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第92話:世界を奪う影

バルザークの足が、再び地面を踏んだ。


その一瞬で、

世界の密度がまた一つ、削られた。


前線はもう、

形骸化していた。


残っているのは、

ただの「後ろへ流れる残響」だけ。


中央戦線。


そこに立つ影は、

変わらず、ただ一つ。


――バルザーク。


歩みは変わらない。

速くもなく、遅くもない。


だが、

その一歩ごとに、

「戦う」という行為そのものが、

意味を失っていく。


「……下がって」


美咲の声は、

自分でも驚くほど静かだった。


それは恐怖の声ではない。

――理解してしまった後の、

諦めきれない空白感。


勝てない。


その事実が、

胸の奥に冷たく沈んでいる。


それでも、

彼女は杖を握り直した。


水を集め、

空気中の魔力を限界まで圧縮する。


彼女が今、持てる

最大出力の魔法。


「――《蒼海穿つ極光アビス・レイ》」


詠唱は、刹那。


蒼白の奔流が、

戦場を裂くように迸った。


光は、

空気を焼き、

地面を抉り、

一直線にバルザークを貫く――はずだった。


――何も、起きなかった。


防がれたわけではない。

弾かれたわけでもない。


ただ、

バルザークに近づくほど、

光の奔流が色を失い、

速度を落とし、

最後には静止した。


水は霧散し、

魔力は波紋のように広がって消え、

蒼い軌跡は存在ごと削り取られたように跡形もなく消えた。


魔法が――意味ごと削除されていく。


まるで、

最初から放たれていなかったかのように。


美咲の瞳が、わずかに揺れた。


「……嘘……」


小さな呟きが、

風に溶ける。


沈黙が落ちた。


それは、

言葉が奪われた空白ではなく、

「抗う」という概念そのものが、

根こそぎ否定された空白だった。


戦場全体に、重く息を潜める無音が広がる。


一瞬の呼吸の後。

一真は静かに、しかし誰も逆らえない重さで言った。


「……撤退だ」


誰も反論しない。

――できない。


その一言が意味する現実を、

全員がすでに、骨の髄まで理解していた。


勇者が――退く。


それは命令ではない。

戦いそのものの終わりを、

告げる宣告だった。


号令が走る。


整然とした後退など、

最初から存在しない。


誰もが歯を食いしばり、

転び、

仲間を引きずり、

血を吐きながら、

それでも足を止めない。


止まった瞬間、

すべてが終わると分かっているから。


これは撤退ではない。


生き残るという一点だけに縋りつき、

這うように逃げる、

敗走だった。



「門を開けろッ!!」

「まだ後ろに残ってるぞ!!」

「急げ、閉じられる!!」


怒号と悲鳴が交錯する中、

城塞が視界に現れる。


旧トラネス城塞。

後方防衛線を構成する、石造の要衝。


――そこまで、

下がるしかなかった。


一方。


魔王軍は、止まらない。


中央戦線に残されたのは、

バルザークと最小限の部隊のみ。


それで十分だった。


彼一人が、

前線そのものだから。


急ぐ必要はない。

追う必要すらない。


いずれすべては、

逃れられぬ速度で崩れ、

自ら彼の足元へ辿り着く。


破滅は、

追うものではなく――

訪れるものだと、

知っているかのように。


だからこそ、

残る戦力はすべて、

北部戦線へと注がれていく。


北部。


つい先日まで、

優勢を保っていたはずの戦場。


だが今、

地平を埋め尽くす軍勢が、

その均衡を踏み潰していた。


増援。

さらに増援。

終わりの見えない物量。


バルザークは中央から動いていない。

それでも均衡は、音もなく崩れていく。


「……まだ来るのかよ……」


誰かの呟きが、

乾いた空気に溶ける。


斬っても減らない。

押し返しても、次が来る。


前に立つ意味そのものが、

無限に湧き続ける濁流に呑み込まれていく。


防衛線が、

一枚ずつ剥がれる。


隊列が崩れ、

指揮が途切れ、

退却が連鎖する。


そして――


北部もまた、

音もなく下がり始めた。


中央。

北部。


二つの戦線が、

同時に後退していく。


それは局地的敗北ではない。


戦局そのものが、

音もなく、確実に、

折れ始めた証だった。


空は、無響だった。


あまりにも音がなく、

まるで――


この結末だけが、

最初から決まっていたかのように。


旧トラネス城塞の門が、

重く閉じる。


その音は、

防衛の始まりではない。


世界が、

取り返しのつかない方向へ

確かに進み始めたことを告げる――

鈍い終焉の響きだった。


これは、

まだ敗北ですらない。


抗う余地を残した戦いの終わりではなく――


もっと無音で、

もっと確実にすべてを奪っていく、

終焉そのものの始まり。


そして。


その中心へと、

運命は抗えぬ流れで収束していく。


――悠真の選択へ。


北部戦線。


風は、まだ冷たかった。


季節のものではない。

削られた命の熱が、地表から静かに失われていく温度だった。



押されている。


それは一瞬の劣勢ではない。

数日間、ずっと後退し続けている。


隊列は日ごとに薄くなり、

叫びは短くなり、

剣は、どんどん重くなる。


戦ってるんじゃない。

ただ、耐えてるだけだ。


それも、

終わりを、少しずつ先延ばしにしているだけだ。


悠真は、立ち尽くしていた。


目の前で、

兵が一人、崩れる。


次の瞬間には、

別の誰かがその穴を埋める。


意味のない交代。

終焉を数呼吸だけ遅らせる、

沈黙の儀式。


(……違う)


