外伝: 影になった男――大入道と白首姫の始まり
前半
「影になった男、大入道が生まれた日」
後半
「白首姫は影を導く、清乃が命を奪った日」
【影になった男】
その男は、生前、入道だった。
剃り落とした頭。
厚い首。
人を見下ろすほどの体躯。
だが、もともと巨躯だったわけではない。
若い頃の彼は、どこにでもいる山寺の僧で、
声も小さく、腕力もなく、説法も下手だった。
ただ一つだけ、強いものがあった。
――見捨てられなかった。
山には、捨て子が多かった。
口減らし。流行り病。
間引き。
理由を挙げればいとまがない。
彼は、修行に出るたび、
毎回土埃にまみれ、山を駆け拾った。
泣く子を。
動かなくなった子を。
名前もない子を。
抱いて寺に戻っては、暖め、祈った。
それでも朝には冷たくなっていた。
救えないと分かっていても、手を合わせた。
ある夜。
彼は、蔵の奥で、首を抱いた子を見つけた。
首と胴が、すでに離れている。
それでも、目だけが生きていた。
――清乃だった。
入道は、声を失った。
首が離れても生きている。
妖怪だと、すぐに分かった。
けれど、手は動いた。
布をかけ、首を持ち上げ、
胴を探し、縫おうとした。
意味がないと知りながら。
清乃は、その顔を、じっと見ていた。
怯えも、怒りもなく。
ただ、観察していた。
その夜、寺の奥から音がした。
影が染み出て来る。
首なしの僧兵。
影を継げなかった者たち。
捨てられ、救われず、妖になり損ねた存在。
入道は、初めて、
祈る為の錫杖を武器として使った。
説法では、止まらなかった。
彼は、錫杖を握り殴った。
叩いた。
押さえつけた。
守るために。
――その時だ。
彼は、願ってしまった。
(この身が、もっと大きければ)
(この腕が、もっと届けば)
(こいつらより、大きな影にでもなれたら)
願いは、叶った。
だが、男の描いた姿とはならなかった。
巨大な一つ目入道の影が、立ち上がる。
背丈は、山を越え。
声は、地鳴りとなった。
彼自身は、その場で死んだ。
骨が砕け、血が尽きた。
残ったのは、影だけ。
清乃は、首を伸ばし、それを見ていた。
(白い首の赤子。
傷などなかったように繋がった
…特別な子だったか)
入道の影は、彼女を踏み潰さなかった。
ただ、錫杖を拾い上げた。
――祈る為に。
影は、金剛院大入道となり、
清乃の後ろに立ち続けることを選んだ。
驚かせて金を集めた。
捨て子で村も作った。
清乃が、壊しすぎないように。
清乃が、壊れないように。
奥の院の影は、
その都度、金剛院大入道から負の感情を吸い込んだ。
十になった白首姫は大入道をゼニじいと呼び
拝金主義を避けるようになった。
「……お前は、わしの後継者じゃ」
清乃は、いつも答えない。
答えないまま、進む。
影は、いつか大入道の心も飲み込むだろう。
それが、彼が選んだ罰だから。
【白首姫は影を導く】
――それから、さらに幾年かが過ぎた。
白首姫と呼ばれるようになって、
清乃は待つことを覚えた
山に、霧が流れる。
夜明け前の霧は、音を殺す。
虫の声も、風のざわめきも、
すべてが薄い布で覆われたように遠のいていく。
清乃は、いつもの場所にいた。
倒れた祠の裏。
崩れた石段の影。
人が近寄らなくなって、もう何年も経つ場所。
首を伸ばし、今夜も少女は静かに浮かんでいた。
揺れることもなく。
眠ることもなく。
ただ、待っている。
――待つ、という行為を、清乃は最近覚えた。
以前は、来るものを数えていただけだった。
三つ時まで。
四つ時まで。
私を見て、逃げるか、逃げないか。
それだけ。
けれど今は違う。
清乃は、「来ないもの」を数えている。
七日ほど、もう誰も来ていない。
霧の向こうで、草が鳴った。
清乃の視線が、ゆっくりとそちらを向く。
今宵は「来るもの」があったか。
男がひとり。
息を潜め、符を握り、足音を殺している。
――知っている。
こういう者を、清乃は何度も見てきた。
あやかしの噂を聞いた者。
討てば名が上がると信じた者。
あるいは、怖いものを壊せば、
自分が強くなれると思った者。
男は、清乃を見つけていない。
まだ。
清乃は、その様子をじっと眺めながら、時を数え始めた。
ひとつ。
ふたつ。
男の足が、石を踏んだ。
小さな音。
だが、それで十分だった。
清乃の首が、すっと浮き上がる。
霧の中、白い顔だけが現れた。
「――ひっ」
男が声を漏らす。
逃げない。
逃げられない。
符が震え、落ちた。
清乃は、近づかない。
ただ、その場にいる。
それだけで、男の呼吸は荒れ、視線は定まらなくなる。
清乃は思う。
(……ああ)
(この人、まだ)
(生きているつもりでいるんだ)
清乃は、すぐに首を刎ねられることもできた。
声を奪うこともできた。
恐怖で魂を噛み砕くことも。
けれど、しなかった。
――待つ、と決めたから。
みっつ。
男は叫んだ。
「で、出ろ! 白首姫! いるんだろう!」
清乃は、首を傾げる。
呼ばれたから、出る。
それは、礼儀だ。
「……いるよ」
声は、霧よりも薄かった。
男は崩れ落ちる。
「く、来るな……!」
「来てない」
清乃は、正直に言った。
動いていない。
距離も変わっていない。
「ぐぁあああ!」
それなのに、男の姿は影に飲み込まれ、
ひとつになっていく。
清乃は、そこで初めて、少しだけ考えた。
(どうして)
(来てないのに)
(壊れていくんだろう)
よっつ。
影の中で男の目が、何かを見た。
清乃ではない。
霧の奥。
そこに、大入道の影が立っている。
幾年月も生き、幾千も飲み込んだ僧の影。
男は、それを見て、ようやく理解した。
「……あ、ああ」
「そうか」
「俺だけじゃ、ないのか……」
清乃の背後にのっぺらぼうの巫女が湧き出る。
知っている。
あれは、止めるためのもの。
清乃が、壊れ過ぎないように。
いつつ。
男は、泣きながら這いずり下がる。
逃げる。
清乃は、その背中を見送った。
――ここまでは、いつも通り。
けれど。
清乃は、ひとつだけ、いつもと違うことをした。
「……ねえ」
男が、びくりと止まる。
「もう」
「三つ時は、過ぎた」
男の顔が、凍りつく。
清乃は、静かに告げた。
「だから」
「あなたは人でも妖怪でもなくなった」
影が、ざわりと揺れた。
大入道は巫女に指示を出そうとして、やめた。
――それは、もう彼の役目ではなかったからだ。
清乃は、自分で決めた。
首が、伸びる。
霧を裂き、距離を無視して。
男の悲鳴は、途中で途切れた。
音は、霧に吸われる。
清乃は、元の場所に戻る。
何事もなかったように。
しばらくして。
大入道が、低く問いかける。
「……よいのか」
清乃は、少し考えた。
「わからない」
「でも」
清乃は、首を傾げた。
「あの人は」
「これを求めていたと思った」
大入道は、それ以上、何も言わなかった。
霧が、ゆっくりと晴れていく。
朝が来る。
清乃は、ひとりになる。
胸の奥が、少しだけ、ざらついていた。
でも。
そのざらつきが、何なのか。
清乃は、まだ、知らない。
これで本当に最後です。
ご愛読ありがとうございました。




