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3-3-1 新しい目覚め ①

本日3話目の投稿です。


     3


 小川の中で遊んでいる子どもが二人いる……。

 一人は中学生ぐらい、もう一人は幼稚園ぐらい。

 年の離れた兄弟だろうな。よく見えないけど、面差しがなんとなく似ているし、兄貴がきゃあきゃあはしゃぐ小さい子を楽しそうに面倒見てる。

 小さい子が岸辺に手を振ったら、両親らしい人たちも手を振り返してた。

 微笑ましい、家族団らんの図だ。

 ああ、いいなあ…あんなころが俺にもあった。

 母さんは少し心配性で、俺が実家を出るときは身体に気ぃつけて、いつでも帰って来てええんやからねって。

 大人になって、社会人になっても同じだった。玄関でいいよって言ってもいつも駅までついてきて、電車に乗る前に必ずもう一回同じことを言うんだ。

 父さんは無言だけどいつもついてきて、でもじっと見送ってくれてさ。

 兄貴は数駅先に住んでいて、飯はちゃんと食ったのか、いつでも食いに来いって……。俺が大学生になって初めて一人暮らしを始めたころからやっぱり同じ。社会人にもなって、結婚してる兄弟のとこにそんなしょっちゅう行けないってば。

 家族団らんしている人たちが遠くになっていく。

 手をつながれている子に、母親らしい人が笑いかける。

 不意に頬を撫でられた感触がした。

 いつも少し荒れていた母さんの手のひら。

 なんだかひどく懐かしいそれを感じていたら、その手から強烈な悲しみの感情が伝わってきた。

 お線香の香りが漂う部屋の中……。冷たくなった俺の顔の上に降りかかる、暖かな雨のような涙と湿った嗚咽を感じる。

 帰れなくてごめん……。

 泣かないでほしい。

 俺は大丈夫だよ、だから泣かないで。

 お願いだよ。泣かないで……。

 ああ、川が遠くなっていく。

 家族らしかったのに、どうしてあの小さい子だけあの中にいなくなってしまったんだろう。

 ふと視界が低くなった違和感に気づいて自分の手を見たら、ふくふくとした幼いものになっていた。

 子ども? どうして俺が子ども?

 慌てて声を上げて手を振ったけど、あの人たちは俺に気づかない。

 小川に入ろうとしたら急に流れが速くなって、怖くて足を引く。

 どうしても向こうへは渡れない。

 あの人たちが帰ってしまう。

 待って、置いて行かないで!

 叫んだはずの声は、俺の知ってるものじゃなかった。

 川の音がどんどん大きくなる。

 怖いよ。小川だったはずなのに、どうしてあんなに向こう岸が遠いんだ……!

 ――ふと、美しい笛の音が響いて、水色の蝶が俺の視界をよぎった。

 思わず追いかけて捕まえようとした手をひんやりした大きな手に握られて、おでこにも手が乗って優しく頭を撫でられる。

 母さんの手じゃない……?

 それを自覚した瞬間、俺の周りに人の気配があることに気づいた。


「そろそろ起こさなくてもいいのか?」

「大丈夫。自然に目が覚めるまで放っといてあげて。もし出発する時間になっても起きなかったら、僕が運ぶよ」

「ねえ、お湯が沸いたわよ」

「了解。今行くから待ってて。もうピルさん、目覚ましの笛はいらないって言ったのになあ」


 頭に手を乗っけてる人以外がざわざわと遠ざかる気配がして、……うん。朝っぽいな? そして状況を把握した。

 まだちょっと重苦しい瞼を開けたら、頭に乗っていた手がそっと頬というか俺の目尻を拭って、俺の顔をのぞき込む女神のように美しい男の顔が見えた。

 黒衣の魔剣士、ルーファスネイトだ。

 この人のことを知らなかったら、今度こそ死んで天国に来ちゃったかと錯覚するよな……。

 っていうか、本気で目が覚めた。この顔面は、朝一番に目にするにはまぶしすぎて辛い!


「起きたか」

「えーと…おはようございます…?」

「うん。おはよう」


 握ったままだった俺の手を離して微笑んだルーファスネイトの周りに、ふわっと闇と水のマナの蝶が踊った。

 現実離れした光景に目を細めたところで視界が潤んで、たらっと目尻から雫が流れ落ちる。あれ?

 なんだこれ、涙…?

 ルーファスネイトの表情は変わらない。

 でも革手袋を外した白くて長い指が、また俺の目尻と頬を拭った。泣くつもりはなかったし、泣いてる自覚もなかったのに。

 あれ、胸が痛い。心臓じゃないよな。

 ひっ、ひっとしゃくり上げながら胸を押さえて、そこにしこりのように残った気配を洗うような涙を何回も瞬きで追い出す。

 なんだ、俺、悲しいのか? それとも淋しい?

