終章
終章
「レイは、まだ結婚しないのか」
白い花で満たされた花畑に寝転がりながら、エイルマーは声をかける。明日、ようやく身を固めることになった親友を、レイは隣で優しく見つめる。
「なんだ、その落ち込んだ声は。もう嫌になったか? 結婚は明日だぞ」
「そうだけど、先を考えると憂鬱で。レイのほうが、先に結婚すると思ったのに」
不満げに空に文句を言う。青空に、雲が流れる。笑って、レイも空に答える。
「多分、結婚はしないよ」
「なんで」
「もう、統主の時代なんて俺で終わらせてもいいか、なんて思っただけだ。親父はぽっくり逝ったし、母さんは全部俺に後処理を任せて自由に生きているし」
今、父の後を継ぎ統主となっているのはレイだが、それも終焉であると誰しも思っていた。後何代か続くと思われていたが、時代の流れは早かった。
それに、と言葉を続けた。
「忘れられない人がいるから」
「えぇ? そんな熱烈恋愛なんかしてたっけ?」
「三日に一回失恋するエルにはわからないよ」
素っ頓狂な反応に、呆れ声で返す。能天気で浮ついた男には一生わからないだろうな、と思う。
「ふーん……あ」
何かを思い出したように、エイルマーは起き上がる。
「まさか、何年か前にここに来た、あの踊り子の……アミナちゃんのことか?」
「お前にしては、ちゃんと名前を覚えているんだな」
驚いた声ににやりと笑うと、エイルマーは頭に手をやる。
「本当かよ。あんな、ちょっとしかいなかった人を。まあ、僕を通り過ぎた女の一人だけどね」
過去を美化しすぎているが、レイは気にせず余裕の笑みを返す。
「一瞬も通り過ぎていないだろう。それに、俺の親友を名乗るなら、人間付き合いに時間など無関係だとわかっているはず」
レイは、空を見上げ自嘲した。
「まあ、あの時は気まぐれもあった。ただ、彼女の踊りが好きだった。でも」
風が、二人の男に優しく語り掛けてくる。それにしばし身を投じ、言葉を続けた。
「不思議だな。何年も会っていないのに、思い出は消えるどころか鮮明さを増していくのだ」
すると、エイルマーは勢いよく起き上がる。
「恋だ!」
腹をすかせた獣のように、恋愛話には何でも食いついてくる。呆れながらもレイはうなずいた。
「たぶん、そうなのだろうな。はじめての感覚でちょっとよく分からないけれど、ジェフにもそう言われた。あいつの方が、よほど大人だな」
「お前が子供過ぎるだけだ。いい年して、初恋だなんて――」
エイルマーはそこで言葉を切る。どこか遠くへ向かった瞳に、レイも視線を追う。
ジェフが、颯爽とした足取りでこちらに来ていた。寝転がっているレイには、白い花の隙間からちらちら見える程度だ。胡乱に言葉をかける。
「なんだ、誰が来ても取り次ぐなと言っておいただろう。独身人生最後の親友を慰めている最中だ」
それでもジェフが来たということは、余程の用なのだろう。やれやれとレイは息をもらす。
ジェフの過去を知っても、レイはそのまま雇い続けた。信用に値する人物だと思っていたし、気に入った人間はとことん面倒を見るつもりだ。
少年だったジェフも、だいぶ精悍な顔付きになってきている。あの事件から、ずいぶんと心を許したような顔をみせてくれるようになったというのもある。
統主というものにますます意味がなくなってきた昨今。警備部も、他の人間が管轄している。今となっては客人も来ない屋敷で、そんなに忙しいこともないはずだが。
不承不承起き上がると、ジェフは一枚の紙を持っていた。
「どうぞ、レイ様」
差し出された大きな紙には、地図が書かれていた。
「何だこれは」
「ジェジクトの地図です」
「どうしてそんなもの」
ジェジクト、と聞くと胸が痛くなる。
「実は、先日アミナさんにお会いしたのですよ。もう舞音隊は辞めるということで、最後の公演としてコルニールに来たと」
驚きの状況に、レイは珍しく声を荒げた。
「どういうことだ! だったらなぜここへ来ない?」
「お前な、あっちは最後の公演で来たんだ。暇じゃないんだよ。それに」
悪友は悪友らしく、非道な顔をしてレイの肩を組んだ。
「そういうのは、男の仕事なんじゃないのか?」
レイの脳裏に、はにかむアミナの姿が浮かんだ。本当は来たかったかもしれないけれど来なかったのか、それとももう俺に興味はないということなのだろうか。
「ジェフ、アミナは、アミナはどんな様子だった? 俺に会いたそうだったか?」
冷静さをかいた様子に、ジェフもエイルマーもニヤケ顔をやめようとしなかった。レイはその様子すら、まったく気がついていなかったから。
「ですから、それを確かめるのがレイ様の役割なのでは、と思い地図を」
「おやおや。明日僕の結婚式だっていうのに、親友を参列させないつもりか? ジェフは性格が悪いな」
そうは言うが、エイルマーは嬉しそうだった。
「明日の結婚式、俺は出なくていいか?」
レイは立ち上がる。すでに親友の顔は見ていなかった。
「えー、困るなぁー。一応この辺りの統主なんだよ、レイは」
「悪い」
見飽きた親友の顔を見ることも、問いに答えることももどかしくなる。
レイはアミナの元へ走った。
今のアミナがどうであってもいい。どうしても、顔を見たかった。
駆け出したレイの頭には、数年前に見たきりの、幼さの残るアミナの姿しかなかった。
ただただ、会いたかった。
ようやく気がついた、本当の『愛している』という気持ちを伝えるために。
了
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