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第95話:はじまりの場所へ

北部戦線は、

すでに「戦場」と呼べる形を失っていた。


防壁は継ぎ接ぎの板と土嚢の寄せ集めになり、

陣地は仮設の域を超えて崩れかけている。

兵たちの瞳には、泥のように重く澱んだ疲労が沈殿していた。


敵は、止まらない。

焦りも怒りもなく、

ただ淡々と「作業」のように押してくる。


物量で。

圧で。

時間で。

命をヤスリで削るように。


今日も同じはずだった。


だが――その日は、空が「沈んだ」。


歪んだのではない。

物理的に、色が一段階暗く塗り潰されたのだ。


見張り台の兵が、肺の空気を漏らすように呟いた。


「……違う。何だ、あれは」


いつもの進軍ではない。

地平線を埋め尽くす軍勢の「前」に、何かがいる。


数万の魔族が、

まるで道を空けるように左右へ割れていく。


その中心。

一歩ごとに大地を沈ませて歩む、圧倒的な巨体。


棘だらけの甲殻が、鈍く陽光を拒絶している。


――四大魔将、グローデン。


その隣に立つのは、

軍勢よりもなお濃い「影」を纏った人型。

輪郭は陽炎のように揺らぎ、

肩口から三匹の蛇が這い出している。


――四大魔将、リシュヴァ。


見張りの声が、かすかに裏返った。


「……魔将。それも、二体同時に……?」


叫びですらなかった。

あまりに巨大な絶望を前にしたときの、

乾いた、力のない呟きだった。


「四大魔将が北へ転進! 軍を直率しているぞ!」


伝令の悲鳴が走る。


空気が変わった。

それは疲労ではなく、

死を確信した生物が本能的に抱く「忌避」の色だった。


グローデンが、太い腕をゆっくり持ち上げる。


まだ距離はある。

届くはずがない。


だが――振り下ろされた瞬間、

世界が爆ぜた。


目に見えない衝撃が一直線に奔り、

コンマ数秒遅れて爆音が追いつく。


前線の防柵が木っ端微塵に弾け飛び、

兵たちが紙屑のようにまとめて吹き上がる。


地面がめくれ、

土と肉が同時に空へ舞った。


「……は?」


誰も理解できない。

射程外のはずだ。

理屈が通らない。


リシュヴァが指をわずかに動かす。

その瞬間、陣地の中に「影」が伸びた。


足元から噴き出した黒に、

兵たちが音もなく沈んでいく。

声を上げる暇すら与えられなかった。


「全隊、散開しろ! 包囲される!」


指揮官の怒鳴り声も虚しく、

魔王軍は広がっていく。


左右へ。そして後方へ。

北部戦線を丸ごと「呑み込む」巨大な輪。


「退路が――」


誰かが言いかけて、言葉を失う。


逃げ道が、静かに、

そして確実になくなっていく。


これは戦いではない。

ただの「踏破」だ。


リシュヴァが愉悦に唇を歪めた。


「ふふ、急がないで。

彼らがどんな顔で絶望に染まっていくのか……じっくり観察したいの。


逃げ場なんて、

最後の最後で奪ってあげればいいわ」


彼女たちは急いでいない。

確実に輪を狭め、王国軍を一点へと押し縮めていく。


その中心にあったのは――

悠真たちのいる野営地だった。


♦︎


同時刻。

中央戦線。


月明かりすら届かない岩陰で、

一真は息を殺していた。


「……今だ」


闇に溶けるように駆ける。

剣は抜かず、音を殺し、

死角からバルザークの首を狙う。


完璧な一撃。刃が閃く――。


――止まった。


バルザークは振り向きもせず、

背後へ常闇の剣を振るった。


嫌な金属音。

一真の剣が弾き飛ばされる。


「……遅い」


低い声。


直後、横から美咲の魔法が叩きつけられる。

圧縮された水槍アビス・ランスの斉射。


直撃。


大地が抉れ、猛烈な水煙が上がる。


だが。

常闇が、水を「呑み込んだ」。


蒸発ではない。概念ごとの消滅。


「効かない……!くそっ……」


健吾が歯を食いしばる。


煙の奥から、低い嗤いが漏れた。


「終わりか?」


黒い刃が横薙ぎに一閃。

見えない斬撃が、巨大な岩ごと大地を両断した。


「散開!!」


間一髪で跳ぶが、

後衛がまとめて吹き飛ぶ。


正面突破は不可能。

だからこその奇襲、夜襲。

あらゆる手を尽くした。


だが。


「勇者とは、この程度か。

期待外れだ」


バルザークが歩くたび、

折れた角から魔気が溢れ、

空気を濁らせる。


「無駄だ。

貴様らの未来は、すでに閉じている」


常闇の剣が、

ドクンと心臓のように脈動した。

再び中央の一角が消し飛ぶ。


「後退だ! 距離を取れ!」


だが下がるほど、包囲は狭まる。

魔王軍は、焦っていない。


ただ。

確実に削られていく。


「少しでもいい! 足を止めろ!」


だがバルザークは、止まらない。

