第40話 『雨雫もまた虚色』
〜前回の仮面ライダーラグナロクは〜
日本各地でのゾロアスターとの総力戦。
炎堂と草壁は古の神域の試練を乗り越え、最高神の力を得た最強フォームへと大覚醒を果たす。
その圧倒的な力でアフリマンを追い詰めるも、決戦の裏で、黒瀬の力はまた一歩、無色透明な『虚色』へと踏み込むのだった――。
——梅雨の晴れ間、青空が広がる玉帝学園・体育館。
キュッ、とフロアを駆けるシューズの音。体育館で激しく飛び交うボール。体操服に身を包んだ生徒たちの歓声が、館内や校庭に賑やかに響き渡っている。それは何故か?
日本全土を巻き込んだ、ゾロアスターとのあの大戦から一週間が経ち、黒瀬たちは今、球技大会をしているからだ。
——男子バレーボール
「おらァァァ!黒瀬ェェェ!!サボってんじゃねえ!スパイク打てや、スパイクを!」
(メンドイと思ってる顔)
「メンドイじゃねえよ!!」
「バレたか…」
ーーーーー
氷室たちはまだ出番ではない様子で、2階のランニングロードから、男バレの様子を覗いていた。
「炎堂も黒瀬も相変わらずね」
「うん。でも体育館で運動をしてる黒瀬くんを久しぶりに見れて、私なんだかめちゃくちゃ嬉しいよ」
「……希愛、あんたは本当に可愛いぃ!!」
水崎に急に抱きつかれるが、すでに氷室はこの水崎からの激愛情に慣れていた。
「ありがとう、シズク」
「えへへ〜、あれ?そういえば涼風は?」
水崎は男バレの方に目を向けて、涼風が居るかを確認するが、その姿は何処にもなかった。
「涼風なら、校庭の方でサッカーに出てるよ」
「そっか、サッカーもあるんだったっけ」
「シズクは自分の出るやつにしか興味ないよね、」
図星だったのか、水崎は顔の前で手を合わせて「ごめん」と呟く。
「そんな謝ることじゃないでしょ、気にしないで。あ、黒瀬くんがサーブ打つよ」
2階の氷室の視線の先——
コートの端に立った黒瀬が、トントン、と床にボールを弾ませ、ふっと息を吐く。
張り詰める空気。ホイッスルが鳴り響くと同時に、黒瀬はボールを高く投げ上げ、しなやかに跳躍した。
最高点で放たれた強烈なジャンプサーブが、相手コートのレシーブを弾き飛ばしてノータッチエースを決める。
湧き上がる体育館の大歓声。
着地した黒瀬の顎からは、一筋の汗が初夏の光を浴びて滴り落ちていた。
肩で息をしながら、黒瀬は無意識にユニフォームの裾をグイッと口元まで持ち上げ、顎の汗を乱暴に拭う。
その瞬間、めくれた生地の隙間から、細身ながらも日頃の激戦を物語るように綺麗に割れた腹筋がチラリと露出した。
「ギャアアアアアアッ!?!? 黒瀬君の腹筋んんんん!!」
「待って今の無理!! 写真撮りたい!!」
2階のランニングロードにいる女子生徒たちも含め、体育館中から黄色い悲鳴のような大歓声が巻き起こる。
「……ホントにアイツは、性格はアレでも顔は人気だからねー、」
水崎が少し呆れたように、だけど隣の氷室の顔を見てニヤニヤする。
「ちょっと、希愛? 顔真っ赤になってるわよ?」
「えっ!? ち、違うの、そんなんじゃ……っ」
慌てて両手で顔を隠す氷室。そんな、熱気と黄色い歓声に包まれた体育館の1階入り口に――
ふと水崎が目を向けると、生徒たちの人混みの奥に、なぜか、本当に何故か、その場にいるはずのない男が平然と佇んでいた。——永倉月夜だ。
「ちょっと廻、汗を拭くならタオルがあるから、こっちで拭いて」
「ん?……ああ、わるい」
もはや黒瀬は、何故ここに永倉が居るかなど気にもとめなかった。永倉から差し出されたタオルを受け取り、首筋の汗を拭う黒瀬。
当然、コートの周りの女子たち、そして対戦相手の男子たちも「え? 誰あのイケメン?」「っていうか、あいつ応龍学園の制服じゃねえか!?」とザワつき始める。それが気になったのか、炎堂はボールを手に持ったまま永倉のもとに近づく。
「おい永倉、お前なんでうちの球技大会に平然と紛れ込んでんだよ。周りを見ろ、めっちゃ目立ってんぞ!?」