 身体と自分の感情が合わない気がしておかしい。


「サトル。おまえは一人ではないぞ」

「………」


 そう言ってまた指で涙を拭って穏やかに微笑むルーファスネイトの言葉が、深く俺の中に響いた。

 なにか言いかけた唇が震える。いや……なにか言おうとしたつもりはなかった。

 でもルーファスネイトはそう思ったんだろう。

 声を聞こうと俺をのぞき込む黒衣の肩口を、マナが浮かぶほど豊かな闇の魔力で満たされた紺色の長い髪が滑る。さらさらと砂がこぼれるような音を聞きながら、俺はじんわりと頭の中心に広がる痛みを感じた。

 昨夜はいやがってそらしていた、あの美しい夜の空のような目が、今はまっすぐ俺を映す。

 そこに見えたのは、銀色の髪をした不安そうな顔の子どもだ……。俺の顔じゃない。

 ――俺じゃない。

 でも、瞬きをしたのは確かにこの子どもで、泣いていたのもこの子どもで、じゃあ俺は………。

 俺は…どんな顔をしてたっけ……?

 また笛の音が響いた。霧で閉ざされた世界の隅々まで響き渡るように鮮烈な音色が俺の頭痛を打ち消して、沈みかけてた思考がふっと鮮明になる。

 あれ、俺、どうしたんだ? えーと……そうだ。今起きたんだった。

 なんだここ…テントの中? 防水処理をしてる生成りの薄い生地の向こうに木漏れ日がちらちら映ってる。

 それに、あれ? 闇と水だけじゃないな。光…土、風? 火のマナも少し、それぞれ好きに舞ってる。

 蝶の形だけじゃない、小さな光の球みたいになってるのもたくさん。

 目がチカチカしてきた。

 え? え?? なんだこれっ?

 まぶしい! 目が痛い!!


「いッ」


 怖くなって起き上がろうとして、そうだった! ケガがまだ治りきってないんだ。


「掴まれ。力は入れなくていい」


 まだまだあちこちが痛んで、俺はルーファスネイトの腕を借りながらぷるぷるとどうにか身体を起こしてもらう。

 あれ、すっぽんぽんだ!

 服だって、言いたくないようなものでひどい汚れっぷりだったしな…はは……。いや、笑い事じゃないぞ、俺。


「ううぅ…!」


 っていうか、今は裸なんてどうでもいい! チカチカするマナの光のせいで痛いのとめまいが辛くて唸りながら、昨夜のことを思い出す。

 あのあと、歩き出して……うん、歩き出して、それから……どうしたんだ?


「俺…俺、昨夜は…?」

「どこまで覚えているのだ?」

「いっしょに歩いてたところまではたぶん」

「そうか」


 だめだ、マナがふわふわしてるだけじゃなくて、謡ってるときみたいに人の耳じゃ聞こえないはずの精霊の囁きまでざわざわ感じて、目を開けても閉じても辛い。

 うわああ、目をつぶってるのに見えるの怖い!


「それは見なくて良い。俺の手とマナに意識を集中してみろ」


 ふっと視界が暗くなる。ルーファスネイトのひんやりした手のひらが覆ってくれたんだ。

 閉じた視界にも蝶の形にまでなったマナは入り込んでたけど、その蝶が塗り変わるようにすべて闇のものになり、ゆっくりと、穏やかに舞うのを見ていたら高ぶっていた俺の神経を静めてくれた。

 でもざわめきが残ってる。

 笑ってる? 怒ってる? 高いもの、低いもの、性別も種別もなにもわからない!


「サトル。息を止めるな」


 背中を支えてくれる腕が俺を自分の胸元に引き寄せて、キンっと水晶の鈴が鳴るような音が響く。辺りの空気が一瞬で塗り替えられた。

 ルーファスネイトのスキル、支配者(ドミネーター)だ。でも、昨夜のように怖くはない。

 なんだか夜明けの海辺で、ひんやりと気持ちのいい空気を感じてるみたいだった。

 見た目の印象よりしっかり胸筋のある胸元に耳を押し当てられてるからだな。とくん、とくんと穏やかな鼓動が聞こえる……。

 見た目が綺麗すぎて人間離れしてるけど、この人もちゃんと生きた人間なんだって安心した。

 俺より低い体温が今は気持ちいい。低体温は身体に良くないそうだから、身体をあっためるようにした方がいいんじゃないかな……。

 だんだん意識がぼんやりとしてきて、また眠りに落ちかけたんだけど。


「!?」


 なんと、そのままいい声で歌い出されて、ばちっと目が覚めた。

 え、これルーファスネイトだよな? 子守歌だと…!? しかも上手い。

 でも、残念。眠くなるどころか、完全に目が覚めたよ!

 あ、ステータスアイコンが反応した。

 俺は子守歌を覚えたようだ。

 そのまましばらく聞いていたら、あの大小様々で聞き取れなくて辛かったざわめきが、すっかり消えてなくなっていたことにやっと気がついた。

 それはよかったんだけど、大真面目に歌ってる声を聞いてたら、なんだかだんだんおかしくなってきて、とうとう笑ってしまう。


「……ん? なにか面白かったか?」

「あはは…ううん。おかげで楽になった。ありがとう」


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