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後藤 翔②

 会場は異様な熱気に包まれていた。勝手なイメージで、紙袋からポスターがはみ出た気味の悪いオタクで溢れ返っていると思いきや、案外普通の人間が多い。俺たち同様、学校の制服を着た学生もチラホラ目に入った。


 入場する前に手荷物検索を入念にされた上に金属探知機で体中を翳された。いくらなんでも厳重すぎやしないかと両手を上げながら鼻を鳴らす。これじゃあ国際線の空港だ。


「まさかパスポートの提示を求められたりしないだろうな」


 真田に軽口を叩くが、奴はすでに心ここに在らず。目を輝かせて場内を物色している、


「翔! あっちだ」


 普段クールな真田も推しを前にして興奮している。まったく理解できない世界だがこれも社会勉強、下民の文化を知る良い機会だ。俺はいわゆる貴族だが、マリーアントワネットのように平民達の気持ちが分からない傲慢な人間ではない。無知は時として貴族の質を落とす危険を孕んでいる。


 雑多な場内を歩いていくと、なるほど。アイドルはそれぞれが自らのブースを持っていて、そこにファンが並ぶシステムになっている。このグループは五十人近くが所属しているから、それと同じ数の列があると言うわけだ。そしてその列にはハッキリと明確な差があった。幾重にも折り返しをしなければアイドルに辿り着けない列もあれば、ほんの僅かしか並んでいない列、中には誰も並んでいない悲惨なブースも存在した。


 彼女たちは同じグループに所属しながら明確な格差を視認させられる。人気がある者はこの状況に陶酔し、更なる高みを目指すだろう、その一方で敗者は憫然たる思いを突きつけられる。これは一見すると敗者も人気者になるように運営側が鼓舞していると捉える事も可能だが、実際は違うだろう。


 負け犬を利用して更なるトップアイドルを作り出すのが本当の目的だ。不思議なもので、いかなる状況に置いても人間はヒエラルキーを作る。学校、職場、ママ友に至るまでいつの間にかそれは誕生する。これは人間の本能に近いのだろう。そしていちど決められたヒエラルキーは中々覆すことが出来ない。下剋上は存在しない。


 闇夜を照らす月のように、妖艶な怪しさを持つ光は負がもたらす圧倒的な輝き、暗闇が濃ければ濃いほどクッキリと光り輝く一番星は、己の力で輝く太陽とは違い禍々しい、それゆえに美しい輝きを放つのかも知れない。そんな不自然な世界を半ば強制的に作り上げたのはきっと俺側、つまり支配する側の人間だろう。


「あそこだ!」


 真田が興奮気味に指を刺した会場の隅には、オタク丸出しのオッサンが三人しか並んでいない悲惨なブースがあった。しかもよく見ると、一度握手をした人間が、もう一度並び直して何度も握手をしている。


「あれ良いのかよ?」


「ん、ああ、チケットさえあれば問題ない」


 なるほど、CDを買うと付いてくると言うあれか。


「ちょっと待っててくれ」


 真田はそう言って橋本瑠璃菜の列、と言っても三人しかいない列に並んだ。軽く言葉を交わしているところを見るに常連なのだろう。俺はそれを遠巻きに観察している。たまにバラエティ番組や音楽番組でも見かけるから、特に久しぶりな気はしない。


 それにしても――。


 いくらなんでも態度が悪すぎないか。他のどのアイドルもみな一様に笑顔で握手に応じている。少なくともはたから見たらそう見える。両手で包み込むようにファンの手を握り、上目遣いで媚びるような笑顔を向ける。感謝の意を述べて名残惜しそうに手を離す、係員が引き剥がすのを恨めしそうに睨む演技をする強者までいた。


 みな必死なのだ。行列を作るために。このヒエラルキーのトップになる為に。ところがしかし、橋本瑠璃菜はその中で異質な態度を一人展開していた。投げやりに片手で握手に応じると、蝿を追い払うようにシッシと手を振る。目線はあさっての方角を見つめていて、ファンと目を合わせる気は無いらしい。聞いたことはある、塩対応ってやつだ。しかしあれは塩対応って言うより心底嫌がっているように見える。いくら顔が可愛くても人気が無いはずだ。


 真田はたっぷり十週ほどすると、だらしない笑顔を貼り付けたままこちらに戻ってきた。真面目な顔をしていれば男前なのに台無しだ。


「いやー、瑠璃菜ちゃん。かわうぃー」


「終わったのか?」

 用が済めばこんな場所はさっさと退散したい。


「いや、第一ターン終了」


「第何ターンまであるんだよ?」


「七を予定しています」


「帰っていいか?」


「そんなこと言わないでよ翔ちゃーん、次は一緒にいこ、ほらチケットあげるから」


 握手券と書かれたピンク色のチケットを強引に渡され、橋本瑠璃菜のブースまで引っ張られる。迷惑顔をしながらも、実は彼女に近づきたかった。


 もしかしたら俺のことを覚えているんじゃないか? 確かにクラスは違ったし話した記憶もないが、小学生の時から目立つ存在で、先生にも一目置かれていた俺を知らないってのも変な話だ。渋々といった態度で俺は列の最後尾、と言っても前から三番目に並んだ。


 相変わらず橋本瑠璃菜の態度はひどい、なぜ真田は彼女が推しなのだろうか理解に苦しむ。順番はすぐにやってきた、担当の係員が「五秒以内でーす」と投げやりな態度で言うが、ファンを必死に引き剥がしている他の係員と同じ給与ならば不公平極まりない。

