銀〈覚醒〉①
〈藍〉
七色機関仮本部は〈災厄〉を経て僅か半年で、さいたま市の中心部に建造された。
Einsの恩恵をフルに活用したのだろう。規模としては東京ドームに匹敵する元本部と比べても見劣りしない立派なものだ。
仮本部には、本来は分立される筈の開発課、教育課、派遣課が一堂に集められている。
ドーム型の元本部には些か及ばないが、仮本部は限られた敷地面積を高さで補っていた。
11月30日。
この日、〈七極彩〉を召集しての臨時会議が仮本部で開かれた。
結論から述べれば、召集などと銘打っておきながら例の如く〈緑〉は欠席。
朝方に集まり、昼過ぎまで会議は続いたものの、然程、有意義な情報は得られず、躍進の影も無く解散となった。
会議室と同じ階にある談話スペースにて、私とミニスは硬く張った筋肉を解そうと一息ついていた。
厚ガラスで埋め尽くされた外壁に面しており、見渡せば、建物や車道が入り乱れる街並を一望できる。
丁寧に磨かれた消炭色のラウンジテーブルは、置かれた缶コーヒーを逆さまに投影していた。
私とミニスは二対の丸椅子へそれぞれ腰掛ける。
「ふぁあ、やっと終わったー」
ミニスは両腕を振り上げ、背筋を伸ばしながら、臆面もなく欠伸を上げている。
「やれやれ、とんだ無駄足だったな」
私も深く息を吐いて、ミニスのだらけを見流していた。
「叶子さん、久しぶりです」
缶コーヒーに口を付けたところで、不意に名を呼ばれる。
「ミニスも久しぶり」
「おひさー」
精悍な顔立ちに真っ白い歯を覗かせ、爽やかな笑顔を浮かべている青年。
細身ではあるが、しっかりと鍛え抜かれた筋肉質なガタイは『ヒーロー』よりもアスリート選手に近い印象だ。
地毛である黒髪もまめに切り揃えているのか、社会人として模範的とも言える整いを見せている。
新品のようにパリッとしたスーツに、真紅の薔薇を連想させる色合いの無地ネクタイ。
「……灯真か。相変わらず胡散臭い完璧主義だな」
〈七極彩〉の〈赤〉こと赤神灯真は喜んでいるのか、落ち込んでいるのか曖昧な苦笑を作った。
彼は立ったまま、私達との会話を続ける。
「叶子さんの辛辣さもお変わりないようで」
「お前は誰にとってもその姿勢のままだろ?私は人を選ぶさ」
「これが僕の信条ですからね」
「ねーとうまー。〈永久切〉の捜索と確保って、本当にそんな苦戦してるの?」
既に会議内で結論付いていた事案を掘り返すミニス。
「会議で話した通り、〈永久切〉には僕と命琉……二人がかりで乗り出している。それなのに、いまだ足取りが掴めない状態だ。なさけないが後手後手に回っているのが現状だよ」
「データ見てたけど、あっちこっちに線が引いてあって、ぐちゃぐちゃだったもんね」
「うん、南下しているのは確かなんだけど。その道が蛇行しすぎている。南下自体に目的がないのか、それともカモフラージュなのか。その気になれば、東京まで一日で着ける距離だからね」
「被害者に共通点はないのか?」
「それが、まったく見当たらないんです。性別も年齢層も職種も家族構成でさえも散らばっています……いえ、強いて言えば斬殺、ですか」
「つまり、共通点がないのが共通点なんだな」
灯真は僅かに目を細め、首肯した。
「えぇ、そうです。ですから、僕は共通点の見当たらない条件下の検索を機関にお願いしていました。消去法による炙り出しですね」
〈永久切〉による犠牲者は判明している限りで16人。
性別などはどちらかに偏るが、ばらけた職種や年齢層などから逆算すれば、大まかにでも範囲を絞る事は可能だ。だが、それは可能なだけの話であり、とても実用的とは呼べない情報量を有する事だろう。
