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レゾナンス・ドール  作者: iohara
二章 二人旅
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12.近づかない心

 言葉少なくなったイシュマに、これ以上の質問をぶつけることができなくなった鈴は、ベッド脇にある衝立の奥で乾いた服を着た。着物のような合わせと、革のような素材でできた帯。それから長めの袖にと、スカートのように広がる裾には小さめのフリル。軽い素材は柔らかく、着心地は悪くないというのが鈴の感想だった。

 とはいえ見慣れない形の服装がゆえに、脱ぐのは容易かったはずが、重ねる順番が違ったりと手間取った。そうして身支度を整え終わると、囲炉裏のそばにいたはずのイシュマの姿がない。

 とたんに不安になった鈴は、彼を探して小屋の外に出る。


「……鈴、何かあった?」


 小屋の外は河があり、そのたもとにイシュマは立っていた。


「なにを、していたの? いないからビックリして」

「ああ、ごめん。星の位置を確認していたんだ」

「星?」


 鈴は暗いなか、礫の多い河原を歩いてイシュマのそばにやって来た。

 夜空には月が浮かび、その光にまけじと星々が瞬いている。

 落ちてきそうなほど数多の星を、鈴はため息をつきながら見上げていた。


「コンパスはあるけれど、森ではたまに狂うこともある。星が目印になるのは、こっちも一緒なんだ」


 イシュマがそう説明すると、鈴は驚いた顔をして見返した。

 分からないことばかりのなか、聞き流していたことがあった。それはイシュマも気づいていたが、あえて説明しないでいたことを、鈴は気づいたのだ。


「あなたも、向こうの世界を知っている……?」


 イシュマが言葉を選んでいる間にも、鈴は畳みかけるように問いかける。


「そうよ、こっち(、、、)って言うからには、あちら(、、、)もあるってことでしょう? それにあなたも生き残ったのはどうして? 私と……この身体と同じでどこかで保護されていたからってこと?」

「鈴、夢の世界のことは……」

「現実よ、私にとっては」


 唇を噛み、イシュマを見上げる鈴の目には、暗がりで分かりにくいが涙が浮かんでいたようだった。

 イシュマはドクトーラの言葉を思い出す。


「分かっている、鈴にはそうかもしれないけれど、俺には夢と片付けた方がいいくらい碌でもない場所だったんだ」


 イシュマの答えに「やっぱり」と鈴は呟いた。


「鈴……いや、リュンが眠りから醒めず、病に冒されたのだと知って絶望してから、すぐのことだった。気づいたらスラムにいて、誰に保護されることなくただ生きるために何でもしなくちゃいけなかった。周りは屑のような大人たちばかりで、誰も信用できず、街では毎日誰かが銃で撃たれていた。夢ならどうして醒めないのかと、どれほど運命を呪っても、誰も助けてくれなかった」

「スラム?」

「ああ、日本じゃない」


 鈴が帰りたい場所のように、世界の全てが平和だなんて思ってはいなかった。だが夢で済ませられるほどに、十年という月日は短くない。

 苦悩する鈴を尻目に、イシュマは続ける。


「いっそ殺してくれればいいのにって思ったこともあった。けれど五年ほどでこっちに戻ることができて、死ななくてよかったって心から思えた。両親が待っていてくれたから……だけど誰よりも目覚めを喜んでくれた母さんは殺され、先日は一緒に逃がれていた父さんまでも……」

「……そんな、私」


 イシュマとて、幸せに過ごしていた鈴を責める気はない。


「いい。これが俺の現実だから」

「現実……」


 言葉を失う鈴に、イシュマは何も求めない。

 どんなに想ってもイシュマが鈴の帰りたい気持ちを理解できないように、鈴もまた同じなのだと理解した。


「鈴は日本って言ったよな」

「……うん」

「幸せ、だったんだな」

「うん、ごめん」


 イシュマは首を振る。

 表情の薄いイシュマに浮かんだ笑みが、ひどく哀し気に思えた鈴は、思わず彼に手を伸ばしていた。慰めてもどうにもならない。だけど放っておいたらいけないような気がしたからだ。

