第103話:終焉の交代劇
かつて人類の希望を繋ぎ止めていた中央戦線は、もはや見る影もなかった。
勇者たちが不退転の覚悟で守り抜くと誓った「旧トラネス城塞」は、魔王軍の進撃を前に紙細工のように呆気なく崩壊。
防衛線は下がり続け、
ついには背後のない最後の砦
――王都へと追い詰められていた。
対抗する手段も、逆転の策も、
もはや誰の頭にも浮かばない。
ここが落ちれば、
それはもはや人間側の敗北を意味していた。
王都の外縁、最終防衛線。
そこにあるのは、
一方的な『終焉』の光景だった。
「……ぐはっ……!」
一真が膝をつき、
激しく血を吐いた。
その手にある剣は、
かつての輝きを失い、
煤けたようにどす黒く変色している。
隣では美咲が魔力を使い果たして膝を突き、健吾が盾を砕かれながらも、二人をかばうように必死の形相で前に立っていた。
彼らの目の前には、ただ一人。
漆黒の鎧を纏い、次元そのものを切り裂くような禍々しい刃――《常闇の剣》を静かに構えるバルザークがいた。
「……終わりだ、勇者ども。
お前たちの抵抗は、
完成された世界を乱すノイズに過ぎない」
バルザークが剣を正眼に構える。
その一振りで、この防衛線は、
そして彼らの命は完全に「停止」させられるはずだった。
一真は死を覚悟し、奥歯を噛み締める。
だが。
「…………?」
振り下ろされるはずの剣が、
不自然に止まった。
バルザークが、戦場とは別の、
遙か北の空を仰ぎ見たのだ。
何事かを感じ取ったかのように、
その冷徹な唇を歪めて笑った。
「……そうか。牙が剥かれたか」
独り言のように呟くと、
バルザークは構えを解いた。
あろうことか、
絶好の機会を前にして、
彼は一真たちに背を向けたのだ。
「命拾いしたな、勇者ども。
……獲物が変わった。
我が行くべき場所は、ここではない」
圧倒的な戦力差。
追いかけることすら叶わない威圧感を残し、
バルザークの姿は陽炎のように揺らぎ、
次の瞬間には闇の粒子となって溶け消えた
嵐が去った後のような静寂が流れる。
「……行っちゃった……の……?」
美咲が震える声で漏らす。
一真もまた、
全身の力が抜けるのを感じた。
バルザークが放っていた、
あの息もできないほどの圧力が消えたのだ。
「一体、何が......」
健吾が呟く。
「理由はわからない……だが、
今のうちだ。動ける者を回収し、
防衛線を再構築するんだ!
まだ、立て直すチャンスはある……!」
一真の必死の鼓舞を受け、
兵士たちは絶望の淵から這い上がる。
傷ついた仲間を運び、
瓦礫を積み上げて新たな陣を敷いた。
誰もが「最悪の嵐は去った」と自分に言い聞かせ、わずかな安堵の中で必死に手を動かしていた。
だが、その希望もわずか数時間後、
傷を塞ぐ間もなく地平線を埋め尽くす**「黒い波」**によって無残に踏みにじられた。
地鳴りとともに現れたのは、
空を遮るほどの軍旗、
そして大地を覆い尽くす魔物の大軍勢。
その先頭に立つのは、
北部戦線を蹂躙した二つの「影」だった。
「あはは……いいわねぇ。絶望の淵を這い上がったと思った瞬間の、その間抜けな安堵の顔。本当に、最高に美しいわ」
暗黒の影法師リシュヴァが、
三つ首の蛇を蠢かせながら艶然と微笑む。
その傍らには、
家屋ほどもある棘の巨躯グローデンが鎮座していた。
「ねえ、驚いた?
この大軍……どこから来たと思う?.
.....これはね、
北部戦線を『片付けた』子たちよ」
「北部……戦線……?」
一真の顔から血の気が引く。
そこには、誰よりも信頼していた悠真がいたはずだ。
「嘘だ……悠真はどうした!
