[1]転落
普段はギャグ大目の作品ばかり書いてます。たまにはギャグを封印した本格ファンタジーを書いてみたいと思って書いてみました。よろしくお願いいたします。
いつの間にか街道を外れて山道に入ったらしい。ゴトゴトと揺れる荷馬車の振動を受け、肉付きの薄い私の体のそこかしこが猛烈な苦痛を訴えてきた。
この五日あまり、まんじりともせず同じ姿勢で膝を抱えていた私だが、さすがに我慢できずに強張った体の重心をズラした。
「…………」
「…………」
本当なら横になりたいところだけれど、立錐の余地もないほど荷物が積まれた狭い荷台に、そんな余裕があるわけがない。
せめてもと姿勢を正したその拍子に、肩が当たった隣に座る同い年くらいの赤毛の女の子が、無言のままのろのろと顔を上げ、硝子のような無機質な眼差しで私を一瞥して、そして瞬きひとつで、またスイッチが切れたかのように顔を伏せた。
俯いた横顔から覗き見える、彼女の病的にこけた頬と鎖骨の浮いた肩、ボサボサの赤錆色の短い髪、さながら棒のように痩せ細った首と手足。
日が経つにつれてジワジワと、けれど確実に心身ともに憔悴していく彼女を前にして、せめてもの励ましの声をかけようとして……粟粒ひとつにも劣る気休めが、この状況でなんになるだろうと自問して、結局のところ掛ける言葉が見当たらず、私は唇を噛んで小さく倦んだため息をつくしかなかった。
それから惰性で、何とはなしに周りを見回す。
二畳(3.6㎡)ほどの粗末な荷台には、乱雑に積まれた穀物の袋――平民が食べる小麦粉ではない。痩せた土地でも栽培できる救荒食物であり、貧民の主食である蕎麦(蕎麦粥や蕎麦掻きにして食べる)の実の入った麻袋の山――と、混ぜ物の多いこれまた安物の蒸留酒の樽が立ち並んでいた。
「…………」
さらに目を凝らせば、荷台と擦り切れた幌布が被せられた隙間の薄闇の中には、私たちと同様にほうぼうの寒村から売払われてきた“商品”――おおよそ五歳から八歳ほどの子供が私も含めて七人ほど、緩衝材代わりに食料品の隙間に無理やり詰め込まれてるのが目に入る。
「…………」
本来なら泣き叫んでしかるべき年齢であり、小一時間とせずに音を上げる劣悪な環境であるけれど、もはやそんな元気のある子はおらず、誰も彼もが澱んだ目で項垂れて、荷台に乗せられ運ばれていくだけであった。
実際、私が売られたきたこの五日の間、道沿いの村々で随時子供が補充されてきたけれど、最初の頃は泣き叫んでいた子も、騒いだ罰として御者を兼ねている商人から与えられる容赦のない鞭と、一日一食しか与えられない食事が抜かれるという仕置きを前に、早々に泣く気力も生きる希望もなくなり、隣の子同様に一様に死人のような沈黙を保っているだけの、生きた屍に等しい状態となっている。
辛うじてこの子らが生きていることを証明できるのは、一日に一食与えられる、蕎麦どころか雑穀が申し訳程度に入った粥と、木の皮のように硬い燻製肉の欠片が入った薄い羹を与えられ、手足を縛られたまま犬のように貪る時だけだ。
そんな粗末というのもおこがましい食事だけれど、この境遇においての唯一の楽しみでもある。
「…………」
食事の事を思った途端、私の胃がやるせないほどの空腹を訴えてきた。
思い返せば、朝に食べたきりもう半日ほど水以外口にしていない。
だが、それでも《魂魄刻》が多い私は、まだましな扱いを受けている方なのだ。
私たちを買った商人がくれる食事は朝に一食。それも一組しかない椀と皿を使い回しして、ひとりが食べ終えたなら次へ……という具合によそわれるのだけれど、まず私が真っ先に呼ばれて、多少なりとも具のある粥と羹を与えられる。
それから段々と具と量の少ないものへと変わり、最後のほうでは水のような上澄みを舐めるのがやっととなるのだ。
思い余ってこっそりと、昨日今日と与えられた食事の具の部分を残して懐へ収め、こっそりと隣の女の子に分けたりもしたのだけれど、もともとの絶対量が少ないこともあって、所詮は焼け石に水。
ガツガツと小鳥の餌のようなそれを貪った彼女は、始終無言のまま食べ終えた途端、また膝を抱えた姿勢に戻ってしまった。いまだ私とは一度も口を聞こうとしていない。
いや、別に感謝を求めてのことではないし、あまりにも不憫な彼女の待遇を見かねての私の一方的な行動であるので、いまさら私がひもじいと弱音を吐くのは本末転倒というものだろう。