「……別に。近くを通りかかったから、廻の顔を見に来ただけ。……バレー、下手くそ」
「んだとゴラァ!!」
「はいはい、月夜も炎堂もそこまでにしろ。ほら、高岩先生に怒られるぞ」
黒瀬はコートに背を向けたまま、親指でコートの中央に立つ審判、二人の担任でもある高岩先生を指差す。
「確かにな。永倉、居るのは構わねえけど、目立たないようにしろよな。ベンチに座ってろ」
炎堂は「すいませんーー!!」と言いながらコートに駆け戻る。黒瀬は永倉をベンチに連れて行く。
「その点は炎堂に同意だな。目立つと面倒だ、これでも着てろ」
そう言って、黒瀬は自分の体操ジャージの上着を羽織らせる。
「制服の上からでも、少しはマシになるだろ?じゃ、直ぐに勝ってくるから、大人しく待ってろよな」
「……うん!いってらっしゃい!!」
ーー2階ーー
「わたし、前から思ってたんだけど、黒瀬と永倉君の二人って、デキてないよね?」
「それ、私も薄々思ってた」
(私には、可能性なんて微塵も無いのかなぁ…)
☆ ☆ ☆
男子バレーボールは見事に黒瀬・炎堂チームが勝利を収め、彼らはその足で校庭へと向かっていた。
黒瀬の体操ジャージをなぜか律儀に着たままの永倉、そして2階から降りてきた氷室と水崎も合流し、一同はサッカーコートのある校庭へと移動する。
「あ、ちょうど涼風がボールを蹴るみたいだね」
氷室が指差した先。
ピッチの隅、白いラインの前にボールを置いた涼風が、ふっと前髪をかき上げて息を整えていた。ユニフォームの袖から伸びる腕には薄すらと汗が滲み、初夏の太陽を反射して眩しく輝いている。
「キャアアアアッ! 涼風先輩、決めてーーーッ!!」
外履きエリアの女子後輩たちからの黄色い歓声が一段と大きくなる。
ピピッ、とホイッスルが鳴る。
涼風は鋭いステップから、しなやかに右足を振り抜いた。
放たれたボールは、綺麗な弧を描いて相手ディフェンダーの頭上を越え、ゴール前へ鋭く曲がりながら落ちていく――絶妙な軌道の芸術的なクロス。
味方のフォワードがそれに合わせて鮮烈なヘディングシュートを叩き込み、ネットが大きく揺れた。
ゴォォォォルッ!!
一瞬の静寂の後、校庭中に大歓声が爆発する。
「おおお!さすが涼風だぜ!」
炎堂はナイスアシストを決めた涼風のもとに駆け寄って行った。黒瀬は追いかけようと思ったが、面倒なのでやめた。
「本当に器用なやつだな、涼風は」
ピッチの上では、アシストを決めた涼風が、ゴールした仲間と笑顔でハイタッチを交わしている。その中には炎堂も既に混ざっていた。
そして、ギャラリーの中に黒瀬たちの姿を見つけると、涼風は爽やかな笑みを浮かべ、首筋の汗をユニフォームの襟元で拭いながら、彼らに向けて小さく手を振ってみせた。
「……ほんと、非の打ち所がないイケメンよねぇ。黒瀬といい、一体何なのかしら」
水崎が腕を組んで感心したように言う。
「涼風の、あの顔は日常の大衆に向けた外面だから」
氷室はピッチの上で仲間たちと笑い合う涼風を見つめながら、誇らしげに、だけどどこか静かにそう呟いた。
それを横目に黒瀬は時間を確認する。
「そろそろ女子バスケが始まる時間じゃないのか?」
「え、あ、本当だ。希愛、行こう」
「うん。じゃあ黒瀬くん、行ってくるね」
「ああ、いってこい」
女子バスケへ向かう氷室と水崎の後ろ姿を見送る、黒瀬。すると横から自分のジャージを着たままの永倉が、ふと、横顔を覗き込んできた。
「……廻」
「ん?」
「顔、白い。……まだ、前回の無理が残ってるの?」
「そうか? 普通だよ。……ほら、お前もいつまでもここにいたら本当に高岩先生につまみ出されるぞ」
黒瀬はいつものように、はぐらかすように小さく笑う。するとそこに朝日奈、草壁、鳴上の3人がやって来た。
「黒瀬くん」
「朝日奈さん。……どうしたんですか?」
「いやね、君に言伝を預かってね」
言伝の内容は、前にザハークやガルマが現れた為、中断を余儀なくされた氷室千鶴との対談だった。
「それで、千鶴さんが言うには、来れるなら今日でも構わないとのことだけど、どうする?」
