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第86話: 血濡れの託し

補給将校が去ったあと、

テントの中には、しばし静寂が落ちた。


包帯を巻く治療兵の手つきは手慣れている。

止血、固定、最低限の魔力回復薬。

すべてが、どこにでもある後方医療の光景だった。


だが、ヴァルミラは知っていた。

ここが戦場の“心臓”であることを。


前線で剣を振るう者よりも、

補給と情報を握る者のほうが、

戦争を左右する。


そう……前線の剣など、

補給の糸一本で絡め取れる。


(……いい場所ね)


目を伏せたまま、ゆっくりと呼吸を整える。

魔力は閉じている。

殺意も、誇りも、奥底へ沈めている。


今の自分は、ただの負傷兵。

それ以上でも、それ以下でもない。


治療兵が淡々と告げた。


「熱が出たらすぐ言え。無理に動くなよ」

「回復が進んだら、収容区画へ移す」


「……はい」


か細く返す。

その一言ごとに、自分が“王国軍の側”へと塗り替えられていくのを、彼女だけが意識していた。


やがて、テントの外がざわつき始める。

地図を手にした将校たちが集まり、

低い声で議論している。


ヴァルミラが描いた位置情報が、

すでに回り始めていた。


(早い……)


口元が、ほんのわずかに緩む。


捨て拠点とはいえ、補給と転移の要衝。

王国軍にとっては、

喉から手が出るほど欲しい戦果だ。


――それを、彼女が持ち込んだ。


数時間後、将校が再び姿を現した。

視線は鋭いが、敵意はない。


「君の話は、斥候の報告とも噛み合っている」

「かなり有力な情報だ」


ヴァルミラは、

驚いたように目を見開いた。


「……本当、ですか」


「もう少し、詳しく聞かせてほしい」


「はい、分かる範囲で……全部話します」


ここからが本番だ。


拠点の位置。

地形。

魔族の配置。

撤退時の様子。

荷の積み替えが行われていた時間帯。


すべて、事実だけを並べる。

嘘を混ぜる必要はない。


真実を並べれば、嘘より深く刺さる。


参謀たちが地図を囲み、短く言葉を交わす。


「……押さえる価値はあるな」

「北部の流れを決める一手になる」


その声を、

ヴァルミラは伏せたまま聞いていた。


(ええ……そうして)


やがて結論が出る。


・小規模偵察部隊を即時投入

・反応が薄ければ攻略を決定

・情報提供者は後方で保護


「しばらくはここで休んでいてくれ」

「思い出したことがあれば、遠慮なく伝えてほしい」


「……ありがとうございます」


その言葉は、

王国軍と彼女を繋ぐ最初の細い糸だった。


将校たちの背を見送りながら、

ヴァルミラは静かに息を吐く。


(第一段階は、通過)


夜。

補給ラインの野営地には、

前線とは異なる穏やかな空気があった。


焚き火の匂い。

温かい食事。

負傷兵を労わる声。


「今日の戦果、すごかったな」


「北部、完全に流れ来てるぞ」


そんな会話が、自然に交わされている。


ヴァルミラは毛布に包まりながら、

その声を子守歌のように聞いていた。


翌日。


偵察部隊から第一報が戻る。


「拠点、確認」

「魔族反応はほぼなし」

「放棄状態と見ていい」


野営地がどよめいた。


「本当だった……」

「当たりだ、あの情報」


信頼が、音もなく積み上がる。


その情報を聞いて、

ヴァルミラは安堵したように目を伏せた。


「……良かった」


その仕草だけで十分だった。

余計な評価も、説明もいらない。


数時間後、正式命令が下る。


北部戦線、次目標――

魔王軍補給・転移拠点、攻略作戦開始。


野営地に高揚が走る。


「一気に叩ける」

「北部は決まるぞ」


ヴァルミラは焚き火のそばで、

それを見つめていた。


(行きなさい)


(勝ちなさい)


その視線の先にあるのは、ただ一つ。


ユウマ。

進化を生み出す存在。


(あなたの力を……)


(壊すより、ずっと価値がある)


彼女は静かに目を閉じた。


拠点攻略は、間もなく始まる。


それは王国軍にとっては、勝利の積み重ね。

そして彼女にとっては、

“信用を握るための、最初の足場”。


まだ血は流れない。

まだ剣も抜かれない。


だが――

戦いは、もう始まっている。


拠点攻略作戦が発令されたその夜、

野営地は異様な高揚に包まれていた。


兵たちの足取りは軽く、声は強く、誰もが「勝ちに行く戦場」の匂いを感じ取っている。


ヴァルミラは、

医療テントの片隅でそれを聞いていた。


「出撃は夜明け前。

第一、第二混成部隊が主力だ」


「斥候の報告通り、奇襲でいける」


――動いた。


胸の奥で、確かな手応えが生まれる。


王国軍は、

彼女の“持ち込んだ情報”を信じて、

戦力を動かした。


同時に、胸が少しだけ締め付けられた。


(……ここからは、引き返せない)


毛布を押しのけ、

ヴァルミラはゆっくりと身を起こした。

すぐに医療兵が気づき、慌てて駆け寄る。


「おい、まだ起きるな。傷が開く」


「……前線に、行かせてください」


声は震えていた。

だが、意志だけははっきりしている。

 