だけど……。
(ああ、コーラとホットドッグが食べたいな……)
炭酸の心地よい感覚と、ケチャップとマスタードの濃厚な味、プツンと噛み切れるソーセージの感覚を思い出して、私はゴクリと生唾を飲み込んだ。
この世界にはありっこない。あの世界においてはジャンクフードと呼ばれた御馳走。見果てぬ夢……。
(この世界は地獄だ)
いまとなっては幻想としか思えない、限りない豊穣と快適さに満ち溢れた、いまの私が生まれる前の世界。
そう、私はいわゆる前世の記憶持ちである。
もっとも、それだけなら実はこの世界では珍しくはあってもを異端ではない。曾祖父の記憶を持った子供や、遠い異国の言葉を喋る幼児の話など、村に来た行商人から、四方山話として、聞いたこともあるし、神殿でも輪廻転生を教えとして伝えているため、一般認識として転生という概念は存在しているのが普通であった。
だが私の前世は明らかにこの世界とは違う、異世界のものなのだ。
異なる世界。異なる価値観。異なる魂を持って生まれた私。それは明らかに神殿の教えと真っ向対立するものであり、明るみに出れば異端と認定されるに十分な異質なものである。
そのことは、三年前に〈鬼怪〉によって命を断たれた両親にも話したことはない。
狭い村の中で迂闊なことを喋ったが最後、〈悪霊憑き〉として処刑されるかも知れない。いや、確実にそうなるだろう。
五歳ぐらいから、徐々に転生前の記憶を取り戻していた私には、そう判断ができる程度の分別はすでに宿っていた。
(でも妄想ではない。でなければ習ってもいない掛け算や面積の出し方なんてわかるわけないもの。もっとも、知識があっても何もできないけれど……)
いかに進んだ世界の知識があったところで、いまの私は無力な農民の子供に過ぎない。
例えば半端な知識で、農機具やノーフォーク農法を提唱したところで、誰が子供の戯言に乗るだろうか? そもそも知識というものは神殿が独占している特権である。
特権とは力であり財産だ。
特権階級ならいざ知らず、何の後ろ盾もない農民の子が、訳知り顔で教会の既得権を犯せばどうなるか? それこそ子供でもわかる結果が待っているだろう。
結果、歯がゆくも何もできないまま、八歳になる今日まで、私は水月のように現状に流されるまま過ごすしかなかった。
ちなみに水月というのは、私の本名に掛けて付けられた村での私の仇名だ。
自重しているつもりだったけれど、どうやら私は周囲からかなり浮いた言動の存在だったらしく、
「フワフワと頼りない、村の溜池に夏になると繁殖する邪魔者と同じだ」
そう面と向かってガキ大将からそう言われたこともある。
そんな私であったが、それでも生まれつき《魂魄刻》が『おおよそ九百年』と、平均して六十年ほどしかないこの世界の農村にあっては、飛び抜けて高かったためごく稀に生まれる《長命種》と呼ばれて、村の大人や神殿の助祭様からは掌中の珠のように、特別扱いされていたのも確かだった。
なにしろ《長命種》でしかも女となれば、年頃になった際に、町の長者どころか下手をすれば領主貴族からも嫁(もしくは側室)に欲しいという話が来るかも知れない。
そうなった場合、どれほど村にオコボレがくることか……。
そうした浅ましい魂胆は透けて見えていたけれど、狭い村で、さほど裕福とも言えない農民の娘である私に自由裁量や選択権など初めからなかった。
優しい両親は、「お前の好きな相手を見つけて嫁ぐのが一番だよ」と言ってくれたくれど、そんなことになれば、両親が村八分となり居場所がなくなるのは火を見るよりも明らかである。
その言葉に嬉しくは思いながらも、従容として運命を受け入れるつもりでいた。
だが、運命は私の想像よりもさらに過酷だった。たまたま山から下りてきた〈鬼怪〉によって、農作業中だった両親はあっさりと命を絶たれたのだ。
母を逃がそうとしたのだろう。父は〈鬼怪〉に立ち向かって、それはそれは無惨な姿となっていた。私はちょうど飼っている兎(肉用)の餌になる草を刈るために畑を離れていたのだが、母はわざと私のいる方向と逆に走って、父を殺した〈鬼怪〉に追い付かれて、悲鳴を聞いた村人が駆け付けた時には事切れていたそうである。
ともかくも、三年前に両親がいなくなり、天涯孤独となった後も私の特別扱いは変わらず、当然のように村長が私の身元保証人となり、村長宅に引き取られることになった。