「でしたらお願いします。何時に行けばいいですか?」
「学校が終わった後ならいつでも構わないようだよ。じゃあ行くことを伝えておくよ」
朝日奈は手のひらサイズの白竜を呼び出して氷室邸に向かわせる。
静かに、ただ静かに雲の彼方へ飛んでいく白竜を見届けた黒瀬に、鳴上が歩み寄る。
「今度は鳴上さんが俺に用ですか?」
「ああ。でも、正確に言うと用があるのは俺と颯かな?」
☆ ☆ ☆
5人は日差しの当たる場所から、木陰のある涼しい場所へと移動する。
校庭の喧騒が木々の葉音に遮られ、少しだけひんやりとした空気が肌を刺した。
黒瀬は、自分のジャージを着たまま影のようにピタリと隣に並ぶ永倉を連れた状態で、鳴上に向き直る。
「で、俺に用って……何ですか?」
鳴上は振り返り、答える。
「この前の戦いの最中、炎堂くんと美土里が無事に最高神の力を手に入れる事が出来ただろ。だから…」
「だから次は自分たちの番だと…?」
「そう、正解だ。…てな訳で俺たちの雷や風の最高神を教えてもらえるかい?」
黒瀬は少し考えて答えを出す。
「ルドラは志那都比古神。インドラは大雷神ですかね」
「大雷神か、最古の雷神だね。随分と大層な神様が相手だなぁ」
鳴上が口元をほころばせると、黒瀬は静かに首を振った。
「大層などころじゃないですよ。大雷神は、自分の下に他6体の雷神を従える存在です。その強さはかなりのものでしょう。鳴上先輩の弱点の火力不足を補えるかもですね」
「ぐっ、。痛いところを突くねぇ~…」
そこにサッカーの試合を終えた涼風が他の皆んなと共にやって来る。
「何の話をしているんですか?」
「お、颯ぇ~。いやね、氷室たちが最高神の力を手にしてるでしょ?だから次は俺と颯の番だよね~って思っててさ」
「それで黒瀬に色々と訊いていたと、」
「うん、まあそう…。颯はこの後は暇かい?」
「球技大会に関する事務処理がありますが、それを氷室たちに任せてもいいのであれば暇ですけど、」
さすがは涼風。イザナギとしての使命を優先しなくてはいけない時でも自分に一任されている責務は果たそうとしている。
「なら、そっちは氷室たちに任せちゃいなさいよ。伝達役は黒瀬にお願いすればいいでしょ、今からもう行っちゃいなさい」
「いや、美土里。それはいくらなんでも横暴が過ぎるだろ。黒瀬君としては、今すぐにでも千鶴さんのもとに向かいたいだろう?」
「はい。可能であれば」
朝日奈からの問いに黒瀬は迷いなく即答した。
「なら氷室たちには俺から伝えておくから行きなよ」
「ありがとうございます」
黒瀬は、時空之巻物から不落ノ八咫烏を取り出す。
ヘルメットを被り、バイクに跨る。
「それじゃあ、後はよろしくお願いします。今回ばかりは、邪神が出ても俺は…」
「いいよ。気にするな。ちゃんと全部、訊きたい事を訊いてきな」
朝日奈を始め、草壁も鳴上も涼風も「任せろ」と言うように頷いていた。永倉は心配そうに、黒瀬のジャージを羽織ったまま、黒瀬の袖口を掴む。
「廻、気をつけてよ…?」
「ああ。大丈夫だ。行ってくる」
黒瀬は氷室邸に向かってバイクを走らせた。
アクセルを捻り、不落ノ八咫烏フライトクロウが力強いエンジン音を響かせて学園の門を駆け抜けていく。
バックミラー越しに遠ざかる玉帝学園の校舎。賑やかな生徒たちの歓声は、加速する風切り音の中へとあっという間に消え去っていった。
☆ ☆ ☆
バイクを走らせてしばらくした頃、氷室邸が見えてくる。門扉の前にバイクを停め、ヘルメットのシールドを押し上げると、冷たい雨の匂いが鼻腔を突いた。
空を見上げれば、初夏の眩しい太陽はどこへやら、厚い鉛色の雨雲が空を覆い尽くし、今にも雨が降りそうな天気だった。
来ることが分かっていたのか、門扉を叩く前に、向こうから扉が開いた。氷室家の従者が黒瀬を裏庭に案内する。
「……やはり来ましたか。前の話の続きですか?」
氷室千鶴は裏庭の池の前に立っていた。どうやら、鯉に餌をやっていたようだった。
