第96話:紅蓮の断絶
「逃げなきゃ……悠真、立ってってば!」
リィナが叫び、悠真の肩を激しく揺さぶる。
だが、悠真の瞳は濁ったままだった。
掌に残る灰の感触。
崩れ落ちた伝説武器の残滓。
それが、
彼の精神を底なしの泥へと沈めている。
「無駄だよ……」
掠れた声。
「俺が触れたものは壊れる。
伝説すら壊したんだ。今さら何を――」
パチン!
乾いた音が鳴った。
リィナの平手打ち。
彼女の瞳には、はっきりと涙が溜まっていた。
頬を伝う雫を拭いもせず、真っ直ぐ悠真を睨む。
「ふざけないでよ!」
声が震えている。
「壊した? 違う!!
あんたは――誰も届かなかった場所まで、必死に手を伸ばしたんだよ!
怖くても、失うのが恐くても、
誰もやらなかったことを、
あなたはやってのけた!」
涙がぽろぽろと零れる。
「それを“失敗”なんて呼ばせない……!
あたしは知ってる。悠真がどれだけ世界を前に押し進めてきたか、ちゃんと見てきた!」
悠真が歯を食いしばる。
「期待される側の気持ちなんて、お前には――」
「分かんないよ!
あたしなんかただの猫耳の小悪党だもん!!」
叫びが野営地に響く。
「でも、あたしは知ってるよ。
あなたは逃げなかった。
何度外れても、笑われても、
世界が終わりそうになっても、
最後まで立ち続けた。
だから――ずっと、信じてきた!」
涙を拭わないまま、リィナは続ける。
「悠真は“可能性”なんかじゃない。」
震える声で、しかしはっきりと。
「あたしの……誇りなんだから!!」
その言葉が、
凍りついた夜の空気にゆっくり溶けていく。
悠真の瞳が、
初めてわずかに揺れた。
その瞬間――
ゴオオオッ!
言い合いを切り裂くように、
石組みの防壁が爆散した。
魔王軍の先遣隊が、
包囲の隙間から雪崩れ込んでくる。
「悠真様を逃がせッ!」
生き残っていた兵たちが、
即座に壁を作った。
鎧は欠け、盾は割れている。
それでも、誰一人として後ろには下がらない。
「俺たちが盾になるんだ!
悠真様を――王国の唯一の『可能性』を、死なせるな!」
「やめろ……もうやめてくれ、
俺なんかに構わないでくれ!」
叫んでも、誰も振り返らない。
兵士たちは無言で剣を振るい、
魔族の爪に身を晒す。
彼らにとって、
悠真を守ることはもはや命令ではなく、
自分たちが生きた証を未来へ託す、
唯一の希望となっていた。
「悠真、走るよ!」
リィナが悠真の腕を強引に引っ張る。
崩れかけた補給柵の隙間を抜け、
野営地の外縁へと走る。
背後では、自分たちを逃がすために兵士たちが一人、また一人と黒い波に呑み込まれていく。
その断末魔すら、
包囲網を狭める魔将たちの哄笑にかき消された。
地面から黒い影が鎌のように跳ね上がる。
リィナが短剣で切り払うが、
脇を削られ、衝撃で膝をつく。
「っ……!」
すぐに立て直そうとするが、
次の瞬間、地面が再び脈打つように震え、
正面から牙のような影、左から槍、右から鎌――三方向から同時に襲いかかる。
「――こんなの……っ、避けきれない……!」
声が震え、喉が詰まるように掠れる。
リィナは咄嗟に後方へ跳んでかわすが、
右足の踵を僅かに掠められ、
鮮血が一筋、地面に跡を残した。
「はぁ……っ、くっ……!」
削られた脇腹が熱く疼き、
血がじわじわと服を濡らしていく。
まだ動ける。
でも――限界は近い。
短剣を握り直す指先が震え、息が荒い。
その一瞬の隙に、さらに追撃が迫る。
その刹那。
夜空が白く裂けた。
「――《氷華の檻》!」
凍てつく衝撃が魔族を粉砕し、銀髪の氷の魔術師セレスが舞い降りる。
「セレス!」
彼女は息を荒げながら着地した。
「二人とも、こんな所で何してるの!?
早く!!
