第一話 鳴かない鴉
迫り来る軍靴の音を聞きながら、マクシムは剣の柄を握りしめた。
――もうじきこの国は滅ぶ。
千年続いた歴史は今日、幕を閉じる。己はその瞬間の目撃者となるのだ。
王宮内は逃げ惑う者、狂乱してすでに命乞いを始める者、金目の物をかき集めようとする者などで、混乱の極地にあった。
(――無駄なことだ)
マクシムは彼らに冷たい視線を向ける。いくらあがいたところで、陥落寸前の王宮内にいる者はどうせ同じ運命をたどる。ならば最期くらい堂々とすべきではないかと呆れるよりなかった。
――軋む音とともに、城門が開かれる。
マクシムは剣を握り直し、来るべき敵を待ち構えた。
「あとは頼んだぞ……ユリウス」
すべてを託した息子への言葉は、なだれ込む兵たちの喊声によってかき消された。
※
これより十六年前のこと。
マクシムは大きな肩を小刻みに震わせていた。
(――だから無理をするなと、あれほど言ったのだ)
どれだけ悔いたところで、もはや時は戻せない。
急速に温もりを失っていく妻の手を強く握りしめながら、マクシムは漏れ出る声を必死にこらえていた。
妻セウェラはもともと病がちな女だった。強く抱きしめれば折れてしまいそうなほど華奢で、彼はいつも壊れ物のように扱ってきた。
そんな妻が、三年ぶりに二人目の子を授かった。初産が重かったこともあり、マクシムとしては不安ではあったが本人が問題ないと主張するため、それ以上何も言えなかった。
だが、懐妊中に病にかかり、治癒はしたが衰弱した状態での出産は、結果として彼女の命を奪った。
それだけでなく――
「……女の子でございました」
産婆が差し出した布の包みをマクシムは両手で受け取った。
――産声を上げることすらなかった娘。
すでに硬直が始まり、冷たくなった赤子の躯をマクシムは腕の中に強く抱きしめた。
妻は出産時に死亡し、赤子は胎内ですでに心音を止めていた。
彼ら夫婦の第二子は、死産であった。
「母上はなんでおきてこないの?」
まだ三歳の息子ユリウスは、黒い瞳に不安げな色を浮かべて父を見上げた。
セウェラの葬儀は身内だけでひそやかに行われ、遺体は傷まぬうちに早めに埋葬された。同じ棺には、名前すら付けられなかった赤子も納められた。
母の入った棺に土がかけられていく様子に、幼児はただならぬ気配を感じ取ったのである。父の大きな手のひらを握りしめ、ユリウスは怯えた目を向けてくる。
幼い子供に、人の死など理解できるはずもない。何と答えるべきか、マクシムは言葉に詰まった。
「……母上はよく眠れるところへ行ったんだ」
「なんで? 元気になったらいっしょにあそぶって約束したのに!」
「…………すまない、ユリウス」
マクシムはそれ以上、言葉を続けることができなかった。
ほどなく雨が降り始め、埋葬作業は手早く完了した。
参列者に頭を下げるマクシムの頬は静かに濡れていた。
当時、マクシムはまだ二十六歳であった。跡継ぎの息子はすでにいるとはいえ、まだ男として充分に若い。後妻をもらえという声は多くあったが、彼は持ち込まれた縁談をすべて断った。
——それほどに、妻を愛していた。
無論、事実ではあったが、それだけが理由のすべてではない。
妻を失ったあの日から、彼は自責に囚われている。
(――セウェラを殺したのは自分だ)
その思いが何年経っても彼を縛る。
もともと体の弱い妻に、しかも病み上がりの衰弱した状態で子を産ませるべきではなかったのだ。自身の過ちのせいで、まだ幼いユリウスから母を奪ってしまった。
――もう同じ過ちは犯せない。
その決意が、彼を再婚から遠ざけた。
これによりマクシムは生涯、二人目の妻を持つことはなかった。
こちらは「黄金のアウレリア —セルディア王国記—」前日譚となります。
冒頭は本編第一章に繋がっております。
本編未読でもお楽しみいただけるよう設計しておりますが、もしご興味をお持ちいただければ、是非とも本編の方もご覧くださいませ。