以前、会った時のように千鶴は落ち着いた和装に身を包んでいた。だが、1つだけ違いがあった。今回の彼女は、どこか張り詰めたような、どこか悲哀を帯びた瞳で黒瀬を見つめていた。
「はい。……前回は、途中で立ち消えになってしまいましたから」
「……上がるといいわ」
千鶴は手持ちの餌を池の鯉へと静かに投じると、袂を返して屋敷の中へと黒瀬を誘った。
庭園の濡れ縁に面した静かな和室。障子の向こうで、ポツ、ポツ、と冷たい雨粒が葉を打つ音が響き始める。
——縁側から上がり、居間に案内される
「昨日の戦いで、アドラヌスとヨルズが最高神の力をその身に宿したようですね。貴方も、完全復活でないといえど、またアフリマンを斃したとか、」
千鶴は座るように促し、円卓の上に湯呑みに急須で緑茶を注ぐ。
「奴はまだ3割…半分にも至っていません。斃せて当然です」
「ふふ、御謙遜を。貴方にとっては、たかが3割。ですが私たちにとっては、されど3割です。貴方は想像以上に強くなった」
「強い、ですか。……自分は、ただ必死なだけですよ」
黒瀬は差し出された湯呑みにゆっくりと手を伸ばす。湯気越しに見える緑茶の水面が、庭を叩く雨音に合わせて微かに揺れていた。
「いいえ。自覚がないことが、何よりの証拠よ」
千鶴は湯呑みを自分の前に置き、静かに黒瀬を見つめる。その瞳の奥には、彼を称える色ではなく、深く静かな哀感が満ちていた。
「アフリマンが活性化し、急速に力を取り戻しつつある……その3割から4割の力の影響で、この地に満ちる怨念と穢れは濃度を増しているわ。いずれ各地で、下僕であるアスラたちが爆発的に発生するでしょう」
「……」
「……前の話の続きでしたね」
「はい」
「黒瀬さん、正直言って、私が危惧しているのは、アフリマンの復活でも、アスラの発生でもありません」
千鶴はそう言い捨てると、まっ直ぐに黒瀬の眼の奥を見据えた。
「……前に貴方自身の『色』について言いましたね」
「虚色…でしたか」
「ええ。戦いを重ね、ラグナロクとしての力を振るうたびに……あなたという存在の輪郭が、深層心理の根底から掠れ、透けて消えかかっている」
千鶴の低く静かな声が、雨音の混じる居間に染み渡っていく。
「無色透明な『虚色』へと……あなた自身、その精神が侵食されている自覚はあるかしら?」
黒瀬は差された緑茶に映る自分の顔を見つめた。
湯気の向こうに揺れる己の瞳は、確かに以前よりも色を失い、冷たく透き通っているように見えた。
「……気づいてない、とは言いません。ですが俺は、己にできることをやってるだけです」
「それが一番危ういのよ。己の存在を削り、無になることでしか世界を守れないのだとしたら――最狂を使っている影響か、その進行速度は以前よりも加速していますね」
千鶴の言葉が終えたとき、庭の方から足音と神力の気配がした。
ザッ、ザッ、と雨で濡れた庭の草木を乱暴に踏みにじる、異様な足音が静寂を切り裂く。
濡れ縁の向こう、本格的に降りしきる雨の庭園から、漆黒の凶気――大量のアスラたちが、黒く蠢く波となって屋敷を取り囲むように姿を現す。
「こんな所まで湧いて出てきたようですね……」
黒瀬は立ち上がり、千鶴を背にかばうように濡れ縁へと一歩踏み出した。
”ダーインスレイヴ”
沓脱石にある下駄を拝借し、庭に降りるが本来、その下駄は飛石や石畳の上を歩くためのものだ。
「……黒瀬さん。石畳を外れて、くれぐれも苔などを踏まないでくださいね? 手入れはとても大変なのよ?」
「……善処します」
黒瀬は短く答えると、下駄を鳴らして石畳の上に跳び降りた。
手中に喚起されたダーインスレイヴの漆黒の刃が、雨粒を弾いて鈍い光を放つ。
庭に踏み出した瞬間、濡れた草土の匂いと同時に、むっとするような禍々しい殺気が黒瀬の皮膚を刺した。
雨足は次第に強まり、打たれる黒瀬の髪から水滴が頬を伝って滴り落ちる。
正面から一頭のアスラが、低く唸りを上げて雨を切り裂き肉薄してきた。
鋭い鉤爪が黒瀬の喉元を狙って振り下ろされる。
――ガァンッ!