あと数分で包囲が完全に閉じるわ!」
セレスの警告通り、
視界の先では魔将リシュヴァの影が、
巨大な壁となって退路を塞ごうとしていた。
だが、悠真の足取りは依然として重い。
投げやりな動きが、
避けるべき攻撃を掠めさせ、
セレスの援護魔法を無駄に削っていく。
「悠真、右よ! 避け――っ!」
リィナが悠真を突き飛ばした。
直後。
巨大な鎖が彼女の脇腹を掠め、
すでに開いていた傷をさらに抉る。
鮮血が舞う。
「リィナァッ!」
「……見てる暇あったら、走ってよ……」
唇が震える。
傷口を抑え、
それでも無理やり笑ってみせるリィナ。
でも血が、止まらない。
セレスが歯を食いしばる。
「まだよ……!」
彼女の周囲に、
無数の氷の結晶が浮かび上がる。
「《氷連鎖・華嵐》!!」
結晶が一斉に連なり、
螺旋状の氷嵐を巻き起こす。
三方向から迫る影を絡め取り、
瞬時に凍てつかせ――砕く!
キンッ! キンッ!
氷の破片がキラキラと夜空に散る。
一瞬、包囲に隙が生まれた。
「今よ! 走って――!」
セレスが叫ぶ。
だが――最悪が更新された。
空から巨大な影。
四大魔将の一人、巨躯のグローデンが、
ついにその巨体を野営地の中心へと躍らせた。
「ネズミ共め……逃げ場などないと言ったはずだ」
腕を振り上げる。
空気が、山が落ちてくるような圧力で圧縮される。
セレスが防御陣を最大展開するが、
防ぎきれるはずがない。
悠真はただ、その死の影を見上げていた。
「……ああ」
死か。
受け入れかけた、その瞬間。
背中に強い衝撃が走った。
「――セレス、お願い! 悠真を!!」
リィナが、二人を全力で突き飛ばしたのだ。
爆震が起こる直前。
リィナは逆方向に跳ぶと、
注意を引くように矢を放った。
「こっちよ、デカブツ!」
矢はグローデンの目を掠め、巨体がわずかに怯む。
その隙にリィナは地面を蹴り、短剣を構えて突進。
身を沈めると、剛腕を潜り抜け巨体に向かって突っ込んだ。
「リィナ、やめろぉッ!!」
悠真の手が空を切る。
衝撃波に煽られ、悠真とセレスは閉じかける包囲網の外へと放り出された。
「甘いな、虫けらめ」
――グローデンの巨腕が横薙ぎに一閃。
ドンッ!
衝撃そのもののような一撃が、
リィナの体を容赦なく弾き飛ばした。
「きゃあっ……!」
体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
歯を食いしばり、
起き上がろうとするリィナの四肢に、
無数の黒い蛇が這い寄る。
「――っ!」
もがきながら短剣で二匹を斬り捨てたが、
毒々しい黒い血しぶきが舞うばかりでキリがない。
「セレス、放せ! 放してくれ!!」
だがセレスは彼を強く抱き締めた。
「だめ……今戻ったら、
二人とも死んじゃう……!」
叫ぶ悠真の視界、煙の向こう側でリィナが再び弾かれるのが見えた。
その体が漆黒の影に絡め取られ、
無数の蛇が彼女の四肢を縛る。
「あら、随分と必死な顔をするのね。
……見ていて飽きないわ。
こういう『餌』を用意すれば、
あの子もまた面白い絶望を見せに戻ってくるかしら?」
リシュヴァの笑い声が夜空を震わせる。
「リィナ……リィナァァッ!!」
絶叫は冷たい夜風にかき消された。
セレスが涙を流しながら、動けない悠真を抱えて転移の術式を起動する。
視界が歪み、
光の奔流に飲み込まれる。
境界線の向こう。
捕らえられたリィナが、
遠ざかる悠真を見つめ、
声もなく唇を動かした。
(――信じてる)
その瞬間、世界は静かに暗転した。
手元に残ったのは、
救えなかった無力感。
そして彼女が命を懸けて繋いだ、
「生」という名のあまりに重すぎる鎖だった。
第96話、最後まで、ご覧いただき本当にありがとうございます。(^^)
リアクションd(^^) もたくさんいただいて嬉しいです! ありがとうございます!
次回は、
第97話『潰走』
「起きたのね」
甘い声とともに、リシュヴァが現れる。
指先で蛇を撫でる。
「暴れない方がいいわ。締め上げるだけだから」
「拷問? それとも餌?」
リシュヴァが笑う。
「どちらも違う」
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