第33話 母の外交と帰還する民に鉄の防空壕
帝国の大軍勢を退けてから、三週間。
旧モルトケ領の海岸線は、かつてないほどの熱気と喧騒に包まれていた。
「そら、右の滑車を巻けェ! 溶鉱炉の部品を下ろすぞ! 落としたら承知しねェからな!」
大型の輸送船がひしめき合う港で、鍛冶頭のガレンの怒号が飛び交う。
監獄島での過酷な避難生活を耐え抜いた一万五千の領民たちが、ついに本土への『帰還』を果たしたのだ。
港の指揮所で図面を広げていたアンジェリカは、船から降りてくる老人や女、子供たちの安堵した顔を見て、きつく唇を引き結んだ。
「アンジェリカお嬢様! 第一陣の移設、完了しましたぜ! すぐにでも兵器工場の組み立てに入りやすか?」
「いいえ、ガレン。工場より先に『彼ら』の住む場所が必要です。領地に帰還した老人や女性、子供たちのために、大至急仮設住宅の建築に取り掛かってください」
アンジェリカは、前世の知識である『鉄筋コンクリート』の図面を卓上に広げた。
「ただの木の小屋ではありません。鉄を精製する際に出る鉱滓と火山灰、砂利を混ぜ合わせた泥水を、鉄の骨組みに流し込んで固めます。……大砲の直撃や銃弾を完全に防ぐ、魔法なしの絶対防壁です」
「こりゃあ……鉄と泥で、石より硬い箱を作るってのかい?」
「はい。平時は彼らが安全に暮らすための家として使い、万が一帝国軍が再び攻めてきた際には、そのまま領民を守る防空壕や、兵士たちが立て籠もる特火点として機能させます」
ただの避難場所ではない。いざという時は、そのまま『要塞の一部』として機能する強固な防弾建築。
それを聞いたガレンは、背筋に震えを覚えながらも獰猛に笑い、図面をひったくった。
「カッカッカ! 違ぇねえ! モルトケの領民なら、家ごと戦うぐらいの気概がなきゃな! すぐに型枠を作らせやす!」
領民たちの雄叫びと共に、モルトケ領は居住区すらも牙を剥く『鉄の要塞』へとその姿を変貌させていった。
***
モルトケ領が巨大な軍事要塞へと姿を変えつつある頃。
海を隔てた連合国の豪奢な王城では、水面下で恐るべき外交交渉が行われていた。
「――つまり、モルトケ辺境伯軍は、単独で帝国軍四万を退けたと? エルデラント王家からの援軍もなしに?」
連合国国王は、信じられないものを見るように玉座から身を乗り出した。
彼の視線の先には、妹であり、ハインリヒの妻であるソフィアが、一歩も引かずに優雅な一礼をしていた。
「はい、国王陛下。我がモルトケ領は現在、帝国の脅威を一時的に排除いたしました。つきましては、陛下のご厚意でお借りしておりました『監獄島』から、領地再建のために領民を本土へ帰還させます。一時的に、島から非戦闘員は誰もいなくなりますわ」
「む……では、あの島は空になるのか?」
「帝国との争いが完全に落ち着くまで、工場設備と防衛機能はそのまま維持し、万が一の際の最終防衛線として活用させていただく所存です。ですが……」
ソフィアは扇で口元を隠し、連合国国王の目を真っ直ぐに見据えた。
「このまま帝国を王都からも退け、領地を再建した暁には、密約の通り、我がモルトケが誇る『近代技術』で作った品を、いの一番に連合国へお約束いたしますわ」
それは単なる事後報告ではない。「帝国軍四万を粉砕した武力」を背後にチラつかせ、今は恩を返せないが、将来の莫大な利益を約束することで連合国を味方に縛り付ける、極めて高度な外交交渉であった。
国王は冷や汗を拭い、モルトケ家との島の貸与契約の密約を継続することを深く頷いて約束した。
母ソフィアの暗躍により、モルトケは背後の安全を完全に確保したのである。
***
そして、海岸線の司令部天幕。
ハインリヒ、マクシミリアン、アランの三人は、重苦しい顔で一羽の『漆黒の鴉』を見つめていた。
鴉の足に結びつけられていた暗号文。それは、王都の地下に潜伏しているモルトケの暗殺者から送られてきた、王都の最新の情勢であった。
「……アラン。暗号の解読を」
ハインリヒの野太い声に、アランが忌々しげに顔を歪める。
「はい。撤退してきたグスタフ将軍の三万が合流したことで、王都に駐留する帝国軍は十万近くに膨れ上がっています。当然、王都の兵站だけでは養いきれず、帝国軍は王都の民から暴力的な略奪を開始。……すでに、餓死者が路地に溢れかえっているとのことです」
アランは一度言葉を切り、ギリッと歯を食い縛った。
「そして……婚約破棄の折、国王陛下は重い病に伏せ、王太子が代理を務めていると発表されていましたが……あれは偽装です。王太子と、裏で手を引く黒幕、そして帝国に肖り甘い汁を吸おうとした裏切り者の貴族たちが、陛下を王城の地下牢獄に幽閉し、帝国軍を招き入れたのです。幸い、陛下の命に別状はありません」
ミシミシと、ハインリヒが握りしめた机の角が嫌な音を立てて軋んだ。
国境で血を流し続けた自分たちを見捨て、実の父親である国王を幽閉し、挙句の果てに民が飢える王都で敵国と祝杯を上げている腐りきった王家と貴族たち。
それは、誇り高き辺境伯として、絶対に許すことのできない大罪であった。
「……国王陛下の生存が確認できた以上、我々に躊躇う理由はない」
ハインリヒは静かに立ち上がり、腰の軍刀を地図の『王都』の位置に突き立てた。
「モルトケの要塞化が完了し、十万の敵を迎え撃つ弾薬の備蓄が済み次第……我々は王都へ進軍し、飢えに苦しむ王都の民を解放する。だが……」
ハインリヒの瞳に、冷酷な光が宿った。
「ただ首を落とすだけでは、暗殺と同じだ。王太子、黒幕、そして国を売った腐れ貴族どもをすべて白日の下に引きずり出し、エルデラントの法と民の前で、国家反逆の罪として正当に『裁き』を受けさせねばならん。エルデラントの膿を出し切らねば、この国は救われない」
王都奪還と、正当なる断罪の誓い。
帝国軍の足が止まっているこのわずかな猶予の間に、モルトケ陣営は内政・外交・軍備を爆発的に加速させ、牙を研ぎ澄ましていくのだった。
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