黒瀬は石畳の上で最小限の身ごなしで半身に交わし、ダーインスレイヴの柄頭でアスラの顎を突き上げた。
体勢を崩した一瞬を逃さず、下駄の歯で濡れた石を踏みしめ、一閃。
漆黒の刃が雨の軌跡を描き、一体目のアスラを一刀両断する。
「ガアアッ!」
「ハァ……ッ!」
前回の激戦による疲労と、深層心理を蝕む「虚色」の余波。
全身の関節が鉛のように重く、視界の端がわずかに白く霞む。だが、黒瀬の足取りには微かな迷いも生じない。
左手から襲いかかる二体の爪を、ダーインスレイヴの腹で受け止める。
ガキンッ、と甲高い金属音が雨音に混じって響き渡り、火花が激しく散った。
押し込まれる力に対し、黒瀬は滑らかな足さばきで石畳のラインに沿って身体を滑らせる。体勢を崩した二体の交差点へ刃を交差させ、一首を刈り取り、残る一体の胸腔を深く穿ち抜いた。
だが、回り込んできた三体目が、石畳の途切れた奥――青々とした見事な苔庭のエリアから襲いかかってくる。
(チッ……!)
黒瀬は一瞬だけ躊躇した。石畳を外れて苔を踏めば、下駄の二本歯が柔らかい苔の絨毯を深く削り取ってしまう。
やむなく黒瀬は石畳の上に踏みとどまったまま、身体を極限まで反らせてアスラの爪を紙一重でかわすと、斜め下から無理な姿勢でダーインスレイヴを突き上げた。
顎下から頭蓋を貫かれたアスラが、黒い霧となって消えていく。
(見事な剣捌き…。アスラといえどあれだけの数を相手に生身で…。)
目の前で起きる戦いに千鶴は唖然とする。
「一気に屠る」
”バニッシュ、祓魔ノ刻”
「消えろ」
“消滅ノ一閃”
ダーインスレイヴの剣先から禍々しく刺々しい淡紫色の触手が伸び出し、一気にアスラ達を拘束し、斬り裂いた。
淡紫色の触手に引き裂かれたアスラたちが、断末魔を上げる暇もなく一瞬で黒い靄となって霧散していく。庭園を取り囲んでいた群れは瞬く間に壊滅し、再び雨音だけが周囲の静寂を支配した。
ダーインスレイヴを静かに下ろした黒瀬は、呼吸ひとつ乱すことなく、冷め切った眼差しで消えゆく黒煙を見つめている。
変身による神力の底上げも、能力強化の術式すら使っていない。ただ己の肉体と鍛え上げられた剣技のみ――純粋な生身のスペックだけで、常人を超越した化物どもを文字通り屠り去ってみせたのだ。
「……ふう」
黒瀬は刀身に残った雨滴を払うように一振ると、ダーインスレイヴを時空之巻物に仕舞うと、乱れた前髪を無造作にあげた。
その佇まいには、激戦を終えた後の疲弊など微塵もない。どころか、下駄で踏み荒らすまいと制限された狭い足場の中でも完璧に体を制圧してみせた、怪物じみた身体能力の高さだけが際立っていた。
「……何という、人外の身ごなし……」
千鶴は濡れ縁から、呆然とその背中を見つめていた。
アスラを相手に神力すら使わず、生身のまま、ただの剣技だけで圧倒してみせる存在。
強さへの恐怖でもなく、単なる賞賛でもない。ただただ『人間』としての枠組みから逸脱しすぎている青年の真姿に、千鶴の瞳にはますます深く静かな戦慄が宿っていく。
「庭、なんとか苔は無事です。……千鶴さん、怪我はありませんか?」
黒瀬は何事もなかったかのように振り返り、淡々と問いかけてきた。
「ええ、私は無事よ。……苔にまで配慮してくれて、ありがとう」
千鶴は静かに息を吐き出すと、ゆっくりと濡れ縁の縁に手をかけ、雨に濡れた黒瀬を見下ろした。
その視線は、危機を救われた安堵よりも、黒瀬という青年の「存在の異質さ」に対する戦慄と、あまりにも深い哀しみに満ちている。
「怪我がないなら何よりです。……ですが、アフリマンの復権に伴うアスラの発生、思っていた以上に早いですね。まさかこの屋敷の敷地内にまで入り込むとは…。この分だと、街中にも……」
