第1話 墜ちてきた星
はじめまして。あるいは、おかえり。
人が死ぬと、その心が空の星になる――そんな世界の話だ。
主人公は、その星を読んで食ってる少年。まずは、彼の最初の夜に、ちょっと付き合ってやってください。
星を一つ、殺した。
読む、というのは要するにそういうことだ。俺はいつもそう思っている。誰にも言わないが、口に出さないだけで、指を動かすたびに胸の底でその言葉が転がる。
目の前で、光の粒がほどけていく。さっきまで夜空にあった小さなまたたきが、糸をほどくようにゆっくりと消えていく。そのあいだ、俺の頭のなかには他人の死が流れ込んでくる。冷たい水のように。逃げ場もなく。
――ああ、寒い。誰かがそう思っていた。
――もう少しだけ、あの子の顔が見たかった。
知らない男の最期だった。名前も知らない。顔も、今この瞬間まで見たことがなかった。それでも俺は、彼が死ぬ間際に何を惜しんだのかを、たった今、自分のことのように味わっちまった。
息を吐く。指先がまだ震えている。こういうときは待つしかない。他人の死が、自分のなかから引いていくのを。
「……回収、完了」
声に出すと、少しだけ現実が戻ってきた。俺は冬瀬灯。星読みだ。十七になる。人の死を飯の種に換えて生きてる。褒められた商売じゃない。だが慣れた。慣れたふりだけは、誰よりうまくなった。
窓の外には、いつもの夜が広がっている。作りものの、少しだけ青い夜空。そこに数えきれないほどの星がまたたいている。あれは全部、死んだ人間だ。誰かが死ぬと、その心は一行のコードに縮んで空へ昇る。終縞、と街の人は呼ぶ。俺たち星読みは、それを読んで暮らしている。
ただし、読んだ星は消える。二度は読めない。だから俺はいつもこう思う。読むのは、殺すのと同じだ、と。
「……今日は、ここまでにするか」
立ち上がったそのときだった。
空が、光った。
◇
流れ星、と最初は思った。役目を終えた終縞が、ゆっくり消えていくだけの、静かな光。見慣れた光景だ。
だがそれは違った。
その光は、消えなかった。むしろ大きくなっていく。青白い尾を引いて、まっすぐこっちへ落ちてくる。速い。どんどん速くなる。窓のそとで、雲がそれに照らされて白く裂けた。夜のなかに、昼が一筋、走ったみたいだった。
「……嘘だろ」
俺は思わず窓に張りついた。
落ちてくるそれは、星なんかじゃなかった。
人だ。
両手を広げて、目を閉じて、まるで眠っているみたいに落ちてくる。細い体。長い髪が光の尾みたいに流れている。その体の輪郭から、きらきらとした粒がこぼれ落ちていく。まるでその人自身が、星屑でできているみたいに。
落ちる先は――俺の仕事場のすぐそば。街のはずれの、誰もいない広場だ。
考えるより先に、体が動いていた。頭では、危ない、関わるな、と別の声がしていた。それでも足は止まらなかった。
俺は扉を蹴り開けて、外へ飛び出した。夜の空気が冷たい。息が白い。走りながら空を見上げると、その光はもう目の前まで来ていた。手を伸ばせば届きそうなほど近くに、光る人の形があった。
「……間に合え」
なんの根拠もなく、そう叫んでいた。間に合ってどうする、という問いは、頭の隅に押しやった。
次の瞬間、光が地面にぶつかった。
どん、という音はしなかった。代わりに、やわらかな衝撃が空気を押した。広場いっぱいに光の粒が舞い上がって、雪みたいにゆっくりと降ってくる。頬に触れると、ほんのりあたたかい。俺はその光のなかへ、腕で顔をかばいながら踏み込んだ。光の粒は、頬に、肩に、髪に、雪のように降り積もっては、すっと消えていく。あたたかくて、けれど、どこか、泣きたくなるような光だった。星読みを何年もやってきて、無数の星屑を見てきたが、こんなにやさしい光は、初めてだった。読んで奪う、あの冷たい青とは、まるで違う。
そして見つけた。
広場の真ん中に、少女が横たわっていた。
◇
服はぼろぼろで、裸足で、髪には光の粒がまだ絡んでいる。年は俺と同じくらいだろうか。目を閉じている。死んでいるみたいに動かない。だが胸のあたりが、かすかに上下していた。
「おい……おい、生きてるか」
俺はそばに膝をついた。呼びかけても返事はない。おそるおそる、その肩に手を伸ばす。
触れた瞬間、指先から光がこぼれた。
彼女の肩が、俺の手が触れたところから、さらさらと光の粒になってほどけていく。まるで砂に触れたみたいに。俺はあわてて手を引いた。引いたそばから、こぼれた粒はまた集まって、もとの肩の形に戻っていく。
「……なんだ、これ」