もしかすると、村長の子供の誰かと交わって《長命種》の血筋を取り込むことを期待したのかも知れないが、そうした現状も思惑も、この春の凶作によって一変してしまった。
代官に納める今年の納税が捻出しきれなくなった村長と村人たちはあっさりと掌を返し、村にあって後腐れのない存在で、なおかつ値打ちのある“商品”として私を売り払ったのだ。
そうして中身はともかく生まれて八年しか経過していない子供の私に拒否権も反抗する力もなく、あれよあれよという間にやってきた商人によって、否も応もなく頭陀袋のような麻の貫頭衣に着替えさせられ、逃げだせないよう裸足のまま粗末な馬車の一角に詰め込まれて、そのまま見送る者もなく生まれ育った村を後にした。
狭いコミュニティで生まれ育ち一生を終えるのが普通のこの世界において、女でなおかつ子供である私にとって初めての、そしておそらくは最期になるだろう旅である。
その時点で先客として、隣の女の子ともうひとり年少の男の子の痩せこけた子供がふたり荷台に乗っていたが、軽く挨拶をしたところで無視された。おそらくはもうこの時点でふたりとも壊れていたのだろう。実際、男の子はその翌日に熱を出したかと思うと、朝露が消えるようにあっさりと息を引き取った。
そうして、亡骸は埋葬されることなく、舌打ちした商人の面倒臭げな指示に従って、私ともうひとり生き残った女の子とで、街道の脇を流れていた川へと放り投げさせられた。
このことによって否応なしに私も自分の行く末を悟り、その日は恐怖と悲哀に駆られ、翌日にはそれが憔悴に変わり……そして、三日も経過したところで、諦観から絶望、そして自分を含めた世界すべてに対する虚無へと、心が磨耗していくことを自覚するのだった。
人ではなく“商品”として扱われている私たちが、所謂奴隷なのはわかっている。
けれどまさかここまで徹底して、『命』以外の価値を無視されるとは思わなかった。
(……運が良ければ、《長命種》ということで種馬扱いされるかと思ったのだけれど)
まだそれならばマシなのだけれど、と他人事のように考える。
(この扱いをみるに他の子たちと同列に、《魂魄刻》を抽出されて使い捨てかなぁ……)
想像する限り限りなく最悪の予想に、私に僅かばかり残っていた最後の希望が消え去ろうとしていた。
この世界では生物と、一部の製造物には《魂魄刻》というものが存在している。
それは特殊な能力を持った人間や、専門の器具を使えば測定することが可能なのだそうだ。
その《魂魄刻》――平たく寿命といってもいいが、これが多いモノほどこの世界では価値が高いとされている。モノの価値が《魂魄刻》によって決められるのだ。
だからこの荷台に乗せられている“商品”の中でも、恐らくは私が最も高額になる筈であり、それ故の特別扱いなのである。
そして、恐るべきことにこの世界においては《魂魄刻》とは、ただ計測できる指標に止まらないのだ。
形のないアヤフヤなものではない。特定の秘術を施すことで《魂魄刻》は抽出することも可能であり、抽出された《魂魄刻》は、同じ種類のモノであれば移植することも可能なのだ。
わかりやすい例でいえば、《魂魄刻》が尽きかけている人間に、三十年分の残数を持った他者の《魂魄刻》を注げば、状態にも拠るが十年から二十年の若返り及び延命が可能となる。
さすがに死んでから時間の経った状態や、原型を止めないほど破壊された肉体の蘇生は無理らしいが、それ以外であればこの世界では再生は可能である。
この世界では文字通り『命』が『金』に等しく、『死』は等しく人間の上に降りてこないということだ。
王族や貴族、聖職者、富んだ者などといった恵まれた者は、その財力と権力が尽きぬ限り理論上の不老不死を成し遂げ(殺されるなどの外的要因で死ぬことはある)、貧しい者や虐げられている者は文字通り命を食い物にされるしかない。
それがこの世界の理だ。
一部の者にとっては天国かも知れないが、大多数の者にとってはまさに地獄としか言いようがないだろう。
そしてまさに私は、私たちはそうした特権階級のための糧として消費されようとしているのだ。
当たり前のことだが、いかに輪廻転生があろうとも選ばれた一握りとして生を受けられるわけではない。
うろ覚えだが、前世の世界においても、屋根のある場所で電気と水道が当たり前の生活ができたのは、実際のところ世界の三分の一程度だったそうだ。