黒瀬は濡れた髪を手で掻き上げながら、何事もなかったかのように呟く。
神力による強化すら施していない生身で、下駄を履き、苔を踏まないという制約を自らに課したままアスラの群れを全滅させたのだ。それだけの常軌を逸した曲芸じみた芸芸をやってのけた直後だというのに、彼の脈拍も息遣いも、まるで静かな水面のように凪いでいる。
「……黒瀬さん」
「はい?」
「貴方は今、己の強さを『当たり前』のこととして扱っているわね」
千鶴の静かな問いかけに、黒瀬はわずかに首をかしげた。
「別に、誇るほどのものじゃないでしょう。これくらい出来なければ、到底、完全復活したアフリマンには勝てない。……それに、俺はただ自分にできることを――」
「それが、人間から遠ざかっている証拠なのよ」
千鶴の言葉が、雨音を切り裂いて重く響く。
「神力の底上げもなしに、アスラを剣技一本で屠る肉体。疲労すら置き去りにする精神。……一見すれば『強くなった』ように見えるでしょう。けれどそれは、貴方の深層心理が『人間』を捨て、無色透明な虚色へと変質しているからに他ならないわ」
千鶴はゆっくりと立ち上がり、居間から濡れ縁へ、雨の境界線へと一歩踏み出した。
「最狂の副作用……貴方の存在そのものが、ラグナロクの力により、この世界から透けて消えようとしている。……今の貴方の強さは、命の燃えかすが見せる輝きなのよ」
淡々と告げられる死の宣告にも似た言葉。
だが、黒瀬はただ冷え切った瞳で己の手のひらを一瞬見つめると、静かに視線を千鶴へと戻した。
「……知っていますよ。そんなこと」
雨の音だけが、二人の間にどこまでも静かに降りしきっていた。
「そんなことは、とっくに理解った上で、俺はこの終焉を使っています」
静かな、だが一切の迷いを排した声だった。
黒瀬は雨に濡れた手のひらを握り締めると、すっと視線を上げ、千鶴の瞳を正面から見据える。
「俺が消えるかどうかなんて、どうでもいいんですよ。……アフリマンを、ゾロアスターを完全に根絶するのが、俺がこの力を受け継いだ意味だと思っています」
「……黒瀬さん…。あなた、希愛の気持ちを……残される者たちの痛みを考えたことはあるの?」
千鶴の声がかすかに震えた。
己を顧みない圧倒的な自己犠牲。それは英雄の覚悟などという生ぬるいものではなく、ただただ悲しく、命の温もりを失った「虚」そのものの思考だった。
「……希愛には、泣いてほしくないですね」
黒瀬はポツリと溢すように呟くと、フッと自嘲気味に口元を緩めた。
「でも、俺が立ち止まれば氷室も、月夜も、仲間たちも全員死ぬ。……なら、答えなんて最初から一つでしょう」
言い捨てると、黒瀬はゆっくりと背を向け、沓脱石に置かれた下駄を脱いで足袋のまま石畳を踏みしめた。
庭を叩く雨足はさらに激しさを増し、黒瀬の背中を、その存在ごと世界から洗い流してしまおうとするかのように降り注ぐ。
「……お邪魔しました。千鶴さん、お茶、ごちそうさまでした」
「待ちなさい、黒瀬さん……!」
千鶴の静止の声を背中で受け止めながらも、黒瀬は一度も振り向くことなく、雨の降る門扉へと足を進めていく。
その歩調には何の迷いもなく、ただ冷徹に、淡々と、己の定められた「終焉」へと向かっていくかのようだった。
濡れ縁に取り残された千鶴は、雨の中に消えていく彼の後ろ姿を、ただ胸を締め付けられるような想いで見送るしかなかった。
「……希愛……。あの子は……あんなにも透き通ってしまった背中を追わなければならないのね……」
雨雫が濡れ縁の木目を濡らし、無色透明な波紋を静かに広げていく。
