子爵令嬢・後編
ヒロイン視点後編。ラストです。
残酷と言うかグロ描写注意。
寒気を必死で無視しながら、明るい廊下を進み、室内だけでなく中庭や裏庭も見せてもらった。
……うん、どこにも抜け出せそうな場所はない。せめて殿下の使った隠し通路とか、何かがあった時のための避難経路くらいは教えてくれるべきじゃないの? だって私はもう彼の妻で、この屋敷の女主人になったんだから。
そこのところを突くと、やっぱり笑顔で爽やかに拒まれる。
「心配はいらないよ。僕が在宅中は必ず君の側にいるし、不在の時は侍女がついていてくれるから、いざとなれば彼女たちの後をついて逃げればいい」
「でも、それは私一人の時間は持てないということでしょう? いえ、殿下とご一緒するのはとても嬉しいことですけど、時々お買い物に行くとか、お友達とお出掛けしたりとか……」
「買い物なら商人を呼べばいいし、どうしても店に行きたいなら僕が一緒に行くよ。その他のお出掛けも、僕に教えてくれればどこにでも連れていくからいつでも言って? それと、僕はもう殿下ではないからね」
「そんな……いくら夫婦でも、それでなくともお忙しい殿下、いえ旦那様のお時間を独占するだなんて。それにほら、旦那様がご一緒となると、お友達もやっぱり恐縮してしまいますから……」
「でもねえ、君の『お友達』はもう、簡単にお出掛けできるような状況じゃないでしょう? 例の通り魔とやらに傷つけられたり殺されたりで、生きてはいても酷い目に遭ったそうだよ」
「……え……」
何それ、知らない。
言われてみれば確かに、学園で私を取り巻く輪は、ここしばらくで小さくはなってきていた。
私が個別にデートをした美形モブばかりが欠けていき、どうしたのかとは思ってはいたけど。言われてみれば確かに、「通り魔が……」みたいな噂はあったような気がするけど、どうして誰も何も教えてくれなかったわけ? 被害者と同じ取り巻きのみんななら、そうしてくれたってよさそうなものなのに……
「まあ、君の耳にそんな残酷で血生臭い話は入れたくなかったんじゃないかな。優しい君が、『大事な大事な『お友達』が、両手を切り落とされて唇を削がれて、生きてはいてもまともに生活が出来なくなってしまった』なんて話を聞いたら──」
「いやあっ!! そんな、そんな話聞きたくないっ!!」
あんまりな話に両耳を押さえてしゃがみ込むけれど、殿下──新婚の旦那様は隣に腰を落としてきて、信じられないほど優しい口調で続けた。
「でも、それで済まなかった者もいるんだよ? 特に君が親しくしていた、魔術師長の息子と宰相の元嫡男。二人は他にも局所と舌を切り取られて、散々に苦しんだ挙げ句に心臓を一突きされたんだ。騎士団長子息も一度は逃げられたけど、やっと昨夜追い詰めて、同じ目に遭わせてあげたよ」
──同じ、目?
頭が真っ白になった。
この人は、今、何を言ったんだろう。
同じ目……遭わせてあげた、って……
伏せていた顔を上げて旦那様を見ると、やっぱり普段と変わりなく、それはそれは綺麗な微笑を浮かべている。
「ああ、顔色が良くないね。続きは部屋に戻ってからにしよう」
──呆然としていた私は、気がつけば夫の手を取り、元の部屋に連れてこられてしまった。
ぽすん、と座り心地のいいソファに座らされ、すぐ隣に彼が腰を下ろす。
そして、当たり前のように肩を抱いてくれるけれど、感じるはずの温かさはどこにもなく、むしろ酷い悪寒を感じた。
長袖の上から鳥肌に覆われた腕をさすると、ザ・王子様な顔立ちが、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「寒い? 廊下の床に座り込んだせいかな。お風呂で温まるか、ベッドで──」
「いえ、大丈夫ですから! それより、その……」
「うん?」
「あの……つ、つまり。その『通り魔』の被害者は、全員……?」
「そう。君が、デートしたり、キスを交わしたりした男たち。殺されたのは、ベッドをともにした相手だね。本当なら、君に触れた全身の皮膚を剥がして、焼き払ってやりたいくらいだったんだけれど、それだと身元が判らなくなって警告にならないから諦めたんだ。──僕のものである君に近づいたら、こんな風になるよ、ってね」
「ひぃっ……!!」
悲鳴を上げるものの、目の前の美貌は全く揺らがない。だからこそ、恐ろしくて仕方ない。
彼の言い分は、「私に近づこうとする男に対する警告」だけど、それだけじゃない。こんな風にあえて私に聞かせるってことは、むしろ「他の男に近づこうとする私への警告」だ……!