 スッと差し出された彼女の右手、明後日の方角を見る美しい横顔に思わず息を呑んだ。なるほど、こんな可愛い女の子は少なくともクラスにはいない。だからだろう、俺も思春期の男ゆえに打算を計算に入れて呟いたのかも知れない。


「久しぶり」


 橋本瑠璃菜がコチラを向いた、近距離で視線が交差すると、一瞬歪んだ顔がパッと明るく華やいだ。その笑顔は正直、卒倒するほど可愛くて思わず目を細める。


「後藤……くん。後藤くんだ!」


 他人に名前を呼ばれてこれほど嬉しかった事はない。小躍りしたい気持ちを無理やり抑えつけて冷静に周りを見た。係員は五秒を過ぎても何も言わない、職務怠慢だが今はありがたい。横にいる真田は口をパックリと開けて金魚みたいだった。


「ああ、元気そうだな」


 だからと言って愚民のように感情を爆発させたりはしない、あくまでも自然に、余裕のある大人の男を演出した。少なくとも後ろで歯軋りをしているオタク野郎と同列にはされたくない。そしてその間も右手はガッチリと握手したままだ。細くしなやか、それでいてしっとりとした手は人生初めての感触だった。


「え、すごい、どうして?」


「ああ、コイツの付き添い」


 真田を顎でしゃくる。別にお前のファンとかじゃねえからと暗に匂わせた。

「そっか……」


 しまった、少しそっけなかったか。ツンデレ王子キャラは中々加減が難しい。そもそも俺は女子と付き合った事がない、すべて妄想だし情報源は少女漫画だ。やばい、手が汗ばんできた、緊張がバレる。


「あのさ、後藤くんこのあと時間ある?」


「え?」


「あと一時間くらいで終わるから話せないかな?」


 やはりツンデレは正解だったか、心の中にいるリトル後藤が狂喜乱舞している、だが顔には出さない。冷静沈着な態度を貫かなければ。


「ああ。別にいいよ」


「駅前に喫茶店があるから、そこで待ってて」


「了解」


 気だるそうに頭を掻きながら、そっぽを向いて答えた。そこでようやく係員が「時間でーす」と言って割って入る。繋がれていた手が離されると、まるで心臓を抉り取られるような傷みを感じた。これが恋、なのか?


「じゃあ、また後でね」


 立ち去ろうとした背中に掛けられた声に左手を軽く上げて答えた。完璧な立ち回り、俺はジゴロとしても生きていけるかも知れない。


 ふと視線を感じて顔を上げると、橋本瑠璃菜のファンたちが、親の仇でも見るようにコチラを睨みつけている。これは素晴らしい。下民たちには手の届かない高嶺の花、同じCDを何枚も購入して手に入れた握手券で、やっとこさ数秒の時間を与えられる。時間と金を大量投資した見返りがあの態度、それもおそらくキャラ作りだと自分を納得させて貢ぎ続けた結果、後ろからやってきた王子にあっさりと姫を奪われていく。


「クックック」


 だめだ、声に出して笑いたい。なんて優越感だ。コイツらは俺の自尊心を最高にくすぐる。


「翔! すげーじゃん。瑠璃菜と知り合いなのかよ」


 握手を終えた真田が駆け寄ってくる、笑顔を作っているが悔しさが滲み出ているのが分かる。


「知り合いっつーか……。小学校の同級生だよ」


 あえて含みを持たせて真田の反応を見る、どうして言ってくれなかったんだよと顔に書いてあるが、聞くことが出来ないようだ。非難する言葉が負け犬のそれだと分かっているだけ、コイツはは他の下民よりはましだろう。


「幸村殿!」


 子犬が吠えたような声がして振り返ると、橋本瑠璃菜のファン三人集がいつの間にか俺たちを囲んでいた。それはそうと今なんて言った? ゆきむら?


「お疲れ様です」


 真田が三人集でも年配と思しき中年の男に頭を下げた。チェックのシャツにケミカルジーンズ、オタクの教科書に載っていそうな出立ちだ。


「ゆ、幸村殿、こ、こ、これは一体どーいう事でござる!」


 長身でガリガリの男が声を震わせながら俺を指差している。カチンときたが状況が整理できないので黙殺した。


「秀吉さん、すみません。僕も預かり知らない事案でして。彼は高校の同級生で後藤と言います、瑠璃菜とは小学校の同級生だとか、な?」


 憔悴した顔で同意を求めてきたので曖昧に頷いておいた。真田の名前は誠のはずだが、まさか真田だから幸村なのか。だとしたら即刻この場所を撤退したい。瑠璃菜に知り合いだと思われたら大変だ。


「さ、左様か?」


 チェックシャツの男が俺を見上げながら聞いてきた。どう返答するか悩んでいると、真田が小声で「早く答えろ」と急かして来たので「はい」と言って頷いた。


「すると何か? 貴殿は瑠璃菜姫と幼少期を共に過ごしたと……」


 三人の中で一番まともそうな男は二十代前半だろうか、スーツにネクタイ、鞄を持っている。仕事中に抜け出して来たのがモロバレだ。


「ええ、まあ」


 とりあえず正直に答えた。

「くそ……死、殺し……」


 するとチェックシャツの男がブツブツと下を向きながら何かを唱えていて、次の瞬間、顔を上げると俺に向かって飛び掛かってきた、が。それをいち早く察知したガリガリとスーツが、チェックシャツの両腕をガッチリホールドしている。


「殿中でござる! 殿中でござるー!」


 ガリガリが叫ぶと会場中の視線が一斉に集まる、注目を浴びるのは嫌いじゃないが、好奇にさらされるのはごめんだ。


「翔、今のうちに!」

 真田が俺の手を取って走り出す。真田幸村の妻、竹林院になった気分で俺は会場を後にした。

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