まるで、一人の青年の存在が世界から削ぎ落とされていく速度を刻む、カウントダウンの音のように――。
☆ ☆ ☆
黒瀬がアスラを斬り伏せた、ちょうどその頃。氷室たちも各所でアスラの討伐に当たっていた。
「こっちは終わったよ。みんなの方は?」──氷室
「俺の方は片付いたぞ!」──炎堂
「私の方も!民間人の方も全員無事!」──水崎
各々単独で各所のアスラの討伐をし、任務の報告を心通信で行っていた。
「こちらも全てのアスラを片付けたぞ」──朝日奈
「私の方も。まったく、質より量ってのは地味に厄介ね」──草壁
「皆さん無事で良かったです。永倉くんの方は?」──氷室
「……とっくに片付けたよ。はぁ…。廻に逢いたい…」──永倉
「……相変わらずブレないわね、あんたは」──水崎
「当たり前でしょ。僕は廻の為に生きて、廻の為に死ぬ…」——永倉
「あーあー、分かったわかった。落ち着け、お前ら」
二人の討論が始まりそうなのを察した朝日奈は全員に次の指示を出した。
「今は兎に角、次のアスラの波に備えておけ。ただでさえ今は黒瀬君という現状アフリマンと渡り合える戦力がいない上に、涼風と雷牙が最高神の力を求めに不在中なんだ」
6人の間に緊張が走る。
「ですね。神力の温存もした上での戦いが求められますし」——炎堂
「確かに。いつアスラではなく邪神、または幹部かアフリマンが来るか分からないものね」——水崎
☆ ☆ ☆
その頃、涼風と鳴上は最高神のいる本社に辿り着いていた。
—— 奈良県・龍田大社
「ここに、志那都比古神が」
——群馬県・板倉雷電神社
「へぇ、ここに大雷神が」
二人は心通信で連絡を取る。
「鳴上さん、そっちは着きましたか?」
「まあね。それにしても肌がビリビリするねぇ。さすがは最高神の神域だよ」
「俺の方も、かなり風が強いです」
「ははっ、お互い最高神の方はかなり気合を入れて俺たちを待っているようだね」
「そんな笑いごとじゃ、」
「颯」
涼風の言葉を鳴上は遮る。先程までの笑いのあるトーンではない。
「絶対に、認めてもらおう」
「……急なマジトーン辞めてください。でも、お陰で余計な力が抜けました」
涼風は一度息を吸って吐く。
「…はい。絶対に認めて貰います」
「よし!行こう!!」
二人は鳥居を潜り抜けて、互いの最高神が鎮座する神域に足を踏み入れた。
ーーーーーーーーーー
【仮面ライダーインドラに関する現在公開可能な情報】
『覚醒之聖堂』
身長210cm 体重105kg パンチ力55t キック力92t ジャンプ力60m(ひとっ飛び)走力0.5秒(100m)
必殺技 霹靂ノ洗礼
ーーーーーーーーーー
【次回予告】
さらなる強さを求め、奈良と群馬の神域へと足を踏み入れた涼風と鳴上。
二人の前に立ちはだかるのは、荒ぶる風の根源・志那都比古神と、天を割る雷の頂点・大雷神。
吹き荒れる暴風と炸裂する稲妻の中、自らの覚悟を問われる二人。
仲間たちの想いを胸に、黒瀬の背中に追いつくため、いま猛る最高神の試練へ挑む!
第41話:暴風の乱舞/轟雷の余波
仮面ライダーラグナロク第40話『雨雫もまた虚色』を読んで頂きありがとうございます。柊叶です。
今回は、39話の掲載から(5/28だから)4ヶ月と16日もの間が経ってしまいました。m(_ _)m
えー、今回は、はい、黒瀬は変身しませんね。生身の殺陣のみです。そして他の者たちも変身してる描写のみ、です。すいません。まぁでも変身しない前例が無いわけではないので、大目に見ていただければ幸いです。
さて、いよいよ仮面ライダーラグナロクの物語も残り9話。2桁を切りました。共に見届けてください!!
また次回、お会いしましょう。
柊 叶