それでも、不可能を可能とさせるのが私達〈七極彩〉のリーダーとも名高い赤神灯真という人物ではある。
あるのだが……私は漠然と過った言葉をそのままの形で吐き出した。
「本当にただの無作為殺人だとしたら、そこに意味を求めるのは無意味だと思うがな」
共通点の皆無。が共通点。などというのは、ものは言い様だ。見つめ直せば、つまり、偶然の一言で片付く。
先の絞り込みとは、〈永久切〉が同じ系統の人間を殺さないと想定した上で通用する手段だ。
「僕もその見解で正しいと思っています。ただ……仮にもし〈罪色樹〉との接触が事実だとするなら、無意味の一言で片付けるのは危険ですからね。それに……当事者が自覚しているのかも定かではありませんが、これまで条件を被せずに人を選んで殺害できているのは明らかに異常です」
確かにな。と、私は心中、灯真に同意した。
「ヒーローとしての直感かい?」
「人間としての直感です」
〈永久切〉は僕達の認識している人間像からは外れた存在ですよ。と灯真は付け加える。
「どちらにせよ〈永久切〉の最終着地点さえ見定められれば、捜索も飛躍的に進展するのでしょうけど……」
「なぁ、灯真」
「なんですか?」
「〈永久切〉による犠牲者の中にヒーローはいるのか?」
「いえ、まだです」
ん。
ふと、灯真の言葉遣いに微かな疑念を覚えた。
正真正銘のヒーロー像を成し、完璧主義&正義超人として、色の頂点に君臨する赤神灯真が……果たしてそのような答え方をするだろうか?
私の知る彼なら、まだ。とは決して言わなかった気がする。
それではまるで、これからヒーローが〈永久切〉の犠牲になると、前提に据えた口跡だ。
いや、さすがに深読みのし過ぎだろうか。
嫌だな。どうもミステリー小説ばかり読み漁っていると、疑う癖が染みついてしまう。
私が黙り込んでしまうと、ミニスと灯真も揃って口を閉ざしてしまう。
会話の途切れが頃合いだと、蒼乃介は話していたな。
眼鏡を軽く押し上げ、この場をたたもうとした。
だが、私が声を発するよりも先に、胸ポケットに忍ばせていたiPhoneが『マリンバ』を奏で始めた。
「大臥からだ」
ホーム画面には押切区の赤の名が映し出されている。
「そうか、押切区は大臥君の管轄でしたね。元気そうですか?」
「まぁ、それなりにな」
しかし、通話を繋げば、押切区のヒーローは、先程の私の返答を裏切る語調を伝わせた。
「派遣課には連絡しましたが、押切駅のステーションビル三階にて〈永久切〉と接触しました。人的違反です。……〈永久切〉による殺戮が起きています。……すみません。追跡中ですので、切ります」と、一方的に告げて、通話は途切れてしまった。
一度目に〈永久切〉の単語が飛び出した時点で、私はスピーカーモードに切り替えていた。
七色機関に属する『ヒーロー』には独自の危険指標が総意の元に定められている。
Einsによって何らかの悪行が予想される状況を示す警戒態勢。
パターン『怪人』及び、過適合者の出現を意味する変身確認。
そしてEinsによる犯罪行為が起きてしまった場合の人的違反。
また、極めて特異なケースにのみ、専用の符丁が与えられもする。
これは私が〈七極彩〉に至ってから、見聞きした記憶は三度しかない。
ひとつめは〈災厄〉におけるシグナル・シルバー。
ふたつめは、元〈七極彩〉の〈紫〉であり、悪鬼の異名を持つ東雲紫於が発端とされる〈鬼祭り〉ことシグナル・オーガ。
そして。
数年経過していながら、尚も調査班が組まれている未解決案件……シグナル・シャドウ。
ミニスの父親であり、〈七極彩〉の初代〈橙〉を冠していたザッハ・ヴァリア・レイン殺害の一件を指す名称だ。