こんな人間、見たことがない。星読みを何年やっても、こんなものは知らない。人に触れて、光がこぼれる。そんな話は、師匠からも聞いたことがなかった。
だが、それ以上に、俺を惹きつけたのは、その光の、あたたかさだった。俺が毎晩、読んで消している星屑は、どれも、冷たい。死んだ者の、最後の残り火だからだ。だが、この子から、こぼれる光は。生きている。息をして、脈打っている。そんな気がした。死者の光ばかり見てきた俺の目には、それが、まぶしすぎるくらいだった。
そのとき、彼女の睫毛が震えた。
ゆっくりと目が開く。
その瞳を見て、俺は息を止めた。夜の色をしていた。作りものの空より、ずっと深い青。そのなかに、小さな光がいくつもまたたいている。星みたいに。のぞきこめば、そのまま吸い込まれちまいそうな目だった。
少女は、俺を見た。何も知らない子どもみたいにまっすぐに。警戒も、怯えもない。ただ俺を映していた。
そしてかすれた声で、たった一言だけ言った。
「……さがして、いた」
誰をとは言わなかった。
でもその一言は、なぜか俺の胸の、いちばん柔らかいところに刺さった。
◇
俺が誰かを探しているのを、見透かされたみたいだった。
二年前から、ずっと探している星がある。姉さんの星だ。
冬瀬詩織。俺のたった一人の家族だった。灼き落としのあの夜、街の半分が焼けて、姉さんもそのなかにいた。天網が暴走して、地上の記録と大勢の人がまとめて消えた、あの一晩。俺は逃げ延びた高台から、街が燃えるのをただ見ていることしかできなかった。
姉さんが死んだなら、その終縞はきっとこの空のどこかにある。読めば、最期に会える。何を思って死んだのか。俺のことをどう思っていたのか。それも、知ることができる。
でも見つからない。二年、探して、見つからない。星は多すぎる。空は広すぎる。そして毎晩、少しずつ数が減っていく。誰かが読むたびに、姉さんかもしれない星が一つ、消えていく。俺が読んでいる、この瞬間にも。
ここは終端。雲の上に浮かぶ、人が生き残った最後の街。世界は焼けて、人は空へ逃げた。そう教わって育った。この街は、死んだ者の遺したもので、かろうじて呼吸をしている。星を一つ読むたびに、明日の分の命を拾いながら。
その、死んだ者ばかりの空から。
生きた誰かが、墜ちてきた。
◇
空を見上げる。彼女が落ちてきたあたりに、ぽっかりと穴があいていた。星が一つ、抜け落ちたみたいにそこだけ夜が濃い。さっき俺が読んだ星の穴とは、比べものにならないほど大きい。まわりの夜が、いつまでたっても、その穴を塗りつぶそうとしない。
まるで、そこにあった何かが。この世界にとって、あまりに大きすぎて。夜ですら、その不在を、隠しきれずにいるみたいに。
いやな予感がした。星読みの勘が、告げていた。この勘は、いつも悪いほうばかり当てる。
俺は、腕のなかの少女を見た。夜色の目が、まだ俺を見上げている。すがるように。それでいて、どこか懐かしむように。
この子はたぶん、ただの人間じゃない。
関われば、面倒なことになる。そんなことは、考えるまでもなかった。光をこぼす体。夜に穴をあけて墜ちてきた娘。厄介事の匂いしか、しない。……なのに。俺は、その手を、離せなかった。二年間、誰にも手を伸ばさずに生きてきた俺の手が。このときだけは、勝手に、この子の手を、握り返していた。
「……とりあえず、こんなとこで寝てられても困る」
俺は、柄にもなく、そう言った。照れ隠しみたいに。
「立てるか。……歩けないなら、運んでやる」
少女は、こくりと、うなずいた。まだ言葉もろくにわからないだろうに。俺の声の、何かを、信じたみたいに。
その細い手は、氷みたいに冷たいのに、握った指のあいだから、あたたかい光が、とろとろとこぼれてきた。冷たさと、あたたかさが、同居している。まるで、この子の存在そのものが、矛盾のかたまりみたいだった。
そうして俺は、この夜、拾ってしまった。世界を終わらせる、最後の一行を。それが、どんな意味を持つのか。この夜の出会いが、俺の何もかもを、変えてしまうことになるのか。……そのときの俺は、まだ、何も知らなかった。ただ、二年ぶりに握った誰かの手の、そのあたたかさだけが、やけに、胸に、沁みていた。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
灯の夜に、星でできた女の子が墜ちてきた。こいつが何者なのかは、これからゆっくり書いていく。
次は、灯がこの子に名前をつける話だ。よかったら、また覗きに来てね。