「私の持ってきた情報で、

人が動いています。

……何も知らない顔で、

待っているなんて……できません」


医療兵が眉をひそめる。


「無茶だ。君は戦える状態じゃない」


「戦えなくてもいいんです」

「荷を運ぶでも、負傷者を支えるでも……」

「最後まで、その結果を見届けたい」


少しだけ、視線を伏せる。


「……それに」

「もし、あの情報が間違っていたら」

「取り返しがつかないのは、前線の人たちです」


一瞬の沈黙。


それは責任感というには、あまりにも生々しく、

そして“当事者”の言葉だった。


「……お願いします」


その目は、怯えと決意が混ざった奇妙な光を帯びていた。

“止めるべきだ”と頭では分かっていても、

“止めきれない理由”がそこにあった。


数分後、補給将校が現れ、短く息を吐く。


「……戦闘参加は許可しない。

だが、後方支援班として同行だ。

それ以上前に出るな」


「……ありがとうございます」


ヴァルミラは、深く頭を下げた。


(これでいい)


戦場に戻る理由は、もう得た。


夜明け。

霧の中で部隊は静かに動き出し、

魔王軍拠点へと迫った。


戦闘は、想像以上にあっけなかった。


魔族側は半ば放棄状態。

転移装置は未起動、補給炉も停止寸前。

抵抗は散発的で、指揮系統は完全に崩壊していた。


「本当に、捨て拠点だったのか……」


「いや、違う。

 “捨てる前に叩けた”んだ」


王国軍は、

ほとんど損害を出さずに拠点を制圧した。


――それでも。


ヴァルミラの胸は、静まらなかった。


(……まだ足りない)


勝利の空気はある。

だが、彼女の“居場所”は、まだない


(このままでは、物語にならない)


勝利の証は、

彼女以外の誰のものにもなってしまう。

彼女はただ“運んだ女”で終わる。


毛布の内側に指を滑り込ませた。

冷たい金属の感触が、そこにあることを確かめる。


(だからこそ……)


その混乱の中で――

ヴァルミラは、

許可された位置を越えて踏み込んだ。


(ここからが、本番)


爆音。

悲鳴。

混戦の残滓の中、

魔族の残党が最後の抵抗を見せる。


彼女は魔力を使えない。

剣も、まともな武具もない。

それでも、傷ついた兵を庇い、

背中を押し、逃がした。


そして――


鈍い衝撃が、腹部を貫いた。


「……っ!」


魔族の短槍。


致命傷には届かないが、

確実に命を削る一撃。


地面に崩れ落ちる視界の端で、

兵士たちが叫ぶ。


「誰か! 治療兵を!」

「負傷者だ!」


血が、熱を持って流れ出す。

本物の痛み。

本物の死の気配。


(……いい)


(これで、完成する)


担架に乗せられ、揺られながら、

彼女はかすかに笑った。


その手の中には、

あらかじめ用意していた一本の剣があった。


刃こぼれし、黒い紋様が走る魔族製の剣。

紋様は乾いた血に触れ、赤黒く滲むような色を帯びている。

触れること自体が、躊躇われる代物だ。


今はまだ、ただの“異様な剣”だ。

だが、血を吸ったその紋様は、

見る者に「触れてはいけない理由」を直感させる。


(……これでいい)


(これで、“足りる”)


治療テントに運び込まれる直前、

彼女は一人の兵士を呼び止めた。


「……悠真さんに……届けてほしいんです」

「これを……どうしても、本人に……」


剣を差し出す指先は、震えていた。

それは痛みか、恐怖か、それとも――期待か。


「前線で……父が……」

「戦って……倒れました……」


喉が詰まるように、言葉を切る。


「この剣だけが……呪いに……汚れてしまって……」


誰もが“捨てるべきもの”だと思う状況。

だが、彼女は次の一言で、それを否定する。


「……でも」

「父が、命を賭けて守った証なんです」


息を整え、弱々しく続ける。


「彼の進化なら……」

「この剣を……救えるんじゃないかって……」

「彼なら……きっと、分かってくれるはず……」


その瞬間、兵士は理解してしまった。

これは“武器の依頼”ではない。

“想いの託し”だと。


兵士は血だらけの剣を見て、息を呑んだが、

戸惑いながら頷く。


「……分かった。必ず伝える」


担架が再び動き出す。


ヴァルミラは、薄れゆく意識の中で目を閉じる。


(拒めない)


(見捨てる選択を――彼はしない)


(彼は、進化の力で何かを変えようとする男。

そんな男が、この剣を……見捨てるはずがない)


(次は……“想いを託す女”になるだけ)


王国軍は、拠点攻略の成功に沸き立っていた。

北部戦線は完全に主導権を握ったと、誰もが思った。


だがその裏で、

ひとつの小さな物語が、静かに形を持ち始めていた。


重傷を負いながらも、

最後まで仲間を守ろうとした女。

血に濡れた剣を、ただ一人の英雄に託した負傷兵。


そんな噂が、兵たちの間を巡り始めていた。


そして今。


その剣は、

「なぜか」悠真の名と、

切り離せないものになり始めていた。


なぜ、彼女は剣を託そうとしたのか。


なぜ、悠真でなければならなかったのか。


その理由は、

まだ誰も知らない。


ただ一つだけ確かなのは――


この剣が、

悠真の前に置かれた瞬間から、

何かが大きく歪み始めるということだった。

第86話、最後まで、ご覧いただき本当にありがとうございます。(^^)


リアクションd(^^) もたくさんいただいて嬉しいです! ありがとうございます!


次回は、

第87話『形見の剣と、偽りの涙』


――そのとき。


ヴァルミラの胸の奥で、

小さな歯車が、ゆっくりと噛み合った。


(......通った)


表情は、ただの“救われた兵士”のままだった。

安堵と感謝に揺れる、弱い少女のそれ。


だが内側では、すべてが計算通りに進んでいる。


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