〈七極彩〉が何者かによって殺害されたという明確な結果を残していながら、一切の証拠を残していない。
未知なる危機について、七色機関は内部での解決に拘っており、シグナル・シャドウは最重要秘匿案件とされていた。
「まさか、この日を狙われていたのか?」
灯真の表情に険しさが灯る。
今度の〈七極彩〉召集について、直接的な言外は規制されていた。
ただ、ある程度の情報を得る耳があり、洞察力に優れた目を持つ者であれば、近く〈七極彩〉が一ヶ所に集結する先も読めるだろう。
だとしてもだ……。
その日を。
この11月30日の臨時会議を的確で看破するとなると、そこには七色機関側を一手上回る嗅覚が必要となる。
或いは、予知系統のEins過適合者か。
もしくは、単純問題……機関内に内通者が潜んでいるかだ。
では、内通者が潜んでいたと仮定した場合、一体、それは何と繋がっているかになる。
ここで浮上するのが〈永久切〉と〈罪色樹〉が繋がっているかも知れないという不確定要素だ。もしも、それが事実だったとするなら、状況は増して深刻さを帯びる。
……知り及ばない何かが起きつつあった。
「僕が向かいます」
私の黙考を断ち切って、灯真は告げる。
そして、彼は片腕を正面へ掲げ、あの言葉を口にした。
━━変身っ!!
紅蓮の光煙が灯真の全身から燃え上がり、頭髪の毛先が真っ赤に染まっていく。
鮮やかな深紅のマフラーがネクタイの結び目を覆い、後ろへと長く伸びていた。
「油断するなよ」
「えぇ、約束します。これ以上の犠牲者は出しません」
約束か……。
〈七極彩〉の〈赤〉が言い放つ約束には、その言葉自体が持つ意味を超えた安堵感があった。
灯真が駆け上がった色の頂は、誇張でも、裸の王様でも、ましてや生贄の羊などでもなく。紛れもなく、彼自身の実力が認められ、与えられた称だ。
……なのだが、なぜか不安を拭えない。
「とうまー、ふぁいとっ!!」
「ありがとう、それじゃ……行ってくるよ」
ミニスに見送られながら、灯真は力強く跳躍した。
分厚い窓ガラスをたやすく突き破り、高層ビルが林立するコンクリートジャングルを滑空していくヒーロー。
「……無茶苦茶だな」途端にビル風が室内へ流れ込み、前髪が激しく煽られた。
深紅のマフラーを引いて遠ざかる灯真の背中からは、緊急事態ですから。と言い訳が聞こえてきそうだった。
「叶子さん、あたし達も急いで戻ろっ!!」
「あぁ、そうだな」
瞬く間に視界から消え失せた〈赤〉が残す軌跡を目で追いながら、私は黙然と、ぽつぽつ浮かぶ疑いを思考の外へ弾き出していた。
〈茜〉
あの二人はどこへ向かった?
階段から移動したのは確かだ。
上か?下か?
思考を巡らせる。
視線を流せば、赤黒くかすれた手形が壁に線を引いていた。
階上へ伸びている。
「上……なのか」
一段飛ばしに駆け上がる。
微かに、菜子の呼ぶ声が聞こえた気がした。
だが、立ち止まる訳にはいかない。
不気味な静寂がビルの内部を包み込んでいる。
自分の足音だけが、反響して鼓膜に届く。
もしかしたら、大臥さんは既に〈永久切〉の拘束に成功したんじゃないか?
そんな淡い期待すら抱き始めていた。
昔、ステーションビルの屋上へ続く階段は立ち入り禁止の鎖で結ばれていた記憶がある。
「……この先か」
しかし、今この瞬間、俺の眼前で鎖は切断されていた。
注意深く観察すれば、傍らの壁面には焼き焦げた跡も見つけられる。
元々、屋上にどういった意図が込められていたのかは知らない。立入り禁止だったしな。
ただ安っぽい片開きの扉から察するに、これといった活用性は無かったのだろう。
貯水タンクのメンテナンスとか、それぐらいか?
本当にいくのか?