「ごめんなさい、ごめんなさいっ! もう、もう他の男の人とデートしたり、二人だけで会ったりなんかしないから! そんなことをした私が悪かったの! だから、お願いしますっ! どうか、どうか許してぇっ……!」
「嫌だなあ。どうして君が謝るの? 君が可愛くて美人で魅力的なことは、別に君の罪じゃないでしょう。そんな君に他の男が惹き付けられるのは当たり前なのに、それをどうしても我慢できない僕が悪いだけなんだよ? だから、謝るべきは僕なんだ。ごめんね」
──「ごめんね」というだけの短い響きが、こんなにも恐ろしく聞こえることがあるなんて、何があっても知りたくなかった。
怖い。この人、とにかく怖い! どうしよう。結婚したばかりだけどすぐ逃げたい……!
誰でもいい。助けてほしい。贅沢は言わないから、御礼はどんなことでもするから、誰か──!!
震えが止まらないまま、内心で必死に助けを求める私の横から、不意にすっと立ち上がった彼は、壁際に置かれたチェストに近づき、その上にあった猫の置物をとても大事そうに手に取った。
……何だろう、あれは。彫刻……じゃないか。剥製ってやつかな? 彫刻にしては、色も形も生きてるみたいにリアルだから……一体誰が作ったんだろう。
現実逃避気味にそんなことを考えていると、やっぱりどこまでもにこやかに、私の旦那様は剥製を手に元の場所へ戻ってきた。
「それは……?」
「可愛いでしょう。触ってみる?」
「い、いえ。見るだけで結構です」
可愛いと言えばそうかもしれないが、むしろ色々とリアルすぎて、とてもそんな感想にはならない。
それに、このタイミングでどうしてわざわざ、この猫を持ってきたりしたのか、気になってはいる。けど知りたくないし、知ってはいけない予感がしてならない。
でも、私の希望などお構いなしで、旦那様はちっとも変わらない笑顔で話し始めた。
「この子はね。僕が昔、叔父のところで生まれた一匹をいただいたんだ。ペットと言うとそうなんだろうけど、僕としては初めて会った時から可愛い妹みたいに思えてね。ほら、元婚約者の従妹はいるけど、彼女は何と言うかとてもしっかりしていて、むしろ姉みたいだったから」
「はあ……だから、その子を妹みたいに可愛がっていらした、と?」
従妹と言うと確か、第一王子ルートの悪役令嬢だ。いや、確か「公女殿下」って呼ばれてたから悪役姫?
ゲームでもこの世界でも、他のゲームみたいにあれこれいじめてはこないけど、その分マナーだの何だのに物凄く口うるさくてしつこくて、「アンタはどっかの姑かお局か!」とか叫びたくなるくらいウザいキャラだった。確かに間違っても「可愛い妹キャラ」じゃないよなあ……ま、ヘイトを溜めるって意味ではいいキャラだったけどね。ヒロインの私が悔しくなるくらいの美人なんだから、もっとお姫様らしくおっとりのんびり微笑んでればいいのにねー。ホント勿体ない。
……って、悪役姫のことは今はどうでもよくて。
「うん。でも、数年くらい経ってからかな。彼女はどうしてか、僕じゃなく弟の方になつき出したんだ。当の弟は猫アレルギーだから、むしろ逃げ回っていたんだけど、それでも彼女は彼の後を追いかけ続けていて」
「そ、そうなんですか……」
……何だろう。どうしてか分からないけど、これ以上ないくらい居心地が悪い。
別に私のことが話題ってわけじゃないのに。私はその猫みたいに、嫌がってる人に無理強いしたことなんて……
──不意に頭をよぎった、大好きだった幼馴染みの顔を振り払いたくて、ぶんぶんと首を何度も横に振る。
「どうしたの? 退屈な話だったかな」
「あ、いえ! それで、その子はどうなったんです?」
「どうなったと思う?」
「えーと……そうですね。そうやって剥製になってるってことは……言いにくいですけど多分、何かの拍子で亡くなってしまったから、生前を偲んで作らせたということでは?」
「正解。ちなみに、この子は僕が殺したんだ」
「────え」
あまりにあっさりと、当然のように言われたせいで、理解と反応が遅れた。
「だから、僕が殺したんだよ。飼い主の私の側にいながら、弟を恋しがって鳴いたり壁を引っ掻いたり、とにかくうるさくて。だから嫉妬や何かでどんどん積み重なったイライラが、限界に来たんだろうね。……それで、気がつけば──」
引っ掻き傷だらけの手の中で、猫は完全に息絶えていたという。
「飼い主として、酷いことをしてしまったと思う。でもね、同時にこうも思ったんだ。──これでこの子は、僕の側から逃げずに、ずっと一緒にいてくれるって」
──そう言った、笑顔は。
まるで天使かと思うほどに無邪気で神々しく、一切の汚れのない代物で。
他の時だったなら、間違いなく口を開けて見とれてしまいそうな、とにかく美麗なその表情が、私の全身から完全に血の気を奪った。
「あ……あ、の……」
「だから、こうして剥製を作ったんだ。もとの可愛い姿を、ずうっと保っていられるように。……でもやっぱり、可愛い仕草を披露したり、可愛い声で僕のことを呼んでくれないのは寂しいんだけれど。……だから、ね? 君はこのまま、一生を僕の隣で、生きていてほしい」
──でなければきっと、私は君を殺してしまうよ?