このせいぜい中世レベルの文明しかない世界では、九割方が生まれ落ちた瞬間から負け組と確定している。
(……三度目の生があるなら、せめて生と死が平等な世界へ生まれ変わりたいものだけど)
中途半端に伸びた髪が俯くと襟足にかかって鬱陶しい……と思いながら、私は膝に顔を埋めてそう願わずにはいられなかった。
と、不意に荷馬車が叩きつけられるように大きくバウンドした。
思わず前のめりに倒れそうになるところを、ギリギリ踏み止まれた私が幌布の下の様子を窺って見れば、衝撃で乱雑に積まれていた荷物が荷台一杯に散乱し、奥側に座っていたお陰で難を逃れた私と女の子以外の全員がその下敷きになり、呻き声を発している無残な光景が目に入ってきた。
突き出た岩にでも乗り上げたのだろうか? 助けようにも荷馬車は留まることなく、さらに加速を加えるために立つこともできない。
そして、それに合わせて御者である商人が必死に鞭を振るう音と狂ったような掛け声、荷馬車を牽く年取った驢馬が放つ悲痛な嘶き声が聞こえてきた。
さすがにおかしいと思って私は顔を上げ、荷台から転げ落ちないように両手で体を支えながら、幌布の隙間から僅かに覗く外の世界に目を凝らしてみた。
時刻はお昼過ぎだろうか。赤茶けた山道とまばらに生えた灌木が、荷馬車の後方に流れていくのが見えた。
特に何もおかしなものは見えない――いや、何かが荷馬車の後ろに見えた気がした。
上下する荷台の上、必死に這いつくばるようにして私は背を伸ばして、馬車の後方へと移動をして少しだけ幌布を持ち上げてみた。
「!!!」
途端、荷馬車の後方から追いかけてくる山羊のような角の生えた黒い狼とも獅子ともつかぬ、異様な怪物が目に飛び込んできた。
「〈鬼怪〉っ!?」
知らず私の喉から驚愕の声が漏れていた。
誰に聞かなくてもわかる。生き物の理を外れた魔物。三年前に両親を殺したのと同じ、〈鬼怪〉の姿である。
大顎を開けて、だらだらと涎を流しながら追って来る捕食者である〈鬼怪〉と、荷物を満載した荷馬車を牽く年取った驢馬。
細い山道で片側は崖で片側は石ころだらけの傾斜、しかも道はやや上り坂なのだから、どう考えても逃げられるわけがない。
見る間に距離を詰めてくる〈鬼怪〉を前に私の頭は真っ白になった。
この先に待つ死は覚悟をしていたものの、こんな思いがけない最期は予想外だ。
「荷台の餓鬼ども! 邪魔な餓鬼を捨てろ! 白金の髪の《長命種》の餓鬼だけ残ってればいい。残りは邪魔だ!」
と、その瞬間、天啓のように商人の胴間声が降りかかる。
「さっさとしろ! 二束三文の餓鬼から捨てるんだ。餓鬼を食わせてその間に逃亡するぞ!」
息を飲んだ私は、咄嗟に自分の(随分と薄汚れてはいるものの)特徴的な白金の髪に手をやった。
切羽詰まったこの状況では当然の選択かも知れないが、それでも率先して他の子を〈鬼怪〉の餌になど、私には――。
逡巡したのはほんの数呼吸の間だけだったと思う。
だが、その瞬間に私に代わって赤毛の女の子が弾かれたように動いたのだ。
自暴自棄から無気力に座して死を待つばかりだと思われた彼女が、この土壇場で何を思ったのかはわからない。
眼前に迫った圧倒的な恐怖に錯乱したのかも知れないし、或いは本能的な行動だったのかも知れない。もしかすると知らずに彼女の怨みを買っての報復だったのかも知れない。
わからない、だけどわかっていることはただひとつ。背後から不意を撃たれて背中を押された私の体は、抵抗する間もなく荷馬車の荷台から宙へ投げ出されたということだけだ。
「……なっ!?!」
状況が理解できず動顛する私の目に最後に映ったのは、両手を前に突き出した姿勢で、三日月のような笑いを浮かべた女の子の姿だった。
(どうして……?)
なぜ? なぜ!? と混乱する意識の外側で視界がクルクルと目まぐるしく入れ替わる。
空、空、地面、空、〈鬼怪〉の剥き出しの牙、振り上げられた爪、地面、空……そして、全身の浮遊感を最後に私の視界は暗転したのだった。
明日と明後日も同じ時間帯に更新します。その後は土曜日更新予定です(忙しいときや体調に応じて無理な際はその旨追記いたします(´・ω・`)ノ)
12/20 長命種の設定を一部変えて、旧約聖書に準じて寿命を600年から1000年へ変更します。
2019/5/23 修正しました。