あいつが、簡単に抜かれるはずがない!」
「あら、死んでないわよ。でも、這いつくばって、仲間の死体を踏み台にして逃げ回る姿は……そうね、まさに『泥人形』。あんな無様な生き物、もうあなたの知っている英雄じゃないわ」
彼女にとって、
この戦場は勝利を得るための場所ではない。
勇者という高潔な魂が、
無惨に、無意味に、
ただの肉の塊へと崩れ落ちる瞬間を特等席で眺めるための「劇場」に過ぎないのだ。
「ここから先は、
私たちがたっぷり可愛がってあげる」
グローデンが咆哮し、
無数の棘が雨のように降り注ぐ。
一瞬の安堵は、より深い奈落へのプロローグに過ぎなかった。
最終防衛線は、
もはや統制の取れた戦場ではなかった。
押し寄せる魔物の黒い波と、
後がなく死に物狂いで剣を振るう王国軍。
悲鳴と怒号が重なり合い、
硝煙と返り血が視界を濁らせる完全なカオス。
「押し戻せ!」
「王都が終わるぞ!」
将兵たちの叫びも空しく、
数に勝る魔物の軍勢が防衛線を次々と食い破っていく。
その中心部、破滅の渦巻く最前線にいた一真たちの元へ、一閃の光が突き刺さった。
「――貫け、《天穿の槍》!」
空を切り裂く轟音とともに、
黄金の軌跡が魔物の群れを薙ぎ払う。
「悠真……!?」
血にまみれた一真が目を見開く。
そこには、強行軍を続けて駆けつけた悠真が、
リィナとセレスを従えて絶望の渦に飛び込んできた。
「死なせやしない。
……一真、ここからは、
俺たちも混ぜてもらうぞ!」
悠真が叫ぶと同時に、リィナが電光石火の動きで一真の背後に伸びた刃を弾き飛ばす。
「生きてたのか!」
「ああ、死に損なったんだよ! 行くぞ!」
だが、再会の喜びを噛み締める余裕など微塵もなかった。
悠真たちの前に立ちふさがったのは、かつて北部戦線を文字通り「消し飛ばした」悪夢そのものだったからだ。
「あら……お久しぶりね。
逃げ足だけは速いから、
二度と戻ってこないと思っていたわ。
けれど、自分から死にに来るなんて、本当に滑稽ね」
リシュヴァが艶然と微笑む。
彼女の周囲でうごめく三つ首の巨蛇が、
一斉に細い舌をチロチロと出し、
獲物の恐怖を確認するように蠢いた。
「……っ、相変わらず、
吐き気のするプレッシャーだにゃ」
リィナの指先が、
恐怖と嫌悪でかすかに震える。
かつて、
その変幻自在な影の攻撃に翻弄され、
生き延びるのが精一杯だった相手だ。
ドォォォォン……!!
地響きとともに、
巨躯グローデンが岩山のような腕を振り上げた。
「衝撃波が真っ直ぐ来るぞ、
退けえええっ!」
一度戦ったからこそ分かる、
その予備動作。
悠真の怒号に合わせ、
全員が即座に散開する。
直後、
目に見えない圧力が一直線に走り、
大地が爆ぜた。
「っ、なんて馬鹿げた威力だ……!
これをたった一人で放つのかよ!」
健吾が砕けかけた盾を必死に構え直す。
戦況は依然として最悪だが、
絶望一色ではなかった。
一真、美咲、健吾。
そして悠真、リィナ、セレス。
選りすぐりの戦力が揃い、
持てる技術のすべてを注ぎ込んで、
ようやく「二人の魔将」の猛攻を凌げるかどうかという綱渡りの戦いが成立していた。
「地面!影が来るぞ!」
悠真の警告が飛ぶ。
「ちっ……煩わしい小蝿ね」
リシュヴァが不快げに口端を歪める。
狙いを見透かされた影の鎌が、
跳ね上がると同時にセレスの多層結界に激突し、火花を散らす。
間髪入れず、グローデンの背から放たれた無数の棘が襲いかかるが、それを美咲の放つ高圧の水弾が空中で叩き落とす。
「くそっ……防ぐだけで精一杯か……!」
悠真は槍を握りしめ、歯を食いしばる。
(だけど……さすがは一真たちだ。
この化け物相手に、
これだけ渡り合っている。
勇者の加護、
その一点に特化した力は伊達じゃない……!)
バルザークの時はなす術もなく蹂躙された。
だが今、この六人が連携を繋げば、
魔将相手でも『戦い』として成立している。
しかし、感心している暇はなかった。
魔将たちの底知れない魔力は、
冷酷に彼らの限界を削っていく。
必死に連携を繋ぐ六人。
周囲を取り囲むのは、
嘲笑う二体の魔将と、
地平線を埋め尽くす魔物の大軍。
包囲網は、じわじわと、
だが確実に狭まっていた。
その時だった。
戦場の空気が、一瞬にして凍りついた。
戦意も、殺意も、
すべてを上書きするような絶対的な「異変」。
リシュヴァが、そしてグローデンが、
同時に動きを止めて「北」の空を凝視した。
「……あら」
リシュヴァと三つ首の蛇たちが、
同時に邪悪な弧を描いた。
「終わったみたいね。
……世界で一番、『余計なもの』が」
不吉な予感に、
悠真の背筋に冷たい汗が流れる。
次の瞬間――。
遙か北の果てから、
天を衝くような漆黒の衝撃波が世界を駆け巡った。
第103話、最後まで、ご覧いただき本当にありがとうございます。(^^)
リアクションd(^^) もたくさんいただいて嬉しいです! ありがとうございます!
次回は、
第104話『北部最奥、神話の終焉』
「グオォォォォン!!」
ドルクと一体化した巨大肉塊が、
空飛ぶ竜の一体を捕らえ、
そのまま自らの肉体へと「縫い付け」た。
「ギャアアアッ!」
生きたまま、竜が肉塊の壁に埋め込まれていく。その絶叫も虚しく、竜の生命力はドルクの動力源へと変換され、肉の塔はさらに禍々しく肥大していった。
「貴様ぁぁッ!!」
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