 だが……


「謝る必要はない。戻ってきてくれただけで充分だ」


 その言葉に鈴の手は止まり、心が凍り付く。


「戻る……」


 鈴の心に嵐のように満ちるのは、そうじゃない、違うんだという思い。


「私が戻るべき場所は、ここじゃないわ。家族がいるの。優しい両親と、可愛い妹……幼馴染みたちが……学校だって」

「鈴、それは」

「これからだったの、親孝行して……だから帰る。帰りたいの……」


 月明かりの中、鈴はイシュマを真っ直ぐに見て、涙をこぼした。

 以前のように取り乱すわけではなく、ただ切々と。

 それがイシュマには、辛い。


「あちらに戻る方法は……ない」


 鈴の大きな目が、さらに見開く。


「そんな……」


 鈴は呆然と膝をついて周囲を見回す。

 目の前に流れる河は、一見穏やかに流れる。だが河を避けるように繁る木々はとても高く、人の手が入らぬジャングルのよう。そして遠くから聞こえる虫の音と、鳥の鳴き声。

 見上げる空には、見知らぬ星々。

 目を覚ましてから、何が起こっているのか分からぬままに、こんなところまで来てしまった鈴に、現実を受け入れろという方が間違いだった。


「本当に、私はここで……この世界で生まれたの?」

「ああ、間違いない」

「もしかしたら、人違いかもしれないじゃない? た、例えば、心だけが入れ替わっているとか。もしかしたら本当のリュンって人はまだ向こうの世界にいて……」

「ありえない」


 どうしてそんな風に言い切れるんだと、鈴は憤るのだったが、イシュマは偽りで鈴を納得させようと思わなかった。

 ヘルガが告げたように、父親が命をかけて本体のリュンの元へ辿り着き、そして彼女の心を目覚めさせたのだと、立ち会ったわけではなくともイシュマは納得している。もしそれが失敗していたら、今こうしてリュンの意識が共振人形(ドール)に宿ることはない。共振人形(ドール)が誰かの心を宿しているというのなら、誰か(それ)はリュン以外ありえないと。

 そして鈴がドールであることを知ったなら……彼女はどうするのだろうかと、イシュマは考える。

 今の状態で、それこそ受け入れられるとは思えなかった。

 だから余計に言葉少なくなる。


「もう寝よう、明日の朝早く出発するから」


 イシュマは俯いたままの鈴を促して、小屋へ戻る。

 彼女にとって酷な旅になるかもしれない。二人きりの旅は危険を回避するために、しばらくは森の中を行くことになるだろう。

 だがそれでも、彼女を守るためには立ち止まっている暇はないのだと、イシュマは気持ちを引き締めるのだった。


 翌朝、味気ないスープの残りを口にしただけのイシュマと鈴は、猟師小屋を後にする。

 昨夜確認した方向は、北。今いる場所がユーレイシア河の支流であるならば、目視では確認できないが河の向こう岸に王都ラナの街があるはずだ。河を見失わない程度に森の中を北上したら、小さな集落がある。そこに傭兵団オルセリのアジトのひとつがあるはず。

 イシュマは鈴の足元を確保するかのように、草をより分けながらうっそうとした森の中を進む。

 猟師には悪いが、昨夜使わせてもらったシーツを拝借してきた。それを半分に引きちぎり、薄着だった鈴に被らせた。森は虫もいるし、なにより葉で皮膚を切り裂かれることもあるからだ。

 藪の間を縫うようにして進めば、少しだけ開けた場所に出た。小屋を出てからもう一時間が経つ。休憩を取ることにして、鈴が座れそうな木の根を見つけて、その上にイシュマは上着を乗せる。


「鈴はここで少し休め。俺は少し周囲を見てくるから」


 鈴はひとつ頷き、イシュマが指定した場所に腰を下ろした。

 心細いのだろう、被る布の隙間から見える細い指が、震えていた。


「すぐに戻るけど、何かあれば大声を出せ」


 それだけ言って、イシュマは密林の中に入った。

 鈴は言われたように何もせず、座っている。

 森に出てから、更にここが自分のいる世界ではないのだと少しずつ実感を抱きはじめていた。それが不安となって鈴の足を鈍らせている。

 うっそうとした森には、見たこともない葉の木々が多い。西洋楓のような幅広い葉をもち、それでいてとても背が高い。根が地上まで張り出していて、ふかふかの落ち葉に気を取られていると、その根につまづき何度も足を止めさせられた。そして何より……

 その木々の隙間の向こう……青い空の中に、度々見かける気球船。

 鈴の認識ではずっと過去のものとなったモノが、ここでは現役だと聞かされた。しかも形が様々に進化を遂げて、頻繁に行き交っているなんてことは、鈴が生きていた現代では非現実的である。


「本当に……私、違う世界に」


 今更だった。

 さんざん言い聞かされ、それでもと鈴が思い直すことができたのは、目まぐるしく変わる環境の変化から。

 だけどもう、周囲の状況から目を反らし続けるのは、無理だと鈴は悟る。

 このまま流されて、イシュマについて行っていいのか。信用するにしても、いずれは自分の頭で状況を判断したい。

 元々根が真面目な鈴は、そういう基本的な部分をないがしろにできず、しばらくそうして悩み続けていた。


 ふと気づくと、どれほど時間が経っていたのか。

 鈴が見回すと、あたりはしんと静まり返り、イシュマの気配はないまま。

 急に心細くなったその時、開けた空から一羽の鳥が、鈴の前に降り立った。

 ぽっかりと開いた空から降り注ぐ日差し、その光を浴びて白い羽が艶やかだった。小さくて掌に乗りそうな大きさの、インコのような姿。だが違う部分もあり、全身真っ白な羽だけど、頭の上に黄色い飾り羽があり、それがとても優雅な印象を与えていた。

