4.美しい人
用意してもらった部屋は、私なんかには勿体無さすぎるものだった。
ドアを開けて最初に目に飛び込んで来るのは、客間に負けず劣らずの気品あるインテリアの数々。
この部屋もアルシュトゥスさんが選んだ家具や絨毯でコーディネートされているのだろう。私室として使う分、落ち着いて過ごせるダークブラウンの木製の家具が目立つ。
ロンに届けてもらったリュックはソファに置いて、教室一部屋分は余裕で超える広さの空間を観察していく。
「うわ、隣にも部屋がある」
もう一つドアを開けてみると、そこにはどう見ても寝心地の良さそうな大きなベッドがあった。という事は、ここは寝室なのだろう。
試しにそっとベッドに座ってみると、やはり凄い。本当に凄い。
そのまま吸い込まれるように仰向けに寝転がると、もうここから起き上がりたくないという感情に身体が支配されそうになった。
「今日からこんなふかふかのベッドで寝られるなんて……私の異世界ライフ、最高のスタート切りすぎでしょコレ……」
質の良い睡眠をとるのは身体的にも精神的にも重要だ。だからこの寝具はとても満足だと言えるだろう。
けれど、そんな生活も私の男装がバレれば終わってしまう。下手をすれば人生まで終了するかもしれない。
これは私の男装が知られないようにしながらギルドで働く事を条件に、元の世界への帰還方法探しと衣食住を提供してもらえるという、ハイリスクハイリターンな異世界男装生活なのだから。
名残惜しいけれど、このまま寝転がっていては夕食の時間に寝過ごしてしまいそうだったから、渋々身体を起こす。
「もうちょっと色々見てみるかな」
寝室には大きな本棚が一つあった。
しかし、今日まで空き部屋だったせいか中身は空っぽ。同じくクローゼットも空だった。誰かに言えば色々用意してもらえるのだろうか。
そうして一通り部屋を確認した後、私はソファに腰を下ろす。
さっき畑でレベルアップしたから、何かの能力が解放されているかもしれない。
「何か習得出来る魔法は……っと」
アプリを起動し、ホーム画面を操作する。
リスト一覧から能力解放と表示されている箇所をタップすると、画面が切り替わりリストが出て来た。
元から覚えていたらしい異世界言語理解と異世界適性のスキルは習得済みと表示されていて、そこから下に並ぶ能力が順に解放されていくらしい。
******
解放済み
・異世界言語理解
・異世界適性
・充電 解放
未解放
・洗濯
・魔力感知 LV.1
・???
・???
・???
・???
…………
******
今回は充電のスキル? が解放されたようだ。
充電といったら、やはりスマホの充電だろうか。それはありがたい。スマホが使えなくなったらこのアプリの意味が無いものね。
未解放の欄は途中から「???」がずっと続いていて、ある程度私の能力がアップしていくと徐々に名前が分かるシステムなのだと思う。
洗濯はこんなファンタジーな世界ではかなり便利な能力だろうし、魔力感知なんてものも今後必要になるかもしれない。これは他の能力のレベル上げにも力が入りそうだ。
ふむ。充電にはレベル表記が無くて、魔力感知には表記がある。レベルが上がるとより感知性能がアップする、といったところだろうか。こういう仕様はゲームっぽくて何だかワクワクする。
暇な時にエミルさんやロンに何か教えてもらおうかな、と考えていたところで鐘が鳴った。夕食の合図だ。
どうにか迷わず食堂に辿り着くと、既にアルシュトゥスさんとロンが着席していた。
雑談していたらしい二人は、私の到着に気付いてこちらに顔を向ける。
「来たか、レン」
「好きな場所に座ってくれよ。何ならオレの隣にするか?」
「うん、ありがとう」
ロンの隣にお邪魔して、テーブルの上に目をやる。
並べられた皿の上には出来立ての料理が盛られていて、ふわりと立ち上る湯気と良い匂いが食欲を刺激する。そのどれもが温かみがあるというか、家庭的な料理のようだった。
アルシュトゥスさんは派手な人だから、てっきりとんでもないご馳走が並ぶものかと思っていたから、ちょっと意外かも。
「アナスタシアの作るメシは超美味いんだぜ! 絶対お前も気にいるよ」