扉の取っ手を掴むと同時に、再度、自問した。
……今の日常と、消えた過去。
大切なのは、きっと。今のこのなにげない日々だ。
理性が、考え直せ。と囁いてくる。
Einsすら持たず、ただの学生に過ぎない俺なんかが、あの二人を追ったところで、何ができるのか?
けど、そうだと分かっていながら……ぐちゃぐちゃな感情が、俺の足を、腕を。前へ進めようとする。
その時。
━━痛烈な雄叫びが薄い壁を越え、俺は衝動的に屋上への扉を押し開けていた。
「大臥さんっ!!」
開けた視界には、飾り気のない灰褐色の床が広がっていた。
錆びついた鉄の柵がずらりと並び、遠くには電波塔の赤い先端が尖って突き出ている。
「……大臥さんから離れろ」
「おいおい、いいけどよぉ、これ、もう死ぬぜ?」
〈永久切〉と名付けられた少年が、そう吐き捨てる。
「茜君……逃げろっ」
息も絶え絶えに、大臥さんは声を絞り出していた。
屋上の中央で、二人の姿がまとまっている。
切断された大臥さんのEinsが隅に転がっていた。
〈永久切〉の軍刀が、大臥さんの胸を深々と貫いている。
大臥さんは両腕を斬り落とされ、膝立ちになって、口の端から溢れた吐血が顎まで線を引いていた。
「……離れろ」
〈永久切〉はせせら笑い、軍刀を乱暴に引き抜いた。
力なく、うつ伏せに倒れ込む大臥さん。
おい。
「で、俺、僕はどうすればいいんだ?今度はあんたが相手になってくれるのか?」
やめろ……。
「早く……逃げるんだ」
「あんたはもういいや。ばいばい」
「やめろっ!!!」
俺が叫ぶと同時に〈永久切〉は。右に握る軍刀をすっと大臥さんの首筋へ通した。
一拍置いて、迸る鮮血が、セメントを赤く塗り潰していく。
━━━━━っ!!!!!。
獣染みた咆哮が、俺の喉を震わせていた。
〈永久切〉が心底、愉快だぜ。と嘲笑している。
細胞が沸騰し、脳が灼かれる。
額を鷲掴む右手。指が皮膚に爪を立て、薄皮を千切ろうとしていた。
━━過適合者は皆殺しだ。俺が、全て、殺してやるっ!!
〈災厄〉の切れ端が、一瞬だけ、理性を突き破った。
視界が淡い光に包まれていく。
赤橙黄緑青藍紫とは異なる、銀色の輝き。
脳を煮る激痛を、歯の根を噛んで堪える。
頬がつり、目尻に皺が寄り、平衡感覚がぐらついた。
やがて、視界を遮っていた発光が薄れ、痛みが引いていく。
「これは……?」
気付けば全身が黒外套に覆われていた。スーツともマントとも言い難い……言うならば、コートか?
そして、右手には、見覚えのない一振りの日本刀が握り込まれている。
陽炎の如く刀身に揺らめく純銀の焔。
まさか、俺は変身しているのか?
Einsを介さずに?
「なーる、そういうことかよ。まさか、あんたも〈鬼の末裔 (オーガ・チルドレン)〉だったのか。っは!!滑稽だぜ!!最っ高に期待以上じゃねぇか。〈罪色樹〉には悪いけどさぁ、こうなっちまったら、もう我慢なんて無理だぜ」
〈永久切〉だけが得心したかのように、口の端を吊り上げて笑っている。
理屈は分からない。
だが、とにかく俺にはすべきことがあるんだ。
今だけでも、この変身……利用させてくれ。
「〈永久切〉……てめぇだけは絶対に許さねぇ!!」
「奇遇だなぁ。俺、僕もよぉ〈鬼の末裔 (オーガ・チルドレン)〉は大っ嫌いなんだよ。だからさぁ、大人しく斬って晒されてくれよ。なぁシグナル・シルバー!!」
━━━━━━━━2014年11月30日〈銀〉覚醒。