ゆっくりと。

確実に。

王都へ向けて前進を続けていた。


♦︎


北部野営地。薄暗いテントの中。


悠真は、動けなかった。


座り込んだまま、

焦点の合わない目で床の泥を見つめている。


外の喧騒が、ひどく遠く感じられた。


「悠真……」


布が開く音。

リィナが入ってきた。


頬には撤退戦でついた煤が残り、

猫耳は力なく垂れている。

瞳には隠しきれない疲労が滲んでいた。


それでも、

彼女はまっすぐ悠真を見た。


「リィナ……ごめん。俺、もう……」


言葉が続かない。


喉が閉じる。


「謝らないでよ」


即答だった。


「謝ったら、

あたしたちの信じてきたものが、

全部間違いだったってことになっちゃう」


悠真は目を伏せる。


「間違いだったんだよ」


絞り出すように。


「俺が触れなければ……

あの剣は壊れなかった。

俺のせいなんだ」


沈黙が落ちる。


リィナが歩み寄り、

悠真の前に膝をついた。

震える手を、痛いほど強く握りしめる。


「……あたし、忘れてないよ」


「……え?」


「悠真と初めて会った、あの洞窟。

あなたがゴミみたいな鉄屑から、

見たこともない光を作り出した時のこと」


悠真の指が、わずかに動く。


「あれは……」


「偶然なんかじゃない!」


リィナの声が激しく揺れる。


「悠真は、あの時――未来を選んだんだよ」


洞窟。

暗い空間。

壁に刻まれていた、

奇跡のように青く光る紋様。


「……洞窟?」


記憶の蓋が軋みを上げて開く。

初めて「進化」の力に震え、

リィナと出会い、

運命を変えた、あの場所。


「そういえば……

あそこには、何かがあった。

俺が、見落としていた何かが」


その時。


大地が、これまでにない規模で激しく揺れた。


――ズドォォォォン!!


「北壁が破られたッ!!」


「魔将だ!! 二体同時に来やがった!!」


外からの悲鳴。


それでも悠真は、まだ動けない。

立ち上がる理由が見つからない。

足が泥に埋まったように重い。


リィナの顔色が変わる。


「……近い」


外から、ゆっくりと近づく重低音。


ドン。


ドン。


ドン。


外の怒号が変わる。


「左右から来てるぞ!」


「退路が塞がれる!」


悠真は――まだ座ったまま。


「悠真、立って」


「……もう、いいんだ、リィナ。

どうせ勝てない」


その言葉に。


リィナの目が、怒りに変わる。


「悠真!!」


リィナが、これまでにない怒声で叫んだ。


彼女に引きずられるようにして、

悠真は外へ出る。


そこは、地獄だった。


北部戦線は、巨大な半円状の軍勢に完全包囲されていた。


遠くでグローデンが進むたび、

爆発で地形が塗り替えられる。


左右からはリシュヴァの影が這い回り、

退路を一点ずつ潰していく。


「だめ……完全に囲まれる……」


リィナが息を呑む。


まだ距離はある。


だが。


確実に、縮まっている。


「……もう、無駄だよ。

何度退却したって、立て直せっこない」


その声は、空虚だった。


「どうせ勝てないんだ」


リィナの瞳が燃えるように鋭くなった。


「だからって、このまま何もしないで諦めるの!?」


悠真は視線を逸らす。


遠くで兵が吹き飛ぶ。

悲鳴。

煙。

逃げようとした兵が、横から来た魔王軍に叩き返される。


「退路が閉じるぞ!!」


叫び。


包囲が、さらに狭まる。


状況はもう明白だった。

このままでは全滅は時間の問題。

退却以外の選択肢が、現実的に残されていない。


リィナが悠真の胸ぐらを掴む。


「ばかっ! 悠真は逃げる人じゃない!!」


その背後で、

黒い軍勢が静かに輪を完成させ始めていた。


まだ魔将は二人に気づいていない。

だが、包囲の円の中心は、残酷なまでにこの野営地へと収束していた。


ゆっくりと――


悠真の拳が、わずかに震える。

後悔と恐怖と、

そして記憶の底から湧き上がる「何か」。


逃げ場のない包囲網の中で、

運命が再び、一箇所に集まろうとしていた。


それでも。

目は、まだ沈んだままだった。


第95話、最後まで、ご覧いただき本当にありがとうございます。(^^)


リアクションd(^^) もたくさんいただいて嬉しいです! ありがとうございます!


次回は、

第96話:紅蓮の断絶


受け入れかけた、その瞬間。

背中に強い衝撃を感じた。

「――セレス、お願い!悠真を!!」


「リィナ、やめろッ!」

悠真の手が空を切る。


煙の向こう側で、弾き飛ばされるリィナの体が漆黒の影に絡め取られるのが見えた。

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