ」
「何……?」
士道は戦慄していた。
ミレーユも同様に驚愕しているようだった。
あの超級冒険者のアイザックでさえ、入り口で引き返して仲間を募らざるを得なかった最凶の迷宮に落ちていながら、その最下層から文字通り這い上がってきた人間がいる。
その事実が信じられなかった。
「もしそれが本当なら、このあり得ない事態にも納得がいくのです……」
呆然としながら、ミレーユが言う。
士道は矢継ぎ早に問いかける。
「何の為に王都で暴れ出した?」
「そいつは流石にオレも知らねェ。迷宮に精神を壊されたのか分からねぇが、やたら攻撃的な感じだったからなァ。下手すりゃ目的がねェ可能性すらあんじゃねェのか?」
「本当に?」
念を押すように尋ねても、拓真は肩をすくめるのみ。嘘か本当かは不明だが、どのみち答えを得られることはなさそうだ。
ならば、当初の質問に戻ろう。
「お前はどうして俺を襲ってきた?」
「……そォだな。"聖女一派"って知ってっか?」
「さぁな。聖女本人なら会ったことはあるが」
「『紛争地帯』で猛威を振るった病魔。アレを神の如き力で人々をどんどん癒やしていった聖女が崇められているって話は知ってんな?」
「ああ。それで信者が大量にいるって話も聞いたが、実際に聖女の治癒院には数人ぐらいしかいなかった」
「最近、まあ病魔を警戒しているんだろうが王都の検問が厳しいからな。『紛争地帯』の連中は中に入れていない。たとえ聖女に治癒されていることが証明されていようがな」
士道は頷きかけたが、そこでふと疑問が湧いた。
「……ん? それなら、なぜ病魔に罹った俺は王都に入ることができたんだ?」
首を傾げると、唐突に口笛を吹き始めるレーナ。
明後日の方向を向くリリス。
そして苦笑するミレーユ。
「レーナちゃんが城壁を飛び越えたのです。私とリリスちゃんは普通に入りましたけどね」
「おいおい」
士道は苦笑しながら、
「バレなかったのか?」
「……正直分かりません。何となく、見られているような気はしましたが、とりあえず聖女様のいる治癒院に直行しました」
「そうか……ありがとな」
そう言ってレーナの頭を撫でると、彼女は頬を緩めて微笑んだ。
断続的に戦闘音は鳴り響いているが、ほとんど人々の悲鳴は聞こえなくなっていた。士道たちと拓真の戦闘の際に、すでに避難は終えていたのだろう。
だいたいは王都の中心にある王城に集まり、かなりの数が収容されているらしい。
とはいえ、確実に王城だけで収まるような民衆の数ではないが、それは士道が考えることではない。
「悪いな拓真。話を戻すぞ。その"聖女一派"がどうしたって?」
「"聖女一派"ってのは要は信者の集まり。元々がどんな団体に所属していようが、関係ない。その中で、組織ごと派閥に組み込まれたのが二つある」
拓真は指を二本立てながら、
「クレール商会とマリアード傭兵団。両者共に『紛争地帯』の大物だ。逆にこの二者を手中に収めたからこそ戦争は終結し、聖女は"紛争地帯の救世主"と呼ばれ始めたと言ってもいい」
拓真の襲撃と聖女一派の成り立ちに何の因果があるのか分からないが、ひとまず士道は続きを促す。
「まず、超大規模な兵員をいろんな国に回していて、情勢への影響力がデカいマリアード傭兵団。これのトップがオレだった」
「お前がそんなデカい組織をまとめられるのか?」
士道が眉をひそめると拓真は鼻を鳴らしながら、
「実際には乗っ取っただけだなァ。『紛争地帯』に転移したオレは、とりあえず傭兵になって暴れ回ってた。そのついでに、マリアード傭兵団とかいう態度のデカい野郎どもを全員まとめてフルボッコにして服従させた。まあ実際の組織運営は元々の団長だったマリアードがすべてやってたが」
「だろうな」
士道が深く頷くと、拓真が額に青筋を浮かべる。
だが否定することはなく、そのまま話を続けた。
「まァ楽しかったな。オレは戦いが好きだ。元の世界でケンカやってた時も、何か足んねェと思ってたもんよ。それがこの世界に来て分かった。命を懸けるスリルが足んねェんだってな。なァ士道?」
嬉々として語る拓真だが、士道はため息をつく。
「……お前は昔からそうだったよ。だが俺はお前とは違う。俺は別に、戦いたいから戦っているわけじゃない」
戦わなければ護れないものがあるから、戦っているんだ。
言外にそう告げるように、士道は言葉を切った。
拓真は愉快そうに笑う。
「あァ。テメェは昔からそういう奴だったよ」
「無駄な話が多いな。要点をまとめて話せよ」
「おォ、そうだった。そこで病魔が流行を広げ始めて、ウチの傭兵団にもかなりの被害が出ていた頃に、オレにある転移者が接触してきた」
「転移者だと?」
「山城京夜。『紛争地帯』の流通を支配してるクレール商会の実質的なトップだ」
ギラギラした黒髪をオールバックにしている長身の男。やたらと奇抜なファッションだから一目で分かるはずだと、拓真は山城の特徴を語る。
「ここから先が本題だ」
拓真が前置きする。士道は腕を組んで促す。
「ヤツの天職は呪術師。……もう、何となく想像はついてんだろ? 『紛争地帯』からミラ王国にまで流行を広げてる謎の『病魔』。多くの人間を死に至らしめ、苦しめている難病。これを使役してるのは――」
そして拓真は真実を語る。
語ってしまうという事実を、引き裂くような笑みを浮かべて歓迎しながら、
「――山城京夜の、固有スキルだ」
段々と見え始めるのは、この混沌とした状況において、本当に倒すべき敵。
士道はその正体を見定める為に、更に眼光を鋭くした。