そんな声が聞こえたのは、幻聴だったか、それとも──
「ねえ。約束してくれる?」
──嫌だ。逃げたい。こんな恐ろしい男と一緒に長い人生を送るなんて冗談じゃない。
でも、でも。もしも逃げようとしたら、私は──
完全に追い詰められた私は、しかしふと閃いた。
──そうだ! この世界はゲームだった!
それならどうにかしてリセットすれば、極端な話ヒロインが死んだりすれば、きっとまたやり直せるはず!
……でも、目の前の男に殺されるのだけは絶対に嫌だ。私とただデートしただけの男を傷つけ、体の関係を持っただけの相手は口にするのも恐ろしい目に遭わせたんだもの。
だからここは、おとなしく言うことを聞いて、隙を見て何とか楽な死に方を選ぶんだ。
そう決意して、私は何とかこの場をやり過ごし、一人きりになったその夜、窓から飛び降りて命を絶った。
──そして、次に目覚めた時。
私は確かに生きたまま、制服姿で、王立学園の校門前──じゃなく、パステルカラーのドレス姿で、何故か王宮の門前に立っていた。
「……あれ? これ、オープニングじゃない……どうして……?」
きょろきょろと辺りを見回していると、聞いてはいけない声がした。
「ああ、来てくれたんだね。嬉しいよ」
そう。逃げたはずの第一王子が、いつもの優雅な笑みと足取りでこちらに近づいてくる……!
「ひ……!? で、殿下。どうして──!!」
「えっ? これから僕のお茶会だよ。まさか忘れてしまった?」
首を傾げる王子は、確かにあのイベントと同じ姿で……
(嘘、嘘っ! そんな、まさか、リセットじゃなくてイベント直前に巻き戻っただけ!? じゃあ、私は──)
「さあ、行こう。君の大好きなお茶とお菓子を取り揃えてあるよ」
イベント開始と全く同じ王子の台詞に、断る選択肢なんかあるはずもなくて。
……私はふらつく足取りで、彼のエスコートに従うしかなかった。
この後に待ち受ける展開を考え、心の底からの絶望を覚えながら。
──そんな私の姿を映す、どことも知れない空間のパソコンのモニターには、明らかなエラーメッセージが表示されていて。
それを読み上げる機械的な声は、ヒロインの耳には決して届きはしなかった。
『──ヒロイン死亡。規定外の事態により、ルート進行不能。
最新セーブデータを強制起動します──』
お読みいただきありがとうございました。
自殺しても逃げられないループになってしまったヒロインですが、二度目以降はどうするのか。
夫の寝首を掻くか、隠し通路を探して抜け出す方向で行くのか、性懲りもなく自殺に走るか。三つ目は勿論、前二つも成功の見込みは限りなく薄いです。成功したとしてもその後に頼れる場所はなく、実家は遠いので、道中で追手か悪漢に捕まるでしょう。仮に無事に帰り着いても、しっかり追手の手が回っています。
寝首を掻いていれば公爵を殺した犯罪者として裁かれ処刑、そしてループ(シナリオ内のバッドエンドとは違う「規定外の事態」なので)。ただ抜け出しただけなら屋敷に連れ戻されて、軟禁から監禁にグレードアップされます。足の腱くらいは切られそう。勢い余って夫に殺されてもやっぱりループ。
ちなみに規定内の逆ハーバッドエンドは、以下の通り。
全員の好感度がカンストしていない→一番好感度の低い攻略対象に素行その他を断罪される
好感度カンスト(フラグ不完全回収)→悪役令嬢全員による暗殺
今回のヒロインは後者扱いになりますが、令嬢たちに彼女を排除する意思も機会もないので完全に詰み。
何にせよ、ヤンデレ夫からは絶対に逃げられないヒロインです。