第1話:家鳴り
BL注意です。
よろしくお願いします。
キシ、
家鳴りの音がする。
古い家だから、頻繁に聞こえる。
「もうこんな時間か」
壁掛け時計を見ると、とっくに天辺を過ぎている。
そろそろ眠らないと。
俺は読みかけの文庫本に栞を挟んで枕元に置いた。読書灯を消して横になる。
キシ、
真っ暗の中、家鳴り音は大きく聞こえる。
子供の頃はこの音が怖かった。
聞こえる度に母にしがみついていたものだ。
あれから随分の時が過ぎた。
五人家族だった家は、一人になって随分と寒々しい気配を纏うようになった。
そろそろ三十にも届こうという独身男が、一人で住むには広過ぎる家だ。もっと利便性の良い場所へ移った方が良いんだろう。
キシ、
慣れたこの音が、誰かの足音に聞こえる。
もう会う事は無いと分かっているのに、そうであって欲しいと願ってしまう。
自嘲気味に溜息をつき、俺は目を閉じた。
俺の仕事は食品配送のドライバーだった。
シフト制でスーパーや小売店など、決まった店舗に配達をするだけなので残業は無い。口下手な俺が長年続けられている仕事だ。給料は安いが、古いとはいえ住む家もあって、金の掛かる趣味も無い俺が生きていくには充分だった。
ただし、休日は不定期なので、学生時代の友人とはすっかり疎遠になってしまっていた。
だから、高校の同級生だった小椋航平と俺が親密な関係にあった事を、他の友人達は知らない。
小椋とは高二の時の席順が、俺、逢坂と小椋で前後だった事が切欠で友人になった。他の友人も交えて過ごした高校時代は楽しかった。
小椋は気さくな性格で、いつも人懐こい笑顔を浮かべていた。目を引くような美形では無かったが、野球部で日焼けした顔から覗く白い歯が印象的だった。会話のノリが心地良く、一緒に行動していても不快な所が無い。
そのうち、小椋の近くに居るだけでドキドキと胸が高鳴るようになってしまった。
女子には数回告白された事があったけど、何とも思わなかったのに。それで気付いた。
(……ああ、俺って、そうなのか)
とはいえ、告白なんか出来る筈も無かった。
俺の家は建物が古いだけじゃなく考え方も古臭かった。男の子供は俺一人だったから、当たり前のように跡取りとして扱われた。
自分の性的嗜好に気付く前から、祖母に『跡取りとしての正しい生き方』を執拗に言い聞かされて育った。同性愛なんて絶対に認めて貰えないと最初から分かっていた。
俺は自分の気持ちに蓋をするしかなかった。
姉が祖母のように婿養子を取れば、跡取りは俺じゃなくても良い筈だ。とはいえ、その理由が『長男がゲイだから』では駄目だろう。
今思えば、もっとやりようはあったと思うけど、その頃には思いも付かなかったんだ。
俺の家には勝手口がある。
意識しなければ通ろうとは思わない程に細い路地。その先に古ぼけた扉があって、いつも鍵が掛かっている。家人以外は泥棒でもなければ気付かない。
「なんで、こんな所に扉があんの?」
この扉に目敏く気付いたのが小椋だった。元々細かい所に気が付くヤツだったが、こんなどうでもいい所にまで興味を持った。
「元々隣も同じような造りだったんだよ。それがほら」
細い路地に隣家の真新しい高い塀。反対側のうちは古家の壁だ。
「なるほど。元々私道だったのを、ギリギリまで壁にしたのか」
「お陰で道幅が半分になっちまって、うちも使わなくなったんだよ」
「ふーん」
俺は玄関の扉を開けて、初めて小椋を家に招き入れた。
その時、俺たちは高校二年。他のクラスメイト三人と共にグループワークの相談をする為にうちに集まった。この頃はまだ、祖母も両親も姉も生きていた。
人を家に呼んだのはその一回だけ。
学校帰りに寄っていくなんて事は許されない。事前に祖母にお伺いを立てて許可を貰うように言われ、あまりに面倒でうちで集まるのを止めたからだ。
そして俺は高校を卒業し、就職した。
うちには跡取りは家を出てはいけないという仕来りがある。近場に行けそうな大学が無かったので、通学距離が長くなるのが面倒だった。
なりたい職業があった訳でも無いし、勉強も好きじゃなかったから、適当な会社に就職した。仲の良かった友人たちは大学や専門に進学し、必然的に疎遠になった。
就職してしばらくは気忙しかった。
慣れない車の運転、ルートも覚えなくてはならない。それに加えて細かい事務作業。新卒だからといってミスを客は許してくれない。とても気を使った。
それが何とか形になって、大きなミスもしなくなってきた頃。偶然に小椋に会った。
「よう、元気か」
「いーや、ぐったりだ」
仕事終わりに自宅へ向かって歩いていた時だった。俺は会社のツナギの上にジャンパーを羽織っていた。小椋は染めた髪を片側に流して、無地のシャツをシャレた感じで着こなしていた。ちょっと前まで縒れたプリントTシャツとか着てたのに。
「なに、彼女でもできたか?」
「できる訳ねーだろ。ちょっとした冒険だ」
小椋が照れくさそうに言う。こいつは球児だったので、高校時代はずっと坊主頭だったのだ。
筋肉質で良い体をしているから、何を着ても似合う。ヨレヨレのTシャツですら格好良かったのに、オシャレになってしまったら、さぞや女の子にモテることだろう。
「大学どうよ?」
「んまーぼちぼち。とっとと単位取りたくて詰め込み過ぎた」
「ふぅん」
大学のシステムはさっぱり分からない。適当に相槌を打ちながら夜道を歩いた。
小椋は春休みで実家に帰ってきているそうだ。大学の春休みが二ヶ月もあると聞いて羨ましくなった。シフト制だとまとまった休みはなかなか取れない。
「野球は続けてないのか?」
「うちの大学弱いからなぁ。……おい」
「うん?」
小椋が急に足を止めたので、何だと振り返る。
街灯の下にいる小椋の顔が良く見えた。目を見開いて硬直している。
「どうした?」
視線を追ってその先を見ると、そこは俺の家だった。
しばらく眺めてみたが、特に変わった様子は無い。
「いや……」
「何だよ。気になるだろ」
「悪い、気の所為だ」
小椋はそう言ったが、表情は青ざめて見える。
気にはなったが、仕事で疲れていた俺は、それを街灯の所為だと思う事にした。
母が死んだのは、その三日後だった。




