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高遠 誠一郎⑭

「どうぞ、お上がり下さい」


 真っ白のツーピースを着た彼女にまったく見覚えがなかった。面識のある上田桃華の母親の方が幾分か若く見える。とは言え小学生の母親としては十分に許容範囲であり私は混乱した。


「初めましてお母様、わたくし教育実習生の園部と申します、桃華さんのクラスを担当しています」


 玄関の上り框に上がる前に、園部先生が深々とお辞儀した。


「あらやだ、お母様だなんて。最近の先生はお上手ねぇ、わたくしは桃華の祖母ですのよ」


 上品に笑いながら彼女はスリッパを揃えて私たちの前に置いた。祖母、おばあちゃん? 私の想像するおばあちゃん像を根底から覆す人物が目の前にいた。


「あ、すみません、失礼致しました。わたしお母様にお会いしたことがなくて、本当にすみません!」


「良いのよ、あの人ったら学校の行事にもろくに参加しなくて遊んでばっかりでしょ? 本人はボランティアだの啓蒙活動だの訳のわからない事を宣ってますけどね。私に言わせたら年頃の娘を放ったらかして、こんな広い家を留守にするなんてとんでもないお話ですよ。その癖お手伝いさんは嫌だなんて、辺なところは潔癖症なんですよ。今日だって桃華のお友達がせっかく遊びに来ているのに、どこかにほっつき歩いてて。だから私が手料理を振る舞いますわって言ったら、あの子達ったら太陽のような笑顔で喜んじゃって。急いで近くのスーパーに食材を持ってくるようにお願いした所なの。本当なら麻布の高級スーパーが良いんだけど、この辺りにはないでございましょ? 急な事ですし渋々近所のスーパーにね、ええ。もちろん普段は配達なんてしてませんよ。うちは特別なんです。そこのご主人が夫の病院で随分とお世話してますからね、まあこんな田舎でも生まれ育った土地ですから思い入れがあるんでしょ。私は生まれも育ちもシロガネーゼよ、分かるでしょ? 纏う空気が違ってくるの」


 上田桃華の祖母は一息に捲し立てると「どうぞこちららへ」と上機嫌のままリビングに案内してくれた。母親と間違われたのが余程嬉しかったと見える。


 リビングはここが本当に日本なのかと疑いたくなるような広さと高級感に溢れていた。吹き抜けの天井は高く、全体は白、黒、グレーで統一されている。中庭を見通せる一枚ガラスに暖炉のような物まであり、何畳あるのかもはや検討すらつかなかった。


「どうぞお座りになってお待ちくださいね」


 祖母に促されたが、巨大なL字のソファは詰めて座れば大人が十五人は座れるだろう。私は端の方に申し訳なさそうに腰掛けた。情けないが、この家の中に入っただけで見えない何かに呑まれてしまい、数分前まで抱いていた覚悟は何処かに吹き飛ばされていた。


「ほえー、すごいお家ですね」


 園部先生は緊張感のない声で言った後に、ソファの触り心地を確かめるように手の平で撫でている。


「高そうですねこれ」と問われて「はあ」としか答えられない私とは違い、この家にまったく気後れしていない様子で、おかげで少しだけ平常心を取り戻すことが出来た。


「どうぞお飲みになってください。コチラまではお車で?」


 上田桃華の祖母がトレイに乗せた飲み物を丁寧に私たちの前に置いた。薄い紫色の液体が何なのかは分からないが、洒落た飲み物に違いない。


「いえ、徒歩で参りました」


「あらまあ、それはそれはご苦労様です。遠かったでしょう? 桃華と絵梨華にも運転手を付けるように言ったんですよ。でも、みっともないなんて言うんですよあの人、ああ、母親ですよ。なにがみっともないのかしらね。こんな治安の悪そうな地域で人攫いにでもあったらそれこそ目も当てられないでしょう? あの子たちはそうじゃなくても可愛らしいお顔をしているから狙われやすいんですよ。雅彦に似たのね、桃華も絵梨華もパッチリとした二重だもの、母親は奥二重ですよ。わたくしはほら、パッチリとした二重なの、もちろん天然よ、あ、お飲みになってね、喉乾いたでしょう――」


「あのっ! 桃華ちゃんは?」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉に園部先生が割って入った。どうやら彼女は話し出すと止まらないタイプのようだ。


「ああ、部屋にいますわ、お友達と一緒に。そう言えば今日はどういったご用件でしょう?」


「はい、ちょっと上田さんにお聞きしたい事がありまして」


 私が答えると彼女の顔がスッと険しくなる、眉間に皺がより、目の前の二人を品定めするように睨め付けている。電話でもメールでもなく、わざわざ教師が二人して来訪した事に、今更ながら訝しんでいる様子だ。


「あの、出来れば一緒にいるお友達にも話を聞きたいんです」


 園部先生の言葉でやっと彼女は柔和な笑顔に戻った。「今、呼んで参りますわね」と言いながら、ゆったりした足取りでリビングを出ていく。その後ろ姿が見えなくなると「ふぅー」と私は一息ついた。


「あれ、先生なにしてるの?」


 ソファにもたれて天井を眺めていると、不意に声をかけられた。姿勢を正して前を見ると上田絵梨華が目を丸くして立っていた。手には氷が溶けたグラスを持っている。


「おお、上田か。どうしてここに――」


「どうしてって、ここあたしの家だし」


 上田絵梨華は吹き出して笑った。我ながら間抜けな質問をしてしまった。それほど緊張しているのだ。


「もしかしてあたし?」


「いやいや、違う。妹にちょっとな……」


「ふーん、アイツなんかやらかした?」


 私が返答に困っていると祖母がパタパタとリビングに戻ってきた。後ろには上田桃華の姿もある。


「絵梨華さん! アイツとは何ですかアイツとは。それにあたしじゃなくてわたし、もしくは、わたくしでございましょう」


 絵梨華は舌をぺろっとだして私にアイコンタクトした。どうやら彼女もこの祖母には些か手を焼いているようである。


「わたくし、宿題がございますので、ごめんあそばせ。ほほほほ」


 右手の甲を左の頬に当てながら、絵梨華は優雅にリビングを後にした。それを見て祖母は浅くため息を吐く。


「まったく、あの子は、見た目も頭も完璧なのに性格に難があって困りますわ」


 そうだろうか。私には上田絵梨華の気取らず飾らず自由奔放な性格が、より一層彼女の魅力を引き立てている。そんな風に思っていた。


「あれ、園部先生?」


 その聞き方、声のトーンが姉の絵梨華とまったく同じで、顔を向けると不思議そう目をしながら上田桃華は立っていた。腰巾着のようにくっついて来た二人は下村と仲田だろう。


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