第八話 黒い嵐
西セルディア王宮は、醒めない悪夢に叩き落されたような絶望の日々を送っていた。
「王妃様が崩御なさいました!」
「王女殿下が、まるで後を追うように――」
「王太子殿下までだと!? どうなっているのだ!」
毎日のように王族や貴族が死ぬ。明日は我が身と怯える者、国外脱出を図る者が後を絶たなかった。
聖女離宮が王宮内でも寂れた西外れに位置し、もともと使用人も少数だったことはかえって幸いだった。マクシムはさらに出入りする人数を制限させ、聖女を徹底的に隔離した。
(――ユリウスを北側国境に送っておいて良かったのかもしれん)
危険地に配属したことが、かえって功を奏したのかもしれない。その皮肉さに、マクシムは自嘲せずにはいられなかった。彼自身も他人との接触を控えるなど、最低限の対策はしているが、己もいつ疫病に侵されるかわかったものではないのだ。
どれだけ鍛え、武術を磨いたところで、病魔には無力なのだから。
そしてついに、恐るべき日が訪れた。
「だ、第三王子殿下が……お亡くなりになりました……!」
その凶報は、王宮中を震撼させた。
現国王は私室に籠城して何とか無事ではあったが、その代わり、王妃、二人の王女、そして三人の王子と、王の妻子すべてが瞬く間に命を落としたのである。
第三王子はまだ八歳という幼さで生涯を終えた。そしてこれにより、西セルディアの王位を継ぐべき直系の王子は全滅した。
となれば――
「王位継承権第一位は王弟殿下に……?」
あまりに多くの王侯貴族が死にすぎて神経が麻痺していたのか、「これで麗しき王弟殿下が玉座に近づく」と喜ぶ不謹慎な者も少なからず存在した。
だが、マクシムはその事実に体の奥底が冷えるような感覚に陥った。
――王族があまりに死にすぎている。
確かに疫病は国中に広まってはいるが、それにしてもまるで国王の妻子を狙ったかのようではないか。貴族連中で一家全滅まで行く家はさほど多くないというのに。
無論、宮廷医師たちの見立てでは病死とされている。状況を聞く限りでは死因に不審な点はない。だが、『鴉』であるマクシムは、その病も人為的に起こせることを知っている。
例えば、罹患者の使用した寝具を狙った相手に使わせる。
疫病で死んだ遺体に漬けた水を飲み物に混ぜる。
そうした手口で感染させようと思えば不可能ではない。同じ王宮内にいる者であればなおさら。
その重い事実が、マクシムの胸中をいっそう暗くさせていた。
「王弟殿下! 陛下の代わりにこちらの案件にご裁可いただけますか!」
王が私室に籠もっている間、廷臣たちの注目は自然と王弟ホノリウスに集まった。
「いや、私に兄上の代理権限はないよ。無論、相談ぐらいなら乗れるがね」
ホノリウスは決して出しゃばらない。ここで王に代わって権力を振るおうとする素振りすら見せなかった。だからこそ、廷臣たちはその清廉な姿に心を打たれた。
「では、是非ともお願いいたします……!」
感激に震える臣下の後ろから、さらに別の者たちも押し寄せた。
「王弟殿下、こちらもどうか!」
「私めも是非ご相談いたしたく!」
「ホノリウス殿下!」
群がる廷臣たちをホノリウスは無下にせず、にこやかに微笑んで応えた。
「そうだね、では順番に聞いて、後で私の方から兄上にお伺いしておこう」
もはや王弟の人望は揺るぎないものとなっていた。
神の祝福を受けたかのような麗しい姿に、柔らかな物腰。そして弁舌もさわやかで、知性のにじみ出る口ぶり。これでなびかぬ者などいようはずもない。
誰もが声には出さないものの、いっそ引きこもっている王が病にかかればと、不敬な考えを抱く者も少なくなかった。
ホノリウス王待望論が水面下で広がる中、ただマクシムだけが静かにその様子を観察していた。
優しげな声音で話す唇の端に浮かぶ、かすかな笑み。
穏やかに見つめる淡い瞳の奥に覗く、静かな炎。
それはただの温和な王子の皮が一瞬めくれた姿ではないかと、『鴉』は疑っていたのである。
そんな中、『鴉』は王に召し出された。
聖女がすでに熟睡している夜更け、『鴉』は音もなく王の私室に現れた。
「……『鴉』よ、おぬしは我が妃と子らの死をどう思う」
王は罹患を避けるため、部屋の奥に籠もっている。明かりもなく真っ暗な室内、衝立の向こうからくぐもった声で王はそう下問した。
「それは……大変いたましく……」
『鴉』は何とか哀悼の意を示そうとしたが、王はそれを遮った。
「そうではない。あまりに不自然ではないか」
「…………」
『鴉』は答えない。それを肯定と見なし、王はさらに続ける。
「のう、『鴉』よ、考えてみよ。我が子たちがすべて死に絶えれば、誰が最も得をする?」
その答えは言うまでもなく明白である。
だからこそ『鴉』は答えられない。黙って立ち尽くす王家の影に向け、王の声はさらに低く、重くなる。
「なぜ、あやつの一族は禍から逃れているのだ? 実に不思議、実に不公平ではないか」
実際、王がそう疑うのも無理のない状況ではあった。
最も得をする人間が、今や王宮の期待を一身に集めている。
そして――その本人のふるまいも、必ずしも清廉とは言い切れない。
「――過ちは正さねばならぬ」
その言葉を受け、『鴉』は一礼すると静かに御前を下がった。
主君の意思は、何よりも優先される。それが倫から外れていたとしても。
闇に包まれた回廊を進みながら、『鴉』の脳裏にふと一つの思考がよぎった。
――三年前、なぜ聖女が狙われたのか。
あの時は理由を探ればかえって危険だとできるだけ触れないようにしていたが、今になって点と点が結びつく。
もし聖女の身に何かあれば、護衛騎士はその不手際を理由に解任、下手をすれば処刑されかねない。そうなれば誰の力を借りることなく、王自らの手によって『鴉』を排除することができるではないか。
(――まさか、初めから狙いは『鴉』だった?)
だが、今となってはもはやどうでもよい。
正解を知る手立ては永遠に消え失せるのだから。
それから間もなく、王弟ホノリウスとその妃の訃報が宰相府より発せられた。
次回更新は8/4(火)となります。よろしくお願いします。