 切り株の上に着地したまま、鈴の方をずっと伺っている。

 人間に慣れているのか、はたまた人間自体見ることが初めてで警戒しないのかは、鈴には分からなかった。だが愛くるしく首を傾げるその姿に、ほんのひと時ではあるが鈴の固まった心を和らげるには、充分だった。

 逃げられてしまうかもしれないと思いつつ、鈴はそっと手を差し伸べてみる。

 すると鈴の手に応えるように近づき、掌の中をのぞき見る鳥。


「あなたも、迷子なの? ……私みたいに」


 小鳥は何度か首を傾げ、鈴の指に頭をこすりつけてくる。


「人に飼われていたのかしらね。可愛い」


 黄色い(くちばし)が器用に動き、指を挟んで甘える様子は、鈴の心を和ませる。

 このまましばらくは戯れていたいと願い、小鳥の好きにさせていたのだけれど……


「鈴?」

「あっ!」


 ガサガサと枝をかき分けて戻ってきた物音とイシュマの声に、小鳥が驚いて飛び立ってしまった。

 飛び立つと同時に聞こえた高く短い鳴き声は、警戒心からくるものだろう。白い影を目で追っていた鈴は、姿が見えなくなってしまったことを残念に思い、項垂れる。


「何かあったのか?」

「……綺麗な小鳥がきていたの、それだけ」


 イシュマは相変わらず沈んだ様子の鈴に、見回りの成果を見せる。

 濃いオレンジ色で楕円形の、熟れたマンゴーのような見た目の果実を手にしていた。


「動物に取られる前のものは珍しいんだ。甘くて栄養価が高くて水分もある。少し食べてから出発しよう」


 そう告げてイシュマは腰の荷袋からナイフを取り出し、手慣れた手つきで果物を切り分けて、鈴に差し出した。

 受け取ったはいいものの、果物の中はザクロのよう。食べるのを躊躇する鈴に、イシュマは自分が食べて見せる。すると鈴も意を決して口をつける。


「……甘い」

「そうだろ、獣や鳥が好んで滅多に手に入らないんだ。俺も自分で採るのは初めてだった」


 美味しいと言いつつも、さほど喉を通らない鈴。

 イシュマとしては正直なところ、鈴が空腹を訴えないことに、心の底では安堵していた。身体はドールだが、鈴は自分が機械人形を仮初の身体としていることを知らない。すぐに自覚するのではと心配したが、ヘルガの作り上げた人形は、まるで生きた人間と変わらない見た目。肌はやわらかく、抱き上げたその身体は軽くしなやかだった。

 その錬金術師の技術に心底恐れを感じる。

 そのせいもあるのだろう、このまましばらくは鈴には知らせたくない。昨夜の鈴との会話で、彼女にとって知ることは負担でしかないとイシュマはそう判断した。


「余ったものは置いていっていい?」


 鈴からの提案だった。

 理由を聞けば、お礼だという。


「一人でいるときに、白い小鳥になぐさめられたの。あなたが戻ったときに驚いて逃げてしまったけれど、きっとまだ近くにいると思う。だから置いていったら食べてくれるんじゃないかと思って」

「……小鳥? どんな?」

「インコくらいの大きさなんだけど、オウムみたいな黄色い飾り羽が頭にあったの。すごく人懐こいから、きっと飼われていたのよ。もしそうなら食べ物に困っているかも」


 イシュマはそんな鳥がいただろうかと考える。

 確か、森の主ともいえる猛禽類の一種が、そのような容姿をしていたはずだったが、とてもインコのサイズではなかったとイシュマは記憶している。


「あまり聞いたことがない鳥だな。だけど持ち歩くわけにはいかないから、置いていったらいい」

「ありがとう」

「いや、でもこれからはあまり動物に近づかないように」

「……でも小鳥だったから」

「小さくても獰猛なものもいる。ここの世界は、あっちよりも自然のままなんだ」

「……わかった」


 鈴は納得がいかないという顔をしてはいたものの、イシュマの言葉に頷く。そして鳥が止まった切り株に食べかけの果物を置いて、後ろ髪を引かれながらも立ちあがる。

 それからイシュマと鈴はまた、以前にも増して無言でまま歩きはじめる。

 目的地はあれども、いつ辿り着けるかわからない状態。そんなおぼつかない先行きと同様に、どちらもが心のどこかで線を引きあい、遠く離れたまま。

 それがますます、道なき道をゆく二人の精神を、疲弊させていくのだった。

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