「あら、嬉しいコト言ってくれるじゃないの」
私達の会話に入って来たのは、とても華やかな印象の人だった。
小さなパンを入れた籠を抱えて、その人は背後に薔薇でも散らしているのではないかと錯覚しそうな色香を漂わせながら、ふっと微笑んで言う。
「初めまして、レン。アタシはアナスタシア。ここで働かせてもらってる魔導師よ。アルから話は聞いてるわ。今日から宜しくね」
「こちらこそご迷惑をお掛けしてしまうかと思いますが、どうぞ宜しくお願いします」
アッシュパープルのロングヘアーが美しいアナスタシアさんは、なるほど男とも女とも言える美貌の持ち主だった。
女性的な物腰の柔らかさと穏やかな雰囲気。
透明度の高いアクアマリンのようなライトブルーの瞳は、最早一種の芸術品とも呼べる域に達している。
今にもその眼に吸い寄せられてしまいそうな魔性を放つアナスタシアさんに、ある種の恐ろしさすら感じてしまう。アルシュトゥスさんの有無を言わせぬ迫力のある瞳とはまた違った魅力があった。
一方で、籠をテーブルの中央に置いたその手指は、間違いなく男性特有の大きな手だ。
けれどもしっかりと手入れの行き届いたその手や爪はとても優美で、きちんと整えられた身嗜みもあって、こうして立っているだけで華があるのだ。
ついさっきまで料理をしていたのか、エプロンを身に付けたままのアナスタシアさんは髪を束ねていた。腰よりも低い位置で結ばれた黒いリボンと、艶のある長髪が小さく揺れる。
お昼に頂いたクッキーもアナスタシアさんのお手製だったのだろう。テーブルに並んだサラダやスープ、ロンが調達して来たであろう魚を使った蒸し料理は見た目からして美味しそうで、きっと料理が得意な人なのだろうと感じた。
「お手伝いありがとね」
すると、奥からエミルさんがやって来た。彼もエプロンを付けている。
「いえいえ、簡単な事しかお手伝い出来ていませんから……」
「皆揃ったな。アナスタシア、エミル。貴様らも席に着くが良い」
アルシュトゥスさんに急かされた二人は、手早くエプロンを外して着席した。
その間、私は今日朝食を抜いていたのを思い出した。少し道に迷い、撮影会に間に合いそうになかったせいだ。
あのクッキーしか食べていなかったせいだろう。眺めているだけで食欲を刺激する料理を前にして、私のお腹はぐうぅ~っと唸り声を上げる。
「わわっ、す、すみません……!」
慌ててお腹を押さえて謝るも、聞こえてしまったのは確実だ。
私の向かいの席に着いたアナスタシアさんは、そんな私の反応を見てクスッと笑う。
「良いのよレン。そんなにお腹を空かせてくれているんだから、残さずきちんと食べ切ってくれるんでしょう?」
「……お、お腹が空いてるのは事実です。勿論、残すだなんて真似はしません! 全部美味しく頂くつもりです!」
「あらあら、そう言ってもらえて嬉しいわ。アタシの自慢の手料理、たっぷり味わって頂戴ね」
「さて、またレンの腹の虫が鳴り出す前に食すとするか。食事をしながらこのギルドでの役割分担などを説明しようかと考えていたのだが、細かい話は後に回すとしよう。皆、それで良いな?」
「イエス、マスター」
「イエス、マスター」
「イエス、マスター」
エミルさん達は揃って返事をする。
これがマスターに対する了承の返答なのだろう。
「い、イエス……マスター」
私も少し遅れて言葉を返すと、上座からアルシュトゥスさんがニヤニヤと見詰めてきた。
他の皆は暖かく見守ってくれているのだけれど、それはそれでじんわりと恥ずかしさが込み上げて来る。
分かったから。返事の仕方は覚えたから、とりあえず今の失態はどうか綺麗さっぱり記憶から消してほしい。切実に。
「すぐに慣れるから気にすんなよ、レン」
「ううぅ……ありがとう、ロン……!」
私より年下なのに励ましてくれる少年と、面白いオモチャでも見るような目を向けて来るマスター。
本当に大人なのは果たしてどちらなのだろうか、と心の中だけで呟く。
「さあ皆、どうぞ召し上がれ」
何事も無かったかのように自然と流してくれたアナスタシアさんに感謝しつつ、私達は出来立ての食事に手を伸ばした。