胸の奥で、何かが軋む。


(これは――)


視線が、自分の手に落ちる。


震えてはいない。

血もついてない。


なのに――

誰よりも重い。


常闇の剣。


あの力の、始まり。

生まれてはいけなかった、破滅の核。


(……俺だ)


もう否定は浮かばなかった。


(俺が作った)


言葉にした瞬間、世界が一段と無音になった。


逃げ場が、消える。


あれさえ現れなければ。

戦局はここまで歪まなかった。


中央は崩れず、北部だってまだ耐えられたはずだ。


そして――

あれを生み出したのは、俺だ。


「悠真!」


リィナの声。


振り向く。


その瞳にあったのは、疑いでも失望でもない。


――信頼。


だからこそ、つらい。

それが、何よりも重かった。



雷光が奔る。


彼女の踏み込みは、

もはや音を置き去りにしていた。


閃いた短刃が敵陣を裂き、

遅れて稲妻が空間を焼き切る――ズドン!


矢は連なり、空を縫い、

確実に急所だけを射抜いていく。


速く、正確で、迷いがない。


でも――

戦場の流れは止まらない。


後退の速度だけが、どんどん加速していく。


セレスの詠唱が重なる。


氷が空間を侵食し、

白い結晶の檻が敵を閉じ込める。


無音で、完璧な制圧。


なのに。


砕けた隙間から、次の影が雪崩れ込む。


もう均衡なんて、存在しない。


誰も「限界」なんて口にしない。

口にしたら、全てが崩れると分かっているから。


それでも。


終わりは、確実に近づいている。



悠真は目を閉じた。


探す。

突破口を。進化の道を。


これまで何度も不可能を越えてきた、あの感覚を。


――何もない。


焦りが空回るだけ。


素材も、時間も、余白も、全部足りない。


考えるほど、現実だけが積み重なる。


(……間に合わない)


初めて浮かんだ言葉。


胸の奥で、何かが音もなく折れた。


それでも足は止まらない。


戦場の隅。


金属片。魔獣の骨。砕けた触媒。


全部違う。


手に取るたび、分かる。

――足りない。


どれだけ集めても、あの常闇の剣には到底届かない。


並ぶことすら許されない。

比べる以前の問題。


勝てない、じゃない。


「挑む」という前提すら、存在していない。


直感が叫んでいる。


求めている進化は、もう、この世界のどこにも――ない。


それでも手を止めれば、終わりが確定する。


だから探す。

無意味だと分かっていても。


時間だけが、無情に過ぎる。


その間に前線は削られ、また一歩背後へ。


さらに一歩、背後へ。


「下がってくださいッ!」


誰かの叫び。


振り向いた瞬間――


また防衛線が、崩れた。


土煙。悲鳴。迫る影。


手がかりを掴む前に、また撤退。


また後退。


また――何も出来ないまま。


奥歯が軋む。


悔しさなんかじゃない。


もっと重い。


取り返しのつかなさが、胸を締め付ける。


もし――もう一度だけ、最初からやり直せたなら。


一瞬よぎって、すぐに消す。


それは願望だ。現実じゃない。


現実は、たった一つ。


ここで終わるかもしれない。


敵影が目前に迫る。


リィナの呼吸が乱れ、セレスの詠唱が揺らぐ。


誰も口には出さない。


でも分かる。


――限界だ。


その中心に、悠真は立っていた。


何も掴めないまま。

何も変えられないまま。


それでも。


逃げることだけは、出来なかった。


瓦礫の陰。壊れた装備。価値を失った残骸。


視線が、無意識にそれらを追う。


まだ名前のない、何かを探している。


でも。


敵の気配が、もうすぐそこまで迫っていた。


地面を踏む音。


一つじゃない。

増えていく。


確実に、包囲へと向かう足音。


顔を上げる。


黒い影が、視界を埋め始めていた。


(俺のせいで……みんなが)


喉の奥で、言葉にならない叫びが響く。


――ごめん。


その言葉が沈んだ瞬間。


誰にも届かない深度で、


何かが、わずかに噛み合わなかった。

第92話、最後まで、ご覧いただき、ほんとに本当にありがとうございます。(^^)


リアクションd(^^) もたくさんいただいて嬉しいです! ありがとうございます!


次回は、

93話『届かないと知りながら』


「……まだ、何かあるはずだ」


呟きは、祈りに近かった。


奇跡でもいい。

偶然でもいい。

理屈なんて、もうどうでもいい。


「……あってくれ、ガチャなんだろ……!」


声にならない叫びが、胸の奥で滲む。


進化の光を呼び起こす。


淡い輝きが武器を包み――


───────────────

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次回もぜひお楽しみに!

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